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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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【 動く闇 (肆) 】

吉田が少しでも力を入れれば、首は確実に斬られてしまうだろう。迫り来る恐怖の所為か、刀の痛みより何故か古傷のある脇腹がキリリと痛んだ。


「吉田っ、何度も言うが首謀者は俺じゃねぇ!! 恨みつらみなら久坂に向けろよ!? 確かな答えも、久坂が知ってる!!」


「でも、僕の邪魔をしたのは一琉だよね? 僕はさ、そういう事されて黙って見過ごせる性分じゃないんだ。やられたら、きっちり綺麗に殺り返さないと」


「……マジかよ」


吉田の言葉に一琉は愕然とする。これは死刑宣告に等しいのではないだろうか。


一琉を見下ろす吉田は先程よりも笑みを浮かべてはいる。だが、その目元は依然として笑っておらず、人一人殺せそうな程の強い殺気が漂い続けていた。


一琉はこう見えても優秀な監察。この手の脱出などは御手の物で、一琉程の技量があれば四半刻も掛からずに抜け出せる。だが、一琉は敢えてそれをしなかった。


いや、しなかったのではなく出来なかったと言った方が正しいのかもしれない。


もし、吉田から逃げ出せたとしても無事でいられるとは限らないからだ。自分を吉田に差し出した腹黒い久坂がこの座敷にいる以上、攻防が終わる事はない。そんな確証が一琉にはあった。


だからと言って、このまま手を拱いているつもりはない。何とかしてこの場を切り抜けなければ、確実に吉田に殺されてしまう。いや、もう既に殺されかけようとしている状態なのだが。


強迫に近い殺気を当てられながら一琉は、カラカラに渇いた口内へ唾を飲み込み、口を開く。


「ま、待て待て待て!! わかった。話す!! お前の知りたい事全て話すから、ちゃんと説明するからまず、刀を下ろせ!!」


「嫌だね。まず死になよ」


首筋に刀が食い込みかけるのを肌で感じ、一琉は思わず勢い良く身を引いた。何かが擦れた音と共に何かが畳に落ちる。


畳に落ちたのは刀の先端に付いた血。だが、一琉の首はちゃんと繋がったままだ。微かな切り傷が出来ただけで深い傷はない。

吉田は心底残念そうに舌打ちし、一琉を見据えた。


「逃げるとか、良い度胸してるよね。一琉のくせに」


「身の危険感じたら普通、逃げるに決まってんだろ! 当たり前の行動だろうが!!」


首筋に掌を当て、一琉はそう吠えた。紙一重で躱した傷だが出血量は多い。掌で止血するように押さえながら、一琉は吉田の刀をジッと見据える。


「なぁ、一先ず俺の話を聞けよ。お前の怒りは最もだと思うが――」


「早くこの苛々を発散したいんだ。大人しく斬られなよ」


一琉の言葉を掻き消し、吉田は刀の切っ先を再び一琉に向けた。


吉田の瞳は本気だ。刺すような殺気をずっと一琉に向けている。今の吉田を止めるのは不可能。諦めるように一琉が唇を噛み締めたその時だった。


「稔麿、刀を下げるんだ」


久坂は手に持っていた盃を置き吉田に声を掛ける。一琉が殺され掛けていたにも関わらず、傍観を続けていた久坂がようやく重い腰を上げたのだ。


「……玄瑞に止める権利はないよ。散々、邪魔しておいて何なの? 今度は僕に説教でもするつもり?」


目を細め吉田は視線だけを久坂に向ける。苛立ちは収まる事無く未だに燻り続けているようだ。吉田の瞳がそれを物語っている。


久坂は肩をすくめて笑みを溢し腕を組んだ。


「お前に今更説教なんかしても、意味がないだろう。私はただ、止めただけだ。雛と会う機会を壊さない為に」


雛と会う、その言葉に吉田は目の色を変える。刀を下ろすと、久坂に詰め寄った。


「……どういう事? 雛を今すぐ此方に連れ戻せる訳?」


「今に分かる。……一琉、そろそろ刻限じゃないのか?」


久坂は吉田の動きをさり気なく制しながら一琉へ声を掛ける。


吉田から解放された一琉は懐に入れていた手拭いを使い、傷口の止血をしていた。一琉は手を動かすのを止め、何かを思い出すように首を捻る。


「……あ。忘れてた。そういや()()()が来るんだったか」


一琉が常に利用する祇園でなく、この島原にしたのはある人物に会う為でもあった。その人物と一琉は友人という訳ではなく、ちょっとした知己である。


その縁を利用して、一琉は市中の情報収集を行っていた。雛乃が壬生狼の女中をしている事を早く知れたのもその人物のお陰である。


「さて、と。んじゃあ、呼ぶとするか」


止血を終えた一琉は息を吐くと、端に控えていた遊女を手招きで呼び寄せた。そして、二三、言葉を交わすと遊女は頷き座敷から出て行く。


一連の流れを見ていた吉田は、久坂に促され渋々抜身の刀を鞘へと戻し、行動を起こそうとしている一琉へと視線を移す。その表情は堅いが先程より落ち着いているように見えた。


「何? 今言ってた奴が此処に来るの?」


「おう。アイツは一人で島原に来た訳じゃねぇ。連れが大勢いるからさ、馴染みの女使って移動させるっていうやり口が楽なんだよ」


このように一琉の方から動く事は滅多にない。頻繁に情報交換はするが、表立って会ったり酒を酌み交わす事は殆ど無く、付かず離れずと言った一定の距離を保ち続けている。


「まさかとは思うけど、公儀の者とかじゃないよね? そうだったら今度こそ斬るよ?」


一琉の言葉を聞く限り、その人物は此方と相容れない立場のように聞こえる。吉田は大の公儀嫌いだ。公儀の関係者と手を取り合う事を極端に嫌う。


大事な師を公儀に殺されたのだから、そう思うのは仕方ない事なのかもしれない。


一琉はそんな吉田の問いに軽く手を振り、否定を示す。そして緩く口元を上げた。


「まぁ、確かにアイツは一応藩預りの組織に属してやがるが、藩に忠誠を誓っている訳じゃねぇよ。元は水戸で尊皇攘夷活動をしてたんだ」


「水戸?」


「ああ。でも脱藩して上洛した。……幕府の浪士組募集に応じてな」


吉田は瞠目する。そこまで言われれば彼の所属する組織が何なのか、嫌が応でも分かった。


「……成程ね。君がやろうとしている事が分かった気がするよ」


納得したような、だが、少し不服そうな表情を見せたまま自分をジッと見据える吉田に一琉は目を反らす。吉田から逃れるよう視線を畳へと移すと、一琉は胡座を組み直した。


「言っておくが、話の邪魔だけはすんなよ。久坂もアイツの事は知ってるから、これ以上は久坂からーー」


言い掛けて一琉は顔を上げる。座敷の入り口である襖を見つめ目を細めた。


「……来たか」


一琉がそう呟いた直後襖が音も無く開き、先程出て行った遊女が姿を見せる。遊女の背後には、やや目付きの鋭い総髪の青年が立っていた。


青年は座敷内を見渡すと驚いたように目を見開き、眉間に皺を寄せる。


「……何だ。これは」


青年が指しているのは何も吉田達の事ではない。座敷の荒れ果てた様子を指していた。


吉田と高杉の攻防の凄まじさから、畳は擦れ食膳は半分以上が駄目になっている。柱や天井にも刀傷が残っているのだから、誰でも必然的に何があったのか知りたくなるだろう。


「あー、まぁな。ちょっと色々あったんだ。一先ず中に入れ。積もる話はそれからだろ。……なぁ、新見」


総髪の青年――新見は意味有りげな笑みを浮かべると遊女を下がらせ、座敷へと足を踏み入れた。



島原の灯りは、まだ消えない。

密談は遅くまで続いた――

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