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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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傷跡【壱】




人生はいつ何が起きるか分からないから、生きるのが楽しいし面白いんだ。


そう、誰かが語った言葉が沖田の記憶の片隅に、今も存在していた。

誰の言葉かはもう覚えていない。ただ、耳にはっきりと残り、思い出せばいつでもその言葉を口に出している。


確かに、人生は何が起きるか分からない。沖田自身も幼少から波瀾に富んだ人生を送っている。近藤に出会わなかったら、その言葉を口に出す事は二度となかっただろう。


だが、人生は時に残酷なものをも呼び寄せる。四半刻経っても、頭を鈍器で殴られたような衝撃が未だに消えなかった。


降り続く雨。地面一杯に広がる水溜まりに映る自分の顔は、かなり酷いものに違いない。

沖田は、目の前を歩く土方や近藤達の背を見つめ、小さく息を吐いた。


雛乃が何者かに刺され、重傷を負った――




その事実が沖田の耳へと届いたのは、随分と後の事だった。


祇園周辺を虱潰しに探索していた時、既に噂が流れ始めていたのだが、当初、沖田達はそれが雛乃の事だとは思っていなかった。


店内には芹沢もいた。何より客が多く、そう簡単に事を成せる場所ではないと過信していたからかもしれない。


だが、探索で別れていた土方と斎藤は反応が違っていた。奴が、佐伯が雛乃を射るように見定めていた事を記憶していたからだ。


土方が探索を沖田達に任せ、斎藤と一旦店に戻ると店は騒然としていた。出て行く前とはまた違った怒号と悲鳴が飛び交っている。怪我を負った人が何名かおり、その中に血塗れになった芹沢の姿があった。


尋ねてみれば、それは自らの血ではなく始末した忍の血だという。


『……彼奴め、儂を足止めする目的で忍を囲っていたようだ。まさか、こう出し抜かれるとは思ってもみなかったわ』


殆どの幹部を外へ出し、芹沢を数人もの忍で足止めしていた事から、計画的に実行した事が窺えた。


つまり、佐伯は最初から雛乃だけを標的に、店へ来ていた事になる。しかも、店に雛乃の姿はない。大量に床へ流れ出た血だけが、事の大きさを物語っていた。


一体、傷を負った雛乃は何処へ行ったのか――?


とある店の者に話を聞くと、医者らしき人物が雛乃を連れ去って行くのを見たという。


佐伯の手の者か。はたまた別の者か……。


土方と斎藤、そして芹沢が現場の状況を確認し、一旦沖田達の所に戻ろうとした時だった。藤森の使いと名乗る少年が現れたのは。


藤森、と名を聞くだけで京の人間はその存在に感謝し、敬う。それは、この京で藤森の存在が大きい事を意味している。


『貴方方のお探しの姫は、藤森の庇護下にいます。お会いしたければ、僕に着いて来て下さい』


『……ちょっと待て。何でまた、藤森様が? 状況がよく分からねぇんだが。雛乃は無事なのか?』


『申し訳ありません。僕はただの伝言役です。詳しい事は屋敷に着いてから、若に直接どうぞ』


少年は優しい風貌をしていて、芯はとても強く見えた。土方の睨みをものともせず、平然と先を促す。


必要以上は口にしない。与えられる情報だけを伝え、自分達を動かそうとする少年に、芹沢は緩く口端を上げた。


『……嘘か真か。手掛かりが少ない以上、一度乗ってみるのも悪くない』


『しかし、芹沢さん……!』


『土方よ。否と言うならば他の方法があるのか? 情報が少ない上、この天候。それに、京は藤森に従う者ばかりだ。……下手に動けば首を絞めるぞ』


芹沢の言い分は正しかった。もし、藤森が関わっているのなら、京の人々はそう簡単に口を割らない。証拠も無いに等しく、この少年を逃せば二度と雛乃に出会えない可能性が高かった。


罠である可能性も捨て切れないが、ここは少年に着いて行くのが妥当だろう。


『……副長。ならば、総司達はどうしますか』


『っ、仕方ねぇ。直ぐに呼び戻せ。理由は此処に連れてくるまで話すんじゃねぇぞ。特に、総司にはな』


そうして、沖田達が店に戻ってきたのが半刻前。


雛乃が深手を負っていなくなったという話は、皆に衝撃を与えた。沖田は予想通り、佐伯を殺すと言って聞かなかったが、先ずは雛乃の安否を確認すべきだと土方らに諭され、共に行く事を渋々了承した。


今は藤森の屋敷に向かって歩いている所だ。藤森邸に向かうのは近藤と永倉、山南を除く、六人である。


屋敷に来なかった近藤達は事後処理や、役人対応に回るらしい。屯所へ連絡し、動ける隊士を使い佐伯捜索も続ける予定だ。


案内します、と先頭を歩く袴姿の少年は見事に隙がない。隙がないどころか僅かに殺気も纏っており、安易に射程範囲へ入れば、直ぐ様叩き伏せられるだろう。


物腰柔らかそうに見えた少年。だが、予想外に実力を持った者のようだ。


土方達は隙あらば、実力行使で少年に居場所を聞き出そうとしていたが、それは実行に移す事なく終わった。




周囲に響くは傘に当たる雨粒と、地面に伝う雨水。誰も何も言葉を発しない。

事態の重さ故か、それともこの先に待つ事態を思っての事か。


そんな独特の重い雰囲気の中、状況を上手く把握出来ていない男が一人いた。


「……なぁなぁ、話に出てきた藤森家って、そんなに凄い家柄なのか?」


原田の言葉に場の空気が一瞬、止まる。黙々と歩いていた少年も思わず振り返り、浪士組の面々は何とも言えない表情を浮かべ、足を止めてしまった。


「……左之さん、それ本気で言ってるの?」


「あ? 当たり前だろ。何が何やらさっぱりで頭が混乱してんだ。家名は聞いた事あるんだがよぉ、詳しくは知らねぇ。そもそも、藤森家ってのは公家なのか? 武家なのか?」


原田の余りの無知さに藤堂は額に片手を当て、深々と息を吐く。


「京に来る道中に色々教えてあげたじゃん。新八っつぁんと俺の、二人でさー。何で、すっぱりと忘れてるかなぁ」


「あー、そうだったか? 新八と酒酌み交わした事ぐらいしか覚えてねぇや」


「泣きたくなってきた……」


原田は全てにおいての適応力は高いというのに、興味無いと決め付けると二度と見向きもしない。短歌や俳句、歴史云々は特にそうだ。


土方は眉間に皺を一つ刻むと、再び足を動かし前へと進み始める。


「原田。てめえは、ちったぁ教養を身に付けろ。出来なきゃ当面禁酒だ」


「はっ!? そりゃねぇよ、土方さん!!」


原田が直ぐ様不満を口にするが、この大雨だ。先を歩く土方の耳には上手く届かない。


何やら喚き続ける原田、そしてそれを制する藤堂を一瞥し、土方は先頭を歩く少年に目を移した。


少年に感情はあるのだろうが、今はそれを押し殺し任務を遂行する人形と化している。山崎から聞いた話によれば、藤森の忍は決して失敗が許されない。何事も迅速に、計算し行動するという。


少年が藤森の者かどうかは今の所分からないが、忍として生きているのは先ず間違いない。

仮に藤森の者だとして、何故自分達を呼ぶ必要があるのか?


考えられるのは、雛乃の出自に関する事――


「藤森家は朝廷の盾や剣とも称される、特別な一族と言われている。参勤交代も除外されている稀な武家だ」


土方の思考を遮るように、芹沢の声が夜道に響く。雨音に阻まれ、深く響かないがその声はしっかりと土方の耳に届いていた。


ゆっくりと隣に並ぶ芹沢の傘。視界に芹沢を入れると、土方の眉間にまた一つ、皺が刻まれる。


「……雛乃が藤森の血を引いている等と、儂は一言も聞いた覚えがないぞ。近藤の縁者と、説明してはいなかったか?」


芹沢の鋭い問いに土方は内心舌を鳴らした。先程の原田の言葉、あれが引き金だろう。


迂闊だった。あれ程気を付けていたというのに、何故気付かずに過ごしてしまったのだろうか。


芹沢に嘘は通用しない。原田により、雛乃が藤森の血を引いている事は認めてしまったも同然。ここは素直に白状するしかない。


「……確かに、雛乃は藤森の血を引いてはいますよ。藤森の名は京において尊いもの。迂闊に名乗らせると誤解を招くと思いましてね。伏せていたんです」


「フン、分からんでもない。まだ駆け出しの浪士組に藤森の姫がいる事が知れ渡れば、大きな混乱を招く。そう読んでの事だろう」


京での藤森の存在は遥かに強い。藤森の者を味方に引き込める事がどれだけ重要か。京に身を置く者ならば誰でも知っている。


「だが、甘い。それが仇となる可能性まで読んでいなかったと見える」


遥か先を見据えた芹沢の瞳は鋭いが、いつもの横暴さは見えない。土方の予想では、何も報告していなかった事に激昂するかと思っていたのだが。


芹沢の言葉一つ一つには何処か重みがある。横暴さの裏で芹沢はいつも何かを画策し、先を読む。今も同じように何かを感じ取っているのだろうか。


ならば“仇”とは一体何を意味しているのか。


土方は芹沢の言葉と京における藤森の成り立ちを思い返していた。そして、ある結論に辿り着く。


「……まさか」


「そのまさかよ。土方、判断を誤ったな」


苛立ちを隠せずに舌打ちをする土方に、芹沢は目を細めた。


芹沢は土方以上に、京の成り立ちを熟知している。だからこそ、今回の件が簡単に済まない事を早急に察知し苦言を呈したのだ。


「雛乃を負傷させた責任は予想以上に重い。藤森は恐らく――」


芹沢はそこで言葉を区切り顔を上げた。雨で視界は悪いが、朧気に格式高い屋敷が連なっている事に気付く。恐らく、この周囲一帯が藤森の所有地なのだろう。


周囲から先程まで感じる事のなかった、複数の殺気が漏れていた。


「……此方です」


少年が足を止めたのは、首が痛くなる程に立派な門構えの屋敷だった。此処が藤森家別邸、藤森貴久の有する屋敷――

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