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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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鴨と雛と梅の花【拾壱】

傲慢そうな見た目とは違い、目を細め雛乃を見て笑うその姿はとても穏やかで、市中の何処にでもいそうな男性に見える。

とても、史実に書かれてある粗暴で冷酷な人間には見えなかった。


壬生浪士組の汚点とも言われる、芹沢鴨。ただえさえ京の人々によく思われていない浪士組。その浪士組の悪評を広げているのは彼だと言っても、過言ではない。


事実、豪商らに対する金品無心が甚だしかった。近藤・土方の両名が頭を悩ませ続けているのも頷ける。


だが、今日の芹沢を見ているとあの行動にも、何かの意図があるのではないか。そう思えてならなかった。


「芹沢さんは何故、顔に泥を塗るような行為を繰り返しているんです……?」


気付けば、口がそう動いていた。雛乃が慌てて手で押さえるが既に時遅く、その声は芹沢にしっかりと届いていた。


芹沢は笑みを消し、扇子を閉じると小さく息を吐く。


「……何故だと思うか?」


激昂する事もなく、話を逸らす事もなく、芹沢は逆に問い掛けてきた。


何度も何度も、問い返されているが芹沢の質問は骨が折れる。それに加え、飄々としていて真意も上手く読み取れない。


だが、今回は確信に近い何かがあった。着物の袖部分を小さく握り締めると、雛乃は芹沢を真っ直ぐに見つめる。


「周囲に組の存在を知らせる為、ですか?」


揺るがない強い瞳。怯むことなく自分を見つめてくる雛乃に、芹沢は笑みを溢した。


「……さてな。儂は儂の思うように行動してるに過ぎん。自分の衝動のまま、何かの為とは筋違いよ」


雛乃から目を離し、芹沢は庭先の方へと視線を移す。その表情はいつもの如く力強さを携えていた。


「理由があるとすれば、単に今を楽しんで生きているだけだ。今はいつ死ぬとも分からん動乱の時代よ。悔いを残して何になる? 一度死に掛けた身としては――」


涼やかな風が緩やかに通り抜ける。芹沢は一旦、目を閉じると広々とした青空を見上げた。


「この命を有効に使う。それだけだ」


この先の運命を知っているかのような芹沢の言葉に、雛乃は瞠目した。



(……やっぱり、芹沢さんは全て分かっていて、行動してるんだ。このまま続ければ待っているが何なのかも、知っていて……)



雛乃は徐に、芹沢の視線の先にある空を見つめる。

何処までも広がる、果てしない空。晴天の今、空は薄い藍色に染まっているのだろう。


雛乃の瞳には見えないが、それはとても澄んでいるように思えた。


「……綺麗な()()()ですね」


「ふっ、そうだな。とても良い色をしておる」


見える筈がない色なのに、綺麗だと言う雛乃を指摘する事もなく、芹沢は素直に受け止めている。そんな芹沢の優しさに雛乃は思わず笑みを溢す事しか出来ない。


話の流れからして、芹沢の行為を指摘しようと思えば出来たはず。だが、雛乃は敢えてそれをしなかった。


芹沢が選んだ道。どう進むかは芹沢自身が決める事。第三者が口を挟むべきではない。



それが、破滅の道だとしても――






◇◇◇






雛乃は斎藤と共に、八木邸を後にすると一路、前川邸への道を歩いていた。雛乃は前川邸の門を潜り抜けると、前を行く斎藤を見上げる。


「えと、あの、斎藤さん。わざわざ迎えに来て頂いて有り難うございます」


頭を下げる雛乃を一瞥し、斎藤は息を吐いた。


「……別に、礼を言われるような事ではない」


「でも、斎藤さんが迎えに来てくれなかったら、きっと私、こうして帰れなかったと思いますよ」


あの後――――


芹沢と空を見上げて他愛ない話をしていたら、なんと芹沢は酒を勧めてきたのだ。白酒は女子供にも飲める甘い酒だと分かっている。

だが、雛乃はそれに手を付ける事を躊躇っていた。酒が嫌いな訳ではない。ある理由があっての事だった。


「……下戸なのか?」


斎藤の素朴な疑問に、雛乃は首を横へと振る。


「いえ。飲める事は飲めるんです。ただ、飲んだ後の記憶が無くて……」


そう言って、頬を掻き苦笑を浮かべる雛乃は幼く、いつもの凛々しさは何処にもなかった。


そんな雛乃の姿に斎藤は思わず笑みを溢す。滅多に笑わない斎藤の笑みは貴重だが、今の雛乃がそれに気付く事はなかった。


「全然、笑い事じゃないんですよ? 家族からも、お屠蘇も駄目!って止められているぐらいなんですから」


しかし、困った事に誰も理由は教えてはくれなかった。ただ、飲酒を控えるようにと厳重注意を受けただけに過ぎない。

だからこそ腑に落ちないと、悩む羽目になっているのだが。


感情豊かに愚痴を溢し続ける雛乃。明るく笑みを絶やさない、いつもの彼女に違いないが、斎藤は雛乃のほんの僅かな変化を感じ取っていた。


「……何処か吹っ切れたように見える。何かを見出だせたのか」


斎藤の言葉に雛乃は動きをピタリと止め、斎藤を驚きの表情で見据える。


「前々から思ってたんですけど、斎藤さんって読心力でもあるんですか?」


「……単なる癖だ。昔からのな」


「癖、ですか」


なんて特殊な癖なのだろう、と雛乃は舌を巻いた。どう取り繕っても斎藤の前では嘘は通用しない。全て見通されてしまう。


(この時代の人達って、鋭い人が多いよねぇ。いや、単に私が鈍感なだけなのかな……)


雛乃は息を吐くと、頭上に広がる空を見上げた。灰色にしか映らない空だが、いつも見る空とは違って見える。


白黒の世界など見たくもなかった。嫌いでたまらなかった。だが、今はこの色にも意味があるのだと思えてくる。それは芹沢から教えてもらったこと――


「……別の視点から見る事も必要なんですよね。ようやく、私はそれを知りました」


斎藤に聞こえるか聞こえないかぐらいの声で、そう呟くと雛乃は淡く微笑んだ。飾り気のない素直な感情で笑う雛乃に、斎藤は目を疑う。


やはり何かが違う――


そう思うものの口に出す事はなく、斎藤は雛乃から目を離すだけに止まった。斎藤が屋敷内部へと視線を向けた、その時だった。


「雛乃ちゃん! 無事だったんですね!!」


バタバタと慌ただしく、足音を立てて廊下から沖田が此方に向かって駆けて来る。


沖田は手に持っていた草履を乱暴に地面へ叩き落とすとそれを履き、空を見上げ続けていた雛乃を勢い良く抱き締めた。


「ひゃうあっ!?」


「はー、この感触は間違いなく雛乃ちゃんですねぇ。怪我はしてませんか? 芹沢さんやお梅さんに変な事されませんでしたか?」


一瞬の出来事に、雛乃は咄嗟に反応出来ず沖田の腕の中にすっぽりと収まっている。身動きも上手く取れない強い腕の力に、雛乃は軽く眉を寄せた。


「あ、あの、沖田さん。私は何ともありません。だから、離して下さ――」


「雛乃ちゃんは相変わらず小さいですねぇ。可愛い可愛い」


雛乃の声は確実に聞こえているはずなのだが、沖田はそれに応える事なく、雛乃の頭を撫で続けている。


沖田に頭を撫でられ続けながら、雛乃は首を横に傾けた。


(……あれ? なんで無視されてるの? 何か癇に障る事でもしたかな……って、あ)


雛乃の脳裏に過ったのは沖田の言葉。自分を名前で呼ぶ事、自分を含む皆に敬語を使わない事――

雛乃がすっかり忘れてた、と口に手を当てて沖田を見れば、沖田はにこにこと満面の笑みを浮かべていた。


「雛乃ちゃん?」


「は、はいぃぃっ!!」


ただ名前を呼ばれただけだというのに、思わずピンと背筋を伸ばしてしまう。


「や、やっぱり……よ、呼ばなくちゃ、駄目なんですか?」


「ん? よく聞こえませんでした。もう一回言ってもらえます?」


目と鼻の先のこの距離だ。聞こえないという事は先ず有り得ないだろう。なのに、沖田は聞こえない振りを決め込んでいる。


「……総司さんの、意地悪」


頬を膨らませて、雛乃がそう呟けば沖田は思わず吹き出した。


「あはははっ。そうですか、意地悪ですか。……でも、そうさせてる原因は、他ならぬ雛乃ちゃん自身なんですよ?」


「ふぇ?」


目をしばたたかせ、理由が分からないと首を傾げる雛乃に沖田は笑みを深くする。


「今は分からないで良いですよ。今はまだ、ね」


雛乃の頭を一撫ですると、沖田は満足したのか雛乃の身体から離れた。



「まぁ、今日はこの辺で止めておきますよ。雛乃ちゃんも頑張ってくれましたしね」


頬が若干、桃色に染まっている雛乃をちらりと見て、沖田は隣にいる斎藤へと目を向ける。


「一君、土方さんからの伝言です。急いで私室に来るように、と」


「……そうか、分かった。直ぐに行く。どうせ、総司も付いて来るのだろう」


「あれ、よく分かりましたねぇ」


笑顔を崩さず、肯定の頷きを返す沖田に斎藤は息を軽く吐いた。


先程の騒動からして、沖田が勝手に抜け出す事はないだろう。確実に、土方の雷が落ちる何かを為出かしたに違いない。

その沖田が付いて来るとなれば、渦中に巻き込まれる可能性大である。


召集拒否を示したくなるが土方に非はない。目線を落とし腰にある刀に片手を当て、踵を返す。


音も立てずにその場から離れて行こうとしている斎藤を見て、沖田は声を上げた。


「あ! 一君、待って下さいよー!! じゃあ、雛乃ちゃん。また後で」


「……へっ? あ、はい!! 斎藤さんもありがとうございました」


ぺこり、と頭を下げる雛乃に手を振り返して、沖田と斎藤は雛乃の前から去って行った。


「……行っちゃった」


二人の姿が完全に見えなくなったと同時に雛乃はぽつりと呟く。

火照った身体を冷ます為にパタパタと手を動かしながら、屋敷の方へと目を向ける。


そこには、広間を出て騒ぎ続ける平隊士達と共に雑談する原田達がいた。目が合うと同時に、原田達は手を上げ大きく振る。


「雛乃ー!!」


「お前もこっち来いよー」


誘いを受けるように手を振り返し、雛乃は彼らの方へ駆けて行こうとするが、ふいに感じた気配に振り返る。


だが、そこには誰もいなかった。


(……気の所為? でも、殺気を確かに感じた……)



それは鳥肌が立つような強い殺気。今はその気配すら感じられない。生温い季節特有の風が吹いているだけだ。


不審に思いながらも、雛乃は呼び続けている原田達を待たせてはいけないと、駆けて行く。


その後ろ姿を見つめる影が一つ。


「……気配には敏感なんだねぇ」


佐伯はそうひとりごちると、刀を手にし前川邸を出て行った。





動き出す陰謀。

向けられる刃の先にあるのは、一人の少女――

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