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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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局中法度【壱】





一、士道ニ背キ間敷事。



一、局ヲ脱スルヲ不許。



一、勝手ニ金策致不可。



一、勝手ニ訴訟取扱不可。



一、私ノ闘争ヲ不許。



上条々相背候者切腹申付クベク候也。





「……局中法度?」


「はい。土方さんが取り決めた隊規ですよ。切腹、だなんて物騒なもの書いたから、もう皆震え上がってしまって」


情けないですよねぇ、と笑う沖田の横で雛乃は表情を曇らせた。それに気付いた藤堂は手を横に振りながら口を開く。


「あ、でも総司のように皆が皆、納得してる訳じゃないよ? 幹部の間でも、動揺はそれなりにあるし……。違反したら問答無用で切腹。戸惑うのが当然の反応。だよね、新八っつあん」


「ああ、まあな。それなりに人数増えたし、隊規は必要だとは思ってたが、まさかこんな“鉄の掟”とはな。土方さんらしいっちゃ、土方さんらしいんだけどよ……」


団子を啄みながら永倉はそう言うと、乾いた息を吐き出した。


この日、非番だった三人は近況報告も兼ねて雛乃の見舞いに藤森邸を訪れていた。

秋も深まり色鮮やかに染まった葉が、風に煽られハラハラと庭先へと落ちる。別邸とはいえ藤森の所有する屋敷、庭園の紅葉は見事だった。


天気も良かった事から雛乃達は場所を縁側に移し、団子を茶請けにして談笑を楽しんでいた。


局中法度が話題に出たのはつい先程の事。近藤や土方が会津に呼び出され、先の政変の働きを認められたと沖田が口にした事から端を発する。


今の浪士組は烏合の衆だ。遅かれ早かれ規律を作らなければならなかっただろう。法度自体を非難するつもりはない。内容も、組を思えば必要なもの。


雛乃が表情を曇らせたのは、既に法度違反に該当する人物がいたからだ。雛乃の脳裏に穏やかに笑う男性の姿が過る。と同時に、血溜まりに沈む姿も想像してしまった。


「……芹沢さんはこの法度、許可したの?」


雛乃の言葉に藤堂と永倉はハッとする。沖田達も気付いていた、芹沢派の面々が全ての法度に該当する事を。


芹沢の性格を考えれば素直に認める訳がない。認める事は自らの首を締める事でもある。

笑顔を浮かべていた沖田は口に運んでいたお茶を飲み干すと、首を縦に振った。


「それが、素直にあっさりと許可したそうですよ。これには土方さんも拍子抜けして、何か企んでんじゃねえかって、眉間に皺寄せて唸ってました」


ああ、と雛乃は芹沢の思いを知り思わず掌に力を込めた。芹沢は逃げる事はせず前に言っていた通り、命を有効利用する為に甘んじて全てを受けいれるつもりなんだと。


パチン、と夢から醒めたような気がした。雛乃の脳裏に忘れていた史実が一気に押し寄せてくる。


大和屋事件、八月十八日の政変を経て、組に起きる出来事――。


辿り着いたのは九月中旬に散る無数の命。芹沢一派の暗殺だった。

雛乃から一瞬にして血の気が引いていく。


何故、忘れていたのだろう。何故思い出す事なく日々を過ごしていたのだろう。

史実を思い出せない日々が続き、その直後に佐伯の凶刃に倒れ雛乃は非常に不安定な生活を送っていた。


仕方ないと言えば、それまでだ。だが、今の雛乃にとって芹沢の死は簡単に見過ごせないもの。


雛乃にとって芹沢はもう一人の父親ような存在。彼らの死を受け入れたくない。何より、大切な人を再び奪われるのは嫌だった。


この事態を止める術は何処にも無い。かといって、平然と見過ごす訳にもいかなかった。


しかし、行動に移したとして一体何が出来るというのだろうか。何の根拠も自信も無い、未来を知るだけの雛乃に出来る事など高が知れている。状況を考えれば傍観に徹するのが得策かもしれない。


ぐるぐると回り続ける思考の波に雛乃は、喉元に苦いものが迫り上がってくるのを感じていた。


何をすれば正しいのか、何をすれば危ういのか。それすらも分からなくなる。苦しい、悲しい、痛い。その率直な思いだけが今は胸を占めていた。


『――ああ、あの子。あれだよ。あの事件の生き残りらしい。あの“――”の娘になんて、生まれてこなきゃ良かったのになぁ』


ふと蘇った十年前に聞いた心無い世間の言葉。それは雛乃のある気持ちを呼び起こすには十分過ぎるものだった。


ふいに雛乃の額にひんやりとしたものが当たる。それは熱を測るように差し出された沖田の掌。雛乃が顔を上げるとそこには、雛乃を心配そうに見つめる沖田の顔が至近距離にあった。


「ひゃっ!?」


「雛乃ちゃん、顔色悪いですよ? 大丈夫ですか?」


「わっ!? 本当だ。雛乃、顔真っ青じゃん。無理してたの?」


「え? あ――」


指摘されて雛乃は気付く。身体が何故か震えており、握り締めていた掌も冷えきっていた。


思考に集中し過ぎた所為だろうか。雛乃は本当に酷い顔をしていた。血色が良かった顔色も、今は何処か青白い。沖田や藤堂が心配するのも頷ける。


芹沢の行く末を思うだけでこんなにも狼狽してしまう。雛乃の中で、芹沢の存在はかなり大きくなっていたようだ。


だからこそ、やらなければならない事がある。あの言葉で迷いは消えた――

雛乃は固まった決意を胸に秘めて、不安そうに自分を見つめる二人に笑顔を向ける。


「えと、大丈夫だよ? ちょっと考え事してて……、気持ち悪くなっただけだから」


大丈夫、と言われても顔色は悪いままだ。早く自室に戻り休んだ方が良いのでないか。


「雛乃、でも――」


「大丈夫だから」


藤堂の言葉を遮り、雛乃はその場から立ち上がろうとする。だが、足に上手く力が入らずそのまま床へ臀部から落ちた。


「はぅっ!?」


「っと! 危ないですよ」


「あ、ありがとう……です」


反射的に沖田が支えてくれたお陰で、雛乃の衝撃は軽く、肘を打ち付ける程度で済んだ。


失敗を誤魔化すように笑みを浮かべる雛乃に沖田は、息を吐くと雛乃の額をペチンと叩く。


「いたっ!」


「です、はいらないんですよ、雛乃ちゃん。敬語は禁止。忘れないで下さいね?」


細かい、と雛乃は内心毒づいた。敬語禁止令が発令されてからというもの、沖田はよくこうして指摘してくる。嫌、という程ではないのだが何だか困惑してしまう。


だが、それを口にしてしまえば、黒い笑顔の沖田が待っている。それを回避すべく、雛乃は反論せず素直に頷いていた。


「うん、気をつけ、る」


「ん、良い子ですね」


そう言って沖田は満足そうに雛乃の頭を撫でる。


最初に会った時より、沖田の腹黒さは増しているのではないか。苦笑を浮かべる藤堂を一瞥し、雛乃は複雑な表情で頭を下げるのだった。


「――ねぇ、何やってんの?」


廊下に不機嫌そうな声が響く。三人が顔を上げると其処には無表情に佇む吉田の姿があった。


「あ、あんたは確か……」


「ああ! 栄太郎さんじゃないですか。こんにちは、お邪魔してます」


藤堂の言葉を遮るように声を上げると、沖田は廊下にいる吉田を見据えた。


吉田の姿を見るなり、沖田は支えていた雛乃に身体を更に密着させる。それが吉田の苛立ちの原因と分かっていながら、だ。


吉田は目を細めると歩みを進め、沖田達の目の前で立ち止まる。その瞳は先程より冷たさを増していた。


「……チッ。ようこそ、沖田。言っておくけど、僕は一切歓迎してないからね」


「ええ、構いませんよ。別に貴方に歓迎なんてされたくありませんから」


他愛ない挨拶は何処にも存在しない。あるのは刺々しい空気だけだ。先程までの穏やかな雰囲気は微塵も残っていない。


吉田と沖田、双方の痛い程の殺気に挟まれ、雛乃はどうしたら良いのかと一人頭を悩ませていた。


実を言うと二人の衝突はこれが初めてではない。顔を合わせる度、特に雛乃が居るとこの睨み合いは発生する。


端から見れば雛乃を想う男二人の醜い争いなのだが、当の本人である雛乃は何が原因なのか良く分かっていない。

その為、雛乃は自分が何か為出かしてしまったのだと思い込み、不安ばかりを募らせていた。


かと言って黙って見ている訳もいかない。考え出した計画を実行する為にも、二人の口喧嘩を止める必要がある。


雛乃は険悪な空気の中、勇気を振り絞って口を開いた。


「あ、あのっ……!」


「あのさ、沖田。いい加減雛から離れてくれない? 雛は僕の許嫁。そう言ってたの忘れた訳じゃないでしょ」


「あはは、嫉妬深い男は嫌われますよ? いくら貴方が雛乃ちゃんの許嫁とは言え、そこまで介入するのはどうかと思いますが」


「君がベタベタ触り過ぎるから言ってるんだけどね。何なら、その苛つく口を今直ぐ削ぎ落としてあげようか」


「ああ、それは良いですねぇ。ならば私は貴方の脳天を一刀両断し、思考を正常に戻してあげましょう」


カチリ、と刀の柄に伸ばされる双方の利き手。それを視野に入れると、雛乃は反射的に立ち上がり沖田と吉田の間へ入り込んだ。


「駄目っ!!」


「ッ、雛っ!?」


「雛乃ちゃん!?」


広げられた両手。怒りを含んだ瞳。雛乃は息を小さく吐くと二人を睨みつける。


「口喧嘩は幾らしても構いません。けど、刀を取り出すのは、やり過ぎですっ!」

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