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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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懐かしい温もり【伍】

そんな身分にある雛乃を女中として働かせる訳にはいかないらしい。何度、頼んでも駄目だった。藤森は例外の家柄かと思っていたのだが、やはり女子に関しては他の武家と同じ扱いをするようだ。


本家に身を置いている訳ではないのだから、雑用でも何でもさせてくれていいのに、と雛乃は思う。


姫、という身分に自分は似合わない。屋敷に閉じ込められているより、身体を動かし皆の為に働いていたかった。

雛乃の思いを聞いた梅は一つ頷きを返すと、雛乃の頭に手を置いた。


「梅姉?」


「気持ちはよう分かる。せやけど、雛ちゃんは日頃よう働いとるし、こないな時こそ安静にしとくべきやと、うちは思うんよ」


「でも、」


「でも、やあらへん。自分の身体大事にせえへんと、壬生に戻ってからも支障が出るかもしれへんよ。ずっと寝込んどるなんて、嫌やろ?」


「うん。嫌……」


梅には雛乃が必要以上に仕事を求めているように見えた。理由はよく分からない。ただ、そう見えたのだ。もしかして、芹沢が言っていた雛乃の過去に関係あるのだろうか。


梅は雛乃の過去を詳しくは知らない。ただ、自分に無頓着な雛乃が気掛かりだった。

年齢より幼い容姿なのに、誰よりもしっかりしている。だが、それは単に頼る事を知らないだけではないか。


「雛ちゃんはもっと人に甘えるべきや。自分で何でもかんでも、やらなあかんと思わんでええの。苦しい時は苦しい、辛い時は辛い言うて、誰かの力を借りるべきなんよ」


「甘える事が大事……?」


肯定の意味も込めて梅の掌が雛乃の頭を撫でていく。その暖かさに触れながらも雛乃は酷く困惑していた。


甘える、という行為がよく分からなかったからだ。


「……周りは利己的な人達ばかりだったから。自分で自分を守る事が当たり前で、そんな事する余裕なかったの……」


雛乃は幼い頃、突然家族と記憶を奪われた。支えてくれる人は誰もいない。


父の兄にあたる叔父夫婦が引き取ってくれたが、それは辛く過酷な日々の始まりにしか過ぎなかった。


何をしても何を言っても気に入らないと罵倒され、折檻を受ける。時には納屋に閉じ込められ、数日過ごす事もあった。


叔父夫婦は、世間的には自分の子同様可愛いがっている素振りを見せるので、虐待を受けていると誰にも訴える事は出来なかった。否、信じてもらえないだろうと思っていた。


事件の所為で精神を病んだと決め付けられてしまった事もあり、雛乃の意見を聞く者は誰もいない。皆、腫れ物を触るように扱うものだから居心地が悪いだけだった。


だから、口を閉ざした。よく会いに来てくれていた祖父にも雛乃は本音を語る事は無かった。

家では苦痛の日々。学校でも気が休まる事無く常に好奇の目は消えない。


次第に分からなくなっていく感情。誰が味方で誰が敵なのか。孤独と猜疑心が心を蝕んでいく。


一人で、歩いていくしかなかった。


「……雛ちゃん」


初めて聞いた雛乃の過去。

梅は隣に座る雛乃の身体が酷く小さく見えた。


「……当たり前の事だったから、平気。それに過去だもん。今は梅姉達がいるから。ね!」


そう言って雛乃は普段と変わらない笑みを浮かべる。恐らく、こうやって感情を隠してきたのだろう。そう思うと堪らなくなり、梅は雛乃を自分の元に引き寄せ強く抱き締めた。


「う、梅姉?」


「ああ、もうっ! 殴り倒したくなるわ!! こない小さな子に、辛い目ぇ合わせて、平気でいられる神経持ってるやなんて……。ッ、雛ちゃん! これからはうちにたーんと甘えてや。甘えて頼って、何でも話すんやでっ!!」


怒りと悲しみ、双方の感情を言葉と共に吐き出した梅の姿に雛乃は目をしばたたかせた。ここまでの反応を見せるとは思わなかったからである。


涙目になりながら、しっかりと自分を抱き締めてくれる梅の優しさに雛乃は泣きそうになった。


母親のような温もりに、夢でよく見た家族の暖かさに胸が熱くなる。しかし、同意を求めるように向けられた笑顔には、戸惑いを見せた。


嬉しさが湧き出るものの、もう一人の自分が警鐘を鳴らす。信じては駄目。いつかはまた孤独になる、と。

何より、愛される資格が自分には無い。自分だけ幸せに浸ろうだなんて、許されるはずがない。


「で、でも……」


「遠慮せんでええ、言うたやろ? うちは雛ちゃんの“姉”なんやから。姉が、妹守るのは当然の事やし。それにな、雛ちゃんはあれこれ考え過ぎなんよ」


雛乃は周囲をよく見ている。今は何が必要で何が不必要か。恐らく、その判断力は誰よりも優れているだろう。その為、誰とでも対等に話せるしどんな状況にも対処出来た。


だからと言って自分の感情に蓋をしていてばかりでは、精神的にも悪影響となる。発散する事が何よりも大事だった。雛乃みたいに、押さえ込む性格の者ならば尚更である。


「自分の気持ちそのままに言うてみ? 雛ちゃんは何したいん? 家事だけやのうて、他にしたい事、してもらいたい事が沢山あるんやろ?」


大人びていても、雛乃はまたまだあどけなさの残る少女だ。市井の子達と同じく感情豊かな面を持ち合わせているはず。それを隠し生きるのは止めて欲しい。心から笑って生きていて欲しい。梅はそう思わずにはいられなかった。


「なぁ、雛ちゃんの、今の一番の、本当の望みは何なん?」


「望み?」


「せや。家事したい、とかや無くてな。もっと別モンの願いや」


「……別の?」


胸元の着物を握り締め、雛乃は不安気に梅を見つめる。対する梅は雛乃の思いを受けとめようと、満面の笑顔でどっしりと構えていた。


雛乃が望むもの。それは当たり前の日常。十年前に存在していた、優しい日々。失われた記憶の中に確かにあった存在。


「……が、欲しい……」


「ん? 何やて?」


「家族が欲しい……と思うのは変、かな……?」


雛乃には名ばかりの家族しかいなかった。富と名声にしがみ付く親類。祖父以外に愛された事は一度もない。


けれど、幕末のこの時代の人達は違う。他人同士でも暖かい。優しい温もりが人々の中に息衝いていた。


壬生浪士組の皆も、時に優しく時に厳しく接してくれる。息苦しい現代とは違い、生きているという実感が出来た。毎日がこれ程楽しいと思えたのは初めてだったかもしれない。


だから、ふと立ち止まった時に人恋しくなる。失った筈の温もりを手に入れたくなった。


「何言うとんの!」


雛乃の願いを聞き梅は思わず声を上げた。それに雛乃は小さく息を吐く。


「……やっぱり、おこがましいよね。私なんかが――」


「雛ちゃんは、もう立派なうちらの家族やないの! 誰が何と言おうとうちの妹や。芹沢はんだって、雛ちゃんを娘のように思うとるはずや!!」


「――へっ?」


梅から出た言葉は雛乃の予想を遥かに超えるものだった。否定されるどころか、すんなりと受け入れてくれた梅の優しさに雛乃は驚きを隠せない。


「芹沢さんも?」


「当たり前や。雛ちゃんが怪我した言うて、心配そうな顔してなぁ。よう、溜息吐いてはったし。見舞いの際の、甘味を用意したのは芹沢はんやしな。雛ちゃんを大事に思ってへんと、そないな事せえへんやろ」


「芹沢さんが……」


知らなかった。芹沢がそこまで自分の為に心を砕いてくれていたなんて。


祖父によく似た雰囲気を持つ芹沢を、雛乃は父のように思っている。その芹沢からの心遣いに雛乃は胸がほっこりと温かくなり


「ありがとう……」


そう感謝を告げずにはいられなかった。


はにかむように笑う雛乃を見て梅は、その小さな身体を強く抱き締める。


「ああ、もうっ! 可愛い過ぎや! 感謝なんてええ。うちの妹でいてくれる、それで十分やっ!!」


「う、ん。ッ、わかった。わかったから……!!」


気が高ぶってるせいか、梅の腕力は日頃よりかなり上がっている。梅の両腕は雛乃の身体をギリギリと容赦無く締め付けていた。


その所為で、雛乃は窒息の危機に直面しているのだが、梅はそれに気付く事なく更に力強く雛乃を抱き締め続けている。


どうにかして離してもらおうと梅の背中を手で叩いても効果は無し。ミシミシと自身の身体が軋む音だけが耳に届く。


(あうぅ……も、もう……限界……気が遠くなりそ……)


雛乃が諦めて意識を手放そうとした時だった。ドタドタと豪快な足音を立てて、一琉が廊下を歩いて来る。


どうやら芹沢との話が終わったらしい。一琉の後方には芹沢の姿もあった。


「二人共、待たせたな。雛乃、芹沢がお前に話あんだとよ……って! 何やってんだ、アンタは!!」


一琉は梅に抱き締められている雛乃の様子を見るなり顔色を変え、声を上げた。

一琉の声に梅はようやく顔を上げる。その表情は困惑に満ちていた。


「えぇ? 何って、見て分からんの? 姉妹の抱擁やん」


「いや、抱擁は抱擁なんだが、明らかに様子が違うだろ……。雛乃、死にかけてんぞ」


「へっ? ……ああ! 雛ちゃん!? どないしたん!? こんなにぐったりしはって!!」

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