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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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白昼の邂逅【弐】


「……おや? 雛ちゃん。其処で何をしてるんだい?」


柔らかく、何処か優しさを含んだ声が頭上から響く。

雛乃が顔を上げ視線を声のした方に向けると、廊下に荷物を抱え部屋を覗く髷姿の男性がいた。その姿を見るなり、雛乃はパッと笑顔を見せ立ち上がる。


「源さん! こんにちは。何か用ですか?」


とてとて、と男性の方に近寄ると雛乃は首を傾げる。その姿に男性――井上は苦笑を浮かべ雛乃の頭を撫でた。


彼の名は井上源三郎(いのうえげんざぶろう)。壬生浪士組の幹部の一人だ。局長である近藤よりも五歳年上だという。


年齢のせいか物腰の柔らかさの所為か、雛乃は井上を他の幹部と同じように“源さん”と呼び父親のように慕っていた。

他の隊士とは違う雰囲気に、何故か和んでしまう。


「疑問を疑問で返されても困るんだがなぁ。まぁ良いか。雛ちゃん、君も来るかい?」


「え、何処にです?」


井上の言葉に雛乃は軽く首を傾けた。


雛乃の問いに井上は意味深な笑みを浮かべるだけだ。着いてくれば分かるよ、という瞳で雛乃を見ると井上は再び歩き出す。


それを見て雛乃は慌てて井上の後を追い掛けた。







辿り着いた先は屋敷の中央にある土間――炊事場だった。


其処には女中の久ではなく幹部の面々である永倉に藤堂、そして沖田がいた。

三人は釜戸を囲んで何やら話込んでいる。


「だーかーら、夕飯作りは俺と新八っつぁんでやるから、総司は向こう行ってろよ!」


「何でです? 私も手伝うこと出来ますよ? 夕飯を作ることだって」


「総司が飯を作るとこなんざ、一度も見たことねぇんだよ。一体、何が作れるんだ?」


藤堂と永倉、二つの視線を受け沖田はにっこりと微笑む。そして胸に拳をトン、と叩き付けた。


「お茶を容れるのは得意ですよ。あれは誰にも負けません」


「「いや、それ炊事じゃねぇし」」


間を置くことなく、否定された事に沖田は不満そうに眉を寄せる。沖田にとって茶を容れる事も大事な炊事の一つらしい。


「仕方ないさ。総司は炊事が苦手だろう? 昔はお茶すら容れる事が出来ずに悔しがっていたからね」


そう言って井上は土間へと入って行く。井上の姿を見た藤堂と永倉は頬を緩め、何処か嬉しそうだ。


一方の沖田は表情を更に歪め、ジッと井上を見据える。


「もう源さん、余計な事は言わないで下さいよ。苦手なだけで、作ろうと思えば作れます。作れるんですからね!」


「ははは、そうか。それは済まないね」


にこにこと、笑顔を振り撒く井上に悪怯れる様子はない。当然のように沖田の頭を撫でて、台の上に荷物を置いた。そして、背後を振り返り手招きする。


「ほら、雛ちゃんも入っておいで」


「え、雛乃もいるの!?」


井上の声に素早く反応したのは藤堂だ。入り口に走り寄り雛乃に問い掛ける。


「雛乃、どうしたの? 何か用?」


「えっと、井上さんに着いて来ただけなんですけど……。あの、久さんは? 何かあったんですか?」


率直な疑問を口にし雛乃は首を傾けた。


普段、炊事場にいない沖田達がいるのだ。そう思うのは当然だろう。雛乃の問いに藤堂は頭を軽くかいた。


「ああ、今日からお久さん実家に帰ってるんだ。親戚が祝言挙げるらしくて」


「祝言!? うわぁ、おめでたい事じゃないですか!」


両手を合わせ喜びを見せる雛乃に、藤堂も釣られて笑みを溢す。


久の実家は大阪にある。

大阪で小間物問屋を営んでいるのだと言う。祝言を挙げるのは、そこの若旦那。つまり久の甥にあたる人物だった。


「お久さんだけじゃなく、近藤さんも行ってるみたいだよ。まぁ、お久さんには休暇が殆ど無かったし、楽しんで来て貰えれば良いんだけどさ……」


藤堂はそこまで言って言葉を濁す。藤堂の視線の先には土間の永倉達がいた。


先程口論もだが、藤堂も様子も含め雛乃はある結論に行き着いた。久が居ない状況で考えられる問題はただ一つ。


「もしかして、毎日の食膳をどうするかで悩んでるんですか?」


雛乃の指摘に藤堂が苦笑を浮かべ雛乃へと視線を戻す。そして、小さく頷いた。


「うん、その通り。お久さんが帰ってくるまでの六日間、炊事場をどうするかを話し合ってたんだ。一先ず今日の夕飯は俺と新八っつぁん、総司が作る事になったんだけどさ」


簡単に炊事が出来る環境ではなかった。問題要素でもある沖田が土間から動こうとしないのである。


沖田が炊事を苦手としている事は昔から風の噂で知っていた。知っていたからこそ、沖田には買い出しを任せたのだが、沖田はそれに従わず、炊事場で何かを作らせろと小言を言い続けている。


いつもの口調で小言を言う沖田を想像し、雛乃は表情を曇らせた。


「……うわぁ、それは凄く厄介ですね」


「うん。本当に厄介過ぎて俺らじゃ手に負えなくてさぁ……。源さんが来てくれて助かったよ」


井上は沖田にとって近藤に続く頭が上がらない人物の一人だ。井上の言う事ならば沖田も素直に聞くだろう。現に、沖田は井上から指示を受けきちんと動いていた。

それに笑みを溢し雛乃は、再び首を傾ける。


「あれ? なら、源さんも炊事当番なんですか?」


「うん? ああ、違う違う。源さんは指導専門だよ。俺らだけじゃ上手く作れないからさ。補助要員ってところ」


藤堂は片手を振って、土間に視線を戻し息を吐いた。


「本当に大変なのはこれからだよ。経験あるのは源さんぐらいだから、何刻も掛かりそうだし」


慣れない炊事に苦労するだろうと思えば思う程、溜息が零れてしまう。


「おーい、怠けてねぇで手伝えよ。急がねぇと夕飯遅くなるぞ」


バシン、と藤堂の背を叩いて土間の入り口に立ったのは永倉だ。籠を片手に、自分より背の低い藤堂を見下ろしている。


「新八っつぁん、痛い。それに俺は、少し雛乃に説明してただけ。怠けてなんかいねぇし!」


藤堂は説明の部分を強調し、永倉に抗議の目を向ける。それに永倉は吹き出して、藤堂の頭をぐしゃぐしゃに掻き回した。


何すんだよ、と藤堂の声を無視し永倉は雛乃へと視線を移す。そして、手に持っていた籠を雛乃へと投げ渡した。


思わず受け取ってしまった雛乃は目を瞬かせる。何だろうと、渡された籠の中を覗くと籠の中には半紙が入っていた。


筆で書かれてあり達筆過ぎる文字。雛乃は眉を寄せながら、漢字の前後を推測し読んでいく。


「に、人参、茄子……。野菜ばっかりだ……」


雛乃は暫く疑問を頭に浮かべていたが、ある事に気付き顔を上げる。雛乃の視線を受け、永倉はその瞳を細めた。



「源さんから雛乃にお使いのお願いだ。総司と行って来い、だとよ」


「えぇ!? わたっ、私もですか!?」


雛乃が驚くのも無理はない。何故なら雛乃には未だに監視が付き、外出禁止令が出されている。


まさか、自分に買い出しの任が下るとは思ってなかったようで雛乃は戸惑いを隠せなかった。

慌てたように両手を左右に何度も振る。



「だだだ、駄目ですよ! 土方さんから禁止令が出てるのに、買い出しなんて行けません!!」


本音を言えば外出したい。だが、あの土方が安易に許可するとは思えなかった。


「歳さんには、私から伝えておこう。だから、安心して行って来ると良い。気晴らしにもなるだろうからね」


頑なに拒否し続ける雛乃の肩を押したのは、提案した井上だった。作業しやすい様に襷掛けをしながら、雛乃に柔らかな笑顔を向ける。


「た、確かに外出はしたいです。ですけど……」


土方や山崎の監視が続いている以上、無理なのではないだろうか。雛乃の心配を余所に井上は笑みを深くし、更に言葉を続ける。


「じゃあ、雛ちゃん。これも仕事の一つと思ってくれて良い。買い出しをしないと夕飯が侘しいものになるんだ。……行ってくれるね?」


予想外だった井上の言葉に雛乃は反論する事が出来ず、言葉を詰まらせてしまう。仕事だと、そう言われてしまっては返す言葉は一つしかない。


雛乃は観念したように息を吐くと、井上の提案を素直に受け入れるしかなかった。

そんな雛乃の様子を横目に見ながら、永倉は井上に対する注意項目を己の中で増やしていく。


江戸にいた頃――試衛館の頃から井上には皆、頭が上がらなかった。井上の言葉には逆らえない強さがある。何というか父親の、祖父のような雰囲気だ。


「……源さんはやっぱり凄ぇというか、おっかねぇよ……」


「ん? 何がだい?」


永倉の呟きを聞き止めたのか、井上は穏やかな表情で笑う。だが、背後から漂う気は、心地の良いものではない。


何でもない、と永倉は首を軽く左右に振り、素早く土間の中へと戻って行くのだった。







◇◇◇






「いやぁ、良いお天気ですねぇ」


「そうですね……って、沖田さん。いい加減に手を離してもらえませんか?」


壬生にある屯所を出て、雛乃と沖田は京の市中へと来ていた。

壬生の穏やかな刻とは違う市中ならではの刻が流れ、町は賑わいを見せている。


屯所を出てからというもの沖田は雛乃を手を握ったまま、決して離そうとはしなかった。

笑顔の沖田に対し、雛乃は恥ずかしくて仕方がないのか頬を赤く染めている。

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