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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
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その男、芹沢鴨【漆】

雛乃が座ると同時にパシンと何かを叩くような音が響く。それは扇子を大腿に軽く叩きつけた音で、酷く乾いた音だった。


「……フン。ようやく来たか。待ちくたびれたぞ」


野太い声に雛乃が顔を上げると、上座に座り悠々と扇子を扇ぐ恰幅の良い男性がいた。

ただ、其処に座っているだけなのに、男性からは威圧感がひしひしと伝わってくる。


彼こそが、壬生浪士組の筆頭局長――


(……芹沢鴨、か)


他の者同様、舐め回すような視線を雛乃に向けてくる。だが、その瞳は何処か優しさを帯びていた。


土方は雛乃を一瞥した後、芹沢へと視線を移す。


「遅れて申し訳ありませんね、芹沢局長。紹介が遅れましたが、この娘が先日入った女中で――」


「雛乃と、申します。どうぞこれから宜しくお願い致します」


土方の言葉に被せるよう雛乃は口を開き、簡単に挨拶を述べた。


三つ指を付き、緩やかに頭を下げる仕草は洗練されたもので、素人のそれではない。その場にいる全員が思わず息を呑んだ。


簡単な動作だが、見る者が見ればその者の育ちが分かる。洗練されていればいる程、動作は自然に見え、美しく映えるのだ。


雛乃はこう見えても旧家の娘。礼儀作法等は勿論、上流階級で生きていく為の必要な知識は全て叩き込まれている。


周りが大人で占められている世界で生きてきた雛乃にとって、このような挨拶など簡単な事であった。


雛乃を見た目で判断し好奇の視線を送っていた、芹沢派の面々は渋い表情を見せている。

あの仕草を見ては子供扱いなど、もう出来ない。雛乃は一人の人間として、此処にいるのだから。


目を細めながら雛乃を見ていた芹沢は開いていた扇子を片手で閉じ、手の甲へと顎を乗せた。


「なかなか出来る女子のようだな。童の癖に、良い瞳をしておる」


口端を吊り上げて笑みを溢し芹沢は、再び扇子をパチンと開く。


「して、雛乃と言ったか。何故、お主はこの浪士組に来た? 此処がどの様な場所か分かっておるのだろうな?」


針を刺すような芹沢の鋭い問いに、雛乃は微かに目を細めた。

恐らくこれは単なる質問ではないだろう。自分の懐を探る意味合いで聞いたに違いない。


(……理由か。私が此処にいる理由……)


時を越えて、幕末に来て興味津々だった新撰組に出会って。間者として疑われながらも、当たり前のように此処にいる。


殺される可能性があったから最初は大人しくしていた。でも段々と、此処の生活に慣れていって。今は女中として働いている自分がいる。


他に選択肢があったのかもしれない。だが、それを選ぶことはしなかった。


何故なら――


「……知りたい事を、自分自身で知る為に此処にいるんです。何も知らないのはもう嫌ですから」


雛乃は微笑を浮かべた後、正面にいる芹沢を真っ直ぐ見据えた。その瞳に怯えは一切見られない。自分の睨みにも動じない雛乃に芹沢は面白そうに笑みを深くする。


「ほう? 知りたい、とな。一体主は、何を知ろうとしておる。浪士組の弱みでも掴むつもりか?」


そう冗談混じりに紡がれた芹沢の言葉は、周りの空気を一変させた。

そんな張り詰めた雰囲気の中、雛乃は横にいる土方を一瞥する。すると、案の定土方は不機嫌そうな表情を浮かべていた。


その原因は勿論、雛乃自身。


下手な事を口走らないか気を揉んでいるのだろう。時折、此方に向けられる眼差しが、そう訴えているように見えた。


(……まぁ、この状況じゃ仕方ないか。明らかに皆さんの疑いの眼差しが入ってるもんね……)


だが、このような駆け引きで負けたくはない。

何より今後、舐められない為にもこの場はきっちりと納めておきたかった。


「浪士組の? 何故、そんなことをする必要があるんです? 私はただ、自分の記憶を取り戻したいだけですよ」


そう言って雛乃が首を傾げると、土方はハッとしたように目を見開く。事情を知らない芹沢達は、どういうことかと眉を潜めた。


「えっと……実は私、幼少の頃の記憶が殆どないんです。その記憶を何とか取り戻そうと思って私は此処に――」


雛乃は思い描いていた身の上話をスラスラと述べていく。


簡単に要約するとこうだ。


親を亡くした強い衝撃により幼少時代の記憶を無くしてしまい、親や親類との記憶は一切ない。何とかして思い出したいと思い、両親の古い知人や友人を訪ねることにした。


訪ね続けながら辿り着いた先がこの京の都。

そこで、偶然再会した近藤に事の事情を説明する。そして、両親の思い出の地である京に暫く滞在する事を伝えると、近藤は此処に住みなさい、と言ってくれたのだった。


「……私は宿を取って捜すから良いと断ったんですけど、近藤さんがなかなか折れてくれなくて」


最初は断っていた。断っていたのだが、近藤の悲しそうな顔を見る度に何だか自分が悪い事をしてしまったような気分になり、最終的には住む事を了承してしまった。

女中として働くという条件付きで。


雛乃が話を終えた座敷は、何とも言えない空気が漂っていた。


雛乃の身の上を知り複雑な表情を浮かべる者、薄く笑みを溢す者、眉間に皺を刻み続ける者など反応は様々である。


そんな中、廊下側で胡座をかいていた青年がのんびりとした口調で声を上げた。


「確かにさぁ、今の市中もかなり危ねぇけどよ。此処も、結構危ねぇんじゃねぇの? 周りは飢えた野郎ばっかだぜ」


そう言ってボサボサに伸びた髪を一つに結った青年――平山は、薄く笑い雛乃を見据えた。


此処は壬生浪士組の屯所。

男性のみで構成された組織である為、当然の如く屋敷内は男性ばかりだ。


そんな中に少女とは言え女一人を住み込ませる。常識的に考えても非常に不味いだろう。


特に土方は、これにかなりの懸念を抱いている。何故なら、芹沢派はこれまでに幾度となく組内を荒らしてきた為だ。

若い女中達が一気に辞めて行ったのも、芹沢派――芹沢の所為である。


今の平山の言葉は、それを心配するものではない。寧ろ反応を楽しんでるように見える。

雛乃がどう判断し、どのような答えを返すかを只、見て楽しんでいるだけだ。


そんな平山の視線を受けながら、雛乃は嫌な顔一つ見せず穏やかに笑う。


「ああ、大丈夫ですよ。少しの護身術なら扱えますし、それに」


雛乃はさり気なく右手を取り出し、グッと拳を作る。


「何かあれば股間を遠慮無く握り潰すか、強く蹴り上げますから。心配なさらなくても結構です」


可愛い笑顔とは裏腹に紡がれた言葉は辛辣なもの。座敷にいた雛乃以外の全員が顔色を変えたのは言うまでもない。


しかしただ一人、芹沢だけは愉快そうに笑っていた。


「クククッ、また大胆な事を言う。……普通はそのような事をする女子なぞおらんわ。抵抗すれば斬られるとは思わんのか」


帯刀は当たり前の、この時代。

刀を持つ者に下手に逆らえば斬り伏される事は多々ある。


それに男尊女卑の考え方が浸透しているせいか、女を軽視することは珍しい事ではない。

芹沢のような輩がいても別段おかしくはなかった。


だが、雛乃は男女平等の世の中で生きてきた人間だ。そのような常識に捕らわれたりはしない。


「それは一般論でしょう? 私は身を守る為なら何でもやるべきだと思いますよ」


どんな状況であれ自己防衛は必要だ。男も女も関係ないだろう。


言いたい事は沢山あるが、此処はそれを議論する場でない。去来する様々な思いを隠すように、雛乃は軽く息を吐いた。


「私は身を、命を守る為なら、誰にでも反撃はします。……あ。勿論、芹沢局長とて例外ではありません。何か酷い所業を為出かせば、その時は」


遠慮なくやらせて頂きますから、と雛乃は芹沢に向けて微笑んだ。


威圧的な雰囲気を放つ芹沢と対峙しながらも、躊躇する事なく物申す雛乃に、芹沢派の面々は驚きを隠せなかった。


先程の発言と言い、この娘は余程の怖い者知らずなのか――


芹沢にこのような態度を示して無事でいられる訳がない。知人ならいざ知らず、初対面の相手だ。芹沢が許すとは思えなかった。


雛乃の言葉で、一瞬にして笑みを消してしまった芹沢へ周囲の目が注がれる。だが、動いたのは芹沢ではなかった。

動いたのは芹沢の隣に座っていた、袴姿の総髪の青年。青年は鋭い目を更に鋭くさせ、雛乃を強く睨み付けた。


「貴様、 芹沢局長にそのような発言をして良いと思っているのか? 女中の分際で生意気だろう。立場を弁えろ!」


見下すような冷たい視線の中に、怒りが含まれているのがよく分かる。雛乃は眉をひそめた後、芹沢からその青年へと視線を移した。


(……芹沢鴨の腰巾着といえば、彼しかいないよねぇ。なら、彼は新見錦(にいみにしき)かなぁ……)


青年――新見も黙っていれば美形の類に入るだろう。だが、鋭い目付きと見下すような態度が人に嫌悪感を与えてしまう。


雛乃が一番苦手とする類型だ。こういう人物に自分の意見は滅多に通らない事を雛乃は知っている。恐らく反論すれば、火に油を注ぐように彼の怒りは増すだろう。

だからと言って、ずっと黙ったままでも危ないのだが。


雛乃の予想通り、新見は痺れを切らしたように畳を強く叩き再び声を上げる。


「黙したままとはどういうことだ。筆頭局長だけではなく、局長の俺までも愚弄――!」


だが、それ以上話すことは出来なかった。

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