鴨と雛と梅の花【捌】
「……ああ、何で俺こんなとこにおるんやろ……」
光の射さない暗闇の空間で嘆く、一つの人影があった。黒装束を身に纏い、狭い空間を器用に移動し続けるその人物の表情は何処か暗い。
機嫌が悪いという訳ではなく、何故自分が駆り出されたのかという不満を抱えていた。
(……内容が内容だけに、呆れてまうんよなぁ。何やねん。尾行切り上げてあのチビを連れ戻して来いって……。副長も人使いが荒いんやから)
身体の随所に絡み着いた、蜘蛛の糸と埃を払いながら黒衣の青年、山崎は深々と息を吐く。
主から下された任務。断る事はしなかったものの、また雛乃に関する任務に携わるということに、山崎はうんざりしていた。雛乃が関わる任務はろくな事がない。山崎はこれまで数回程怪我を負っていた。
(……まぁ、芹沢派の内部状況を見るには、ええかもしれんな。副長もそれを見込んでたんやろか)
芹沢以外にも新見、佐伯といった怪しい動きを見せる人物はいる。
特に佐伯は注意すべき人物だろう。常に血の匂いを纏う佐伯を、山崎が警戒しない訳がない。
現に昨夜、佐伯は楽しむように刀を振るっていた。
何故、佐伯が外にいたのか。人を斬るに至ったのか、その理由は分からない。だが、血濡れた生活に慣れている山崎でさえ佐伯の行動には身震いを感じた。
(……ああ、嫌なモン思い出してしもた。佐伯は何考えとんのか、イマイチ分からへんしなぁ……)
佐伯に関しては、考えてもそう簡単に答えは出て来ないだろう。今は言い渡された任務を遂行するのが先決。山崎は思考を振り払うように頭を軽く振ると、目線を下げた。
八木邸の屋根裏。そこが山崎がいる場所である。雛乃と梅の動向を探る為、各部屋を物色している最中だった。
芹沢が忍びを独自に雇っているという噂もあり、屋根裏に潜むのは危険なのではないかと思っていたのだが。山崎が今見る限りそのような気配はない。
指でなぞれる程に溜まった埃もあり、人が通った形跡は何処にもなかった。
「――いやぁぁぁぁ!!」
屋敷全体に響く甲高い、聞き慣れた声が山崎の耳に届く。その声は、紛れもない雛乃のものだった。
山崎は眉間に皺を寄せると、音を立てずに屋根裏内を素早く移動する。声のする方へと近付いていくと、座敷の中の緊迫した様子も伝わってきた。
「やだ、これ以上はもう……! 離れて下さ……!!」
「アカンて。たーっぷり見て聞かせて貰わんと。なぁ?」
「やあぁっ!!」
「ふふっ。嫌がる顔もほんま可愛ええなぁ。余計、構いとうなるんよねぇ」
声だけ聞くと非常に覗き辛い状況に思える。梅の艶っぽい声が官能を擽り、山崎の眉間に皺が一つ、また一つと刻まれていった。
山崎が息を殺し恐る恐る天井板をずらし覗くと、そこには
「ふふふ。あの色もこの色もええなぁ。……あ、ほんなら次はこれでいこか」
「あうぅ……。も、無理でふ……。ほ、本当に、勘弁して下さいぃぃぃ……」
色取り取りの着物に埋もれるように、雛乃が畳に突っ伏くしているという、思わず目を疑いたくなってしまう奇妙な光景だった。
げっそりとした雛乃の表情とは違い、梅は生き生きと目を輝かせ着物選びを楽しんでいる。
拒否を示す雛乃を無視し、様々な着物を雛乃へ押し付ける梅の姿は、普段の妖艶な立ち振舞いの面影すら何処にもない。
色気は完全に断ち消え、その姿はまるで大好きな物を目にして喜ぶ子供の様だ。
二人の何とも言えない奇妙な攻防を目の当たりにした山崎に、凄まじい程の脱力感が襲う。雛乃が危険な目に合っていないという安堵もあったが、それ以上に梅の変貌が衝撃的だった。
(……アカン。マジでアカンわ。引き受けるんやなかった。あんな女から奪還するなんて無理やろ……!!)
片手を額に当て山崎は大きく項垂れた。これが組に関わる重大な任務なら悩む事はないだろう。だが、今回は内容が内容だけに出来るだけ関わりたくない。山崎の脳内は、依頼破棄の言葉がぐるぐると回り続けている。
(……俺やなくて他の人物に頼むべきやったで、副長。あの姉はんは一筋縄じゃいかへん……)
かと言って今更、前川邸に引き返せるはずもなかった。雛乃を見つけた以上、連れ帰らなければ山崎の失態となってしまう。
どうにかしてこの状況を打開しなければ。だが、思考を巡らせれば巡らせる程、良い案は浮かばない。何時も過酷な任務の方が数倍楽だと山崎が思い始めた時だった。
梅がようやく一つの着物に的を絞ったようで箪笥から取り出し、雛乃の元へと持ってくる。
「ほらほら、雛ちゃん。休んどる暇なんてないんよ? 早う着替えて仕上げんと」
着物に埋もれていた雛乃を起き上がらせ、梅は器用に雛乃の着用していた着物を脱がしていく。抵抗出来ずにされるがまま、それを眺めていた雛乃は首を横に傾けた。
「仕上げって、まさか、この姿を皆に見せる、とかじゃないですよね……?」
恐る恐る確認するように問う雛乃に、梅は笑顔で
「当たり前やん」
一言、そう返した。
次の瞬間、雛乃はどうしようもなくいたたまれなくなり、座敷から逃げ出そうと試みる。だが、梅によって見事阻止されてしまい伸ばした手が襖に届く事はなかった。
畳に座り込み、悔しそうに襖を見つめる雛乃に梅は息を吐く。
「そんなに嫌がる事ないやん。皆、喜ぶ筈やで。雛ちゃん、着物よう似合うとるし」
「いやいや、着物は良くても私が駄目なんですよ! 絶対小さいから着物に負けちゃいます……。ああ、どうしよう……」
雛乃は胸元の着物を摘みながら深々と息を吐いた。
確かに雛乃は年齢の割に小柄だ。梅との身長差は頭一つ分以上ある。今、雛乃の足元に散らばる着物は全て梅のものだ。色は鮮やかなものばかりで勿論、寸法も合っていない。
ぶかぶかな着物を纏う雛乃は着ているというより、着せられているように見える。雛乃が落ち込むのも無理はなかった。
「これはこれで、可愛ええと思うんやけどねぇ」
梅が見る限り、雛乃の着物姿はそれ程可笑しくはない。確かに幼くは見えるが、それも雛乃の個性、雛乃らしくて良いのではないかと梅は思っている。
だが、雛乃にとって体型の問題は重大な事のようで、梅が何を言っても駄目駄目、と首を横に振り続けていた。
梅は暫く雛乃を見つめていたが、何かを思い付いたように手を叩き、畳に置いていた物へと手を伸ばした。
「ほんなら、やっぱりこの着物がええやろ。ウチには合わへん思て、しまっとったモンなんやけど」
そう言って梅が雛乃に差し出したのは淡い色の、先程より丈の短い着物。小さい花弁が全体に、無数に散りばめられている素朴なものだった。
雛乃の目には白黒にしか映らない。だが、今までの色合いとは違う優しさを感じた着物に、雛乃の頬は思わず緩む。
「……可愛い」
「ふふっ。せやろ? ウチには似合わへん色の小袖やから、どないしようと思っとったんよ。雛ちゃん、これ着てみてや」
差し出された着物と梅を交互に見て、雛乃は戸惑いを浮かべた。確かに着たいという願望はある。だが、雛乃には体格とは別に素直に着られない理由があった。
「……私が着て、本当に良いのかな……」
「勿論や! この色やったら雛ちゃんによう似合うし、着物も使てもろて喜ぶはずやしなぁ」
雛乃の呟きを聴き止めた梅は声高らかに、そう断言した。
しかし、雛乃の表情は浮かないまま。やはり着物を着るのが嫌なのだろうか。梅が問い掛ければ、雛乃は違うと首を横に振る。
雛乃にとって苦痛なのは色彩が見えない事だ。全て白と黒で彩られた世界に染まっている。この色が似合う、と言われても安易に頷きを返せない。
着物は見た目の美しさや色合いも重要だというのに雛乃には、その必要なはずの色が何も映らなかった。
梅に差し出された着物もどんな色をしてるのか気になるが、それを梅に尋ねる勇気もなく。
雛乃は自分の異質さを改めて思い知り、自己嫌悪に陥ってしまう。
何とも言えない重苦しい雰囲気に耐え切れず、梅が再び口を開こうとした時――
「お梅、良いか」
襖が開き芹沢が姿を見せた。
座敷へと足を踏み入れる芹沢の顔は何処となく赤い。吐く息と共に漂ってくる匂いから、芹沢は酔っているのだと容易に想像出来た。
「芹沢はん? どないしはったん?」
梅の問い掛けに芹沢は扇子を扇ぐだけで何も答えない。扇子を扇ぎながら俯いている雛乃を見つけると目を細めパチン、と扇子を閉じた。
「すまぬが、お梅。こいつを連れて行くぞ」
「は? まだ着替え済んでへん……って、芹沢はん!!」
梅の制止を聞く事なく、芹沢は雛乃を軽々と持ち上げ担ぐ。雛乃の身体は、軽く掛けていただけの小袖を落とし、芹沢の肩へと運ばれていた。
「ふぇ?」
情けない声を上げた雛乃は、何が起きたのか分からないようで何度も目をしばたたかせている。梅の戸惑いの声と、間近にある芹沢の顔。どう考えても行き着く答えは一つしかない。
(……えーと、私は米俵みたいに担がれてる? しかも芹沢さんに? ちょっと、何で!?)
現状をようやく把握した雛乃の思考回路は、完全に混乱していた。先程悩んでいた事も空の彼方へと飛び去り、今はこの状況をどうやって打開するか。それしか頭にない。
「せっ、芹沢さん! 降ろして、」
芹沢は雛乃の声も無視して歩き出す。
雛乃が声を高らかに上げても、芹沢は全く怯まない。むしろ雛乃の反応を楽しんでいるようだった。雛乃の身体を上手く担ぎ、芹沢は私室へと足を進めていく。
機嫌の良い芹沢と表情を曇らせている雛乃。そんな二人の姿を手を振り見送っていた梅は、何かを思い出すように目を細めた。
酒に酔っている芹沢はいつもと違う。だが、決して酔い潰れている訳ではない。芹沢は理由あって、あのような横暴な態度を取っているに過ぎないのだ。
「……なんやかんや言うて、似とるもんなぁ。あの二人は」
本心を隠し、偽りの自分と生きている。自分が辛いだけなのに決して止めようとはしない。
それが選んだ道だから、と。
梅は微かに笑みを溢すと、散らかっている座敷の畳に目を移し、着物の整理をし始めた。




