懐かしい温もり【肆】
――翌朝。
微かに聞こえる雀のさえずりで目を覚ました雛乃は、ゆっくりと瞼を開けた。
「ひゃぅっ!?」
雛乃の視界に入ったのは整った顔立ちの青年――吉田の顔。吉田が横に眠っている。雛乃は驚きに身を強張らせ、思わず声を上げていた。
吉田がいた事に雛乃は動揺し身を捩らせるが、それを遮るかのように雛乃の身体に電流に近い痛みが走る。
どうやら声を上げ、身体を急に動かしたのが不味かったようだ。ズキズキと痛む腹部に手を当て、雛乃は身を丸めた。
「うぅぅ……」
「いきなり動こうとするからだよ。まだ傷は、完全に癒えていないんだから」
雛乃が声を抑え痛みに悶絶していると、くつくつと笑い声が耳に届く。顔を上げると、吉田が笑顔で自分を見つめていた。
「え、栄太郎、さん……」
「おはよう。よく眠れた?」
「えと、眠れた……と思う、です」
何とも言えない羞恥心が雛乃を支配する。真っ赤に染まった表情を見られたくないと、思わず顔をそむけた。
それに再び笑みを溢し、吉田は雛乃の額に片手を当てる。
「熱は下がったみたいだね。魘されずに寝ついたお陰かな」
ここ数日、雛乃は微熱が続いていた。受けた刀傷が大きな原因なのだが、一番の原因は睡眠不足。
日頃から睡眠が浅かった雛乃には身体にかなりの疲労が溜まっていた。身体に疲労が溜まっていては、治癒出来るものも出来ない。
昨夜は久方ぶりに熟睡出来た為、身体が休められようやく熱が下がったと思われる。吉田は雛乃の回復に安堵の息を吐いた。
一方の雛乃はというと、現状にただただ困惑していた。夜中に目を覚まし、吉田と話した事は覚えている。だが、その先が全く分からない。
(……あの時、栄太郎さんが近付いて来て、夢について話せって言われて、そして……あれれ?)
何度も何度も記憶を辿るが、ある部分でプツンと途切れ何も思い出せなかった。
「あ、あの、何で栄太郎さんが、一緒に寝てたんですか……?」
雛乃は思考を止め、吉田を見据え首を傾げる。そんな雛乃に吉田は数回瞬きを繰り返した。
「覚えてないの?」
「はい、全く……」
何かしてしまったのか、と不安を見せる雛乃に吉田軽く手を振り、片手で頬杖をつく。
「ああ、そんなに心配しなくても大丈夫。単に雛が抱き付いて離れてくれなかっただけだから」
「抱き……っ!?」
雛乃の表情が驚きに染まる。腹部の痛みも何のその、勢い良く布団から起き上がった。
(……抱き付いたって、何っ!? え、え、栄太郎さんに? うわわわ、何て事を……!!)
現状にも混乱しているというのに、吉田から告げられた事実に雛乃は更なる衝撃を受けた。布団の上に正座になり、頭を抱えうんうん唸っている。
それに思わず吉田は笑みを溢した。
真っ赤になったと思えば、何を想像したのか青ざめ何度も首を振り続けている。百面相する雛乃の様子は見てて面白い。
雛乃は幼少の頃から表情豊かだった。陰りが見えるが、あの頃の喜怒哀楽は失われていないようだ。
「そういえば、雛。今日も見舞い来るらしいよ」
「へっ?」
お見舞い、という単語に反応し雛乃は顔を上げるが再び腹部の痛みが身体を襲い、声にならない悲鳴を上げた。
吉田は布団からゆっくり起き上がると、蹲っている雛乃の頭を撫でる。
「安静にしてないからだよ」
「誰のっ、せいですかっ!」
雛乃は眉間に皺を寄せ、吉田をキッと睨み付ける。だが、くつくつと喉を鳴らし続ける吉田には何の効果もないようだ。
悔しさと恥ずかしさで次第に赤みを増していく雛乃の頬。それを隠すように雛乃は吉田から視線を外す。
「もう、いいですっ。栄太郎さんの意地悪っ」
「別に、意地悪してるつもりはないんだけどね」
一つ一つの雛乃の仕草が、吉田にとっては可愛くて仕方がなかった。表情をコロコロ変えるものだから、つい手を出したくなる。
吉田は笑いを堪えるように軽く口元を手で押さえると、その場から静かに立ち上がった。
「お腹空いてるでしょ。何か食べるもの持ってくるから、横になって待ってて」
吉田の言葉に雛乃は顔を上げ、目を瞬かせる。
「え。横になってなくても大丈夫ですよ。今日は調子が良いから私も取りに――」
「ふぅん? じゃあ、痛みに何度も悲鳴を上げそうになっていたのは何で?」
「うっ……」
吉田に痛い所を指摘され、雛乃はぐうの音も出ない。
確かに先程から痛みに悩まされていた。今も鈍い痛みが身体を支配している。
雛乃はそれを必死に隠そうとしていたのだが、吉田の前では無意味なようだ。
どんなに取り繕っても小さな異変を直ぐに見抜いてしまう。
(……むぅ。昨日は昨日で、私が色彩見えてない事にも気付くしなぁ。この人、もしかして超能力者か何かなんじゃ……)
出会って日も浅く、雛乃は吉田を藤森の関係者としてしか見ていない。その吉田が何故自分の異変に直ぐ気付くのか疑問で仕方なかった。
「痛むんなら大人しく休んでなよ。じゃないと治るものも治らない。ま、来年まで布団と仲良くしていたいのなら、僕はもう何も言わないけど」
「それは嫌ですっ!!」
雛乃は思わず声を上げた。早く治して壬生に戻ろうとしているのに、これ以上寝込むのは困る。
「なら、何をすべきか分かるよね?」
「む……」
吉田の何か言いたそうな笑顔に、雛乃は開こうとした口を閉じると大人しく布団に潜り込んだ。こうしなければ吉田が動かない事を察知したからである。
「直ぐ戻るから」
吉田は雛乃が布団に入るのを見届けると、そう言って足早に部屋を出て行った。
パタンと襖が閉まり、静かになった部屋をぐるりと見渡し雛乃は一息吐く。
「結局、何が原因だったんだろ……」
そうひとりごちて雛乃は布団に顔を埋め、眉間に皺を寄せた。
雛乃が知りたかったのは吉田と一緒に寝ていた理由。吉田に抱き付いてしまった経緯を吉田から聞き出そうとしたのだが、怪我の話を持ち出され聞く機会を無くした。正確には上手くはぐらかされた、と言うべきかもしれない。
吉田は口が上手く、何が嘘で何が真実か良く分からない。よくよく見れば違いが分かると一琉は話していたが、雛乃にはさっぱりだった。
容姿は土方に酷似している吉田。だが、その性格は沖田によく似ていた。
(……なんか、土方さんに弄られてるみたいで変な感じがするんだよね……)
吉田が嫌いという訳ではない。ただ、反応に困っているだけだ。普段、抑制している感情も吉田の前では何故か普通に出てしまう。
どうしてなのだろうか。
思考の波に揺られながら、布団の温もりに包まれ雛乃はゆっくり瞳を閉じた。先程の激痛はやはり身体に堪えていたようで、次第に身体が重くなる。
痛む腹部に手を当てれば、熱を帯びている事が容易に分かる。横になったせいか痛みが先程より増したようだ。
(……うぅ、痛い……。また傷跡が出来ちゃった。これもやっぱり罰なのかなぁ……)
傷が増えた事は気にしていない。雛乃の身体には古傷や火傷の跡が至るところにある。一つ二つ増えたところで何とも思わなかった。
怪我してしまったのは自己責任だと、そう認識してしまっているせいかもしれない。
(でも、いつまでも寝てるなのは性に合わないんだよね。痛むけど、派手に動かなきゃ大丈夫だし……よしっ)
目を開け、雛乃は何かを決意したように掌を握ると布団から起き上がる。
「やっぱり、家事手伝いぐらいしないとっ」
「うん。でも、その前にお粥を食べようか」
背後に感じた気配に振り返ると、そこにはお膳を持った吉田がいた。布団から立ち上がりかけた雛乃の足はその場に止まる。
「……拒否権は?」
「ないよ。勿論、動き回るのも却下」
「……ですよね」
道を塞ぐように差し出されたお膳。雛乃はそれを受け取り、その場に座り直した。
◇◇◇
風が冷たい分、日向の温もりがより暖かく感じる。朝餉を食べ終えた雛乃は、廊下の障子戸を開き縁側に腰を下ろしていた。
隣には、芹沢と見舞いに来ていた梅の姿もある。二人は空を見上げながら、他愛ない話をしていた。
流れるように動いていく雲。それを幾度か眺めて梅は雛乃へと、視線を向ける。
「なぁ、雛ちゃん。なんや悩みがあるんやないの?」
「へっ?」
雛乃の表情は驚きに染まっていた。目をしばたたかせて自分を見つめる雛乃にその様子に梅は思わず笑みを溢す。
「何で、って顔しとるなぁ。そら、大事な妹の事やし、顔見れば直ぐ分かるもんやで」
梅はそう言って雛乃の頭をグリグリと撫でる。強く優しいその温もりに、誘われるように雛乃は言葉と共に深く息を吐いた。
「悩んでるっていうか、やりたい事が出来なくて困ってるっていうぐらいで……」
生死を彷徨う怪我を負った以上、安静にしていなければならないのは分かる。分かるのだが、特別とも取れる待遇には雛乃は不満を募らせていた。
藤森の直系筋の娘――
この時代の身分で、雛乃は武家の姫君という位置付になる。




