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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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白昼の邂逅【肆】

嫌な記憶というものはなかなか消えない。だが、それを乗り越えてこその今がある。

沖田は雛乃の頭を軽くポンポンと叩きながら、ゆるゆると目を細めた。


「そうですか。……でも、常に気は張っておいて損はないと思いますよ」


沖田の言葉に雛乃は思わず顔を上げる。沖田の口調は柔らかいものの目は笑っていなかった。


「今も、私ではなかったら、確実に路地へ引き摺り込まれていたかもしれませんしね」


「――ッ!!」


時折、忘れそうになるが、此処は現代ではない。様々な思想が渦巻く動乱の時代。

治安が良いとは言えない京。自分の身にいつ、何が起きても可笑しくはないのだ。


屯所にいては分からない時代の流れ。

雛乃は大きく息を吐いて、沖田を再び見据える。


「大丈夫ですっ。これでも、ちゃんと気をつけてますから。……それより、沖田さんこそ、行かなくて良いんですか? 彼等を追い掛けてたんでしょう?」


その問いに沖田は何も答えない。ただ、いつもの表情でにこにこと笑っていた。


「あれ? よく分かりましたね。私が彼らを追い掛けていたこと」


「沖田さんが居なくなってた理由が、それだと納得出来ますから。それに」


雛乃は緩やかに沖田の足元を指差す。


「血が付いてます」


沖田の着物の裾には僅かな血痕が付いていた。それは斑点模様でパッと見では分からない小さなもの。


沖田は少し驚いたような表情を見せたが、それを雛乃に問うことなく苦笑を浮かべるだけに止めた。


「……ああ。先程、少し応戦しましたからね。その時についたものでしょう」


因みに私の血ではありませんよ、と悪戯っ子のように笑う沖田に雛乃も吊られて笑みを溢す。


「雛乃ちゃんの言う通り、彼等を追っていたのは私です。でも、これ以上追う気はありません」


雛乃は沖田の言葉に疑問を浮かべ首を傾ける。

追い続けなければ逃げられてしまうのではないのか、と。


「大丈夫です。彼等が走り去った向こう側には、一君がいますから」


実は青年達を追っていたのは沖田だけではない。沖田よりも先に斎藤が、彼等を尾行し行動を見張っていた。


不逞を働く武士の若者は脱藩者が多い。以前、攘夷を掲げ天誅を実行していた脱藩者も大半が若者だった。それを念頭に置き市中を見回っている。


斎藤は怪しい青年ら浪人の住処を把握しようとしていたのだが、先程の騒ぎによってそれが危ぶまれることとなった。


「騒ぎが起きたのですから、彼等を大人しくさせなければなりません。でも、そうなると彼等を尾行することが出来なくなります。そこで」


「沖田さんが、相手を?」


「そうです。一君が追跡してるなんて、最初は知りませんでしたけどね」


刀を武器に市井の人々を意味なく脅す汚い遣り方が、沖田は嫌いだった。治安の悪い、血に染まる京で必死に生きている。そんな人々を卑下し何が楽しいのだろうか。


そんな様々な思いと苛立ちを胸に沖田は助けに入ったのだが、それは見事に制された。彼らを尾行していた斎藤の手によって。


斎藤は捕縛は止めろと言った。自分が尾行し尻尾を掴むから沖田に浪人達の誘導を頼む、と。


確かに、この場で捕縛するよりもその方法が効率は良いはず。不満そうに眉を寄せながらも沖田はそれに従い、彼らを少し痛め付け此方へと向かわせた――


これが一連の流れである。


「……追わない理由は分かりましたけど、斎藤さん一人で大丈夫なんですか?」


尾行と言えども危険は伴うはず。捕縛となれば尚更だ。気配を消すのが上手い斎藤とて、例外ではない。

心配する雛乃を安心させるように、沖田は雛乃の頭を優しく叩く。


「大丈夫ですよ。きっと土方さんもそのつもりで一君を出したと思いますし、何らかの策は講じてる筈ですから」


だから私は私の行動をするのみです、と雛乃の頭から手を離し微笑む。雛乃はそんな沖田の笑みに凄く嫌な予感がした。


「さぁ、甘味処に行きますよっ!」


「やっぱりぃぃぃ!!」


雛乃の反論を無視し、沖田は雛乃を引き摺るようにしてその場から離れて行った。







◇◇◇






「――で、私のお薦めはこのお団子に特製餡蜜です。遠慮せずに、沢山食べて下さいね」


「……と言われても、殆ど沖田さんの胃の中に収まっていってるじゃないですか……!!」


目の前に積まれた数十枚の皿。それをパシンと叩いて雛乃は沖田を睨み付ける。


――――あれから数刻後。


大通りより少し離れた場所にある甘味処で沖田と雛乃は、腰を落ち着け寛いでいた。

寛いでいる、と言うよりは強制的に連れ込まれ座らされたと言った表現が正しいのかもしれない。


現に甘味を味わうように食べているのは沖田のみ。雛乃はというと、最初手にしていたお団子ただ一つを食べ終え町中の景色を眺めているだけだった。


沖田をジッと見据えていた雛乃は再び口を開く。



「あの、沖田さん。そろそろ帰らないと源さん達が困ると思うんですけど。人手も足りないだろうし」


「あ。すみませーん。お団子あと二皿お願いしまーす」


「無視ですか。そして更に、頼むんですか……」


何を訴えても沖田には何の効果もない。むしろ逆効果になっているのではないか、と雛乃は思う。


雛乃が何か物言う度に沖田はクスクスと笑みを溢していた。今の状況を心底楽しんでいる、そんな笑顔を。


文句を言えば言う程、沖田の計画にまんまと填まっているような気がしてならない。

次々と積み重ねられていく皿を見つめ、雛乃は深いため息を吐いた。


(……このままじゃ確実に夕飯準備、手伝えそうにないよねぇ。私だけでも帰れれば良いんだけどなぁ……。ああ、源さん達ごめんなさい)


だが、それは沖田によって止められている。このまま店を出て、無事に屯所へ帰宅出来るとは限らないからだ。


先程も言った通り京はかなり治安が悪い。女が一人歩きしていて襲われた、なんて事はよく聞く話。下手すれば、遊廓へ売られてしまう可能性だってあるという。


そんな市中を歩くなど見た目が幼い雛乃でも、危険極まりなかった。子供と言えども売られてしまう、そんな時代なのだから。


思い出すのは現代の記憶。誘拐されかけた時の、記憶の断片。

それを振り払うようにキュッと袖を掴み、雛乃は息を再び吐いた。


(……んん、嫌な事思い出しちゃったな……。ちょっと気持ちを切り替えてこようっと)


このまま、こうしていると気が滅入り続けるだけだ。少し風に当たってくるのが良いかもしれない。


「……おや? 何処に行くんですか?」


長椅子から立ち上がった雛乃を見て、沖田はおもむろに声を掛けた。それに雛乃は頷きを返す。


「ちょっと廁へ行って来ようかと。直ぐに戻りますから」


雛乃の言葉に沖田は手に持っていた団子を口元から離し、緩く首を傾けた。


「分かりました……と言いたいところですけど、一人で大丈夫です? 良かったら私も着いて行きましょうか?」


言葉だけ聞けば、妹を心配する兄だと皆が皆、そう思うだろう。

だが、そんな心配そうな言葉とは裏腹に沖田の表情は何処か明るい。雛乃をからかっているのが目に見えて明らかだった。


「っ、子供扱いしないで下さいと、いつも言ってるじゃないですかっ!!」


雛乃が頬を膨らませて抗議をすれば、沖田はぶぶっと盛大に吹き出す。クスクスと笑みを溢しながら冗談ですよ、と手を振った。


「でも、くれぐれも気をつけて下さいね。近場とは言えど、いつ何処で何があるか分かりませんから」


先程とは違い真面目な顔でそう言われれば、素直に頷くしかない。

雛乃は不満そうに顔をしかめながらも沖田にもう一度声を掛けて、その場を離れていった。


パタパタ、と足音が去っていくのを確認した後、沖田は浮かべていた笑顔を消す。


「……可能性は低いと思うんですけどねぇ……」


意味深な言葉を吐いて沖田は店の外へと視線を移した。

そろそろ日が傾きかけてくる頃だ。あと一刻待って何も起きなければ帰るしかないだろう。


「白か黒か、果たしてどちらなんでしょうね」


下げていた団子を口元へと運び咀嚼していく。広がる優しい味わいとは違い、沖田の心情は穏やかものではなかった。

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