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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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懐かしい温もり【参】

一琉は頭を軽く掻くと、片手を腰に当て息を吐いた。


「気配察知能力といい、身の熟し方といい、特殊な環境で育ったとはいえ際立っていたからな。それに、あの佐伯に傷をつけたんだ。疑う理由は十分あんだろ」


佐伯は間者の中でもかなりの実力者。夜道での殺人を好んでいた事から、剣技は勿論気配や物の動きには敏感だった筈だ。そんな佐伯の隙を付き、刺す事などほぼ不可能に等しい。一琉でさえ、無傷で奴を仕留めるには難しいと自負している事から、それがどれほど困難な事か分かるだろう。


雛乃は重傷を負いながらも、それをやってしまった。武道か何かを身に付けていなければ出来ない所業である。


「それで剣に結び付いた訳? 幼い頃に一度学んだだけなのに、それを容易く見破るとはね。一琉って、本当に藤森の若君だったんだ」


「……おい。そりゃ、どういう意味だ」


「え、そのままの意味だけど? 本当、人は見掛けによらないよね」


不機嫌そうに眉を潜め自分を睨みつける一琉に、吉田はさらりとそう返した。


雛乃もそうだ。見る限り剣術を学んだとは到底思えない。年齢より幼く、細い身体。剣だこもなく、何処にそんな実力が備わっていたのかと疑問ばかりが脳内を巡る。


吉田が認めた以上、雛乃にそれなりの実力があるのは間違いないのだろう。


「雛が学んだのは、剣に槍など様々な武術だよ。教えたのは松下村塾生。つまり僕らだね」


「ほー。んじゃ、久坂や高杉からも手解きを受けた訳か」


松下村塾生といえば、かの吉田松陰の教え子達だ。現在、長州を動かす藩士に松陰の教えを受けた者が多くいる。


剣に長けた者、知に長けた者。松陰に学んだ者は何かしらの才能を開花させている。

雛乃もそんな彼らに挟まれ、様々な技術を学んだに違いない。


「雛は、飲み込みが人よりかなり早くてね。一度教えたら直ぐに覚えていたよ。僕らは遊び感覚で教えていたのに、雛はその先を読んで、着実に吸収し会得していたからね。本当に凄かった。……でも、今となっては教えた事を後悔してるんだ」


吉田は浮かべていた笑みを消し、目線を落とす。眠り続ける雛乃の頭に手を置き、深く息を吐いた。


「……何か、あったんだな」


吉田の表情が急に曇った事から、雛乃に何か良くない出来事が起きたのだと推測出来た。雛乃の記憶がない事も、そこに起因しているのだろうか。


「今から話す事は他言無用だよ。出来る?」


顔を上げた吉田の瞳は全く笑っていなかった。一琉を射抜く程に鋭く細められ、その眼で人を殺せそうな程である。


閉ざされた雛乃の暗い過去。一瞬、関わるのを躊躇うが、彼女の身柄を引き取った以上無視しておく訳にはいかない。


光と闇は表裏一体。藤森は世間でいう闇の部分を一気に引き受けている。一族の血を継ぐ娘、雛乃の闇を受け入れる余裕ぐらい十分にあった。


「言わねぇよ。周囲にいる忍にも徹底させる。だから話してくれ」


吉田は一琉から再び視線を外すと、庭先に目を向けた。微かに零れる月明かりが庭の水面に映り、ゆらゆらと揺れる。


ゆっくり息を吸い込み、吉田は


「雛はね、人を殺した事があるんだ」


そう言葉を紡いだ。


「……は? 何だって?」


吉田の言葉を、一琉は瞬時に理解できなかった。


予想外の答えにどう反応すれば良いのか、一琉は上手く思考を働かせずにいた。誰よりも血に濡れ、闇に近い場所にいるというのに死に関する話題となると、やはり身体が強張ってしまう。


人を、殺した。

声に出さず心で思わず呟き、一琉は吉田の腕の中で眠る雛乃をまじまじと見つめた。


年端もいかない女子が人を殺すなど、この荒れた動乱の時代少なくない。極限の中でのやり取りともなれば、その確率は更に上がる。


藤森でも齢三つから武器を持たされ、その身に殺しの術を叩き込まれる。そこに女も男も関係ない。生きるか死ぬかの、二択だけだ。


だが、久坂から聞いた話によれば雛乃は先の時代から来た藤森の者。平和な時代を生きてきたという。そんな時代の女子が何故人を殺すに至ったのか。


「……事は四年前、雛が七つの時。先生が江戸に送られた後、だったかな。町外れでね、盗賊二人を殺したんだ」


「盗賊っつー事は男かよ」


「うん、そう。しかも胸の急所を一突きで。最初は、雛がやったとは思えなかった。余りにも鮮やかな手並みだったから」


血溜まりに佇む幼い雛乃の姿を、吉田は今でも覚えている。


泣き叫ぶ訳でもなく、震えて現実から目を背ける事もなく、雛乃は刺した男達を見つめていた。そう、無表情のまま“死”を見つめ続けていた。


それが吉田にとっては恐ろしくもあった。この件で、雛乃の死に対する価値感が変わってしまうのではないかと。刀を持ち、自分も戦うと言い出すのではないかと。


生憎、それは現実となってしまう。それが雛乃と喧嘩した原因ともなった。

そもそもあの事件がなければ雛乃が、自分から離れる事はなかったのかもしれない。


「……まぁ、しっかし、四年前で七つなんだな、あのチビ。普通に考えて有り得ない年齢だよな。今は十七だろ?」


雛乃が殺人経験あると話したにも関わらず、一琉はそれ以上の追及をしなかった。


闇に生きる一族だけに、過去や隠蔽された事件の話を聞く事には慣れている。

その話の裏に命のやり取りがある事も、日常茶飯事だった。


故に、事件の裏を安易に蒸し返す事はしない。ただ、最低限の話を聞き受け入れる。それが一琉が仕事で学んだ、楽な方法だった。


「……詳しい事は玄瑞から聞きなよ。僕は、詳細を聞かれても何も言わないから」


吉田は息を吐くと再び雛乃へ目線を落とした。何処となく不機嫌になった吉田に一琉は首を傾げる。


吉田の気分を害さないように、話題を変えたというのにこの態度は一体何なのだろうか。


眉を寄せ、思案していた一琉はある事実に辿り着き、手を軽く叩いた。


「あ、そうか。お前、確か知らなかったんだっけな。雛乃の素性知ってたのは久坂だけ――」


「黙りなよ」


「がふっ!!」


一琉の顔面に、勢い良く飛んできた枕が直撃する。一琉が廊下に倒れる事はなかったが、直撃した跡はくっきりと赤く染まり顔に残っていた。


「吉田ッ! てめえ……!!」


「煩いよ。雛が起きたらどうするのさ?」


(……ッ、誰のせいだよ。てめえのせいだろうがっ!!)


理不尽な言葉に言い返そうと口を開いたが、吉田の鋭い睨みに思わず引っ込んだ。心の中で悪態を吐き、一琉は廊下に転がる枕を拾い上げる。


雛乃の素性全てを把握してたのは久坂、ただ一人。先の時代から来た事も、雛乃が藤森の血縁である事も彼だけが知っていた。


四年前、雛乃が行方不明になった際には、現代に帰ったんだと考えていたという。


しかし、何故久坂だけ知っていたのか。それは師であり、久坂の義兄である吉田松陰の計らいによるものだった。


万が一の事態に備え、義弟の久坂に雛乃から聞き出した全ての情報を伝えていた。推測も多かったが、それは全て的を射ていた事が、後に明らかになる。


(……なんつうか、常識外れた思考を持ってたんだな、吉田松陰は。幕府も馬鹿な事をしたもんだ……)


雛乃を保護する上で、かなり役立った松陰から受け継がれた久坂の言葉。だが、吉田にとっては面白くなかったに違いない。


誰よりも大事に守ってきた少女の行方を知らされず、事情も断片的にしか把握してなかったのだ。久坂から聞かされた時の衝撃はかなりのものだっただろう。


「――って、おい。お前ぇ何やってんだ」


「何って、今から寝るんだけど?」


「いや、それは分かる。俺が言ってんのは、何で雛乃の布団に一緒に入ろうとしてんのかって事だ」


一琉が思考から戻って吉田を見ると、吉田は雛乃を抱え床に就こうとしていた。人が考え事をしている間に一体何をしているのか。一琉は驚きの声を上げ、吉田の行動を直ぐに止める。


それに吉田は不服そうな顔を浮かべ、一琉を見据えた。


「何? 何か問題ある?」


「大有りだっ!! 同じ部屋にいる事は許可したが、共寝は禁止だっつったよな?」


「頭固いなぁ、一琉は。こんなの許婚同士なんだから、別に構わないでしょ。それに雛が離してくれないんだから、此処で寝るしかないんだよね」


「は? どういう――」


言い掛けて、一琉は動きを止めた。吉田の着物をしっかりと握って離さない雛乃の手が視界に映ったからだ。


吉田が腕を動かすと、雛乃の握る力も強くなる。どうやら無意識ながらも、吉田から離れまいと必死のようだ。


「ね? 一緒に寝るしかないでしょ?」


「…………」


一琉は返事を無言で返した。


確かに引き離すのは難しいかもしれない。もし、吉田を無視して離したとしよう。後に、雛乃が魘され寝不足にでもなれば、批判を受けるのは確実に一琉である。


正直言うと吉田に苦言を言ってしまいたい。だが、先日のようにぼろ雑巾にされて、庭に放り出されるのは御免だった。


一琉は深い息を吐くと、畳に腰を下ろす。


「……怪我が完治するまでだからな。それ以上は認めねぇ」


「分かってるよ。という訳で、出てってくれる?」


認める事が当たり前と言わんばかりに頷いた吉田は、一琉を追い払うように片手を振る。


一琉の眉間に皺が一つ刻まれた。


「……此処は俺の屋敷なんだがな」


「だから?」


「何処にいようが自由――いや、いい。何でもねぇ」


反論しようとしたが、吉田の手にいつの間にか握られていた短刀が視界に入り言葉を切った。

命を無駄にしたくない、と一琉は立ち上がり庭へ降りる。


「――っと、吉田。あと一つ聞いていいか?」


「何?」


「雛乃の家族を失った原因だ。久坂は事件だと言葉を濁したが、ただの事件じゃねぇんだろ?」


吉田は雛乃の頭を撫でていた手を止め一琉のいる庭先を見つめた。暫しの沈黙の後、吉田は静かに語り始める。


「……そうだよ。事件じゃない。雛の父親が――」







「暗殺されたんだ」

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