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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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鴨と雛と梅の花【肆】

反応に戸惑ったのか、雛乃は沖田から視線を反らし少し俯く。そして、ゆっくり顔を上げると柔らかく微笑んだ。


「……えと、ありがとうございます」


そう言って嬉しそうに笑う雛乃に、沖田も思わず頬が緩む。土方から手を離し、雛乃の頭をぽんぽんと撫でた。


雛乃がこんな風に感情を素直に表すのは稀だろう。いつも何処か作られた笑顔がある。それが今は全くなかった。


「雛乃ー!!」


ふいに雛乃を呼ぶ声に沖田と雛乃は視線を上げる。すると藤堂が空になったお櫃を手に持ち、何かを訴えるようにそれを振っていた。


「雛乃ー、野口君が食膳貰いに来たから、お櫃に飯お願い出来るー?」


「あ、はいっ!!」


雛乃は頷くと沖田と土方に一礼し、立ち上がって藤堂の元へと急ぐ。


「お膳は、土間にあった分で良いんだよね?」


「あ、それは私が用意するから大丈夫。平助君は、土間までお櫃を運んでくれる?」


「うん、分かった」


今から運ぶ食膳に対して、色々と言葉を交わしながら広間を出て行く二人を見送る面々は、何故か酷く驚いた表情をしていた。


その要因は雛乃が放った台詞。


「“平助君”ですか……」


「しかも、敬語口調じゃなかったな」


土方は先程までの怒りを静め、呆然と呟いた沖田に横やりを入れる。そんな土方の言葉にピクリと肩を揺らす。


「……そうですね」


沖田は湯呑みを手に取りお茶を喉へと流し込む。平然を装うとしている沖田に、土方は口端を緩く吊り上げた。


「あれだろ。やっぱり歳の近い者同士は話しやすいって事だろうな。……何れ恋仲にでもなっちまうんじゃねぇか?」


ガタン!!!!


飲み干した湯呑みを膳に叩くように置き、沖田は満面の笑みを土方に向ける。


「虫酸が走るような、そんなふざけた事を冗談でも言わないでもらえます?」


笑顔だが沖田は酷く苛立っていた。何故かはよく分からないが、雛乃が藤堂と去った後から胸がモヤモヤして仕方がない。


沖田は前髪を掻き上げ深く息を吐くと、その場から立ち上がる。

それに土方は目を細め、ある方向を指差した。


「何だ? 平助達の後を追うのか?」


「違います!! ……廁ですから」


土方を睨み付けそう宣言し沖田は廊下に出るものの、廁のある場所とは逆方向に歩いて行く。そんな沖田を見つめ土方は可笑しそうにくつくつと喉を鳴らした。


「ったく、素直じゃねぇな」


気になるのなら気になると、最初からそう言えば良いものを。

恐らく、周りにいる隊士や土方達に悟られたくなかったのだろうが、勘の良い奴は沖田の態度に気付いている。


土方もその一人だった。


「何だ、歳。総司は、雛乃君がそんなに心配だったのか?」


食膳を全て食べ終えた近藤が、何気なくそう土方に問い掛ける。近藤も、箸を進めながらも先程の一部始終を見ていたようだ。


結果、沖田は兄として、妹みたいな存在の雛乃の身辺を余りに気遣い過ぎて苛々してるのだと思ったらしい。


近藤の予想は半分当たりで、半分はずれと言ったところだろうか。


土方は近藤を横目に、腕を組むと緩やかに目を細めた。


「まぁ、色んな意味で心配なんだろうよ。捕られちまうんじゃねぇか、ってな」


沖田にとって、雛乃の存在は日に日に大きくなっているようだ。


間者としての疑いを最初に消したのも沖田である。その後は雛乃にちょっかいを出しているのをよく見かけていたが、ある日を境に暇さえあれば雛乃の傍にいるようになった。


それは義務の行為なのか。それとも――


「総司は大人に囲まれて育ったからなぁ。雛乃君が、妹のように可愛くて可愛くて仕方ないんだろう」


「勝っちゃん……」


土方は懐かしい呼び名で近藤を呼び、何処か嬉しそうな近藤の表情に深々と息を吐いた。


「……兄妹愛じゃねぇだろうよ。あの態度は」


ぼそりと呟き土方は食膳の湯呑みに手を伸ばす。だが、中身は先程沖田に飲み干されており、空だった。



暫しの沈黙の後、土方の苛立ちが再び上昇し、隊士達に向けて見事発散されたのは言うまでもない。









◇◇◇



「お待たせしてしまってごめんなさい、野口さん」


「ん? ああ、大丈夫大丈夫。いつもの刻限に来れなかった俺にも原因があるんだし」


八木邸に届ける食膳を渡しながら頭を下げる雛乃に、野口はやんわりとそう言った。


「でも……、他の皆さんが苛立ってるんじゃないですか?」


雛乃の心配は八木邸にいる人々――中でも、平山と新見の二人だった。


芹沢派の面々で、平山はかなり短気な方だと言える。その血の気の多さから、流血沙汰を起こす事が度々あった。


そして、新見。彼からはよく近寄るな、と煙たがれている。理由は教えてくれなかったが、やはり子供が嫌いが原因なのだろうか。


八木邸へ行く度に居心地が悪くなる二人の存在。我慢出来ない程ではないが、出来る事なら彼らとは顔を合わせたくなかった。


そんな雛乃の心中を察したかのように、野口は小さく笑う。


「広間には、芹沢さんと平間さんしかいないよ。他の皆は昨日から外出中」


「外出中?」


「そう。昨日から島原に行ってる。暫くは帰って来ないんじゃないかな」


「……え。島原に、ですか?」


雛乃は複雑な表情で野口を見据えた。


島原は京にある官許遊廓の一つである。芹沢派の面々はよく島原に繰り出しているが、中でも芹沢と平山は頻繁に通っていた。

島原に行くということは然程珍しい事ではない。


この時代、金さえあれば遊廓に通う男性は多かった。雛乃は最後の食膳を野口に渡し終えると、小さく息を吐く。


「……平山さんはともかく、新見さんも島原に行くんですね。芹沢さんにいつもべったりなんだと思ってました」


雛乃の思わぬ言葉に野口は吹き出した。均衡を取るように人数分の食膳を持つと、八木邸のある方へと足を向ける。


「あー、俺も昔はそう思ってた。でも、新見さん京に知り合いがいるみたいでね。よく――」


「雛乃っ! はい、これ、お櫃!! 言われた通りにちゃんと飯入れたから! ね!!」


野口の声を遮るように藤堂が土間から勢い良く飛び出して来る。手に持っていたお櫃を雛乃に強制的に渡すと、藤堂は踵を返し庭の方へと降りた。


「え、ちょっと、平助君!? 一体、どういうことなの? 手伝いは?」


「ごめん、雛乃! 説明は無理! だけど俺の代わりがちゃんと来るか……うわぁぁぁぁっ!!」


言い掛けて藤堂は草履を履く事なく、裸足のまま走り去って行く。雛乃が止める暇もない素早い動きに、野口も呆然とするしかない。


「……かなり、不自然な動きだったね」


「そうですね……」


野口に同意を示し、雛乃は藤堂が去って行った方をジッと見つめる。先程まであんなに元気だった藤堂が青ざめていたのが妙に気になっていた。


いつもの三人で何か為出かしてしまったのだろうか。それなら、こうやって素早く逃げて行ったという事が理解出来る。


だが、逃げていたのは藤堂のみ。永倉や原田、彼らを追う土方もいない。どうやら、いつもの騒ぎとは違うようだ。


藤堂を追い掛けるべきか否か、雛乃が悩んでいるとガタガタと引き戸が開く音が聞こえる。


二人が振り返ると、そこには


「……おや? 雛乃ちゃんに野口君。どうしたんですか、そんな所で立ち止まって」


笑顔で残りの食膳を持つ沖田がいた。


にこにこと穏やかに笑う沖田は然程いつもと変わらないように見える。だが、それは表のもので、優しい笑顔の裏には恐ろしい影があった。


大半の者はそれに気付く事はない。気付かずに地雷を踏んでしまう事が多いだろう。


元来、雛乃は気配に敏感な方だ。だから、このような沖田の異変にも一早く気付いてしまう。雰囲気が徐々に重くなっていくのを感じ取り、雛乃は口を開いた。


「えーと……ちょっと、色々お話してたんですよ。それより、沖田さんは何故此処に?」


「ああ、平助の代わりに手伝いに来たんですよ。平助が、どうしても代わってくれって頼むので。何か、用事でもあったのかもしれませんねぇ」


嘘だ、と雛乃と野口は瞬時に思った。あの藤堂の逃げ方からして、頼み事をしたようにはどうしても見えない。むしろ――


「……無理矢理交代させたんじゃないか」


「あれ、何か言いました? 野口君」


ぼそりと呟いた野口の声を聞き止めた沖田は野口に向けて、にっこりと微笑む。その笑顔は背筋を凍らせるものだった。


笑顔の合間に見える冷たい瞳。その表情を直視出来ず、野口は勢い良く視線をそらした。


沖田は息を吐くと、野口から視線を移し雛乃を見据える。何を言われるのかと雛乃は身構えるが、耳に入ってきたのはいつもの何気ない問い掛けだった。


「雛乃ちゃん。随分、平助と仲良くなったみたいですねぇ。恋仲にでもなりましたか?」


「へっ、えぇぇ!? いやいや、何でそうなるんですか!?」


予想もしてなかった沖田の言葉に雛乃は、手を動かし慌て始める。そんな雛乃に沖田は緩く目を細めた。


「敬語取れてたじゃないですか。だから、てっきりそうなんじゃないかと」


沖田に指摘されて雛乃は思わず動きを止める。

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