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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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青天の霹靂【漆】

全身なます斬り。顔の判別さえ出来ない者が殆どだ。中には首を斬り落とされて、無惨な姿になった者もいた。

人を人とは思っていない。彼らを虫けらのように命を奪い踏み躙っている。


目を背けたくなる程残虐なその遣り口に、土方はある心当たりがあった。


「おい、斎藤。先日の報告は確かなんだろうな?」


「――は。ここ数日の辻斬り、彼の関与は間違いないかと」


「……そうか」


斎藤の言葉に土方は眉を寄せ、軽く舌打ちをした。


虚言でないのは明らかだろう。何故なら山崎からの報告も届いている。これが事実ならば、由々しき事だ。


「おーい、土方さーん。どうやらコイツら、全員脱藩浪士みてぇだ」


「草履が擦れ、着物に泥が付着してるって事は最近、上洛したんだろ。先日雨降ってたしな」


四方に横たわる遺体を簡単に調べた原田と永倉は、そう声を上げる。


浪人ならば仲間同士の斬り合いとも考えられるが、彼らの場合明らかに違う。抵抗もなく、浪人達は一方的にやられていた。


恐らく彼らを襲ったのは辻斬りに間違いない。それも最凶と言える奴に、だ。


土方の思考にある人物がはっきりと思い浮かぶ。


「それだけ分かりゃ、十分だ。遺体の詳しい検分は役人共に任せて、俺らは下手人探しに向かうぞ。永倉、原田、詳細は斎藤にでも聞け」


傍にいた沖田と藤堂を捕まえると、土方は野次馬達を掻き分け、雑踏の中へと消えて行った。


「……何だぁ? もしかして犯人、誰なのか分かったのか?」


残された原田と永倉は、何があったのかと斎藤へ視線を移す。


「……ああ、随分と厄介な相手だ。何しろ、」


刀の柄に手を当て、それをゆっくりと握り締める。斎藤は土方同様、厳しい表情を浮かべていた。


「同じ、浪士組の者なのだからな――」







◇◇◇







「んぅ……?」


ざわざわと騒がしい店内で深い眠りに落ちていた雛乃は、誰かに呼ばれたような気がして目を覚ました。


「漸く、お目覚めか」


「ふぇ?」


威厳のある、だが何処か優しい声音に雛乃は顔を上げる。そこには自分を静かに見つめる芹沢の姿があった。


「……芹沢さん?」


「ああ。よく眠れたか?」


「はい。それはもう、ぐっすりと。……って、え?」


雛乃はぼんやりとした思考で縦に首を動かし頷いていたが、今自分が置かれている状況を目の当たりにし、その場から一気に跳ね起きた。


「ななな……!? 何で、私が芹沢さんの膝にいるんですか!?」


「む。何だ? 儂の膝では不満だったか?」


「いえ、むしろ気持ち良かったです。……って!そうではなく!!」


先程起きたばかりだというのに、表情をコロコロ変える雛乃は見ていて飽きない。芹沢は笑みを溢すと、手にしていた扇子をパチンと閉じた。


「そう騒ぐ事ではない。単に酔い潰れたお前が儂に擦り寄ってきた。それだけの事よ」


「酔い潰れ……。ああ、私お酒飲んじゃったんですね……」


雛乃は安堵の息を吐くと、記憶を手繰り寄せるように顎に人差し指を当てる。

原田や永倉に勧められ、酒を何口か飲んだところまでは覚えている。だが、その先は真っ暗で、暗幕が張られたように何も見えない。


辿れない記憶に雛乃が眉を寄せ始めると、芹沢は再び口を開いた。


「何だ、眉間に皺を寄せて。そこまで落ち込む事なのか」


「……だって、酔っていた時の記憶が一切ないんです。私、もしかして何かとんでもない事を為出しました?」


「気になるか?」


疑問に疑問で返されるのは困ってしまう。問いを誤魔化されているような気がして良い気もしない。


いつもなら止めて下さい、と指摘するのだが、この時ばかりはそんな事を考える余裕などなかった。


芹沢の表情を見る限り何かあったのは間違いない。かと言って、芹沢が素直に話してくれるとも思えないが。


「……何が、あったんですか」


「さてな。知りたければ、沖田か土方に聞くと良い。酷く被害にあったのは、あの二人だろうからな」


「え、総司さんと土方さんに……?」


困惑する雛乃に対し、飄々とした態度で扇子を開閉する芹沢は、とても楽しんでいるように見える。


雛乃はそんな芹沢に勝てる気がしなかった。恐らくどんな言葉を選んでも、上手く言い包められてしまうに違いない。

どうしようかと、一旦息を吐いた時、雛乃は座敷の変化にようやく気付いた。


座敷内をくまなく見渡すが、芹沢と自分以外の姿が何処にも見当たらない。穏やかに微笑み酌をしていた芸妓達さえ、其処にいなかった。


(……え? あれ、何で? 誰もいないの? まさか、何かあったんじゃ……!!)


耳を澄ましてみれば、外から怒号や悲鳴が聞こえてくる。どうやら、通りで何かあったようだ。


思わず襖に向かおうとした雛乃の動きを止めるように、芹沢の扇子が前方に立ち塞がる。


「っ、芹沢さん!!」


「雛乃が気にするような事ではない。些細な事件が起きただけよ」


「でも……!」


「外は騒然としておる。どの道、今向かっても足手纏いになるだけだ。大人しく此処で待つのが得策だと、儂は思うがな」


有無を言わさない芹沢の強い言葉に、雛乃は頷く事しか出来なかった。


確かに正論ではある。現場に向かった所で自分に出来る事など何一つない。刀も握れない自分は厄介以外の何物でもないだろう。


だが、雛乃はとても嫌な予感がしていた。とてつもないモノを相手にしているような、言い知れない不安が胸の内から沸き上がってくる。


一体、これは何なのだろうか。


雛乃の顔色が優れない事に気付いた芹沢は目を細め、扇子をゆっくりと閉じた。


「そう心配せずとも、奴らは直ぐに戻ってくるわ」


「……ほんと、ですか」


「何だ、儂の言葉では信用出来んか」


「そんな事はありません! えと、ちょっと急に、皆が居なくなったから、心配なだけで……」


そう言って、雛乃は苦笑と共に腰を下ろす。それを見つめ芹沢は息を吐くと、雛乃の頭をその大きな掌で撫で始めた。


「それは杞憂に過ぎん。そんな事を考えてる暇があれば、奴らを出迎える準備をしておく方が良い。その方が奴らも喜ぶだろうよ」


自分に今出来る事をすれば良い。そう暗に芹沢は言ってくれているのだ。


優しく暖かい掌の温もりに雛乃は安堵の息を吐く。子供扱いされてるにも関わらず、芹沢に触られるのは嫌ではなかった。


「……芹沢さんの手って、本当に大きくて暖かいですね」


「そうか? 豆だらけで固いだろうに。汚いとは思わんのか」


「思いませんよ。だって、これは芹沢さんが生きてきた証じゃないですか」


芹沢は雛乃の思いがけない言葉に手の動きを止めた。滅多に驚かない芹沢の目が見開かれ、その表情は驚愕に染まっている。


それを横目に、雛乃は笑みを溢すとその場から立ち上がった。


「私は勝手場を借りて、軽食と飲み物を持ってきますね」


芹沢の返事を待つ事なく、雛乃は襖を開き座敷を足早に出て行った。雛乃が居なくなり、静まり返った座敷で芹沢はくつくつと喉を鳴らす。


「……適わんな」


手にしていた扇子を懐にしまうと、笑みを消し鼠のいる天井へと視線を移した。




――四半刻後、この座敷は緋色に染まる事になる。








◇◇◇







雛乃はとてとて、と足音を立てながら廊下を歩いていた。両手で角盆を持ち、それを揺らさないよう慎重にゆっくりと歩いている。


角盆には握ったばかりのお握りが数十個と茶の入った急須が置いてあった。全て雛乃が勝手場で頂いてきた物である。


(……ひぃ、ふぅ、みぃ……これだけあれば足りるよね? あ、でも左之さん達が沢山食べるだろうなぁ……)


戻ってきた彼らの食べる姿を想像し、雛乃は思わず笑みを溢す。

そのまま、芹沢の待つ座敷へ向かう階段を登ろうとしたその時だった。


「旨そうだねぇ、それ。一つ貰える?」


背後から突然降って来た声と同時に、雛乃の首筋には冷たく重いモノが当てられていた。音も無く向けられた鋭いそれは、部屋の光に当てられ嫌な輝きを放っている。


一歩でも動けば、この刀は首筋を斬り付けるだろう。むしろ、斬り落とす事も出来るかもしれない。


そんな事を冷静に考えながら雛乃は口を開いた。


「ッ、何の用ですか。……佐伯さん」


「あれ? 驚かないんだ?」


雛乃は悲鳴を上げず、その場からも動かなかった。目線だけを刀に向け、青年の動きに目を光らせている。


その様子に、背後の青年――佐伯は目元を細め笑みを溢した。


「こうすれば、少しは驚いてくれるかなぁと思ったんだけどな。まぁ、いいや。一先ずお握り、一つ貰うよ」


雛乃の首筋から刀を下ろすと、佐伯は角盆に乗っていたお握りを掴み、そのままそれを口の中へと放り込んだ。一個だけで済むかと思いきや、二個、三個と空腹を満たす為に、何度も口に運んでいく。


徐々に軽くなっていく角盆と佐伯を交互に見つめ、雛乃はどう言い返すべきか反応に困っていた。


(……何なの、この人。刀突き付けたかと思えば、何もせずすんなり下ろすし……。皆、出払っているはずなのに、何故この人だけ此処に? 意味が分からない……)


日頃から何度も感じていた気配に殺気。間違いなくそれは、彼から発されたものだろう。


だが、今の佐伯は無邪気に握り飯を貪り続けている。先程、気配無く刀を突き付けてきた輩にはどうしても見えなかった。


後々の事を考えれば、今直ぐこの場から逃げた方が良いのかもしれない。だが、飄々としていて掴みどころがなく何も読み取れない佐伯に対し、下手に動きたくはなかった。


刀を引いたとはいえ、佐伯は何時でも雛乃を襲える環境にある。表の騒ぎのせいで、普段より人通りが少ない今なら廊下でも事を運べるだろう。


(……この人には常識が通じなさそうだし、暫くは様子見した方が良さそうかな。でも、危険。長くは関わりたくない……)


雛乃は先程から悪寒が止まらなかった。芹沢といた時に感じた嫌な予感も未だに燻り続けている。


仄かな灯りに照らされ佐伯の着物が露になると、雛乃は瞠目した。


鮮やかな紺の生地に斑点が幾つも出来ており、袴の裾には巨大な染みが出来ていた。雛乃には黒く見える、その色は恐らく緋色。血痕に間違いない。


彼は恐らく、人を――


「……俺さぁ、ずーっと考えてたんだよねぇ」


手にしていたお握りを全て食べ終えた佐伯は、雛乃の行く手を遮るように階段へと腰を下ろした。


「くだらない毎日を、詰まらない毎日を、壊す方法をずーっと考えていたんだ。で、ようやく答えに辿り着いた。さて、それは一体何だと思う?」


ふいに尋ねられた問いに、雛乃は微かに眉を寄せ首を横に振る。佐伯と雛乃の価値観は根本的に違う。佐伯の気持ちなど、今の雛乃に分かるはずもなかった。


佐伯は腰に携えている刀の柄を一撫ですると、小さく息を吐き口元についた汚れを拭い取る。


「……最初はねぇ、こんな事せずに連れ出そうかと思ってた。先生らにもそう命令されてたからさ。でも、それは詰まらないと思ったんだ。命を運ぶのは俺の仕事じゃない。潰すのが、俺の役割」


「潰す……?」


「そう、潰すんだよ。標的にした奴らは一人に残らずね」


にたり、と不敵笑う佐伯に雛乃は全身の毛が逆立った。命を潰す――それは即ち、人を殺すという事。


雛乃は角盆を胸元に引き寄せ、佐伯をジッと見据えた。


「……佐伯さん、外の騒ぎの元凶は貴方なんですね」


「うん正解。本番前の、準備運動してきたんだ」


否定する事なく、すんなりと事実だと認めた佐伯に雛乃は面食らう。てっきり否定すると思っていただけに、明るく笑う佐伯の様子に驚きを隠せなかった。


「あははっ、何で否定しないのかって顔してるねぇ。だってさぁ、どうせ後で分かる事だよ? 隠しても意味ないんだ。それにさ、言ったよね」


佐伯は細めていた目を薄く開け、雛乃との間合いを詰めると素早く刀を取り出す。


「準備運動だった、って」


それは一呼吸分の間。雛乃が角盆で防ぐ暇もない程に速い動きだった。


「――本番(ひょうてき)は君だよ、藤森雛乃」


佐伯の鋭い刀は雛乃の腹部を軽々と貫いていた。

雛乃が持っていた角盆は床に落ち、カランと無機質な音を立てる。


苦痛に歪む雛乃の顔を一瞥し、佐伯は雛乃の腹部から刀を引き抜いた。少なくない血が溢れ、全身を支える力を失った雛乃はその場に崩れ落ちる。


「……ッ、な……んで……」


激しい痛みと全身を襲う悪寒。紡ぐ言葉は声にならず、空気と共に飲み込まれた。


片手で傷口を抑えるものの血は止まらない。相当深い傷口だと、見なくても理解出来る。


雛乃は霞んでいく視界の隅に、佐伯の姿を捉えると、気力を振り絞り顔を上げ佐伯を睨み付けた。


重傷を負っているというのに揺るがない瞳。自分を睨み続ける雛乃を見て、佐伯は満足そうに目を細めると笑みを溢した。


「……やっぱり、君は普通の女と違うよね。初めて見た時から面白いと思ってた。だからどんな風に壊れていくのか知りたいと思ったんだ」


無邪気に語る佐伯に罪悪感は一切無い。彼はただ、楽しんでいるだけに過ぎない。刻を忘れて遊ぶ子供のように。


血に濡れた刀を振り払い、佐伯は再び構え直す。刀の切っ先は雛乃の足へと向いていた。


「少しずつ、切り刻んであげるよ。そうして、壊れていくのも悪くない」


逃げようとする意志はある。だが、血を流し過ぎたせいか、雛乃の身体は思うように動かない。辛ろうじて手を動かせるぐらいだ。


そんな雛乃を嘲笑うかのように、佐伯の刃が再び振り下ろされた――――

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