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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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傷跡【陸】

ピリピリと肌を刺すような痛みが、座敷にいる全員を襲う。


日頃ある程度の殺気に慣れているとはいえ、二人の殺気は人を殺せそうな程に凄まじい。そんなものを長く浴びていれば、傍観している此方にも害が及ぶだろう。早急に静める必要があった。


一琉が深々と息を吐き、重い腰を上げようとした時


「……沖田、そこまでにしたらどうだ。肝心の話が進まんではないか」


パシンと強く扇子を閉じる音と共に、力強い声が座敷に響いた。


睨み合いを続けていた沖田と吉田は、声の主――芹沢へ視線を移す。

その表情は固いものの、意識はきちんと芹沢に向けられていた。


「ッ、芹沢さんは、雛乃ちゃんがこのまま帰って来なくても良いって言うんですか!」


「誰もそんな事は言っておらん。雛乃を引き取る云々の前に、雛乃の容態と奴の動向を知るのが先だろうが」


芹沢の言葉に沖田はハッとし、吉田は忌々しいとばかりに芹沢から視線を反らした。


「……へぇ。流石、筆頭局長ってところか。目の付け所が違うな」


感嘆の声を漏らし、上座に座っていた一琉は吉田に目を向ける。

不機嫌丸出しの吉田は果てしなく怖い。下手すれば危害を加えられる、そんな空気を醸し出していた。


普段なら、吉田に声を掛ける事すら絶対にしないだろう。だが状況を打開する為にも、一琉は吉田から聞き出す必要があった。


「吉田、あの座敷から来たんだろ。あいつの容態はどうなんだ」


「……何で、僕に聞く訳?」


「この座敷にお前以外、話せる奴いねぇだろうが。ま、お前が此処に来たって事は、意識は取り戻したんだろ?」


吉田の眉間に深く皺が寄る。それは嘘ではない事、雛乃が目覚めた事を認めたと受け取れた。一琉は息を吐くと、芹沢に目を向ける。


「ッ、雛乃ちゃんの意識は戻ったんですか!!」


芹沢が口を開くよりも先に反応を示したのは沖田だった。黙れと言われても黙っていられない。身を乗り出すような勢いで声を上げた沖田に、一琉は思わず苦笑を漏らす。


浪士組の中で雛乃と誰よりも親密なのは彼なのだろう。それを感じ取っていたからこそ、吉田は沖田に殺気を向けていた。


互いに仲良くなる事は先ず無い。


「っつー事は、面会しても構わねぇんだろ」


「そうだよ。見舞いぐらい出来ねぇの?」


傍観に徹していた原田と藤堂が、ここぞとばかりに声を上げる。


雛乃が深手を負ったと認識はあるが、未だに会わせてもらえない。二人の主張は最もだった。

吉田は一琉を一睨みしてから、原田と藤堂へ視線を向ける。


「駄目だよ。意識は戻ったけど、まだ話せる状態じゃない。何より血を流し過ぎたから、暫くは起き上がれないしね」


決して吉田は首を縦に振らない。どうしても雛乃と彼らを会わせたくないようだ。

恐らく、何度聞いても吉田の答えは変わらないだろう。そう察した一琉は吉田を一瞥し、口を開いた。


「……四半刻だけ会わせてやる。着いてきな」


「へっ?」


「なッ……!!」


一琉の思いがけない言葉に皆、驚きの声を上げる。吉田が拒否すれば、一琉も同じ答えを出すと思っていたのだが。どうやら違ったようだ。


「藤森は、中立の立場をとる。この場でもそうだ」


そう言うと、一琉は指を鳴らす。すると、座敷まで案内してくれた少年が襖を開き姿を現した。

少年――澄が座敷へと入り腰を下ろすと、一琉は音もなく立ち上がる。廊下に繋がる障子戸に手を掛け、沖田達の方へ振り向いた。


「だが、勘違いはするなよ。あくまで会わせるだけだ。着いて来れるのは三人。後は澄の指示に従い、此処で待機してもらう」


一琉の提案に皆、瞠目した。此処にいる浪士組は全員で六人。つまり半々に分ける事になる。

会えるのならば、全員で会いたいと思っていたのだが現在の状況では厳しいようだ。


芹沢は閉じた扇子を再び開閉しながら、思案していく。どうする事が最善なのか――。


勢い良く音を立てて閉じられた扇子。その扇子は沖田らに向いていた。


「沖田に土方、そして藤堂。お前達、三人で行って来い」


芹沢が出した選択は、決して安易なものではない。状況をよく読んだ上で導き出したものだ。


微かに隠された意図に気付いたのか、一琉はその表情に笑みを見せた。


「おいおい、俺は居残りかよ!? なん――ぶぇっ!!」


「成程。つまり、芹沢局長は会わない。そういう事で良いんですね?」


原田の主張を遮り、土方は芹沢にそう問い掛ける。芹沢は閉じた扇子を腰に差し、細めていた目を更に細めた。


「その方がお主にとっても好都合だろう。刻は短い。さっさと行け」


土方の思惑も全て見透かしているかのように、指示を出した芹沢に土方は内心舌打ちをする。


横暴に見えて、先を見通す能力は自分より優れていると認めざるえない。ここで言い返せば自尊心は保たれるだろうが、刻が無駄に流れてしまう。


藤森に交渉する主導権を勝ち得る為にも、雛乃との面会はきちんとさせておきたかった。


土方は呆然と立ち尽くしている沖田の頭と、藤堂の襟首を掴み早足に座敷の外へ向かう。


「ひ、土方さん!!」


「うるせぇ。ようやく掴んだ面会だ。一刻も無駄にする訳にはいかねぇ」


廊下に立つ、一琉は不敵な笑みを浮かべ土方達を見据えていた。藤森の家訓を重んじるんであれば、会わせるべきではない。だが、あの場を打破するには、こうするしかなかった。


背後から突き刺さる吉田の視線が何よりも恐ろしいが、今は目の前にある問題に集中したい。


「んじゃ、行くぞ。……遅れんなよ」


長い廊下の渡った先にある奥座敷“藤の間”。

そこに雛乃はいる――






◇◇◇







一琉達が藤の間に辿り着いた時、座敷の中には世話役の女中が二人いた。医者の指示で着替えなどをしていたらしい。


「……雛乃ちゃん……」


瞳を固く閉ざし布団に横たわる雛乃の姿は、見るからに衰弱していた。青白い顔は、大量の血が身体から流れ出た事を意味している。


座敷にいた女中を廊下へと下がらせ、一琉は雛乃を見つめる沖田達に視線を向けた。


予想以上に雛乃の症状が重かった事が、衝撃だったのだろう。雛乃の名を呼ぶも、それ以上の言葉が続かないようだ。


布団に近寄っていく沖田と藤堂に対し、土方は出入り口に立つ一琉に声を掛ける。


「……この様子じゃ暫くは動かせそうにない。それを見せ付ける為に、面会を許可しやがったな?」


鋭い土方の眼差しを真正面から受け止め、一琉は軽く口端を上げた。


「何の事だ? 単に俺はお前らの要望を受け入れ、案内しただけなんだが」


そう、一琉は案内しただけに過ぎない。雛乃の容体を見せ付ける為に、雛乃を連れ帰る事を断念させる為に。


意識は戻ったが、重傷を負った雛乃は全体安静の身。容体が安定し、傷が綺麗に塞がるまでは布団から出る事は許されない。

下手に動かせば悪化するのは目に見えている。


土方は雛乃が眠る布団を一瞥し、腕を組んだ。


「……どうするつもりだ」


「別に。どうもしねぇよ。何も吉田の言うように二度と会わせない、とか考えてもいねぇし。今は、滞在先を明らかにするより傷を癒すことが大事だろ。全快するまでは藤森(こっち)に任せとけ」


壬生浪士組は金銭面で厳しい状況にある。芹沢派が豪商から金を借りて、何とか組織の運営を成り立たせている状況だ。


医者に掛かる余裕ははっきり言って無い。恐らく、初診料しか払えないだろう。雛乃の症状から見て、医者に掛からない事は死に直結する重要な問題だった。


ならば、藤森の屋敷で療養させるのが一番良い方法に思える。藤森にはお抱えの医者もおり、雛乃にとっては身内だ。苦労する事はあっても、命を落とすような心配は先ず無い。


「それにな、雛乃の事はまだ本家に通告してねぇ。後に壬生に帰すことも可能っちゃ、可能なんだ」


悪い話じゃねぇだろ?と、一琉は土方に提案の是非を問う。視線を受けた土方は、眉を寄せたまま口を開いた。


「確かに有り難ぇ話だが、簡単には信用出来ねぇよ。俺等が屋敷を出た途端、手の平を返すんじゃねぇのか?」


「はっ、そんな真似しねぇよ。藤森は汚い仕事を多々やってはいるが、約束だけは守る。――何があってもな」


笑みを溢しながら一琉は、廊下側の障子戸を開けた。庭に面した廊下からは涼しい風と共に、外の音も運んで来る。


酷く降り続いていた雨も今は止み、空には分厚い雲があるだけだ。あと数刻もすれば、月が見えるようになるだろう。


漆黒の闇に近い庭先を見つめ、一琉は徐に口を動かす。


「……それにな、雛乃に構う余裕がないくらいに忙しくなる。近日中に動きがあるだろうからな」


「動きだと……?」


それは佐伯に関する事なのだろうか。そう一琉に問えば、一琉は意味深な笑みだけを返した。


全ての勢力に影響力を持つ一族からの言葉。何かを意味しているのは間違いない。

壬生浪士組にとって、吉と出るか凶と出るか。直面してみないと分からないが、良い目安にはなる。


近藤の為にも、組を大きくすると誓った土方にとって一琉の与えた情報は大きい。暫くは様子見の行動を心掛けるべきだろう。


何しろ、組にはいつ爆発するか分からない大きな“爆弾”があるのだから。


雛乃の件はある意味片付いたと言っても良い。だが、土方が不機嫌そうな、その顔を緩める事はなかった。


不安要素はまだまだある。


「なぁ、若君さんよ」


「あ?」


「佐伯の事は何処まで知ってやがんだ?」


一琉の顔から一瞬にして笑みが消える。土方に視線だけを向け、目元だけを細めた。


「……どういう意味だ」


「佐伯が長州の間者だという事は、監察の調べで明らかになってんだ。アンタも佐伯がそれだと知ってたんじゃねぇか?」


「まあな」


一琉は肯定する事に何の躊躇いもなかった。佐伯との関わりは多い方だったが、そこに情は無い。情があるとしても、それは“愛”ではなく“哀”だろう。


「まさか、奴がここまで狂った奴だとは思わなかった。……ま、初見から俺に斬り掛かってくる奴だったしな」


一琉の話から、佐伯との関係性は十分に見えた。土方はそれを軸に、佐伯の出所を追及しようとしたが、それは一琉によって見事に挫かれてしまう。


「生憎だが、職業柄そういう輩とは付き合う事も多いんだよ。俺が佐伯を組に潜入させた、とか勘違いすんじゃねぇぞ」


鋭さを増した声。それはこれ以上踏み込むなとも受け取れる警告だった。


先程の朗らかさは消え、威厳ある空気を纏う一琉に土方は思わず息を呑む。


藤森(おれ)を詮索するのはお薦めしねぇ。京で、長生きしたいんならな」


歴史の闇に深く息衝く一族、藤森家。政に対する影響力は計り知れない。下手したら自分達だけでなく、会津にまで害が及ぶだろう。


一琉は一息吐くと、何事もなかったように笑みを浮かべ静かに座敷を出て行った。気が済んだら呼びな、という一言を残して。


「……土方さん。今、物凄く斬りたい気分なんですけど」


一部始終のやり取りを、雛乃が眠る布団近くから見ていた沖田は、眉間に深く皺を刻んでいた。藤堂も同じく不服そうな表情をしている。


そんな二人に視線を向け、土方は溜息と共に額に手を当てた。


「気持ちは分かるが、強い殺気を簡単に出すんじゃねぇよ。雛乃が起きたらどうすんだ」


不満を口にする沖田を制し、土方は眠り続ける雛乃に目を向ける。土方の心配を余所に、雛乃は殺気を感知する事なく眠り続けていた。


気配に敏感な筈の雛乃が、強い殺気にも気付かない。それは身体が相当弱っている事を意味している。


「ねぇ、土方さん。さっきの話本当に受けるの?」


「あ? ……ああ、受けるしかねぇだろ。悪ぃが、正直言って雛乃に向けられる経費すら殆どねぇしな」


「そっか。まぁ、そうだよね。確かにギリギリな生活してる訳だし」


藤堂は、藤森に落ち着くのは間違いないだろうと思っていた。雛乃を全快させるなら安全な藤森に預けるのが得策だろう。


「私は反対ですよ。あの人を信用したくありません」


沖田はそう言うと土方をキッと睨みつけた。


「あの人は以前、雛乃ちゃんを傷付けたんですよ? 跡が残る刀傷を付けた奴を、簡単に信用なんて出来ません! やはりあの時彼を斬っておくべきでした」


「恐ろしい事をさらっと言ってんじゃねぇよ!」


藤森に刃を向ければ、それ即ち朝廷に謀反を企てたも同然。死罪は免れない重罪となる。


それを知りつつ、斬るなどと連発しているのだから、沖田は余程彼の事が気に入らないらしい。


拗ねた子供のように、不満ばかりを口にする沖田に土方は再びため息を吐いた。


「……総司。お前ぇの場合、あの若君だけが原因じゃねぇだろ」


「ッ、そうですよ! あの、土方擬きがいる事が一番腹立つんです。怪しいと言えば彼が一番怪しいじゃないですか!!」


「擬き?」


「ぶふっ!!」


眉を寄せる土方に対し、藤堂は誰を指しているのか直ぐに分かったようで笑いを堪える為、思わず口元を手で抑えた。


そんな藤堂を一睨みし、土方は沖田へと視線を戻す。


「そいつはもしかして、栄太郎とかいう、雛乃の許嫁野郎の事か?」


沖田は激しく首を縦に振り同意を示した。土方擬き、それは土方に見た目がよく似ている事から沖田が選んだ呼び名である。


名前すら口にしたくない、その表れなのだろう。沖田は悪びれる事なく、何度も土方擬きと連呼していた。


沖田が考えた表現の仕方に大いに不満はあるが、確かに彼――栄太郎は確かに怪しい人物だと思う。


出自不明で、藤森に近しく雛乃の許嫁という事しか判明していない。沖田同様に気になったのは彼の殺気だ。


藤森の者であれば、あのような殺気は軽く出せるだろう。だが、彼のは何かが引っ掛かる。根拠はない、土方が持つ勘がそう告げていた。


しかし、一琉に釘を刺された以上安易な詮索は出来ない。証拠を突き付けなければ藤森は首を縦に振らないだろう。


「……不満は分かる。俺も腹立たしくて仕方ねぇからな。明らかに情報が少な過ぎんだ。そう簡単に結論出せる問題じゃねぇ」


よくよく考えてみれば、雛乃に関して土方達は知らない事が多い。雛乃とよく一緒にいた沖田でさえ、雛乃に許嫁がいると事実を知らなかった。


「一先ず、今日は引き上げんぞ。山崎に調べて貰う事が山程出来たしな」


踵を返す土方に、藤堂と沖田はゆっくりとした動きで腰を上げる。

沖田は、土方の指示に不満を見せていたが、決して拒否する事はしなかった。









――――翌日、十日。某時刻。


佐伯又三郎は、島原にて斬殺死体となって発見される。下手人は誰か不明のまま、処理されたという。

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