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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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その男、芹沢鴨【玖】


「もう、芹沢さんは相変わらず意地悪ですよねぇ。話、聞いてました? 早く雛乃ちゃんを離して、私に返して下さいよー。雛乃ちゃんはうちの子です」


沖田はポンポンと膝を叩いて、雛乃を受け取れるように芹沢の方へ手を伸ばす。それに芹沢は軽く手を振り拒否を示した。


「沖田、住み処は一つでなければと誰が決めた? 住み処は幾つもあれば自由に歩ける。ならば、此方を新たな住み処としても問題はあるまい?」


遠回しな言い方だが、芹沢は雛乃を寄越せと言っているのだ。

寝るのは其方でも構わない。だが、日中は此方に渡せとそう言っている。


それを瞬時に理解した沖田は首を横へと振った。


「あはは、そんなの絶対駄目ですよー。芹沢さんを始め、此処の方々はいじめっ子ばかりなんですから。沢山の女中さんを、苛めてきたでしょう?」


()()そう言って沖田が指摘しているのは、彼らが女中にした仕打ちの事。沖田にとっても、あの行為は決して許されるものではなかった。


沖田にとっての心配事は芹沢派の乱行もだが、雛乃の精神面も気掛かりの一つだった。


彼女の奥深くに潜む、重い重い暗闇。


それが芹沢との接触でまた広がるのではないかと、沖田は懸念し続けていた。

思わず、此処に来てしまったのもそれが一番の起因だったりする。


何事もなければそれで良いと遠目から様子を見ていたのだが、いつの間にか足は敷地内まで入ってしまっていた。

どうやら予想以上に自分は彼女の事が心配だったらしい。


沖田が息を吐いて視線をふと横に動かせば、新見を始め芹沢派の面々は沖田を睨み付けていた。


恐らく、先程の言葉が気に食わなかったのだろう。だからといって、此方を睨まれても困るだけなのだが。


沖田は肩を竦めて嘘は言ってませんよー、と軽やかに返すが、睨みは一向に引かない。


仕方なく沖田が、それを笑顔で切り返していた時、芹沢から笑い声が漏れる。視線を芹沢に戻すと、雛乃を抱き締めたまま愉快そうに沖田を見ていた。


場に合わない芹沢の笑みに沖田は思わず首を捻る。だが、この笑みの意味を沖田は直ぐに知る事ととなった。


芹沢の方を見ると必然とその先も視野に入り見えてしまう。つまり、芹沢の近くに座っている土方の姿も見えてしまう訳だが……。


今の土方はとても直視出来る状況ではない。不機嫌さを剥き出しにしており、話すのも躊躇う程だ。


現にあれ程、沖田を睨み付けていた新見達が土方を見て、視線を逸らしてしまっている。それだけ土方の変わり様は凄まじかった。


こんな表情になる土方を沖田はよく知っている。そして、彼が何に怒っているのかも既に分かっていた。


「あれぇ? 土方さん、一体どうしましたー? そんなに沢山、眉間に皺を寄せて。具合でも悪いんですか」


いつもように沖田が明るく話しかけると、土方はピクリと反応を示し鋭い眼光を沖田に向ける。


「どうした、だぁ? よくそんな事が言えるな、総司。てめぇ、何で此処に居やがんだ。稽古はどうした?」


土方の声は地に響くような低音で、機嫌が悪いのが在り在りと分かる。雛乃が身震いしてしまう程の険悪な状態だというのに、沖田は笑顔を絶やす事なく土方と向き合っていた。


正座をしてにこやかに笑う沖田に、怒りを表す土方。誰がどう見ても異様な光景に見えるだろう。


一体何をどうしたら良いのか。芹沢の膝の上に座っている雛乃はハラハラと様子を見守ることしか出来ない。


沖田が何も話さないと判断した土方は、舌打ちをし、大きく息を吐いた。


「……仕方ねぇ、説教は後だ。今は生憎、てめぇに割く時間はないんでな。今からでも遅くはねぇ、早く稽古に戻りやがれ。てめぇの事だ。誰かに丸投げして此処に来たんだろうが」


沖田の稽古を怠ける行為は今に始まった事ではない。京に着いてからは度々ある事だった。

沖田曰く、稽古自体が嫌という訳ではなく、人に教える事が物凄く嫌で苦手らしい。


しかし、仮にも沖田は副長助勤。

上に立つ者である。指導者が稽古を怠けるなんて以ての外だ。このような体たらくでは下に示しがつかない。


土方の言葉受け、沖田は何事かを考えるように首を傾げる。そして、軽く挙手をした。


「まぁ、土方さんの話はもっともなんですけどー。訂正箇所が、幾つかあるんですよねぇ」


にこにこと意味深な笑みを浮かべる沖田に、土方は凄く嫌な予感がする。

この笑みを浮かべていて良い知らせを聞いた事は一度もない。むしろ悪い事の方が多かった。


沖田は、そんな土方の心情を察しているかのように、笑みを深くし話を続ける。


「言っておきますが、稽古はきちんと終えてきたんですよ。私と打ち合った皆さんがバタバタと倒れてしまいまして、続行不可能になっちゃったんです。今、永倉さんと一君が頑張って介抱してくれてるはずかと」


土方の勘は当たった。


沖田が発した内容は土方の明らかな頭痛の原因になりそうなものだった。

頭が少しずつ痛くなるのを感じながら、土方は沖田を睨み付ける。


「……何だって? お前今、なんつった?」


「ですから、隊士を扱いてあげたんですよ。全力で」


悪びれることなく、そう返し沖田は意外と疲れたんですよ、と軽く欠伸をする。

それが益々土方の苛立ちを増していく。土方は右手で額を押さえ、深々と息を吐いた。


沖田が部下に全力で稽古をした――


普通なら良い鍛練の一部として流されるだろう。だが、沖田の場合はそれで済まされなかった。


沖田は天賦の才を持つ剣士だ。実力は計り知れず、隊内でも沖田に互角に渡り合える人物は数える程しかいない。

それに加え、沖田は剣や竹刀を握ると口調が変わりかなり好戦的になる癖があった。


この時の沖田に挑むのは、はっきり言って自殺行為以外の何物でもないのだ。

沖田に扱かれた隊士達の現在状況を瞬時に理解した土方は、舌打ちをして立ち上がる。


「あれ? 土方さん、廁ですか?」


「違ぇよ! てめぇの為出かした後始末しに行くに決まってんだろうが!!」


土方は声を荒げ沖田に立つよう促すが、沖田はそれを無視し次の行動へ移ろうとしていた。


沖田の視線の先を辿ってみると、行き着く先は芹沢の腕の中にいる雛乃だった。芹沢から何とか雛乃を奪取するべく動こうとしているのだろうが、土方がそれを許すはずもなく。


「おい、コラ総司。てめぇ何してやがる。急いで壬生寺に戻るぞ」


「えぇー? 大丈夫ですよー。皆さん、打撲ぐらいで済んでると思いますし」


「てめぇの物差しで測んじゃねぇよ! ……ったく、試衛館の時もそうやって、数多の門下生を叩き伏せてきたのを忘れてるだろ」


そうでしたっけ、と首を傾げる沖田に土方は何とも言えない表情を見せる。


沖田が実力差を考慮することは絶対にない。

誰とでも打ち合おうとするが、沖田の実力を知る者はそれを拒否する。了承すれば、最後。暫くは竹刀が持てない身体になってしまうのだった。


加減をしろと日頃から口酸っぱく言っているのだが、沖田は加減の意味をいまいち分かっていない。その所為か、行動を改める気は未だないようだ。


「おら、さっさと立て。隊士らを早く介抱しねぇと近藤さんに言い付けるぞ」


「ッ!? そ、それは駄目です! 絶対に駄目ですから!!」


近藤の名前が出た途端、沖田の態度が一変する。沖田にとって、近藤は尊敬すべき大事な恩師だ。彼を困らせる事は絶対にしたくない。


その影響なのか、いつの間にか沖田の中では土方には逆らって良し、近藤の言うことには素直に従うという方程式が勝手に出来上がっていた。


「土方さん、近藤さんには言わないで下さいよ! 近藤さんを困らせる訳にはいきません!!」


「全てを辿ればおめぇが悪いんだろうが! 勝手な事ばかり言ってんじゃねぇよ!!」


ゴツン、と一発沖田に鉄拳をお見舞いし土方は沖田の意見をばっさりと切り捨てる。

沖田は拳骨が余程痛かったのか頭を押さえて蹲ってしまった。


(……誰がどう見ても沖田さんが悪いんだろうけど、何故か土方さんが悪く見えるのは気のせいかなぁ?)


雛乃の目に映るのは蹲る沖田と沖田を見下ろす土方の姿。土方の形相を見れば自ずとそう見えてしまう。


悪いと思いつつも、雛乃は芹沢の腕の中でくすりと笑みを溢す。


芹沢はそれに瞬時に気付き、ゴツゴツした大きい掌で雛乃の頭を撫でていた。

撫でられたことに驚いた雛乃は、思わず顔を上げる。雛乃の視線の先には楽しげに笑う芹沢がいた。


「フン、土方と沖田の口喧嘩も大したものよ。お主の存在をすっかり忘れておるわ」


「そんなことな……、いえ、ありますね」


雛乃は直ぐに否定をしようとしたが、土方と沖田の様子を見て同意せざるえなかった。


彼らの口論は終息に向かったかと思いきや、更に激しくなっている。

近藤の名前が出れば沖田は直ぐに大人しくなると思ったが、逆効果だったようだ。


そんな二人を見ていると、雛乃はどうしようもなく不安になってくる。


(……二人共、一体どうするつもりなんだろう。私はいつまで、こうしてなきゃいけないのかなぁ……)


芹沢は一向に腕を解く気配はない。解こうと何度動いても離してもらえないのだ。


出来ることなら、雛乃は早くこの場所から離れたかった。


雛乃が此処から離れたいと思う理由はただ一つ。芹沢にこれ以上詮索されない為だ。


先程、囁いた言葉からして自分に何らかの疑いを持っているのは間違いない。長居は危険だった。それに、此処で露見されるのは些か不味かったりする。


何せ、土方達にも自分の素性全てを話した訳ではなく隠している秘密が多々あるからだ。

その秘密は雛乃にとって、誰にも知られたくないものばかり。安易に口にされたくもなかった。


(……ああ、どうしようかなぁ。芹沢さん手強そうだもんねぇ)


思案してみるものの、なかなか良い案は浮かばない。頼みの綱である土方と沖田は未だに口喧嘩中。以前のように誰かが制さない限り止まることはないのだろうか。


新見や他の芹沢派の人達は呆れたようにそれを傍観しているし、芹沢に至っては愉快そうに笑っていた。


「……あのっ、芹沢さん。私、そろそろ戻りたいんですが……って、きゃあっ」

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