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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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局中法度【弐】

普段、滅多に怒りの感情を見せない雛乃が声を荒げた。それに二人は驚き、思わず動きを止める。


刀から手を離して雛乃へ目を向けると、雛乃は今にも泣き出しそうに表情を歪めていた。

沖田はハッと我に返ると雛乃の方を振り返り、謝罪を口にする。


「す、すみません……! 雛乃ちゃんを悲しませる為にしたのではなくて! ちょっとした出来心でしてっ」


「……でも、やる気満々だったし、私が止めてなかったら刀抜いてたでしょ?」


「そりゃあ害虫駆除しようと一生懸命でしたからね……い、いえっ!! 何でもないです。すみません……」


先程の威勢の良さは何処へやら。沖田は謝罪を口にしながら、小さく項垂れていた。二度としません、という沖田の言葉に雛乃は頷きを返し、ようやく和解が成立する。


先程まで傍観に徹していた藤堂は、その様子を見て驚きを隠せなかった。


「あの総司が、素直に非を認めた……」


沖田を止めたという事だけでも驚きだというのに、非まで認めさせるとは。やはり雛乃はそこらの女子と質が違う。


一番の理由は沖田が雛乃を好いている所為だと思うが、藤堂は雛乃に感心せざる得なかった。


「……雛は、誰よりも命を奪うものが嫌いだから」


「え?」


ぼそりと呟かれた吉田の言葉。偶然耳に届いた藤堂は吉田に視線を向けるが、吉田は沖田を未だに睨み続けていた。


だが、それが雛乃に移ると吉田の表情はグッと柔らかくなる。その変貌振りに藤堂は瞠目した。


どうやら、吉田にある優しさは雛乃にしか向けられないらしい。沖田を見る時と雛乃を見る時とでは余りに違い過ぎた。その極端な差に、先程の殺気が嘘のように思えてしまう。


吉田は藤堂の視線に気付くと、小さく口端を上げる。そして、いつの間にか沖田と楽しく談笑している雛乃に手を伸ばすと、自分の胸元へ引き寄せた。


「そこまでにしてもらおうか。僕もいるって事、忘れないでよね」


悲鳴を上げる間もなく、雛乃の身体は吉田の腕の中にすっぽりと収まっていた。雛乃は早鐘を打つ胸を押さえながら、自分を抱き上げている吉田を見上げ微かに眉を寄せる。


「栄太郎さんも、反省はしてるんですよね?」


「うん、してるしてる。雛の悲しむ事、僕はしたくないから」


「それなら良いんですけど……って! 降ろして下さいっ!!」


吉田は雛乃を抱き上げ、今にも此処を離れようとしていた。まだ沖田達との会話を楽しみたい雛乃は抗議の声を上げる。


それを吉田は笑顔でさらりと躱すと、雛乃の身体を更に強く抱き締めた。


「駄目だよ。体力はまだ完全には回復していないんだから。ああ、戻るの拒否するのなら、明日から庭に出るのも禁止にするよ?」


「うっ……」


それは嫌だ、と雛乃は口を噤む。静養生活を送る雛乃にとって、庭に出る事は毎日の楽しみでもある。それを奪われるのだけは避けたい。何より壬生に戻る為にも、吉田の機嫌を今此処で損ねる訳にはいかなかった。


雛乃の頭を一撫でし、吉田は雛乃を床へと下ろす。


「栄太郎さん?」


「ごめん、雛。ちょっと、用事があるから雛だけ先に戻っててくれる?」


「え……」


雛乃は思わず耳を疑った。確認の為に吉田を見れば、自室へと通じる廊下を指差している。どうやら聞き間違いではないらしい。


あれ程連れて行こうとしていた吉田の行動に、雛乃は頭に疑問符を浮かべる。何故、自分だけなのだろうか。


その理由は、雛乃が悩む間もなく明らかとなる。


先程まで雛乃が座っていた、縁側から流れてくる何とも言えない不穏な空気。それを醸し出していたのは沖田だった。


吉田をジッと見据えている。それも怖いくらいの満面の笑顔でだ。

あの笑顔を雛乃は知っている。沖田がああいう表情を出す時は決まって機嫌が悪い時。


恐らく沖田は吉田を斬りたくて斬りたくて、堪らないのだ。だが、刀を出し吉田を傷付ければ、雛乃から嫌われる事は確定的。それを避ける為、沖田はこの笑顔を使い吉田を牽制し続けていたのである。


「大丈夫ですよ。先程のように、刀は抜きませんから」


雛乃と目が合い、沖田はそう返してくれたが、雛乃は素直に頷く事が出来なかった。

ヒシヒシと感じる殺気も混じった嫌な空気。この状況を見て、何もせず去れる訳がない。


どうするべきか、と戸惑い続ける雛乃の手をグイッと何かが引き寄せる。雛乃が視線を上げると、そこにいたのは沖田と隣に居た藤堂だった。


「へ、平助君?」


「俺も蚊帳の外みたいだからさ、雛乃を部屋に送っていくよ。一人だと何だか危なっかしいしね」


「む」


藤堂のさり気ない一言に雛乃は思わず顔をしかめるが、それを完全に否定する事は出来ずにいた。


雛乃のドジの多さは多方面に知れ渡っている。多少の改善は見られるが、それも微々たるものだ。ドジを踏む可能性の方が確実に高い。


眉間に皺を寄せ考え込む雛乃に、藤堂は笑みを溢す。だが、その表情は一瞬にして崩れ去った。


藤堂は笑みを消し、雛乃の手をしっかりと握り締めると部屋へ戻る事を促し始める。


「っ、ひ、雛乃っ! 取り敢えず行こうっ! 話は部屋で聞くからさっ!!」


「えっ? あ、うん。でも平助君、そんなに急がなくてもいいんじゃ……」


「いやいや、急がないとっ! どんどん風も冷たくなってきてるしっ!!」


藤堂の狼狽振りに驚きながらも、雛乃は藤堂に促されるまま足を進めて行った。

徐に雛乃が振り返ると、此方を見つめる二人の視線。それを見て雛乃は藤堂が先を急いだ理由を知った。

一人残されるのも気まずいので、永倉も後に続きその場を離れていく。


三人の足音が遠ざかると廊下には静けさが戻る。残された吉田と沖田は同時に舌打ちをした。


「……あいつ、確か藤堂って奴だっけ……」


「平助、後で絞めます……」


吉田は近くの柱に寄り掛かり、沖田に向けて挑発的な笑みを浮かべる。


それを逸らす事なく真正面から受け取った沖田は、見定めるように吉田を見つめ返していた。


吉田の雛乃に対する執着は自分より遥かに強い。沖田はそう感じている。故に大怪我を負わせても尚、雛乃に近付く自分達に嫌悪を示し、警戒するのだろう。


沖田は見舞いに訪れる度に突き刺さっていた吉田の視線を思い出し、小さく息を吐いた。


吉田が沖田達を警戒するように、沖田もまた吉田を警戒している。吉田を雛乃の許婚というだけで済ませる相手ではない事を、薄々感じていたからだ。先の時代から雛乃と吉田を結びつけるものが、何も見えないからかもしれない。


それに、敵とは一体何を指して言ったのだろうか。沖田の予想が正しければ、恐らくそれは――


「……栄太郎さん。貴方は本当に藤森の縁者なのですか」


沖田の率直過ぎる問いに吉田は軽く目を見張ると、くつくつと喉を鳴らした。


「はははっ。へぇ、僕を疑う訳? やっぱり公儀の犬は野蛮だね。礼儀も何もなっていない」


藤森に関わる者を安易に詮索すれば只では済まない。京から追放されるか、下手すれば命を落とす。


それは百も承知だ。だが、あからさまな挑発を受け黙っていられる程、沖田は上手く出来た人間ではない。


今回の事は確かに此方に非はある。故に多少の非難は受け入れるつもりだ。だからと言って浪士組を全体を非難される覚えはない。


沖田は掌を強く握り締め拳を作ると、吉田を鋭く睨み付けた。


「……喧嘩なら幾らでも買いますよ?」


「別に喧嘩を売ったつもりはないんだけどね。単に君達の遣り方が気に入らないから、口に出しただけだよ」


吉田は柄に伸びた沖田の手を一瞥し、組んでいた腕を静かに解いた。


「鴨の血で、真っ赤に染まろうとしている君達に、雛を守る資格なんてないって自覚してもらいたくてね」


沖田の目が大きく見開かれ驚きに染まる。対する吉田は涼しい顔で沖田を見つめていた。


鴨の血。それが何を指しているのか、沖田は容易に想像がついた。それは恐らく限られた者しか知らされていない無作法な計画、芹沢の暗殺の事だろう。


芹沢だけではなく、芹沢派を一蹴する為に土方が仕込んだ巧妙な計画。会津公から下された密命でもあり、浪士組が今後も会津の下にいる為に、それは遂行せざる得ない事項だった。


故に、浪士組の内部でも限られた者しか知らない重要機密。何故それを、吉田は当たり前のように知っていたのか。


沖田の脳裏に警鐘が鳴り響く。危険、その一言がぐるぐると巡り続けていた。


「……貴方は、一体……」


沖田は警戒を最大限に引き上げ、吉田との間合いを計る。何時でも抜刀出来る様、利き手は柄に触れていた。


緊張感が漂う中、吉田は可笑しそうに再び口元に笑みを浮かべる。


「安心しなよ。別に密告や各方面にそれを流したりはしないから。僕はただ、雛を守りたいだけ」


雛乃の為だとあくまでそう主張する吉田に、沖田は煮え切らない態度だと内心舌を鳴らす。

そもそも、吉田が敵か味方さえ分かっていない。はいそうですか、と安易に頷く事は出来なかった。


「そう簡単には信用出来ませんよ。どうやって仕入れたのか、それを明かして頂かなければ」

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