表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
45/192

白昼の邂逅【伍】





「……うう。迷っちゃった。此処は何処ぅぅ……」


雛乃は表情を曇らせ、市中をうろうろと彷徨っていた。


店の人の案内によって廁に辿り着き、用を足した――ここまでは良しとしよう。

問題はこの後だった。


江戸時代、店に廁が置いてあることは稀で大半は店の集合地の何処か一か所に廁を設置してあった。

現代でいう公衆便所みたいなものである。


雛乃はそこで事を済ませ店に戻ろうとしたが、何故かなかなか目的地に着かない。どうしたのかと周りを見渡して見ると其処は見慣れない景色や建物ばかり。どうやら来た道が分からなくなり迷子になってしまったらしい。


先程より人通りが多くなったせいもあるだろうが、一番の理由は迷いやすい京の地形。現代の京でも雛乃は何度か迷っていた覚えがあった。


(……ちゃんと通りの名前を聞いておくんだった。店の名前も私、知らないし……)


沖田に半ば強引に甘味処へと連れて来られたのだ。覚えてないのは当然と言えば当然かもしれない。


「俺でよけりゃ、道案内してやろーか?」


大通りを何度か往復した時頭上から声が降ってきた。含みのある言葉に雛乃は一瞬、怪訝そうに眉を寄せる。


恐る恐る顔を上げると、そこには総髪に小綺麗な着物を着た男がいた。大小の刀を差していることから、どうやら武家の者らしい。


見た目は利発そうに、優しげに見える男だ。だが、何処か影があり目が笑っていない。


関わり合うのは危ないと、そう直感で感じ取った雛乃は男を無視し、歩みを進めた。


「っ、おいおい、無視かよ。困ってんじゃねぇの? このままだと帰れねぇかもしれねぇんだぞー?」


スタスタと歩いていく雛乃を追い掛けるように、男はいつの間にか雛乃の背後へとピッタリと寄り添っている。

それでも雛乃の足は止まらない。それどころか徐々に早くなっているように思えた。


このままじゃ埒が明かない。そう悟ったのか、男は雛乃の前方へと回り込む。雛乃の足が止まったのを確認し、男は再び口を開いた。



「このまま右往左往するより、俺に聞いた方が確実だと思うんだが」


「結構です。知らない人や、怪しい人には出来るだけ関わりたくないので」


「手厳しいな。……一応聞いてやるが、俺の一体何処が怪しいんだよ?」


間一髪入れずに答えた雛乃の態度に男はため息を吐きながらも、負けじと問いを返した。その問いに雛乃は足を止め、息を吐き男の方を渋々振り返る。


不機嫌そうな表情をしているかと思ったが、雛乃は予想に反してにこにこと、笑顔を見せていた。

そんな人を癒す程の可愛いらしい笑顔のまま


「全て、ですよ」


そう一言、男に向けて吐いた。


そして、脱兎の如くその場から駆け出す。それを半ば呆然と見送っていた男はハッと我に返り、雛乃が去って行った方を鋭く見据えた。


「あんのガキ……。相変わらず、生意気な。あーあ、下手に出過ぎたな」


強引にでも連れて行くべきだったと、男は舌打ちをする。


だが、決して諦めた訳ではない。

遊戯はまだまだ、これからなのだから。







現代の洋服に比べ着物は歩幅が短い。つまり、全速力で走ることは出来ないのだが、雛乃はそれでも必死に通りを駆けていた。


(……とにかく、早く。早く遠くへ逃げないとっ。今度あの人に捕まったら凄く嫌なことが起きそうな気がする……!!)


確証はない。ただ、勘だけで雛乃はあの場から逃げ出していた。自分の身を守る為に、と。


しかし、よくよく考えると現状も先程より悪くなっているように思えた。迷子、というだけでも大変だというのに今度はそれに“逃走”と二文字が付け加えられる。はっきり言って最悪の状況だった。


ざわざわと声が弾む喧騒の中、自分の足音だけが妙に響くような感覚に襲われ雛乃は深く息を吐いた。


様々な思考を思い浮かべながら走り続け、十字路を左へ曲がろうとした時だった。何かの気配を感じたと同時に、雛乃の身体がふわりと宙に浮く。


しまった、と思った時はもう遅かった。身動きが取れないよう身体をしっかり固定され、民家の軒下へと引き寄せられていた。


「っ――!?」


口元を強く押さえられ、声を出す事は出来ない。声を発するも、モガモガと空気が抜けていくだけだった。


一瞬の出来事に何の対策も取れず、雛乃はその状態のまま路地裏へと引き摺り込まれた。路地裏の、奥の奥の方――日が滅多に差し込まない辺りまで来て、ようやく身体に自由が戻る。


雛乃はホッと息を吐きつつ原因の男を鋭く睨み付けた。


「ち、ちょっと一体、何なんですか!? しつこい人は嫌われますよ!!」


そこにいたのは先程の男。雛乃に道案内をしようと声を掛けてきた男だ。


完全に引き離せたと思っていたのだが、どうやら自分の動きは読まれていたようで男は意地の悪い笑顔を浮かべている。


あの場所から随分距離があるというのに、どうやって此処へと辿り着いたのか。疑問はあるが、雛乃にしてみれば今、それはどうでも良い事に思えた。


早く、この場を上手く切り抜け沖田のいる場所へと戻ること。それが一番重要な事だった。


雛乃は身を守るようにと少しずつ男から距離と取る。背後には壁しかないが、何もしないよりはマシだろう。

そんな雛乃の行動に男はパチパチと目をしばたたかせ、軽く手を振った。


「……おいおい、別に取って食うような真似はしねぇよ。お前が逃げたから仕方なく此処に連れ込んだ。そんだけだ」


ガシガシと頭を掻いて男は小さく鼻で笑う。


果たして、あれはそれだけの事で済まされるような行為なのだろうか。未だに高鳴る心臓を押さえながら、雛乃は男を睨み続ける。


「こんな薄暗い所に連れて来られれば、誰だって同じようなこと思いますよ。少しは自分の行いを見つめ直したら如何です?」


普通の女子なら泣き出しそうな雰囲気でも、雛乃の前では何ら効果はない。

雛乃が普通ではないと知ってはいたが、まさか自分に説教すると思ってもみなかったようで、男はくつくつと喉を鳴らし笑っていた。


「あの時も思ったが、やっぱり、お前は只者じゃねぇよ。ますます、気に入った」


気に入るの気に入らない云々より、男とは初対面のはずだ。何故、以前から知っているような口振りなのだろうか。


その疑問を男に問うと、男は目を見開き驚いた表情を見せる。だが、直ぐにそれは消え去り口元を緩ませた。


「……ああ、こんな装いなら分かんねぇよなぁ。なら、この質問で分かるんじゃねぇか?」


口端を少し上げ男はある部分へと人差し指を向ける。そこは、雛乃の左腕。しかも雛乃が負傷した位置をピタリと差していた。


「俺の付けた左腕の刀傷、治ったか?」


雛乃は思わず左腕を庇うように片手で握り男を凝視する。


この刀傷を付けた人物は一人しかいない。忘れようとしても忘れられない、雛乃が幕末で出会った一番最悪で最低な奴――――


「ッ貴方、あの時の不精髭生意気浪人!?」


「正解正解……と言いたいとこだが、不精髭と生意気はいらねぇ。今は全然違うだろうが」


雛乃の近距離からの声を遮るように耳を押さえ、男はそうぼやき息を吐いた。


雛乃は、嘘だと言わんばかりにジッと男の姿を見続けている。


雛乃が否定したくなるのも無理はない。あの時の彼はいかにも泥に塗れた汚い着物を来て、浪人のような風体だったのだ。なのに、今は見違える程に整えた髪と小綺麗な着物。特徴的だった不精髭の面影すらなかった。


これを驚かずに何と言えば良いのか。


「絶対、絶対に詐欺よ。あり得ない! 変わり過ぎだものっ!!」


雛乃はそう叫ぶと男を勢い良く指差した。人に人差し指を向ける事は大変失礼なことだと、祖父に教えられていたが今は関係ない。

それ程に驚きは強かった。


男は自分の姿に表情をコロコロと変える雛乃を見て、くつくつと喉を鳴らす。


「いつの間にか敬語消えてやがるし。はっ、面白れぇ。ずっと見てても飽きねぇわ」


例えるなら飼い猫に前触れも無くちょっかいを出したら、威嚇のような鋭い反応して返された――という感じだろうか。


だが、そんな猫に引っ掻かれても痛くも痒くもない。目的のモノは直ぐ目の前にあるのだから。


男は笑みを溢しながら、未だに混乱し続けている雛乃の身体を自分の元へと引き寄せた。


小さな雛乃の身体は重力のまま傾き、男の胸元で止まる。雛乃はパチパチと目をしばたたかせ、男を見上げた。


「……何これ?」


「あ? 逃げらんねぇように捕獲したんだよ。さっきみたいに逃げられちゃ、意味ねぇしな」


抱え込むようにしっかりと握られている雛乃の身体。雛乃がジタバタと何度も藻掻いてもびくともしない。男の力は予想以上に強かった。

ぷぅ、と膨らましていた頬を元に戻し雛乃はゆるゆると息を吐く。


「一体、私に何の用です? こないだの仕返し?」


女性特有の高い声ながらも落ち着き払った雛乃の声。先程の混乱ぶりが嘘のようだ。


それに男は再び笑い、雛乃を抱えている両腕にグッと力を加える。


「違ぇよ。ちょいと確かめたい事があってな。チビ、お前の事で」


チビ、という単語に過敏に反応しながらも、雛乃は男の言葉に疑問を浮かべ首を傾げた。


「私を? 何で、また……」


「さてな。それはお前がよーく分かってんじゃねぇのか? なぁ、ガキ。……いや、藤森雛乃」


久方ぶりに呼ばれた正式の名前に、雛乃は驚きで大きく目を見開いた。


「ッ!? ど、して……。私の、」


(その、名前を知っているの……!?)


雛乃、という名前は浪士組の皆が知っている。だが、雛乃の姓が藤森だということは幹部以外知らない筈だ。京に置いて、藤森の名は特殊で誰もが使えない名なのだと土方に教えられた。だから、会う人には、今は雛乃としか名乗っていない。


それなのに、この男は知っていた。雛乃は男の名も素性も知らないというのに、何故――


「……疑問だらけみたいだな?」


思考を一旦中断させ、顔を上げると自分の身体から少し離れ男が片手をヒラヒラと振っていた。


「正確に言やぁ、お前の名を俺は最初から知ってた。お前を、いや、藤森雛乃を捜すよう頼まれていたからな」


誰に、と尋ねたくなるのをグッと堪え雛乃は男の話を待った。そんな雛乃の視線に気付いたのか、男は何処か楽しげに話を続ける。


「言っとくが、依頼主が誰かは教えねぇよ? でもまぁ、お前が該当者だとは思わなかった。もうちょい、可愛げある童を想像してたんだがな」


男が紡いだ童という単語に雛乃はピクンと反応を示す。もしかして、この男も自分の年齢を勘違いをしているのだろうか。だが、それは杞憂に終わり雛乃が口を開くことはなかった。


「あ、それにお前がチビだが、十六だってのは知ってるから吠えんなよ? 壬生狼に飼われてる事も、身元不明だが肥前出身らしいってぇ事も全て把握済みだ」


「ッ、」


限られた者しか知らない情報もだが、一隊士でも周知の事実を淡々と話していく男に、雛乃は身震いするのを感じた。


何処まで調べられているのかは知らないが、彼は自分にとって良い人ではないのは明らかである。浪士組の事を壬生狼と蔑む以上、長州など、攘夷派の一人かも知れない。


男は雛乃が思う以上に雛乃の事を調べ尽くしているように思える。これ以上の接触は危険極まりないだろう。

だが、どうしても確かめたい事、聞いて置きたい事があった。


思ったら直ぐに行動とばかりに雛乃は、男の胸元を押し互いの身体が向かい合わせになるようにする。そして雛乃が男の瞳を捉えた所で、緩やかに口を開いた。


「ねぇ、貴方は一体何者なの?」


雛乃が一番聞きたかった事だ。自分の事は色々知られているというのに、自分は男の事を何一つ知らない。雛乃はそれが不満の一つでもあった。


その簡単なようで重い重い問い掛けに、男は喉を鳴らしくつくつと笑う。


「ああ、そういや自己紹介がまだだったなぁ。俺は一琉っつーもんだ。一応、この京で――」


「それは偽名? それとも本名?」


言葉を遮るように飛んで来た雛乃の一層鋭い質問に男――一琉は苦笑を浮かべ思わず舌を巻きそうになった。


「……流石、鋭いな。半分当たりで、半分外れだ。一琉という名は所謂、通り名ってヤツ」


腕を組みながら話す一琉に焦った様子は微塵も感じられない。それに雛乃は疑問を感じ首を傾げた。


通り名を使う者の大半は、闇市や裏稼業に通じている者だ。本名が発覚するのを恐れ通り名や偽名を使う。安易に話して良い話ではないと思うのだが。


(……本当によく分からないなぁ、この一琉って人。沖田さん並に、扱いにくい……)


彼はヘラヘラと沖田とは違う笑顔で相手を翻弄させているようにも見えた。道楽者、と見せ掛けてかなりの実力者だったりするのではないだろうか。


「ああ、因みに本名は別に隠してる訳じゃねぇよ? 気安く名乗るなと禁じられているだけだ。まぁ、お前なら大丈夫だろ。同族だしな」


「……同族?」


自分と彼は何の繋がりもないはずだ。なのに、何故そんな言葉が出てくるのか。雛乃が困惑の表情を浮かべるのに対し、一琉は口端を吊り上げ笑みを深くする。


「俺は……俺の名は貴久。藤森貴久(ふじもり たかひさ)。お前と同じ、藤森の姓を持つモンだ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ