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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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【 雨の刃 (参) 】






降り始めた雨は止む事なく雨足を強め、京の都に降り注いでいた。


格式高い屋敷の奥座敷に、一人の青年と手負いの少女の姿がある。一人は久坂。もう一人は――


「……雛……」


佐伯に腹部を刺され重傷を負った雛乃だった。


久坂は布団に寝かされている雛乃の手を取り脈を測るが、その心拍数に眉を寄せ息を吐く。


「……意識は、まだ戻らないか」


危険な状態が去ったとはいえ、雛乃の容態は尚も深刻だった。出血が酷かったせいか手足は冷たく、肌の血の気は引き青白い。ただ、命を繋ぎ止める為の浅い呼吸を繰り返していた。


その身に受けた衝撃が余りにも強過ぎたのだろう。治療中にも意識が戻る事はなかった。

もし、このまま意識が戻らなければ、命が危うくなる。この三日間が山になるかもしれない。


「――久坂様。一琉様がお戻りになられました」


次第に重くなる久坂の思考をパチンと打ち消すように、襖の外から声が掛かる。襖を開け頭を下げた女中は怯えきった表情を自分に向けていた。


それは久坂に向けられたものではない。この表情はある人物へ向けられた畏怖。それによって、久坂は一琉と共に誰が来たのか一瞬で分かってしまった。


「アイツも来たのか……」


想定内の事とはいえ、思わずため息を漏らしてしまう。この後、確実に此処が荒れる事は先ず間違いない。


距離があるというのに察知出来る殺気。響く足音。女中が襖を完全に開き、再び頭を下げた瞬間、その人物は姿を現した。


「ッ、雛……!!」


余程、急いで来たのだろう。吉田は息を切らし、全身は雨に濡れていた。


ポタポタと雫が滴り落ちる中、吉田の視線はただ一点に絞られている。傷付き青白くなった愛しい存在、ただ一人に。


弱々しく呼吸を繰り返す雛乃は、余りにも儚い。無事だと言われても、安心出来ない程の容態だった。


顔を歪ませ掌を握り締める吉田から目を離すと、久坂は新たな気配を感じ視線を横に移す。


「……よぉ、久坂。遅くなって悪かったな」


吉田の後に続いて一琉と高杉も、座敷へと足を踏み入れていた。


一琉は女中から手渡された手拭いで、濡れた髪を拭きながら座敷の中心にある布団に目を向ける。


久方ぶりに見る、雛乃の姿。以前出会った時のような明るさはなく、血の気が引き衰弱しきった姿に一琉の表情は曇った。


それは高杉も同様で、一琉以上に動揺が激しかった。


「久坂! お雛は大丈夫だよな? 直ぐに、元気になるんだろ?」


今の雛乃を見る限り大丈夫だとはどうしても思えなかったが、医者の見立てでは違うかもしれない。そんな高杉の願いと裏腹に久坂から紡がれた言葉は、とても厳しいものだった。


「……何とも、言えないな」


「言えない? ッ、どういう事だよ!!」


声を荒げ自分に掴み掛かる高杉を制し、久坂は息を吐く。


「血を流し過ぎた。一命は取り留めたが、意識が回復しないと危険である事に変わりない。早く目を覚まさなければ――」


雛は死んでしまうだろう。


高杉は余りにも残酷な未来に言葉を失った。つまり、意識が回復しなければ雛乃はこのまま、息絶えてしまうという事。


そのような告知を素直に受け入れられるはずがない。


高杉は久坂から離れ、やり場のない怒りを柱にぶつける。力任せに殴った柱は微かに揺れるが、痛みの方が遥かに大きかった。


雛乃が受けた痛みはこんなものではない――


その場の誰もが思い目を伏せた時、吉田は顔を上げ踵を返す。


「稔麿、何処に行く」


「……決まってるでしょ」


腰に差した刀をカシャン、と鳴らすと吉田は怪しく笑う。その瞳にはどす黒い憎悪が見える。雛乃の仇討ちに行くのだと直ぐに分かった。


「佐伯は、そう簡単には捕まらねぇ。闇雲に突っ走っても体力を削るだけだ」


座敷を出ようとする吉田を呼び止めたのは、一琉の冷静な声だった。それに吉田は眉間に皺を寄せ、一琉を鋭く睨み付ける。


「じゃあ、どうしろって言うのさ!! 雛がこんな目にあったのに、平然としていられる訳がない。奴を斬り刻まないと気が済まない……!!」


吉田の殺気は普段と比べ物にならない程に凄まじかった。一琉はそんな吉田を見据え、再び口を開く。



「仇討ちしたい気持ちは分かる。が、今、お前がやるべき事はそれじゃねぇだろが」


一琉は一息吐くと、布団に横たわる雛乃へと視線を向ける。


「……このチビはお前の大事な大事な、奴なんだろ? まだ助からないと決まった訳じゃねぇ。目が覚めるまで、傍にいてやれよ」


一琉の思いがけない言葉に吉田は驚き、目を見開いた。そして、吉田も雛乃へ視線を戻す。痛々しい姿の雛乃は意識がない。にも関わらず、布団から出た手は温もりを求めているように見えて仕方なかった。


“行かないで”とあの頃、自分をいつも呼んでいた事を思い出し、吉田の心は揺れ動く。いつの間にか復讐心よりも恋慕の情が勝ってしまったようで、今は傍にいたいと強く思った。


「……一琉に諭されるなんて思わなかったよ。何だか、酷く腹が立つね」


「あ"ぁ!?」


吉田は息巻く一琉に笑みを溢すと、雛乃がいる座敷中央へと歩き出した。


「そうだよ。雛は僕のたった一人の大事な娘だ。だから、絶対に死なせないし傍にいるのも当たり前。……でもね、仇討ちを諦める訳にはいかないんだ」


でなければ、雛乃が刺されたというのに何も出来なかった自分を許す事なんて出来ない。かと言って、雛乃の傍を離れるのはもう御免だ。だから、と吉田は腰の刀に手を伸ばし脇差しを取り出した。


「これで、奴を殺しなよ」


吉田は脇差しを一琉に向かって投げる。それは、微かに弧を描いて一琉の元へと辿り着いた。簡素な模様が彩られた黒塗りの刀。

何処か重みのある刀に、一琉は眉をひそめる。


「んだよ、こりゃ?」


「雛の小刀……、懐刀と対になっているものだよ。雛に縁あるものでもある。僕のもう一つの分身だ。それで奴の身体をズタズタに引き裂いて、首を取ってきなよ」


「……えげつねぇ事を笑顔で言うなっつの。そう簡単にいくかよ」


そう抗議するものの、散々あくどい遣り方で敵を仕留めてきた一琉にとって、不可能な事ではない。そのような事は日常茶飯事で朝飯前だった。


吉田もそれを分かっていて、敢えて大事な脇差しを渡したのだ。行けない代わりに自分の分身で、奴を痛め付けて欲しいと。


受ける受けないは一琉の自由だ。だが、断る理由は何処にもない。自分が始末すると決めていた。漆黒の脇差しを強く握り締め肩に当てると、一琉は軽く頭を掻く。


「分かったよ。ま、コイツを汚さねぇように頑張ってみるわ。高杉、てめぇはどうすんだ?」


一琉の問いに高杉は組んでいた腕を解き、深く息を吐いた。


「着いて行く。どうせ、此処にいても俺は何の役にも立たねぇからな」


高杉も吉田と同様の怒りを身に宿していた。大事な大事な義妹を傷つけられて平然としていられる訳がない。吉田が動かないと決めたのならば、自分が手を下すべきだろう。


高杉が来る事は予想通りだったのか、一琉の口元は緩んでいた。一琉は、高杉を見据え吉田から預かった刀を腰に差す。


「高杉。言っとくが暴走だけはすんなよ?」


「は? んな馬鹿な真似しねぇよ。ただ奴を潰しゃ良いだけの話だろ。任しとけって」


そう断言するものの、高杉を簡単に信用する事は出来なかった。


今まで起こした事件の数々を踏まえると、高杉が大人しく言う事を聞くわけが無い。ましてや、今回は雛乃が関わっているのだから。


「……忠告はしたからな」


これ以上何を言っても無駄だと踏んだ一琉が、高杉から目を離し座敷を出ようとした、その時だった。


「――貴久様。お客様がお見えになりました」


先程の女中とは違う老齢の女性が、控えるように廊下に座り頭を下げていた。


「客? ……ああ、奴らが来たのか」


「はい。如何致しましょう」


一琉は一息吐くと、水を吸い取った手拭いを懐に突っ込み女中を見据える。


女中が通り名ではなく、本名で呼ばれた事にはちゃんとした意味があった。一琉は影の名。貴久は真の名。つまりは藤森家として動く事を意味する。


「何だ。藤森の客か?」


「まあな。一応、そっちで対処した方が有利に持っていけんだろ?」


夜分遅い訪問に疑問を浮かべていた久坂は、その一言で誰が来ているのか直ぐに察した。高杉と吉田を見れば明らかに眉を寄せ、嫌悪感を表している。


それに気付きながらも、一琉は女中から視線を反らす事なく指示を出す。


「そうだな……。奴らは大勢で来てんだろ? 客間に通しておいてくれ。着替えたら直ぐに向かう」


「はい。仰せのままに」


女中が立ち上がり、廊下から姿を消すと一琉は背後にいる吉田達の方へ振り向いた。


吉田達の表情を見るなり、一琉の顔も歪む。何故なら吉田達は酷く苛立ったような表情をしていたからだ。


「……んだよ。そのしけた面はよ」


彼らの反応は当然といえば当然かもしれない。まさか壬生狼を呼んでいるとは思ってもみなかっただろう。


今の吉田達にしたら、壬生浪士組の面々は佐伯同様に憎い存在だ。好きで預けていた訳でもない。仕方なく預けていた大事な義妹を守り切れなかった彼らに、自分達以上に腹が立っていた。


「一琉、雛を壬生狼に返すつもりじゃないよね? もしそうなら、許さないよ」


先程より殺気を強め、吉田は一琉を睨み付けている。吉田の手は刀へと伸びており、返答次第では一琉を斬るつもりでいるようだ。


「安心しろ。傷が癒えるまで、返すつもりはねぇよ。コイツは藤森の血縁だ。俺が責任持って預かるさ」


吉田の殺気を払うように片手を振り、一琉は息を吐く。


「それに伴い、奴らには色々と見せ付けなきゃなんねぇだろ。特に現在の状況をよ」


澄が一通りの説明はしてくれているはずだが、彼らは恐らく、頭では理解出来ていないはずだ。店に戻ってきたら留守を預かっていたはずの雛乃が居ない。探していれば、見知らぬ少年が来て雛乃は重傷を負って藤森にいると言う。


他人から聞いた話をそう簡単に鵜呑みにしない。壬生狼は疑いの眼差しを持って此処へと来ている。藤森の名の騙る輩が雛乃を攫ったのかもしれない、と。


だが、屋敷の門を潜り、話が真実であった事が突き付けられた。藤森の血縁者が傷付けられた場合、それなりの代償を払ってもらう事にしている。


壬生狼側の状況は最悪と言っていい。現場には誰もおらず、女子に跡が残る深手を負わせた。その事実を見て一体、壬生狼はどのように反論してくるのか。


久坂は、何かを企んでいるような一琉を見て一つ息を吐いた。


「……成程な。つまりは権力で押さえ付けるつもりか」


「平たく言やぁ、そういう事だろうな。だが、そう簡単に引き下がる奴らじゃねぇよ。食い下がるに決まってらぁ」


壬生の狼と呼ばれる程の剣客集団。身内の結束は強い。雛乃が可愛がられてきた事は誰よりも理解しているつもりだ。


「それに……沖田には、借りがあるからな」


蘇る邂逅。あの時はこのような再会を果たすとは思っていなかった。


一琉に視線を向け、会話する高杉や久坂とは違い、吉田の意識は未だに眠り続ける雛乃に向けられていた。


吉田は腰を屈め膝をつくと、雛乃の青白い頬に手を添える。温もりを与えるように何度も撫でていく。


「大丈夫。今度こそ僕が君を、雛を守るから」


やっと手の届く所に戻ってきた雛乃を、そう易々と壬生狼なんかに返したくはない。もう、二度と大切な存在を手放したくはなかった。



ピクリ、と小さく動く掌。微かに動いた指先に、まだ誰も気付かない。


今は、まだ。

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