【 動く闇 (壱) 】
壬生より南へ下り、大門を潜ると花街――島原が見えてくる。そこは市中とは違う独特の刻が流れ、昼間と見間違う程に沢山の行灯や提灯の灯りが漏れていた。
花街は酒や料理、そして女性で男性を遇す場所。その花街で諸大名や脱藩浪人達が論議や密議を行っている。
その特別な場所で開かれている宴がまた此処に一つ――
「稔麿。今日は随分機嫌が悪いんだね」
「……別に」
盃の酒を口に運びながら朗らかに笑う総髪の男性に、窓枠に寄り掛かっていた青年――吉田は舞を踊る遊女から視線を外し、男性へと向けた。
「何でわざわざ、今回は島原に呼び出した訳? 祇園でも別に良かったんじゃないの?」
「ああ、それはね、」
「俺が提案したんだよ。任務帰りに丁度良かったからな」
男性の言葉を遮るように襖が開く。ガラリ、と音を立てて開かれた襖から顔を出したのは一琉だった。着崩れた着流しと髪から滴り落ちる雫に吉田は目を細める。
「へぇ、一琉も来てたんだ」
視界に移った吉田に一琉は微かな動揺を見せる。しかしそれも一瞬の事で、直ぐに消え去りいつもの飄々とした笑顔を浮かべた。
「お、おーう、吉田。久しぶり」
「本当に久しぶりだね、一琉。……ねぇ、君さ。一体、何してたの」
吉田はにこりと微笑んだ後、一琉を部屋へと促しながら、そう問い掛ける。乱れた髪を掻き分けようとしていた手を止め、一琉は吉田に視線を戻した。
「……あ? 何って、見りゃ分かんだろ。湯屋に行って、汚れを洗い流して来たんだよ。血塗れで島原にゃ来れねぇしな」
「そうじゃない。僕が聞いているのは僕の邪魔をしてまで何を探してたのかって事。……君のここ数日の行動、僕が気付いてないと思ってた?」
言葉の端々に刺があり怒っているのがよく分かる。笑顔を浮かべているはずなのだが、その笑みは人を殺せそうな程に酷く冷たかった。吉田が怒りを一琉に向け痛め付ける事は多い。だが、今回は何かが違う。いつも以上に吉田は苛立っているように見えた。
ある程度予想していたとは言え、開口一番がこれでは余りにも居心地が悪過ぎる。一琉は内心舌打ちをし、この場をどう切り抜けようか思い悩んでいた。
予想以上に頭が切れる吉田の事だ。下手な誤魔化しは身を滅ぼすに違いない。かと言って、正直に話せるかと言えばそうもいかず。一琉は結局、そのまま無言を貫くしかなかった。
目線を静かに自分から反らしていく一琉に気付き、吉田は逃がすまいと一琉の腕を掴む。掴んだ圧力はかなりのもので、鈍い痛みに一琉は一瞬顔を顰めた。
「……なぁ、ちょっと。それ、痛てぇんだけど」
「ああ、そう?」
吉田から返ってきたのは謝罪ではなく、綺麗な笑顔と簡単な言葉だけ。早く話せと言わんばかりに一琉を見据え続けている。
(……俺だって、話せるモンなら話してぇよ。でも、そいつぁ無理だ)
一琉がこうも固く口を閉ざす理由は久坂から口止めされたからでもあるが、“ある事”がバレてしまうと自分は間違いなく吉田に殺される可能性が高いからでもあった。
そんな一琉の心情を知らない吉田は一琉の腕を更に強く握り締めていく。
「一琉、僕は気が長くないんだ。早く話しなよ」
答えなければ、このまま腕を握り潰す以上の制裁が下される。そう感じ取った一琉が、諦めて口を開こうとしたその時だった。
――ベベン、ベンッ。
一琉の声を遮るかのように弦楽器の音色が響く。
「稔麿、その辺にしとけ。せっかくの酒が不味くなんだろ」
――ベンッ。ベベンベンッ。
お世辞にも上手いとは言えない三味線を鳴らしながら、散切り頭の青年――高杉は吉田を見据え息を吐いた。
「今日は桂も来てるんだ。個人的なやり取りは後にしろよ。話が、全然進みやしねぇ」
吉田が一琉から目線を横にずらすと、派手な着物が目に映る。高杉の両隣には遊女がいて遊女に聴かせる為に高杉は三味線を奏でていたようだ。
「……それ、馬鹿杉には言われたくないね。何、その下手くそな三味線。聴いてて凄く耳障りなんだけど」
禁句とも言える名を呼ばれ、しかも趣味である三味線を強く否定されて黙っていられる程、彼、高杉晋作は大人ではなかった。短気の高杉は口より先に手が動く方だ。
だが、今は場所が場所だけに、高杉は何とか怒りを押し留める。高杉は三味線の弦から手を離すと、その場から立ち上がり吉田をキッと睨み付けた。
「稔麿、その名で呼ぶのは止めろっつったよな? しかも、何だ。その馬鹿にしたような笑いは! 俺の三味線の何処が悪い!!」
「晋作の三味線なんか、僕は興味ないから答える義理はないよ。ただ、その耳障りな音色をこの世から消して欲しいだけだし。ついでに晋作自身も綺麗に消えてくれたら、有難い事この上ないんだけどね」
目を細め意味ありげな笑みと共に、さらりと先程以上の毒を吐いた吉田に高杉はこめかみが疼くのを感じた。
今すぐに殴り飛ばしたい、それが高杉の本音だがそれを実行することは出来なかった。ここで怒鳴り散らして暴れ回れば、それこそ吉田の思う壺である。
今までの経験上、良かった事など一度もない。最終的に吉田に打ち負かされてしまい後悔だけが残る。
今日こそは大人しく――と思うのだが、そんな誓いも虚しく高杉の理性は、この後見事に打ち砕かれる事となった。
なかなか反論してこない高杉に吉田はつまらなさそうに息を吐く。反論してこそ面白味があるというのに、黙り込んでいては何も始まらないではないか。
高杉の表情をジッと見据えていた吉田は不満そうにしながらも、ある事を思い付き口端を緩やかに吊り上げた。
「反論しないって事は構わないんだよね? じゃあ遠慮なく、片付けさせて貰うよ」
チャキ、と聞き慣れた音が聞こえたと同時に高杉の目に銀色の光る何かが映る。それが刀だと気付いた時には既に、自分を通り過ぎた後だった。
「……は?」
高杉が間抜けな声を出すのも無理はない。
先刻、高杉の真横を通ったのは形の良い小刀だった。殺傷能力は低いものの、それが喉元を掠め突き刺さりでもしていたら確実に深手を負っていたに違いない。
その事実に高杉は表情を青ざめ身震いさせた。
「ととと、稔麿!! てめぇ、何をしやがる!?」
「何って、壊しただけだけど」
何を、と言い掛けて小刀の行方を探した。自分の横を通ったはずなのに、その姿が何処にも見当たらない。
「高杉はん」
ふと隣にいた遊女が高杉を呼び、彼の手にある三味線を指差した。高杉は遊女に促され三味線に目を移す。視界に映ったそれは目を疑う光景だった。
三味線は見るも無惨な姿になっていた。スラリと長く伸びていた棹は見事に折れていて、張っていた弦も役目を終えたように畳に散っている。胴は足元に転がっており、高杉が持っていたのは棹の上部分のみ。
開いた口が塞がらないとはこういう事をいうのだろう。口をパクパクと開閉させ続ける高杉に吉田は止めとも言える一言を放つ。
「ははっ、有り得ないくらいの間抜け面だね。本当、馬・鹿」
――ブチン。
何かが切れる音がしたと同時に、高杉の身体がゆらりと動く。次の瞬間、座敷は戦場と化していた。
「稔麿ォ!! 今日こそは、今日こそは許さねぇ! その身を斬り刻んで、あの世に送ってやらァ!!!!」
「全力で遠慮したいね。それにさ、僕を殺すより君が彼方に逝って来れば? そしたら少しは、馬鹿が治るかもしれないよ」
「だァァァッ!! 馬鹿馬鹿何度も言うなっつってんだよ!!」
猪突猛進に突っ込んで来る高杉を涼しい笑顔で迎えた吉田。ガキン、と座敷に似合わない金属音が響き二人は刀を交え始めた。
高杉の暴走はいつもの事のようで、遊女達は早々に座敷から退出している。荒れた座敷に残されているのは闘いを繰り広げている高杉と吉田の他、一琉と総髪の男性、そして久坂の五人だけだった。
周囲に飛び散っていく膳や料理を避けながら、一琉と久坂はちびちびと酒を酌み交わしている。
「なぁ、久坂。あれ、まだ止めなくて良いのか?」
「わざわざ此方にまで、火の粉が掛かるような真似はしない。高杉には悪いが、このまま人身御供となって貰うのが一番だと思う」




