青天の霹靂【伍】
「雛乃ちゃん。そんな顔してないで、笑った方が良いですよ。可愛い顔が台無しです」
「……誰の所為だと思ってるんですか」
今度は、雛乃が敬語で返しても沖田は敢えて何も言わなかった。
「ひーなのっ!!」
「ひゃわあぁっ!?」
気配を消して雛乃の背後に現れた藤堂は、雛乃に思いきり抱き付く。突然の出来事に雛乃は声を上げ、身体を跳ねさせた。
「わー、雛乃ー、いー匂いするー」
「へっ、平助君!? ちょ、ちょっと離れて!!」
「いやだよー。気持ち良いんだもんー」
酔っているのか藤堂は、離れる事なく、雛乃の身体にどんどん擦り寄ってくる。
首筋に当たる藤堂の息はとても擽ったい。藤堂が息をする度に酒の匂いが漂っていた。
離れようとしない藤堂に雛乃が深く息を吐いた時、ふいに身体が軽くなる。
振り向くと藤堂の襟首を掴み、先程よりも綺麗な笑顔を浮かべる沖田がいた。
「……平助。誰の断りを得て、雛乃ちゃんに抱き付いているんです?」
静かだが、何処か苛立ちの含んだ声。周囲の動きが止まる程の勢いがある声色だというのに、酔っている藤堂には伝わっていないようで、未だに藤堂は雛乃に抱き付こうとしていた。
そんな藤堂を見つめ、沖田は掴んでいる藤堂の襟首を更に強く捻り上げる。
「ぐえっ!? いだだだだ! 首締まる!! 爪食い込んでる!! 痛い、痛いからっ!!」
「痛くしてるんですから、痛いのは当然じゃないですか。さぁ、平助。ちょっと付き合ってもらいますよ」
激しい痛みに酔いが一瞬にして冷めた藤堂は、ギリギリと締まる首に手を当て気道を確保し、逃げ出そうとするが、沖田がそれを許さない。
痛みに眉を寄せながら、藤堂は何度も咳き込んだ。
「うげほっ、はっ……? いや、何で総司と? つか、何で俺こっちに来てんの? って、いだだだだぁ!!!!」
「ごちゃごちゃ言ってないで行きますよ。ああ、まだ酔ってるようなら中庭の池に落としてあげます」
「全力で遠慮したいんだけど!? 俺が、一体何をしたっていうのさ!!」
雛乃に抱き付いた事を覚えていない藤堂にとって、この仕打ちは理不尽に思えて仕方がない。
沖田は一旦力を緩めると、騒ぎ抵抗し続ける藤堂の襟首から手を離した。重力に従い、畳へと落とされた藤堂は顔面を強く打ちつけてしまう。
「へぶしっ!!」
ガン、と鈍い音が響き、藤堂は激しい痛みに悶絶している。片手を畳に打ち付け、耐えようとしている様子から相当な痛みだったらしい。
動きが鈍くなった藤堂を再び掴み肩に担ぎ上げると、沖田は雛乃に視線を向けた。
「さあて。私はちょっと出て来ますけど、雛乃ちゃんは気にせず楽しんでて下さいね」
沖田はにっこりと微笑みと浮かべ、座敷から出て行った。
沖田が完全に去ってしまうと、静まり返っていた座敷は再び賑わい始める。その様子に雛乃は人知れず息を吐いた。
(……ちょっと、風にでも当たってこようかなぁ……)
雛乃自身、宴会や酒宴は余り好きではない。慣れてはいるが、独特の雰囲気と漂い続ける酒の匂いが苦手だった。
(……このまま居たら飲まされる可能性高いし、総司さんがいない今、逃げるしかない……って、ん?)
ふと感じた気配に振り向いて見ると、そこには顔を茹で蛸のように真っ赤にさせた原田と永倉がいた。顔の火照り具合と息から察するに、二人は相当飲んでいるようだ。
「雛乃ー! 楽しんでるか、飲んでるかー? ……っと、何だ、全然手を付けてねぇじゃねぇか!!」
「左之、黙れ。さっきは平助が悪かったな。アイツ、酒は大好きなんだが直ぐに酔っちまうんだよ」
騒ぐ原田に対し、永倉は先程の平助の非礼を詫びた。永倉の言葉に雛乃は首を横に振り、大丈夫だと伝える。
ただ抱き付かれて驚いただけに過ぎない。それなのに、沖田から強制排除されたのだから、ある意味申し訳なくて怒る気なんてさらさらなかった。
「よし、雛乃。飲め!!」
永倉と雛乃の間に入り、そう言って声高らかに差し出されたのは酒の入った大きめの盃。器すれすれにまで注がれた酒は波打ち、畳へと溢れ落ちかけていた。
酒と原田を交互に比べ、雛乃は何事かと首を横に傾ける。
「えと、これは……?」
「雛乃の分の酒に決まってんだろ。形はちっせぇが、十六? 十七? だもんな。せっかくの酒宴だ、酒ぐらいしっかり飲まねぇと!!」
「えぇ!? でも私、お酒は……!!」
酒をぐいぐいと押し勧めてくる原田に、雛乃はどうするべきか戸惑っていた。
雛乃は酒が飲めない訳ではない。ただ、酒を大量に摂取するのが恐かった。何せ飲む度に記憶が飛び、居合わせた人達から、その後飲酒禁止命令を出されてしまうのだから。
記憶がないから、何を為出かしたかは分からない。迷惑を掛けない為にもここは断るべきなんだろうが、原田の顔を見るとどうしても断り切れなかった。
そんな戸惑う雛乃の様子を感じ取ったのか永倉は、原田を背後に押し退け息を吐く。
「……まぁ、煩くて仕方ねぇだろうが少しぐらい飲んでやってくれ。左之も嬉しくて堪らないんだ。雛乃がこうやって此処にいる事が、さ」
「それって、どういう……」
雛乃が思わず聞き返すと、永倉は小さく笑みを溢す。原田から酒を奪い取り、酒宴に至る経緯を簡潔に話し始めた。
今回の酒宴は雛乃を正式に女中として、仲間として認知した事を意味するもの。
そう提案したのは近藤と土方。当初は酒宴など開かず、口頭で直接雛乃に伝える予定だった。だが、芹沢が急遽酒宴をやると言い出した為、それに便乗する形となったらしい。
「雛乃は屯所から出る機会、滅多にないしな。大いに楽しんで欲しいって言ってたぞ」
思いがけない言葉に雛乃は驚きを隠せなかった。ただの酒宴だと聞かされていたのが、自分の為だったとは誰が予測出来ようか。
『ちゃんと此処に連れて来た理由、教えてあげますよ――』
恐らく、沖田の意味深な笑顔はこの事を指していたに違いない。しかし、それならそうだと始めに言って欲しかった。変に緊張していたのが馬鹿らしく思えてくる。
かといって、素直に納得も出来なかった。近藤はともかく、あの土方が自分を認めた事がどうしても信じられなかったから。
「で、でも、土方さんは私をまだ疑ってるんじゃ……! 山崎さんの気配も未だに感じるし」
「……そりゃ、違う意味での監視だろ。大丈夫だって。土方さんはああ見えて優しいんだ」
安心しろ、とでも言うように永倉は雛乃の頭をガシガシと強く撫でた。
永倉の言葉に頷いてみるが、複雑な感情は捨てきれない。認められるという事自体が始めてで、どう反応していいのか分からないのも理由の一つだった。
雛乃は永倉によって乱れてしまった髪を手櫛で整えながら、土方がいる上座へと視線を向ける。
土方は近藤の話に頷きながら酒を少しずつ口に運んでいた。酒宴の席だからだろうか。普段は見せない笑顔を浮かべながら、周囲にいる舞妓達とも花を咲かせている。
暫く見つめていると土方が顔を上げ、ぱちりと目が合った。土方は目を見張ると軽く舌打ちして、そのまま視線を逸らした。
(………何、あの態度。私、何かした?)
あからさまな土方の態度に不満を持つが、場所が場所なだけに口に出す事はしない。
永倉はそんな土方の態度に心当たりがあったようで、笑いを噛み殺していた。
「……新八さん?」
「っ、いやいや、気にすんな。ま、飲め飲め」
永倉に促されるまま、雛乃は原田が差し出していた盃を手に取る。透明に透き通酒は上等なもののようだ。
(……少し、だけ。少しだけなら、大丈夫……!)
せっかくの好意を無駄にしてはいけない。雛乃は大丈夫大丈夫、と暗示をかけながら禁止されている酒を口へと運んだ。
◇ ◇ ◇
「はー、せっかくの酒宴だというのに、平助のせいで台無しじゃないですか……」
ぶつぶつと不満を口にしながら沖田は座敷へと戻る為、一人廊下を歩いていた。
雛乃の為に開かれたと言っても過言ではない、今回の酒宴。本来ならば、雛乃と共に楽しんでいるはずなのに何故、こんな所にいるのだろうか。
その元凶である藤堂は庭の片隅に寝かせてきた。真冬ではないから凍死する事はない。長い間放置してても問題はないだろう。
今、一番心配すべきは座敷に残してきた雛乃の事。酔った原田や永倉にちょっかいを出されていないとも限らない。
永倉はともかく、原田は酔うと女好きが更に酷くなる。幼く見える雛乃でも手を出すかもしれなかった。
どうしても、頭を過るのは嫌な結果ばかり。沖田は全ての考えを払いのけるように頭を振ると、辿り着いた座敷の襖を勢い良く開いた。
「只今、戻りました――」
「鴨しゃん、ぎゅー!!」
「――――え?」
聞き慣れた声が耳元で響いたかと思うと、目の前に飛び込んできたのは想像を遥かに超えた光景だった。
胡座を掻いた芹沢に、雛乃は全力で抱き付き頬を擦り寄せている。しかも自ら進んで、だ。
頬を赤らめ幸せそうに笑う雛乃は、先程と様子が違うように思える。凛としたいつもの表情は消え、無邪気と幼さだけが現れていた。
一体、何がどうなっているのか。
座敷に辿り着いたばかりの沖田は雛乃の行動を理解出来ずにいる。誰でもいい。このような状況になった訳を説明して欲しかった。




