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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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鴨と雛と梅の花【玖】

一方、天井から座敷の様子を窺っていた山崎は、更に頭を悩ませる事態になったと唇を噛み締める。


芹沢と雛乃の接触を土方は危惧していた。なのに、それを安易に許してしまった山崎の責任は重い。さて、どうするべきか。


山崎は小さく息を吐くと座敷から目を離し、暗闇の天井内部を見つめる。


(……不味い事になってしもたな。芹沢局長と一緒におるやなんて、かなり連れ戻しにくい状況やん……)


本来であれば、あの時点で止めに入るべきだっただろう。だが、山崎は監察という少々特殊な立場から、他の者と同じように安易に姿を現す訳にはいかなかった。


このまま、芹沢と雛乃の後を追い掛けるべきか、それとも一旦前川邸に戻り土方に事の次第を伝え、指示を仰ぐべきか。


正しい選択は一体、どちらなのだろうか。どちらを選んだにしろ雛乃を直ぐに連れ戻す事は出来ない。状況把握が必要になる。


一先ず此処から離れようと、山崎が腰を上げた時だった。


カタン、という物音と共に梅と話す誰かの声が聞こえてくる。

感情を表に出さない独特の口調。自分とよく似た気配を持つあの人物だと、山崎は直ぐに気付く。


音もなく身体を動かし座敷へ再び視線を向けると、そこには


――斎藤の姿があった。






◇◇◇






八木邸にある一室。其処は芹沢とお梅の部屋である。


畳に転がった幾つもの銚子。障子戸を開けば漂ってくる特有の強い匂い。それに雛乃は思わず眉を潜めてしまった。


実家で開催される社交の集まりで、多少の免疫はあるがここまで酷いと匂いだけで酔いそうになる。


息を吐いて、雛乃が視線を畳から上へと上げれば、背を向けた芹沢が座り酒を再び口にしていた。ゆっくりと味わうように飲むのではなく、盃に入れた量を一気に流し込んでいる。


(うえぇぇぇ!? あれだけ飲んでも飲み足りないの!? 一体、どんな胃袋してるのよぅぅ……)


あれは流石に飲み過ぎだと思うのだが、芹沢の飲酒を止める勇気が雛乃にはない。何より今は手が離せない状況だった。


此処に連れて来られ、芹沢に着物を整えろと言われた雛乃は、部屋の隅で着物の手直ししていた。

寸法が合わなかっただけで着崩れはそこまで酷くない。素早く直し終えると、雛乃は芹沢へ声を掛ける。


「……あの、終わりました」


「座れ」


芹沢は持っていた閉じている扇子で自身の隣を指す。どうやら其処に座れということらしい。


今の芹沢には近付きたくないが、機嫌を損ねない為にもここは素直に従うべきだろう。返事を返し、雛乃は指定された場所へと腰を下ろした。


芹沢の様子を窺うように視線を横に向ける。芹沢はまだ酒を飲み続けていた。大量の飲酒にも関わらず意識はまだはっきりとしているようだ。目にもいつもの力強さが宿っている。


雛乃は視線を戻すと、小さく息を吐いた。


(……うわぁ、まだ飲んでるし。というか何故、芹沢さんは此処に連れて来たんだろ。別にさっきの部屋でも良かったんじゃ……)


芹沢が何故自分を連れ出したのか、大方予想は着いている。恐らく出自を含む、近藤派が隠そうとしていた全てに関して尋問をされるはずだ。


先日指摘された事を含め、芹沢には全て見抜かれているような気がしてならなかった。決して逃がしはしない、と言われているようだ。


問い質すのは一向に構わない。疑われるのは慣れているし何より、芹沢の本心を知る上でも絶好の機会だ。


芹沢は何を思い、何を考えているのか。芹沢のような人物だと、日頃の生活だけではなかなか本心を掴む事が出来ない。

嫌な場面ばかりが目に付くだけだった。


沈黙が続く中、二人の間を季節特有の生温い風が部屋を通り抜けていく。緩く結んでいた雛乃の髪が、風に遊ばれはらりと落ちる。


芹沢は口に運んでいた盃を止め、口端を緩く動かすと顔を上げ雛乃へと視線を向けた。


「雛乃よ。お主は“鬼”を見た事があるか?」


「……鬼、ですか?」


思いもよらない芹沢の問い掛けに雛乃は、どう答えて良いのか分からず眉を寄せ首を横に傾ける。


「鬼って、どういう意味です? 何か意味が……」


「深く考える事はない。見た事あるのか、ないのか。それだけ答えれば良い。どうだ?」


雛乃の言葉を遮るように芹沢は自分の声を被せると、視線を下げ、盃に残っていた酒を飲み干していった。


雛乃は戸惑いを隠せずに、芹沢を呆然としていた。まさか、そのような突拍子な質問をされるとは思っていなかったからである。


鬼、と言っても解釈は人それぞれだろう。物語の鬼を連想するのか、それとも何かを鬼と例えてしまうのか。


鬼など存在しないと否定するのが一般的だろう。だがこれは、安易な質問ではない気がする。言葉の奥に隠された意味があるように思えた。


(……むー。鬼、鬼……か。芹沢さんもある意味鬼だし、土方さんもだよなぁ……。いや、それは例えの話だから、また違うか。もっと大きく言えば――)


暫く思案を続け、雛乃は一つの答えに辿り着く。それは辛い過去から学んだ事。便利に豊かになった現代での経験。


「……そうですね。ありますよ、何度か」


「ほお? して、どんな鬼に出会った?」


閉じていた扇子を開き、扇ぎ始めると芹沢は雛乃を見据えた。芹沢の視線に雛乃は微笑む。


「色々な鬼に、ですよ。人は皆、誰でも鬼になりえますから」


様々な人の事を、人は鬼に例える。勇猛な人、無慈悲な人、精魂を傾ける人――。


雛乃が出会ったのは世間の冷たい瞳。差別する大人達だった。


好きで名家に生まれた訳じゃない。好きで事件に巻き込まれた訳じゃない。なのに、世間の目は恐ろしい程に暗く、冷たかった。


生きていく、その度に人は鬼と出会う。それは逃れようのない事。


「人は時に、酷く残酷になれます。それはもう恐ろしい程に。……そうでしょう?」


「……成程な」


雛乃の答えに芹沢は何かを感じ取ったのか、そう一言呟くと空になった盃を畳へと置いた。


「雛乃、お主も並々ならぬ人生を歩んできたようだな」


芹沢の瞳は雛乃をしっかりと捉えている。雛乃は芹沢に、隠し通していた心の奥を見破られたように感じ、思わず鳥肌が立ちそうになった。


「……何故、そう思うんです?」


「何故、か。簡単な事よ」


芹沢は笑みを溢し、扇子をパチリと閉じる。閉じた扇子を畳に押し付けると、軽く息を吐いた。


「平和に育ってきた女子は鬼の事を、そう解釈はせん。夢物語だの、伝承の妖だのと笑い飛ばすわ」


それなのに雛乃は、直ぐ様鬼の意味に気付いた。人の中に潜む闇を知る者の言葉だった。


「凛々しくはあるが、脆く寂しい瞳をしておると最初から思っていた。その小さい器に、何を抱え込んでいるのかは知らんがな」


一旦、話を区切ると芹沢は雛乃から視線を外す。盃を再び手に取り酒を注いだ。


雛乃は芹沢より遥かに小さい女子である。浪士組の中である意味目立つ存在だ。だというのに、雛乃は決して弱音を吐こうとはしない。見る時見る時、いつも笑顔で楽しそうに仕事をこなしている。笑ってはいるが、それは心からの笑顔ではなく何処か陰りのある作られた笑顔――


それに一早く気付いていた芹沢は、雛乃の行動に常に目を向けていた。だからこそ、見抜けた事実。


「偽りの感情など、その場しのぎにすぎん。後になって辛くなるだけだ。それ程までして、自分を隠し続ける事に何の意味がある?」


芹沢の言葉に雛乃は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。


芹沢に自分の身辺を聞かれると思っていた。怪しい奴だと罵倒されるかもしれないと思ってもいた。

だが、実際はそうではなく目の前にいる芹沢は雛乃の隠し続けてきた本心を見抜こうとしている。


気付いたとしても、今まで誰も声を掛けて来なかった。あの沖田でさえ、遠慮がちに関わろうとしているのに。真っ正面から来たのは芹沢が始めてだった。


頑なに閉じていた心に重く響いた芹沢の声。心が騒めく始めての感覚に戸惑いを隠せない。


「そ、んなことないです。意味はあります。ちゃんと、意味は――」


「ならば何故、あの着物を見て泣きそうにしていた? 何か思う事があったのではないか?」


「っ、それは……」


あくまで隠し通そうとする雛乃に芹沢は、雛乃の声を遮り畳み掛けるように言葉を続ける。そんな芹沢の鋭い問いに、流石の雛乃も上手く切り返す事が出来ず、言葉に詰まってしまった。


恐らく、何を言っても芹沢は引こうとはしないだろう。どんな言葉を紡いでも、それは雛乃の真実ではない。隠し続ける為に、吐いていく嘘だった。


黙り込んでしまった雛乃を一瞥すると、芹沢は雛乃へ手を伸ばす。その手は雛乃の頭上に下りた。


「思う事があるのなら、素直に吐き出せ。心の内に溜めるなど、童のする事ではないわ」


芹沢はそう言って雛乃の頭を優しく撫でていく。その表情は穏やかで、今は会う事すら出来ない祖父の姿と重なる。


本家から親戚から孤立して雛乃を祖父は優しく見守ってくれていた。祖父がいたからこそ、雛乃は笑ってこられた――


「……芹沢さんは、狡いです……」


芹沢の優しい掌の温もりに身を任せ、雛乃はゆっくりと目を伏せる。


深く沈む視界。目を開けても誰も気付く事のない色彩のない世界。知らなくていい。天が与えた罰なのだから、このまま一人で良いと思っていた。


なのに、優しくされる度に、生き生きと日々を生きる隊士達を見る度に怖くなっていく。


暗く歪んだ世界――

白黒の、色彩のない世界が今は怖くてたまらない。


目線を少し上げ自分の掌を見つめるも、瞳に映る色はいつもと同じ灰白色で血の気は何処にも感じられない冷たいもの。掌を握り締めれば血が通っているという確かな温もりがある。だが、やはり色彩だけは目に映す事が出来なかった。


伝えても良いのだろうか。今まで胸に秘めてた思いを、隠してきた寂しさを此処で吐き出しても良いのだろうか。


目線を下げたまま、雛乃は小さく息を吐く。


「……芹沢さん。私、一つだけ、今すぐに手に入れたいもの、欲しいものがあるんです」


そう言った雛乃の声色は何処か震えているように思えた。それに気付きながらも芹沢は雛乃の頭を撫で続け、話を促す。


「ふむ。して、それはどんなものだ?」


芹沢は目を細め大人しく雛乃の言葉を待った。幼いと言っても雛乃は年頃の娘。欲しいものは沢山あるだろう。


だが、雛乃から出た言葉は、年頃の娘の願いを遥かに超えたものだった。

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