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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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鴨と雛と梅の花【漆】

斎藤は一人、広間へと続く廊下を歩いていた。土方に頼まれていた仕事の報告へと向かう為である。


本来なら土方の私室へと向かうべきなのだが、今の刻限では私室に土方はいないだろう。

隊士の殆どは広間で朝餉を食しており、土方もそこにいるはずだ。


軋む廊下を歩きながら、斎藤はふと目線を横へと移す。視線の先には此方に近付いてくる青年がいた。斎藤は青年を視界に入れると微かに目を細める。


その人物は眠そうに大きな欠伸をかいた後、乱れた髪を掻き上げ斎藤に笑い掛けた。


「斎藤かぁ。何、今広間に向かってんの?」


「……ああ」


ふぅん、と頷きを返すと青年は草履を脱ぎ廊下に腰を降ろす。


「俺も、飯まだなんだよねぇ。さっきまでぐーすか、あっちで寝てたからさぁ」


青年が示した場所は庭にある草むら。そこには、人が一人座っていたであろう凹みが出来ていた。

あんな場所で熟睡していたのかと、斎藤は呆れたような視線を青年に向ける。


青年の名は佐伯又三郎(さえき またさぶろう)。斎藤と時を同じくして壬生浪士組に入った浪人だ。年齢不詳、生まれは江戸らしいが定かではない。


飄々とした態度で周りを翻弄し、自由気儘な行動を繰り返している佐伯は組内のはぐれ者だった。


土方らが考慮している内通者、あるいは間者の可能性が一番高いのも佐伯である。

斎藤自身、余り佐伯にあまり関わりたくないと思うが、組に仇なす者を野放しにしておく訳にはいかず、斎藤は組内で佐伯の動向を探るようになっていた。


「……佐伯、また誰か斬ったのか」


佐伯の着物は上下黒い。その着物に染みのような斑点が幾つも出来ている。斎藤はそれが直ぐに血痕だと分かった。そして、それが佐伯のものでない事も瞬時に見抜いていた。


斎藤の指摘に佐伯は薄く笑みを溢す。


「ああ、これね。ちょーっと浪人に、夜道で襲われたからさぁ」


悪怯れる事なく佐伯はあっさりと染みを血痕だと認める。その表情は何処か楽しげだった。


斎藤は佐伯の態度に眉をひそめた。人を斬る、その事が駄目な訳ではない。命の危険に晒されれば刀を抜き、応戦するのは道理だろう。武士ならば当然の対応だ。


だが、佐伯の場合本当に防衛で斬ったのか怪しい。命を軽視する、人を斬る事を楽しんでいる節が多々あったからだ。


斎藤の視線に気付き、佐伯は首を横に傾けた。


「んー、何? その顔? もしかして俺が故意に殺ったとか思ってる訳?」


「……違うのか」


「違う違う。これは()()()襲われたヤツなんだよねぇ。あはは、まさかこの俺に斬られるとは思わなかったんだろうなぁ。アイツらの驚いた顔、本当に凄かったんだから」


そう言って佐伯は当時の状況を思い出したのか、くつくつと喉を鳴らす。その表情は至極嬉しそうだ。


佐伯は変わった奴、というより狂っていると言った方が良いのかもしれない。戦闘狂と言う言葉がよく似合う男だと斎藤は思う。

だからこそ、彼を警戒しなければならないのだが。


斎藤は小さく息を吐くと、これ以上話す事は何もないと言わんばかりに、佐伯に背を向ける。それを黙って見送っていた佐伯は徐に口を開いた。


「なぁ、斎藤。また、今度手合わせしようぜぇ。斎藤となら本気出せそうだし」


佐伯の言葉に斎藤は足を止める。何かを考えるように間を置いて口を開いた。


「……そう言いつつ、お前は何度も稽古をサボっているだろう」


「ありゃ? そうだったっけ?」


陽気に笑う佐伯を肩越しに見て、斎藤は再び歩き出す。佐伯が何やらまだ喚いているがそれに応える事無く、足を進めた。


斎藤の姿が見えなくなると、佐伯は再び欠伸をかいて廊下へと寝そべる。


「斎藤とは、真剣で斬り合ってみたいなぁ」


ごろりと寝返りを打ち、広間がある方へと視線を向ける。広間から騒がしい声が響いてくる中、佐伯は口端を緩く吊り上げた。


「まぁ、刀を交える日は近いだろうけどねぇ」


佐伯は一体、何を企んでいるのか。それを知る者はまだ誰もいない――





◇◇◇








――カラリ、と障子戸が開く。


斎藤が広間に足を踏み入れるとそこはいつもの広間ではなかった。


朝餉の雰囲気に似合わない淀んだ空気が広間に漂っている。何事かと斎藤が視線を横へと動かすと、何やら口論している二人の姿が目についた。


「だーかーらー、仕方なかったんですって。 あの場では見送る事が一番の最善策だったんですよ」


「だが、それが結局、芹沢の読み通りになっちまったんだろうが。違うか?」


「そりゃ……違い、ませんけど……」


不満そうに渋々頷く沖田に土方は盛大にため息を吐いた。

然も自分の失態だと言わんばかりの土方の態度に、沖田は思わず口を開く。


「土方さんは()()お梅さんを見ていないから、そんな事が言えるんですよ。あれを見たら、誰でも同じような反応しますって」


多少の事では沖田も動揺しない方だ。そんな沖田が身動きが取れない程の衝撃が梅の暴走にはあった。恐らく誰が見ても、あの変化には付いていけないだろう。


「はっ、どうだかな」


土方は鼻で笑うと、袂から煙管を取り出し口にくわえる。それを黙って眺めていた沖田は微かに口端を上げた。


「……まぁ、仕方ありませんよねぇ。土方さんは元々心根が腐ってますから。豊玉の部分は別として、ね」


思わぬ沖田の言葉に、火を着けようとしていた土方は手元を狂わせ、胡座を掻いていた自分の太股へと火種を落としてしまう。


ジュッと焼けるような痛みを感じ、土方は声にならない悲鳴を上げ畳に拳を強く叩きつけた。着物は焦げてしまったが皮膚に損傷はないようだ。安堵の息を吐いた土方の元に、耳障りな声が響く。


それは沖田の笑い声だった。周りの隊士が静まる中、沖田だけは肩を震わせ笑っている。それが見事に土方の勘に障った。


「総司、てめぇ……!!」


掴み掛かろうとする土方の腕をひらりと躱すと、沖田は近くにいた近藤の後ろに急いで隠れる。近藤を盾にする沖田のいつものやり方に土方は舌打ちし、沖田を睨み付けた。


沖田は土方の鋭い視線に臆する事なく、ニヤニヤと意味ありげな笑みを浮かべている。それがまた、土方の眉間に皺が一つまた一つと刻まれていく原因なのだが。


そんな二人に挟まれ、不穏な空気に呑まれ掛けているというのに、状況を上手く把握出来ていない人物が約一名いた。


――局長の近藤である。


早朝、屯所に帰ってきたばかりの近藤は先日までの酒がまだ抜けきっておらず、いつも以上に機嫌が良い。だからだろうか。土方の殺気をやんわりと押し退け、朗らかに笑っていた。


「どうしたんだ、歳。そんなに声を荒立てて。総司が何かしたのか?」


「そうですよ。一体、何がどうしたんですか、土方さん。酷く動揺してたみたいですけど?」


近藤に賛同するように言葉を並べる沖田だが、端々に刺が幾つも見られる。この状況を沖田は、危惧するでもなく非常に面白がっている事が傍観している隊士達にもよく分かった。


土方の身体がゆらり、と動く。


隊士達が耳を押さえる間もなく、土方の怒号が広間に響き渡った。


「……あーあ、またかよ。総司の奴懲りねぇなぁ」


「この場合、どっちもどっちだと思うけどね。あ、左之さんそこの膳取って」


「おう。なぁ、新八。どっちが勝つか賭けねぇか?」


「……左之が巻き込まれて自爆するに一文、だな」


「あ、それ。俺も乗った」


凄まじい勢いで繰り広げられる沖田と土方の攻防に青ざめる平隊士達に対し、平然としているのは試衛館の時から土方らと共にいる幹部の面々だ。


下手に手を出せば、確実に巻き添えを食らう事を知っているからこそ、彼らは傍観に徹していた。


「……一体、何があってこうなったんです?」


今のこの状況を何となく理解した斎藤は、出入口近くにいた井上に詳しい経緯を尋ねる。井上は斎藤の問いに、緩く首を横に傾けた。


「いやぁ、私も詳しくは知らないんだが……。どうやら、雛ちゃんが拉致されたらしくてね」


「拉致?」


「ああ、お梅さんが八木邸へ連れ込んだらしいんだ」


雛乃は沖田達の目の前で連れ去られてしまったのだという。連れ去ったのは芹沢の愛妾、梅。梅は可愛いものを好むらしく、雛乃を一目で気に入り今回の騒動を起こしたようである。


「総司曰く、あの時のお梅さんは色んな意味で物凄く怖かったらしい」


そう言って苦笑を浮かべる井上も、何処となく困惑していた。


日頃の梅を知る者ならば、そのような反応をしてしまうのは当然だろう。斎藤は無表情のままだが、決して驚いていない訳ではない。


今回の件に事件性が無いのは一先ず良いとしよう。だが、問題は連れ込まれた場所である。


「……芹沢局長は」


「八木邸にいるようだよ。今頃は朝餉でも食べてるんじゃないかい?」


井上の答えに頷き斎藤は小さく息を吐いた。


雛乃の出自が芹沢に露呈する事――。恐らく、土方が一番危惧しているのはその事だと思われる。

芹沢は雛乃が先の時代から来た事は疎か、雛乃が藤森の血を引く事も一切知らなかった。


――否、知らない筈と言った方が正しいかもしれない。


土方は雛乃の出自を詳しく伝えなかったというのに、それをすんなり受け入れた芹沢に対し疑問も感じていた。


芹沢は筆頭局長としての立場を使い、今までどんな情報も全て実力行使で開示させている。だが、今回芹沢は何をする訳でもなく土方の報告を素直に受け入れ、雛乃の住み込みを認めた。


あの芹沢が大人しく引き下がった事自体、怪しい事この上ない。


何か企んでいるのか、はたまた何かを掴んでいるのか。


土方が感じた違和感を斎藤も当然の如く感じている。芹沢といい佐伯といい、組内の不安要素は多々あるようだ。


沖田と土方が暴れ回る度にガタンガタン、と崩れ落ちていく膳を一瞥し斎藤は踵を返す。


「……行くのかい?」


「はい。後は頼みます」


気をつけるんだよ、と井上の温かい言葉を背に受け斎藤は一人広間を去って行った。


向かう先は――

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