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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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傷跡【肆】



(……どういうこと? なんで、私、藤森の屋敷なんかに……。刀傷?  私、怪我なんて……)


今日あった出来事を振り返っていると、雛乃はようやく自分の身に起きた事を思い出した。


腹部に感じた鋭い痛みと熱く滴り落ちた赤い液。自分を見下ろしていた冷たい眼差し――

雛乃は反射的に身体を起こそうとするが、貧血と共に身体中に走る痛みに表情を歪めた。


それでも尚、起き上がろうとする雛乃を久坂が止める。


「ッ、駄目だ!! 急に動けば、縫合した傷口が開く」


「で……もっ、佐……伯さんが……! 彼を早く、見つけ……ないと……!!」


それ以上の言葉は続かなかったが、雛乃は苦悶の表情を浮かべながらも、久坂の身体を押し返していた。


雛乃の身体は今、極端に弱っている。本来ならば起き上がれない程酷い倦怠感に頭痛、目眩が雛乃を襲っているはずなのだが、雛乃はそれに負けじと起き上がろうと必死に身体を動かしていた。


久坂はそれを見て、頑固な所はあの頃と何ら変わっていないと、思わずため息を吐く。


頑固さは恐らく親譲りだろう。普段は大人しいものの、ここぞという時にどれだけ反対しても絶対に自分の意志を曲げない。


それが雛乃の良い所でもあるのだが、今回ばかりは此方が折れる事はできなかった。


縫合したばかりの傷口はまだ癒えておらず、体力も落ちている。何より、意識を回復したばかりの身体で無理する事は死期を早めるのと同じだった。


落ち着かせる為に雛乃の背中を撫でていると、雛乃の頭上に影が差す。久坂が顔を上げれば、そこには吉田の姿があった。

雛乃は身体に走る激痛に神経を集中させている為、吉田の存在にまだ気付いていない。


「稔麿……」


「玄瑞、ここは僕に任せてくれる?」


「……どうするつもりだ」


雛乃との関係が一番深いのは恐らく吉田だろう。雛乃も吉田に懐き、よく行動を共にしていた。雛乃を安心させるのには、吉田が適任ではある。

だが、今の雛乃は記憶失っており、吉田の事はおろか長州に、萩にいたあの思い出すら雛乃の中にはないのだ。


疑問に眉を寄せた久坂を横目で見ると、吉田は笑みを浮かべた。


「心配しなくても大丈夫。雛は僕に任せてさ、玄瑞は晋作をどうにかしてきてよ」


「高杉を?」


座敷の隅に転がっている高杉を視界に入れ、久坂は表情を歪めた。

高杉が横たわる畳は血に染まり、高杉の傍には刀が畳に刺さっている。


息絶えていそうな姿の高杉と吉田を交互に見て、久坂は深々と息を吐いた。


「やり過ぎじゃないか?」


「あれくらいが丁度良いんだよ。元気にさせてたら騒ぎまくるでしょ、あの牛は」


「まぁ、確かにな」


今の雛乃に必要なのは安静に過ごす場所。だが、高杉がいればそれが難しくなるのだ。何かと騒ぎ、何かと世話を焼きたがり、いつも傍にいる。そんな四六時中いられたら、雛乃が休めるはずがない。


久坂はもう一度、息を吐くと雛乃を吉田に任せ高杉の元へ向かっていった。


「……雛、先ずは横になろうか」


起き上がった状態のままでは身体の負担が大きい。吉田はゆっくりと雛乃を布団へ降ろす。

先刻と違う男性の声に、雛乃は痛みに向けていた意識を戻し、目を開けた。


雛乃の霞む視界から見えたのは総髪の青年。漆黒の長い黒髪を持つある人と、その姿が重なる。


「……誰?  土方、さん……?」


聞きたくない名前を出され、吉田の眉間に皺が刻まれた。


予想していたとはいえ、胸をえぐるように重い言葉。本当に、雛乃は何も覚えていないという現実に、吉田は唇を噛み締める。


何より壬生狼の奴に間違われたのが、今の雛乃には認識されていないという証でもあった。不機嫌そうに寄る皺を直し、雛乃へ再び視線を向ける。


「違う。僕は土方なんかじゃない。栄太郎、だよ」


「……栄太郎、さん?」


反応を見せてくれるかと吉田は期待を向けたが、今の雛乃に吉田の姿は見えていなかった。

雛乃は吉田を一瞥すると、尚も起き上がろうと身体に力を入れ続けている。


「ッ、起き上がるのはまだ駄目。先ずは怪我を治さないと……!!」


「……でも、早く伝えなきゃ……。取り返しがつかなくなる……ッ」


何かを焦っているような雛乃の言葉。吉田は雛乃を宥めながら、先刻の久坂の話を思い返していた。


確か、雛乃は意識を失う直前にも佐伯の事を気にしていた。


佐伯を捕まえなければいけない理由、それは一体何なのだろうか。

肝心な所を久坂は聞いていない。聞く以前に、雛乃は気を失っていたから仕方がないのだが。


「一先ず、落ち着いて。話ならちゃんと聞くから。……佐伯が、どうしたの?」


雛乃の意識を自分に向けさせて、吉田はさり気なく雛乃を布団へ再び戻した。

雛乃は息を大きく吐いて、ゆっくりと口を動かし始める。


「……あの人の瞳、まだ満足してなかった……。また、誰かを殺しそうな気がする……」


雛乃の頭からは佐伯の表情がまだ消えていない。嘲笑いながら、刀を突き刺したあの瞳が今も脳裏に焼き付いている。


『じゃあね、藤森のお姫様。島原にいるから頑張って追い付いてきなよ?』


完全に殺されると思っていたのに、そう言って佐伯は笑みを張り付けたまま去って行った。


再会を匂わせるような言葉――。薄れゆく意識の中で佐伯が何かを企んでいそうだと、そう思わずにはいられなかった。


動けない程の重傷を雛乃は負ったのだ。そんな怪我を負い、雛乃が出歩けるはずがない。それに、祇園から島原まではかなりの距離がある。


雛乃が息絶える可能性を考えれば、そんな言葉は残さないだろう。ならば、これは雛乃ではない誰かに向けたもの。


つまり、浪士組と雛乃の背後にいる吉田達に向けられた、伝言だった。


その事実を読み取った吉田は、怒りが沸々と込み上げてくる。


雛乃を瀕死に追い込んだのは、自分達の怒りを買う為。その為だけに雛乃を利用したのだ。到底許されるものではない。


今直ぐ佐伯を斬りに行きたい衝動に駆られるが、先ずは雛乃の回復が先だ。意識が戻ったといっても、雛乃は安静が必要な身である。

その証拠に雛乃は苦しげな表情を終始浮かべている。恐らく、話す事も苦痛でたまらないはずだ。


「……分かった。雛、もう良いよ。後は僕らに任せて」


「……でも……」


「でも、じゃない。身体が弱りきってる。佐伯は僕が何とかするから。雛は栄養を摂って、休むんだ。良いね?」


いくら治癒力が高いと言われる藤森でも、この手の怪我で動き回る事は困難だろう。ましてや雛乃は歴戦の剣士などではなく、ただの女子だ。安静第一、治療に専念するのが一番である。


有無を言わせない強い吉田の声に、雛乃は二の句が継げなかった。

心配するような、怒っているような彼の表情。それにも雛乃は戸惑いを感じていた。

何故、初対面なのにそこまで心配してくれるのだろうか。何故、自分の事を知っているのだろうか。


(……栄太郎、か。あれ? 何処かで、聞いたような名前……。何処で、だっけ……)


思う事、考えたい事は山程ある。が、頭が上手く働かず、ぼんやりと天井を見つめる事しか出来なかった。


次第に重くなる瞼を懸命に開けて、雛乃は自分の頭を撫でている吉田の着物に手を伸ばす。


「……雛? どうした?」


弱々しいものの、掴んだ着物の感触は吉田にも伝わっていた。撫でていた手を止め、首を傾ける。


吉田を見据えたまま、雛乃は不安な表情を浮かべ、着物を握り続けていた。


「……傍に、いてくれる……? ずっと……ずっと、いてくれる……?」


自然と零れ出た雛乃の言葉。吉田は思わず、目を見開いた。それはかつて、萩で雛乃と交わした、たった一つの約束の言葉だった。


記憶が戻ったのかと一瞬頭を過るが、雛乃の様子からして正常ではないと考えた方が良いのかもしれない。


恐らく、雛乃自身は何を言っているのか分かっていないだろう。思った事をそのまま口に出した。雛乃に自覚は何もない。それでも、吉田にとっては嬉しい出来事だった。


着物を握る雛乃の手に自分の手を重ね、吉田は目元を弛める。


「……うん。傍にいるよ。何があっても、もし離ればなれになっても、必ず見つけ出してあげる。だから……」


雛も決して、僕から離れないで――――


吉田もあの時と同じ言葉を口にする。

叶うことはないと、二度と会う事は出来ないと思っていた。けれど、雛乃はちゃんと此処にいるし温もりを感じる事が出来る。


ずっと一緒にいよう、と交わしたこの約束も今を繋ぐ証となるのかもしれない。


雛乃は吉田の言葉に嬉しそうな表情を浮かべると、ゆっくり目を閉じた。


「雛?」


何度か呼び掛けてみるが返事はない。どうやら眠ってしまったようだ。吉田の着物を掴んでいた手もするりと布団に落ちている。


先刻より落ち着いた雛乃の寝息を確認し、吉田は笑みを浮かべる。雛乃が眠る布団から静かに離れると、そのまま壁に掛けていた刀に手を伸ばし腰に差した。


「玄瑞。悪いけど、あとは任せて良い?」


「別に構わないが……。稔麿、一体何処に行く気なんだ」


久坂は高杉の全身に巻き付けていた包帯から一旦手を離すと、ジッと吉田を見据える。その表情は苦虫を噛み潰した何とも言えない酷い顔で、吉田の行動に不安を覚えているのがよく分かった。


吉田は立ち上がり、座敷を出る襖まで足を進めると久坂の方を振り返る。


「何、その顔。安心しなよ、何も佐伯を殺りに行くんじゃないから。壬生狼に、釘を刺しに行こうと思っただけ」


「余計に危ないだろ。面倒事を起こすなと言っていたのを、忘れたのか?」


頭を抱えてため息を吐く久坂に、吉田は笑みを溢した。


「忘れてはいないけどね、今回は止めても無駄だよ。雛の思いを受け取った以上、佐伯の始末は僕が付ける。何より、もう雛を帰す気は更々ないからね」


もう二度とあの喪失感を味わいたくはない。やっと見つけた大事な許婚。彼女を守る為ならどんな事でもする。


吉田の雛乃に対する執着を誰よりもよく知っている久坂は、吉田がやろうとしている事に直ぐに気付いた。だが、眉間の皺が一つ二つと刻まれていく。


「ったく、一琉に任せておけば、穏便に済むというのに……」


「一琉だけに任せておくのは嫌なんだよ。あの子を血生臭い場所に置いておけない。玄瑞も、それは分かってるはずでしょ」


「……ああ。まあな」


雛乃が記憶を失った理由、それを二人は何となく察知していた。だからこそ、浪士組にこれ以上置いておくのは危険だと感じている。


雛乃は誰よりも優しく誰よりも脆い。あの時のようにならない為にも早く此方に戻した方が良いだろう。


「……ま、なるべく事を荒立てないように気を付けるよ」


久坂にそう告げると、吉田は足早に座敷を出て行った。残された久坂は気絶したままの高杉を横に転がし、深々と息を吐く。


「嫌な予感が当たらなければ良いんだがな……」



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