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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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青天の霹靂【陸】

沖田が暫く呆然と立ち尽くしていると、沖田に気付いた芹沢が声を掛ける。


「沖田、戻ってきていたのか。……雛乃、漸く沖田が来たようだぞ? 行ってやれ」


芹沢は抱き付いている雛乃の頭を優しく叩き沖田の存在を知らせるが、雛乃は首を横に振り拒絶を見せた。


「やだぁ! まだ此処がいいの!!」


芹沢の懐が気に入ったのか雛乃は、全くそこから離れようとはしない。必死にしがみついてくる雛乃に芹沢はくつくつと喉を鳴らす。


「どうやら嫌われてしまったようだな、沖田。大事な妹を取られて悔しいか?」


「……いえ? 嫌われた原因よりも、私は今のこの状況を説明して欲しいんですけど」


沖田は表情には出してないがかなり不機嫌だった。確かに、雛乃から拒絶された事は衝撃的で動揺もしている。だが沖田が今、一番知りたいのは雛乃がこうなってしまった原因だ。


「何、大した事はない。ただ酔っ払っているだけだからな」


「はっ? 雛乃ちゃん、お酒を飲んだんですか?」


芹沢の腕の中にいる雛乃をまじまじと見つめると、赤く染めた頬を緩め笑顔を見せた。


無邪気な笑顔に沖田も吊られて笑うが、雛乃の吐息からほんのりと酒の匂いが漂ってくる。酔ってしまったのは本当のようだ。


酒に弱いという雛乃の新たな一面を見る事が出来たのは喜ぶべき事だろう。だが、状況は喜ばしいどころか最悪と言っていい。


見たこともない笑顔で芹沢に擦り寄る雛乃を見ていると、複雑な感情が沸き上がってくる。


「雛乃ちゃん、私の所に来ませんか?」


芹沢に抱き付いて、自分には抱き付いて来ない。その事実は余りにも辛かった。

沖田はいつもの笑顔で、雛乃を誘うように両手を伸ばす。


「……やだ。総司しゃん、血の匂いがするもん」


そう呟き、雛乃は眉を寄せ沖田から視線を逸らした。雛乃の思いがけない言葉に沖田と芹沢は顔を見合わせる。


「……血?」


「何だ、沖田。誰かを殺ってきたのか?」


「まさか。ただ、平助を殴り倒して来ただけ――って、あ」


沖田の目に止まったのは袖についている小さな血痕。恐らく、藤堂を殴り飛ばした時に付いたものだと思われる。


芹沢や沖田が気付かなかった血痕に、雛乃は気付いたというのか。その敏感さには舌を巻きそうになった。


しかし、何故雛乃は血の匂いを嫌がったのだろうか。


「何だ? 雛乃は血が嫌いなのか?」


「うん、嫌い。血は嫌い……」


嫌悪感を露にする雛乃の声は震えていた。その様子に沖田は目を細める。


雛乃が見せるほんの僅かな本音。血が苦手なのは雛乃の過去に起因していた。色は見えなくとも、その匂いで精神的外傷を引き起こしそうになる。


雛乃は思いを振り払うように首を左右に振ると、素早く芹沢の身体から離れた。沖田の横を通り過ぎ、軽やかな足取りで雛乃が向かった先は――


「歳しゃん!!」


「おわっ!?」


土方の背中だった。

土方は、雛乃が引き起こした騒ぎに巻き込まれないよう座敷から逃げ出そうとしていたのだが、少し遅かったようである。


「おい、雛乃。引っ付くんじゃねぇよ。今直ぐ着物から手ぇ離せ」


「やだぁっ! 歳しゃんが良いのーっ!!」


離れようとする土方の肘をがっちりと掴み、雛乃は土方にしがみ付く。それを必死に振り解こうとするが、雛乃の身体はなかなか離れない。それどころか更に強く抱き付いてきた。


土方は何も雛乃が来たことが嫌な訳ではない。むしろ内心嬉しくてたまらなかった。が、喜びを顔に出す事は出来ずにいる。


何故なら、背後から伝わる痛い視線。沖田が不気味な程笑顔で自分を見つめているのを感じていたからだ。


そんな静かな攻防が繰り広げられている事も知らず、雛乃は土方の腕を抉じ開けようやく懐へと収まった。


「ふぅ、歳しゃんのとこ落ち着く……。ね、歳しゃん、歳しゃん」


くいくい、と着物を引く雛乃に土方は眉を寄せながらも目線を下げる。すると、次の瞬間土方の頬に柔らかい何かが当たった。


それが雛乃の唇だと自覚するのに、土方は暫くの刻を要する。

土方だけではない。沖田を始め、周囲にいた者は全て動きを止めていた。ただ一人、芹沢だけは面白そうに口端を吊り上げている。


「おい、雛乃。お前ぇ、今、何をしやがった……!?」


「むぃー、うにゅゅ……」


土方が胸元に顔を埋めている雛乃を慌てて引き剥がすものの、満足したのか雛乃は満面の笑顔を浮かべて眠りについていた。


幸せそうに眠る人を叩き起こす程土方は鬼ではない。だが、状況は頗る悪いと言えるだろう。


「……土方さん?」


来た、と誰もが思った。

雛乃の行動に誰よりも衝撃を受けているのは、接吻された土方よりも沖田の方なのかもしれない。


聞いた事もない低い声を響かせ、沖田は土方の肩に手を乗せた。乗せられた手は肩を強く掴み、爪を食い込ませている。


ギリギリと、次第に痛みが増していくそれに土方は動じる事なく眉間に皺を刻んむだけに留まった。


「……おう。何だ、総司。言っとくが俺は何もしてねぇぞ。コイツから仕掛けてきたんだからな」 


土方は息を吐いて腕の中にいる雛乃を親指で指す。気持ち良さそうに丸くなって眠る雛乃に沖田は微笑んだ。


「嫌ですねぇ。それくらい、ちゃーんと分かってますって。私はただ、雛乃ちゃんを見に来ただけですよ」


先程の出来事など何も気にしていないように沖田は振る舞うが、土方の肩を掴む手の勢いは止まらない。


骨が砕けるのではないか――。

そんな激しい痛みに耐えながら、土方は沖田を引き離す手段を考える。が、これといって有効なものは浮かばない。


肝心の雛乃は眠りから覚めないし、頼みの綱である近藤はというと、ほろ酔い気分で此方の騒ぎに全く気付いていなかった。


永久に続けられるのかと思った沖田のこの行動は、直ぐ様止められる事になる。



「――――きゃああぁあぁ!!!!」



突如、祇園一帯に響き渡る年若い女達の悲鳴。それは、色香漂う花街には似合わない恐怖に染まった悲鳴だった。


賑わっていた座敷の熱気が一気に冷め、皆の目の色が変わる。

沖田も同様、土方の肩から手を離していた。


襖近くにいた斎藤が腰から外していた得物を手にし、立ち上がろうとした時だった。バタバタと大きな足音を響かせ誰かが此方に向かって来る。


斎藤は眉を寄せ、気配を探っていたが、それが見知った気配だと気付くと襖を先に開けた。


「大変、大変だよ!! って、 一君っ!?」


いきなり開いた襖に対応しきれなかったようで、藤堂は物の見事に座敷へ倒れ込んだ。


畳で顔面強打し、苦悶の表情で悶え続ける藤堂に土方は呆れた表情を見せ、深々と息を吐いた。


「で? こりゃ一体何の騒ぎだ」


「うぅー、ええっと、何でも通りに幾つもの斬殺死体が出たらしいんだ。詳細は、知らないけど……」


「死体が通りに、ですか。また物騒な事件ですねぇ」


藤堂の言葉を反復し沖田は土方へ目を向ける。土方もまた難しい顔をしていた。


「……花街で殺人かよ。また天誅か何かか?」


「まだ殺された人は特定されてないけど、全員男性みたいだってさ」


「祇園にゃ、公儀の要人も多々利用っすからなぁ……」


昨今、京では天誅と称する暗殺事件が頻発していた。それは尊攘派が身を潜め、活動し続けている確かな証であり、京都守護職が設置された理由や壬生浪士組が結成された理由も、これに起因している。


様々な憶測が飛び交う中、新見はある人物の姿が見えない事に不安を抱いていた。


先日の一琉の言葉が思い出される。奴は、近日中に誰かを殺るに違いない。そう言ってなかったか?


「……さん、新見さん? どうしました?」


自分を呼ぶ声にハッと我に返ると、新見は視線を横へと移す。


そこには同じ芹沢派の平間、野口の姿があった。話を聞くと、どうやら土方達は一足先に現場に向かったらしい。


残されたのは芹沢を含む芹沢派の面々と、酔いが回りすっかり熟睡してしまった雛乃だけだった。


雛乃は身体が痛まないよう座布団の上に寝かされ、猫のように丸くなっている。そんな雛乃を芹沢は優しい手付きで撫でていた。


新見が立ち上がるのを視界に入れた芹沢は、もう片方の手で広げていた扇子をパチンと閉じる。


「何だ、行くのか?」


「はい。少々気になる事があるので現場に向かいます」


「フン。ならば、くれぐれも土方等には気付かれぬよう行動する事だな。……放たれた狂犬は、そう簡単には捕まらんぞ」


全てを悟っているような芹沢の言葉に驚き、新見は目を見開いた。そんな新見を一瞥し、芹沢は緩く口端を上げている。

自分を見つめる、その瞳は何もかも見通している深い眼差し。新見が敬愛する芹沢が其処にはいた。


「……全て、ご存知だったんですか……」


「……さてな。儂はただ、奴が気に入らんだけだ。詳しくは何も知らん」


再び開いた扇子で扇ぎながらいつもように笑う芹沢に、新見は適わないと息を吐く。


「事情は帰ってからお話します。ですから、今は――」


「構わん。早く捕縛せねば、新たな犠牲者が出るのは間違いないだろうしな」


新見は芹沢に一礼し、野口と平間、そして未だに芸妓に言い寄る平山を引き連れて出て行った。


残された芹沢は再び目線を落とし、雛乃の頭を撫で始める。

ざわざわと騒がしい店内の雑音を耳にしながら、芹沢は徐に天井を見上げた。


「……鼠が数匹……」


芹沢の呟きは小さく、誰にも届く事なく風に乗って消える。


山崎のものではない。見慣れない気配がこの付近に点々と存在していた。それは常人では感じ取れない程の僅かな気配。芹沢も神経を集中し、辛うじて分かるくらいだ。


誰を監視しているかは今のところ判別出来ない。だが、その対象者がこの店内に居る事だけは間違いないだろう。


「只の事件で済めば良いがな……」


全てを悟ったような眼差しで芹沢は、眠り続ける雛乃に視線を戻し小さく息を吐いた。







◇◇◇







「……こりゃ、酷ぇな」


「……ああ、息の根止めた後も斬り刻んでやがる。悪趣味な野郎だ」


土方は血塗れの死体を見つめ、苛立ちを隠さずにそう吐き捨てた。


揚屋を出た土方達は、現場となる通りに来ていた。そこには見事に斬殺された遺体が数体、路上に転がっている。藤堂の話通り、被害者は全て男だった。

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