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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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青天の霹靂【弐】

目指すは人が集まっていそうな甘味処。土方に頼まれていた筆と硯は沖田が見付かってから、買う事にした。


目的地が決まった所で、藤堂と雛乃は再び歩き始める。が、ある人物が視界に入り雛乃の足は止まってしまった。


「……あれ?」


見間違いかと振り返って見てみるが、見間違いではないらしい。不機嫌そうな雰囲気を醸し出す青年――新見が其処にいた。

疲れ切った表情を浮かべ、何かを手に掴んでいる。


「雛乃? どうしたの?」


先を歩いていた藤堂が、雛乃が止まっている事に気付き、雛乃の元へと駆け寄って来た。雛乃は藤堂に視線を向けると、相手に気付かれない程度に指先をその人物へと伸ばす。


「平助君。んと、あそこに新見さんがいるんだけど……」


雛乃が指差した方には二人の青年の姿。一人は新見。もう一人は濃い色の着物をだらしなく着込んでいる。新見はその青年を引き摺るように歩いていた。

新見が苛立っているのに対し、青年はそれを気にする事なく、へらへらと笑みを浮かべている。


襟首を掴まれ、砂利の豊富な地面を延々引き摺られているというのに、何故笑っていられるのだろう。身体は痛くないのだろうか。


「新見さんは分かるんだけど、一緒にいる人、引き摺られてる人は誰なのかなって思って」


見覚えないんだよね、と疑問を口にする雛乃に藤堂は合点が行ったような表情を浮かべると、小さく頭を掻いた。


「……ああ、アイツかぁ。そっか、雛乃は会った事なかったんだっけ。アイツは佐伯。佐伯又三郎っつー奴。一応、浪士組の一員」


「佐伯さん?」


「うん。夜はよく出歩いてるし、屯所にいたとしても稽古しないで、昼寝ばっかしてるからさ。雛乃が知らなかったのも無理ないよ」


「……そうなんだ」


藤堂の話を聞きながら、雛乃は心が騒めくのを感じていた。


――佐伯。その名前には心当たりがある。史実にも名を残している、長州側の間者――


だというのに、佐伯に対する記述は少なく資料も殆ど無いに等しい。どんな人物だったのかさえ不明だった。


佐伯について有名な事件と言えば、佐々木愛次郎を斬殺し恋仲のあぐりを手籠めにした事――


だが、今の浪士組に佐々木愛次郎なる人物はいなかった。それに似た者がいるかと言えばそうでもない。つまり、佐伯が殺すであろう人物がいない事になる。


(史実と違う部分がある……。佐伯さんは実在しているのに、佐々木さんは実在していない……?)


現代にある史実が全て真実とは限らない。改ざんされた史実も多々あるだろう。それは雛乃も理解出来る。出来るが、この事実は素直に受け入れ難いものだった。


佐々木という存在は作られたものなのか、それとも何か別の理由があるのか。


そもそも、あの事件は何を意味していたのか――


「……多分、新見さんにあんな風にされてるのは、また何か為出かしたからだと思う。よく、佐伯が新見さんに怒鳴られてるの見掛けるからさ」


雛乃が藤堂の声にハッと我に返り、視線を新見達へ戻すと二人はいつの間にか視界から消えていた。


ざわざわと騒めく人混みの中に消えていった新見と佐伯の姿を見つめ、雛乃は微かに眉を寄せる。


先日感じた殺気の気配、それと似たような雰囲気を佐伯は持っていなかったか。


緊張感のない笑顔を浮かべていた佐伯に、殺気は全く感じられなかった。だが、違和感を感じたのも事実。


史実の歪みに関するものなのだろうか。拭い切れない不安に、雛乃が視線を足元へと落とした時だった。


「あー、あの、さ。気になるだろうけど、あの二人の事は放って置いていいよ。何かあれば、ちゃんと対応出来るよう土方さんが手配してると思うから。だから、大丈夫」


藤堂は雛乃の頭を優しく叩くと、そう口にした。


恐らく、不安そうにしている雛乃を見ての配慮だろう。心に響く“大丈夫”の言葉。

然り気ない藤堂の優しさに雛乃は安堵し、笑みを溢す。


「……そうだね。今は、総司さんを見つける事が優先事項だもんね」


雛乃は感じ取った違和感を消し去るように、頭を軽く振ると藤堂に向き直った。


「じゃあ、捜索を急ごう? 早く見つけて帰らないと土方さんの雷が落ちちゃうかもしれないから」


「はっ? それ本当!? やべぇ、急がねぇと夕飯抜きも有り得るかもしんねぇ!!」


市中の大通りを急ぎ足で歩いて行く、二人の男女――










その姿を、佐伯の瞳はしっかりと捉えていた。


視界から消えても尚、あの表情はしっかりと目に焼き付いている。何とも言えない感情が沸き上がり、新見に引き摺られながらも佐伯は笑い声を上げた。


「あはははっ。あー、ホント若いって良いよねぇ。無邪気というか、汚れてないというかさぁ」


「黙れ、佐伯。少しは反省しろ。貴様のせいでどれだけ此方に迷惑掛かってるか、分かってるのか?」


襟首に加わる力と共に鋭い視線を感じたが、佐伯はそれに動じる事もなく、腕を組み眉を寄せた。


「あれぇ? 俺、なんかした? 全く身に覚えがないんだけど」


「……良い度胸してるな」


カキン、と鯉口を切る音が聞こえ佐伯は更に笑みを深くする。


「冗談冗談。相変わらず短気だねぇ。だってさぁ、あっちにも問題あんの。俺は殺りたい奴しか殺りたくないのに、依頼はどうでも良いのばっか寄越して来るからさぁ。やる気ないんだって」


「それが貴様の仕事だろうが。割り切ってやれ」


新見はそう言うと、愚痴をぼやく佐伯の頭に拳骨を落とした。これには流石の佐伯も痛かったようで、頭を押さえ苦悶の表情を浮かべている。


「新見局長ー、暴力反対ー!」


「言う事を聞かん、貴様が悪い」


痛い痛い、と喚く佐伯を無視し、新見はとある商家の暖簾を潜った。


新見は店の主人に事情を説明し、ある人物と取り次いで貰う。見た目、此処は何処にでもある普通の商家のようだが、その内部は複雑に絡んでいる。


一通り決められた会話を繰り返すと、店の主人は新見と佐伯を普段は客の立ち入らない奥の間へと案内された。


薄暗く灯りも少ない長い廊下を抜けると、立派な造りの小さな庭が姿を見せる。その庭を通り過ぎ、右折すると目的地である座敷がそこに居を構えていた。


店の主人が断りを入れ襖を開けると、そこには一琉が座敷の真ん中で気持ち良さそうに寝転んでいた。肘を立てて寝ていた事から、軽い仮眠を取っていたのかもしれない。


一琉は気怠そうな息を吐き出し、新見を睨み付ける。


「……遅ぇよ。約束の刻限は既に過ぎてんじゃねぇか」


一琉はその身分故に多忙な日々を送っていた。朝廷や幕府、働き掛ける先は様々で、時に京の経済界も担う事もある。裏の仕事も増える一方で、身体が休まる日は殆どない。


それに此処数日、朝廷内部の動きに目を光らせていた為神経をすり減らし、ほとほと疲れ果てていた。


「今日もまた参内する事になってんだよ。あと四半刻しても来ないようだったら、八つ裂きにしてやろうと思ってた」


「……あのな、文句ならコイツに言ってくれ。なかなか捕まらず苦労したんだ」


苦虫を噛み潰した表情のまま、新見は自分の背後にいた佐伯の襟首を掴み、一琉の前へと引き摺り出す。乱暴に畳へと叩き付けられたというのに、佐伯はいつもの笑みを浮かべていた。


「おお、藤森の旦那ー。久しぶりだねぇ。んで? 何か用?」


佐伯は一琉に向かって片手をヒラヒラと振り、何もなかったように挨拶をした。新見に引き摺られ、ボロボロに裂けた袴に目を向けるも、どうでも良さそうに汚れを払うだけである。


「……相変わらず良い性格してんな、お前」


状況を理解しているのか、していないのか。笑顔によりは細められた瞳には何も映らず、行動はいつも読めない。どんな状況下でも、その調子を崩そうとはしない佐伯に呆れを通り越して、感心しそうになる。


一琉は深々と息を吐き、身体を起こすと胡座を掻いた。


「呼び出された原因、当ててみろ」


「……もしかしてさぁ、こないだ殺っちゃった浪人達の事?」


「分かってんじゃねーか」


これだから佐伯は侮れない。この隠れ宿に連れて来られた時点で、どうなるか分かっているにも関わらず素知らぬ振りを決め込む。


佐伯は馬鹿なように見えて、実は頭の回転は人一倍早い。剣客としての腕も十分過ぎる程に備わっていた。


剣と共に生きる。それは武士ならば誰もが思う信念だろう。佐伯の場合はその信念と本能のままに行動する。そこに理性や倫理などは存在しない。


まるで、人格を持った刀そのもの。扱いが非常に難しい人物と言える。


「佐伯、奴等が長州の出だって事は知ってたか?」


「いいや? 単に俺の邪魔してきたから斬っただけだし。なーんだ、アイツら長人だったんだ。道理で気性が荒かった訳だ」


他人事のように楽しげに語る佐伯に、一琉は頭痛を覚えた。どんな状況でも佐伯は楽しむだけ。苦労するのは全て此方である。


次第に重くなる頭の痛みを少しでも和らげる為、額に手を当てると一琉は息を吐いた。


佐伯には人を思いやるという節が見られない。人を嘲り笑い、叩き落とし絶望を見るのが何よりも楽しく、そして誰よりも斬り合いを好む――


技を磨き、修羅の道に走るのならそれでも良い。だが、今の佐伯は間者という立場。長州という飼い主に繋がれた犬だ。勝手な行動は許されなかった。

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