時を越えて【壱】
――文久三年(1863年)。
四季の彩りが鮮やかな、優美な都、京。
幕末という動乱の時代。
尊皇・佐幕・攘夷――
様々な野望、理想が渦巻いていた。
市中に団子を口に頬張りながら、街路を歩く青年の姿があった。肩に掛かるか、掛らないかの艶やかな黒い髪を、一つに結っている。
余程機嫌が良いのか、鼻歌も口遊んでいるようだ。
その青年の数歩後ろからは、体格の良い短髪の青年。そして童のように小柄な青年が、物陰に隠れながら後を追うように歩いていた。
「なあなあ、平助。何で、総司はあんなに機嫌良いんだ?」
「さぁ? また土方さんに何かやったんじゃないの? 今朝、騒がしかったしさ」
前を歩く青年には聞こえないように、二人はコソコソと耳を寄せ合い話をしている。傍から見れば、その様子はかなり怪しい。
「あれじゃねぇか? 最近、土方さんに宛てた文が届いたって聞いたし、それを総司がからかって」
「いやいや、きっとあれだよ。総司のことだから土方さんの、」
「知りたいですか?」
突然、耳元で聞こえた声に二人は視線を横に向ける。其処には、満面の笑みで自分達を見つめる青年の姿があった。
手に持っていた三色団子を口に運びながら、にこにこと笑う彼に、二人は口元を引き攣らせた。
「……総司。いつ、気づいた?」
「え? そりゃあ最初からですよ。二人共、一体何してるんですか」
人の後をつけて、こそこそ話すなんて失礼ですよ?と、二人に注意の視線を向ける。その瞳は全く笑っていない。
二人の背中に、嫌な汗が滴り落ちた。
何故なら、彼がこの瞳を向ける時、決まって彼による制裁が下されるからだ。
彼の腰には二本の帯刀。抜こうと思えば、いつでも抜けるだろう。
「そ、総司! 違うんだよ! これは平助から言い出したことで!!」
「はっ!? ずりぃぞ、左之さん! 左之さんから誘ったくせに! 総司を追いかけてみようって言ったじゃんかっ!!」
「ば、馬鹿っ!! 余計な事言うなよっ」
「左之さんが逃げようとするからだろ!?」
自分は無関係だと声を上げる短髪の青年に、小柄の青年はそれを制し彼を睨みつける。
そんな二人を見て、総司と呼ばれた青年はたまらずプッと吹き出した。
「あはははっ。良い反応しますねぇ。大丈夫、怒ってませんよ」
両手を軽く振る青年は、目元を緩め楽しげに笑っていた。
いつもの飄々とした笑顔の青年を見て、二人は安堵の息を吐く。そして、力が抜けてしまったようでその場に座り込んだ。
「……あぁ、寿命が縮むかと思ったぁ」
「俺も、またあの時のようにやられるかと……」
そんな二人を見て、驚かした張本人である青年は悪びれる様子もなく頬を膨らませた。
「二人が悪いんですよ? 屯所を出てからずーっと、コソコソ着いてくるんですから。気になるんなら、直ぐに話しかけてくれれば良かったじゃないですか」
口に咥えていた団子の串を引き抜き、二人に問う。此処で逆らっては、また酷い目に合うと二人は瞬時に悟り、素直に同意を返した。
この三人、そこらの浪人と変わらない格好をしているが只の浪人ではない。
名を沖田総司、藤堂平助、そして原田左之助という。
会津藩お預かりの壬生浪士組に属し、尊攘激派(勤王倒幕)の浪士達による不逞行為の取締りと市中警護を行っている。
壬生浪士組は、結成されて間もない所為もあり、これといって大きな功績は無い。
それどころか悪評ばかりが市民に根付き壬生狼と呼ばれ、蔑まれ続けていた。
そう呼ばれ、疎まれるのは仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。
理由は二つ。
一つは帝のお膝元でもある京では、公儀(幕府)の人間は余り好かれてはいない。どちらかと言えば、天子(天皇)を主体にしようと働きかけている長州藩の方が印象は良い。
二つ目は壬生浪士組の内部事情にも関わる、ある人物の行動によるものだ。
二つ目の原因が今、浪士組の痛い頭痛の種だったりする。
そんな浪士組の荷を下ろし、三人はこの日の非番を思い思いに楽しんでいた。
漸く、落ち着きを取り戻した小柄の青年――藤堂はある事を思い出し、視線を沖田へと向ける。
「そういやさぁ、総司。何でそんなに機嫌良いの?」
そう、その疑問を持ったから彼の跡を追った訳で。藤堂の言葉に原田も頷き、沖田を見た。
「そうだそうだ! 何かあったのか?」
嬉々として自分を見る原田と藤堂に沖田はうーん、と首を捻る。
「んー、大したことではないですよ? ただ……」
「「ただ?」」
詰め寄る二人を両手で制し、沖田は懐から濃い色の巾着を取り出した。
「これを、奪い取って来ただけです」
使い込まれた、かなりの膨らみがあるそれは、振るとジャラリと金属特有の音が聞こえる。
その音に二人は中身が何であるか、直ぐに分かった。
「……銭?」
「はい。土方さんのへそくりですよ」
意外と貯めてますよねぇ、と満面の笑顔で、巾着を再び振る沖田に藤堂は動きを止め、原田は目を輝かせた。
「へぇ、土方さん金貯めてたんだなぁ。知らなかった」
「意外と細かいとこあるんですよ、あの人。あ、中身見ます?」
「おう、見る見る!」
沖田と並んで楽しげに語り出す原田を見て、藤堂は溜め息を吐いた。楽しげな原田と違い、藤堂の胸中は不安だらけである。
無類の悪戯好きの沖田が、上司である土方に何かを仕掛けるのは、いつもの事だと楽観視しているが、今回は少し遣り過ぎではないだろうか?
沖田が叱られるのは当然な訳だが、このまま一緒に連んでいれば自分達にも飛び火し、制裁を受けるのは間違いない。
それだけは何としてでも避けたいのが、藤堂の本音である。
(土方さんの説教……。ああ、想像しただけで、頭痛くなってきた……)
あの地獄のような説教を一度でも受ければ、そう思うのは当然だろう。
とにかく、この状況を何とか打破しようと藤堂は口を開く。
「総司。何でまた、土方さんのへそくりなんかを?」
そう問われ、沖田は待ってましたと言わんばかりに藤堂に詰め寄る。
「ふふふ、ちょーっとした悪戯です。先日の落書きでは反応が余り良くありませんでしたからね。ですから、勇気を出して頑張ってみました!」
片目を瞑ってグッと楽しげに拳を作る沖田に藤堂は軽く頭痛を覚えた。
(勇気出すとこ、間違ってるからっ! むしろ悪戯の質を下げようよ!?)
身体を若干、後退させながら藤堂は心の中で叫ぶ。
口に出さないのは自分の身の安全の為だ。この状況で沖田に否定意見を言える程、藤堂は出来た人間では無い。
沖田の悪戯を否定をする事なく、何とか穏便に事を済ませたい藤堂はこう切り出した。
「でもさ、それ早く返した方がいいんじゃない? 土方さんが困るだろうし」
「奥の方に隠してあったので、そう簡単には気付きませんよ。……ま、気付いたとしても、逃げ道は用意してあるので大丈夫です」
これ以上の意見は聞かないとばかりに、笑みを見せる沖田に藤堂はもう返す言葉が無い。
口をパクパクと開閉するも言葉にはならず、空気となって消える。藤堂は力無く腕を降ろし、項垂れた。
口論では沖田に勝つ自信は全くない。というか、殆ど勝てる見込みがないのが実情である。
(……なら、一人よりも二人!!)
そう思い、再起をかけて視線を上げた藤堂の目に映ったのは楽しげに話す、沖田と原田の姿。
藤堂の期待は、いとも簡単に崩れ去った。
沖田の策略にまんまと乗っかって、楽しんでる男に期待するだけ無駄だったと、藤堂は自己嫌悪に落ち入りかける。
やはり、もう一人連れてくるんだったと自分を何度も何度も責めた。
(……ああ、もう誰でも良いから、二人を止めて欲しいよ……)
自分ではもう手に負えないと、他力本願を掲げ藤堂が頭を抱えたその時だった。
――キャアアァァ!!!!
何処からか緊迫した悲鳴が聞こえてきた。甲高いその声は、女性のものだろう。
藤堂は悲鳴に気付き、素早く顔を上げる。その悲鳴は沖田と原田にも聞こえていたようで、此処から南の方に当たる大通りの方に視線を向けていた。
神経を集中しないと上手く聴き取れないが、何やら騒動が起きているようである。
「事件、ですかねぇ?」
のんびりとそう呟く、沖田の目は何処か楽しげで。藤堂はそれを横目に軽く息を吐き、腕を伸ばした。
「それは分かんないけど、行って見るべきじゃないかな? 浪人達が暴れてたら捕まえなきゃなんないし」
「非番なのに、世話しねぇなぁ。巡察に行ってる新八達に任せた方がいいんじゃねぇの?」
頭を乱雑にかきながら、原田はそう呟く。それに藤堂は確かにと、同意しようとするが沖田が藤堂の肩を叩き、待ったをかけた。
「まぁまぁ、永倉さん達に任せるのはそれはそれで良いんですけど、乱闘になってるかもしれないし行ってみましょうよ」
にこにこと笑いながら、沖田は土方の巾着を懐にしまう。
「暴れている人を制するのって、観てても面白いんですから」
そう言って、楽しげに騒ぎの起きている方向へ歩いていく沖田に、藤堂と原田は何とも言えない表情を浮かべる。一瞬の沈黙の後、同時に深く息を吐いた。
「一先ず、左之さん。俺らも行こっか」
「ああ、そうだな……」
沖田が喜ぶ程の大変な騒ぎが起きていなければ良いと、二人は強く、本気で願った。