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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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時を越えて【参】

刀を雛乃の首筋に当てた浪人は意外そうに、目を細める。


「……驚いた。身動ぎ一つしないんだな。刀を向ければ、泣き叫ぶかと思ったんだが」


「見括らないでもらえます? 暴力で、何でも出来ると思ったら大間違いですよ」


笑顔を張り付けたまま、雛乃はそう答えるが、内心冷や冷やしていた。刀を向けられた事で心臓は跳ね上がり、握り締められた掌にはじっとりと汗が滲んでいる。


彼の放つ殺気は紛れもない本物で。今までの経験にはない恐怖が雛乃の心にじっとりと絡みついていた。


そんな雛乃の表情を窺いながら、浪人は何かを考えるように無造作に伸びた不精髭を撫でる。そして一つ息を吐いた。


「よし。なら、これは?」


口元の笑みを更に深くして、浪人は刀を素早く引き戻した後、それを再び雛乃に向けた。


しかし、それは先程のとは比べものにならない程素早く、一瞬にして、雛乃の腹部へと――――



「キャアアァァ!!!!」



誰かの悲鳴が響く中、ひらひらと舞い落ちたのは雛乃の長い黒髪が、数本。

そして、頬と左腕に赤い線が刻まれ、雛乃の表情からは笑顔が完全に消えていた。


「ッ、いっ……た……」


小柄な体型が幸いして、紙一重で避ける事が出来たが、あと少しでも遅ければ腹部は貫かれていただろう。

血が滲み出る腕の傷を押さえながら、息を吐く雛乃を一瞥し浪人は首を捻る。


「あーあ、残念。惜しかったなぁ」


心底残念そうに、表情を曇らせる不精髭の浪人に雛乃は声を張り上げた。


「ち、ちょ、何なの!? いきなり! し、死ぬかと思ったじゃない!!」


息を荒くし、自分を睨む雛乃を見て不精髭を生やした浪人は声を上げて笑う。


「おー、そうそう。そんな風に話せよ。敬語とかさぁ、堅っ苦しくて嫌いなんだわ」


刀を肩にトントンと当てて、独特な笑い方をする浪人に雛乃は眉間に皺を寄せていく。


「ちょっと待って。もしかして、その為だけに怪我させたの?」


「おう、悪いか?」


何とも自己中的な言い分に、怒りを通り越して呆れてしまう。


(……先程までの、緊張感は何? 私、なんで怪我しなきゃなんなかったの? 何なの、この夢……)


雛乃の心の声を知る由もなく、不精髭の浪人は、ただただ楽しげに笑っていた。


「面白いなぁ、お前。チビのくせに」


「っ、チビは言わないでっ! 貴方だって何よ、その不精髭!!」


「あん? こりゃ、俺の素敵な特徴だ。良い生え具合だろ?」


「うん、かなり胡散臭い」


「ほーう。言うじゃねぇか」


緊迫した空気は無くなり、もはや雑談と化している二人のやり取りに皆、唖然としていた。

不精髭の浪人の仲間でさえ、目が点になってこの状況を見ている。


不精髭の浪人はククッと笑って、雛乃を見た。

自分に何の恐れも抱かず、言葉を返してくる年端も行かぬ少女。普段なら、このような童に構ったりしない。寧ろ直ぐに斬り捨てる。それなのに、何故か興味を持った自分がいた。


「……なぁ、チビ。俺と一緒に――」


「――其処で何をしている!?」


浪人の言葉を遮るように、野太い声が周囲に響く。


視線を声のした方に向けると、だんだら模様の羽織を身に纏った数人の青年達が、小走りで此方に向かって来ている。


それを見た浪人達は顔色を変え、不精髭の浪人も露骨に嫌そうに顔をしかめた。

因みに雛乃は背が低い為、様子が分からず何なんだと眉を寄せ続けている。


ただ、周りが壬生狼や、と呟いているのだけは確認出来た。


(壬生狼……あれ? どっかで、聞いたことあるような、ないような……)


眉を寄せたまま唸る雛乃を横目に、不精髭の浪人は息を吐いた。

壬生狼は直ぐ其処まで迫って来ている。少女を抱えて逃げるのは不可能ではないが、人数を考えると正直無理があるだろう。


「……あーあ、せっかく面白いモン見つけたのに。仕方ねぇか」


そう呟くと、周囲にいる仲間の浪人へ軽く目配せをする。彼らが頷くのを見て、不精髭の浪人は雛乃の腕を強く引き、自分の元へと引き寄せた。


「へっ?」


いきなりの事に雛乃は反応出来ず、浪人に背後からしっかりと抱き止められた。


「ちょっ! 何、をっ!」


「簡単に言やぁ、囮役」


慌てる雛乃に意地悪な笑みを向けて、浪人は雛乃の痛めている左腕を強く握りしめた。

次の瞬間、忘れかけていた刀傷の激しい痛みが雛乃を襲う。声も出せない程の痛みで、雛乃は苦しげに表情を歪める。


「あー、痛いよな? でも悪気はねぇんだ。こっちも命懸けなんでね」


雛乃の左腕を、血が滲む程強く握り締めたまま、彼はそう言った。

その表情は先程の、刀を向けた時の瞳で。雛乃は一瞬にして、肌がザワリと粟立った。


雛乃はギュッと掌を握り、何とか正気を保つ。傷の痛みで何も考えられなくなりそうだが、そんな事ばかり言ってはいられない。


(……ッ、痛みで上手く頭が回らないよ。でも、とにかくコイツを逃がしちゃ駄目だよね……)


痛みで眉間に皺を刻み続けながら、前方に視線を移すと浅葱色の羽織を纏う青年が、直ぐ近くまで迫っていた。その手には一本の刀が握られている。


青年が身動きを封じるよう浪人に向けて、刀を振り降ろしたその時だった。

不精髭の浪人が雛乃の腕から手を離し、軽く彼女の身体を前へと押した。


抗議をする間もなく、背中を押され前へと倒れた雛乃だが、顔面には銀色に光る刃。このまま行けば、確実に串刺し状態だ。


慌てて、足に力を入れ動きを止めようとするものの、出血のせいか力が出ず、重力のまま向かっていく。


(……ああ! き、斬られちゃう!)


そう覚悟して、雛乃は目を瞑った。


だが、幾ら待っても痛みはこなかった。痛みどころか、転倒した感覚もない。

様々な疑問を持ちながら、雛乃は恐る恐る目を開けた。


すると、其処には目前まで迫っていた青年が刀を下ろし、腰を屈め自分をしっかり抱き止めていた。

自分を見つめる雛乃の視線に気付いたのか、青年は怖がらせないように、表情を和らげ目元を緩めた。


「ああ、大丈夫か? 怖かったよな?」


「え、えと……?」


状況を未だに理解出来ないのか、雛乃は首を捻りっぱなしだ。


(えーと、何が何だか……、私は斬られかけそうになったけど、助かったって事かな……。あっ! あいつは!?)


ようやく、事の次第が分かった雛乃は、自分を盾にして逃げようとした不精髭の浪人の事を思い出した。


「あのっ! あの人は……」


そう言い掛けて、止まる。

何故なら、痛い程の殺気が横から流れてきていたからだ。


不精髭の浪人は、にこにこと笑みを称えた着流し姿の青年――沖田と刀を交えていた。

カキン、と交じり合う金属音にその場の空気が張り詰める。


「……おいおい。背後から現れるたぁ、ちょいと卑怯じゃねぇか?」


「幼い彼女を盾にして、逃げようとする貴方の方が、かなり卑怯ですよ?」


ですよねぇ、永倉さん?と沖田は、雛乃を抱き寄せている青年に同意を求める。

それに青年は息を吐いて半ば呆れたように、沖田を見た。


「総司、いいから早く捕縛しろ。怪我人がいるんだから」


「はいはーい」

 

沖田は何処か不服そうに、つまらないなぁと呟いて不精髭の浪人を見た。


「そういう訳でして、大人しく捕まってくれません?」


「はい、そうですかって簡単に頷くかよ。ばあか」


ニッと挑発的な笑みを浮かべ、浪人は力を込めて交えていた沖田の剣先を弾く。

弾かれた事に一瞬驚きの表情を見せるが、直ぐ様沖田は次の一撃を彼に振り下ろした。


「逃がしません!」


「そりゃ、無理だな。何故なら――」


沖田の刀を紙一重で避け、不精髭の青年は懐から何かを取り出し、それを地面に投げる。


「俺は、完璧に逃げ切るからだ」


投げ落とされたのは、小さな筒。


沖田が舌打ちするのと、浪人が口端を吊り上げるのはほぼ同時。次の瞬間、辺り一帯は煙幕に覆われ何も見えない、白い世界へと姿を変えた。


近くに居た浪人達の気配が遠ざかるのを察知し、沖田は声を上げる。


「っ、永倉さん!」


「分かってる。皆、周囲に散れ!  奴等はそう遠くにはいけないはずだ。急げ!」


永倉の指示を受け、視界が遮られる白煙の中を何人かの青年達が走っていく。

それを見送り、永倉は自然と近くに佇む沖田へ視線を向けた。


「お前は、追わないのか?」


「えぇ、非番ですから」


刀を収めながらニッコリと笑う沖田に、永倉は言葉を失いかける。


「あはは、大丈夫ですよ。一応、原田さんと平助がいますから。私の代わりに働いてくれるでしょうし」


「……そうかよ」


色々と突っ込み所が満載なのだが、敢えて何も言わず永倉は溜息だけを返す。

そんな沖田に、永倉の腕の中にいる雛乃も呆然としていた。


(……うわぁ、素晴らしい性格してるよね、この人。顔は凄く綺麗なのに……)


雛乃の視線に気付いたのか沖田は、にこりと微笑み雛乃に声を掛ける。


「色々と大変でしたねぇ。大丈夫ですか?」


「は、はい……。あの――っ」


答えようとして、雛乃は視界が揺れたのに気付いた。グラグラと地震のように、頭が揺れ、凄く瞼が重い。

次第にぼやけていく視界に、耐えようと目を擦るが効果はなく。それどころか、眠気は強くなっていた。


(駄目、瞼を閉じちゃ……。聞きたい事が、ある……の、に……)


ずっと耐えていた痛みが限界に達し、雛乃の意識はそこでプツリと途切れた。


沖田が雛乃の返事がないことに眉を寄せ、首を傾げた時、カクンと雛乃の力が抜けた。

自分に体重を乗せたまま、目を閉じた雛乃に、永倉は慌てて雛乃の身体を揺する。


「っ! おい、大丈夫か!?」


何度か揺するが、反応はない。

だが、体温があり呼吸がちゃんと聞こえてくる事から、息絶えた訳ではなさそうだ。


「あらら。気を失っちゃいましたねぇ。まぁ、この出血量ですから仕方ありませんか」


「総司、何を呑気な……。とにかく! 手当てをしねぇと。このままだとほんとに死んじまう。急いで屯所に帰るぞ」


「はいはい」


永倉は持っていた手拭いを引き裂くと、それを雛乃の傷口に当て止血する。そして彼女を背中に背負い立ち上がった。


そんな彼の後ろに付いて、沖田も歩き出す。

周囲に残っていた青年――隊士達に何か話している永倉を余所にに沖田は、ふわぁと欠伸をした。


辺りはまだ霞がかったように白い靄に覆われている。

それに目を細めながら、永倉の背中にいる小さな彼女を見て息を吐く。


「……色々と、面倒臭そうですねぇ……」


そう呟くものの、表情はとびきり良い笑顔で。何処か、楽しんでいるようにも見えた。

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