その男、芹沢鴨【伍】
だが、思っていたよりも重く辛い話に瞬時に整理が出来ず、山崎の思考は同じ所をぐるぐると巡っていた。
普段の雛乃からは想像出来ない過去。
隠し事は多々持っている雛乃だが、嘘を吐く事はしない。
真実の話だろうとは思う。
ならば、この引っかかりは何だろうか。
「……聞かなきゃ良かった、とか思ってません?」
雛乃は山崎の心を読み取ったかのようにそう言って笑った。
感情の読めない笑顔に山崎は息を吐き、雛乃から目線を外す。
「馬鹿な事言うなや。情報は多い方がええ。それが例えどんなモンでもや」
過去がどうあろうと、何を背負っていようと構わない。
只、壬生浪士組に牙を向けるか否か。長州諸国との繋がりがあるか否か。
今の雛乃に向けられている嫌疑はその二つだ。
雛乃は特殊な理由で此処にいる為、出生も全て不明。この時代に雛乃の情報は一切ない。
つまり、雛乃から語られる事で判断しなければならないという事になる。
そのせいか、雛乃の嫌疑はなかなか晴れずにいる。山崎が案じる彼女の闇も殊の外大きい事も、不安要素の一つだ。
やはりもう暫くは、自分が彼女を見張らなければならないのかもしれない。
山崎は頭で打ち出した数々の問題に一先ず終止符を打ち、視線を雛乃へと戻す。
「……まぁ、ええ。これは副長らにも報告させてもらうわ。アンタの得た情報はキチッと管理しとかんと、後々えらい事になりそうやからな」
いつもと変わらない厳しい眼差しで自分を見る山崎に、雛乃は驚いたように目を瞬かせた。
「それは、別に構いませんけど、驚きました。至って普通なんですね」
「は? 一体何がやねん」
雛乃から主語が分からない言葉を返され、山崎の眉間に皺が一つ刻まれる。
それに気付きながらも、山崎に促されるまま雛乃は話を続けた。
「同情や哀れみ、好奇の目を向けなかった事に驚いたんですよ。山崎さんなら、私を酷く蔑むのかなぁと思ってたのに」
そんな反応されるとは思ってませんでした、と笑う雛乃に山崎は額に掌で作った拳を当て、強く息を吐いた。
「……思ったよりも重症やわ」
闇云々より、彼女の感情にも問題があるような気がする。違和感というか、雛乃の価値観の問題だろうか。
普通のようで普通ではない。何かが欠けている。
嫌われる事に
想われない事に
差別される事に
慣れてしまっているのではないか、と。
喜怒哀楽は、きちんとあるように見えるのだが、本当は違うのかもしれない。
山崎の呟いた言葉が上手く聞き取れなかったのか、雛乃は軽く首を傾け、それを山崎に問いかけた。
山崎は雛乃を一瞥した後、足を崩してゆっくりと立ち上がる。
「……何もあらへん。んな事より早よ腕、出しぃ。浪人にやられた傷と掌の傷、まだ癒えてへんやろ」
山崎に指摘された場所に視線を移した雛乃はサッと顔色を変える。
怪我してから何日かは、こまめに包帯を取り替えていたが、ここ最近はすっかり忘れて放置していた。
腕の傷はそう酷い傷口ではない。跡が残ってしまうが、仕方ないと半ば諦めていた。
雛乃の心配は掌の傷口だ。
掌の傷は先日、爪を食い込ませたせいで化膿しつつあり、正直今も痛みがあったりする。
治療を疎かにし、悪化させたとあっては山崎に何と言われるか。
医者がいない壬生浪士組では、ある程度の怪我ならば自分で治療するのが常だ。
だが、何故か雛乃の治療には土方や沖田、山崎が関わってくる。
故に、こうして放置する事自体危険なのだと思い知らされるのだった。
「ほ、殆ど治ってますから大丈夫です。治療するぐらいの傷じゃないし、大丈夫ですから!」
山崎に気付かれないよう掌を隠しながら雛乃はにこりと微笑む。
だが、観察力は人並み以上の山崎にそれが通用するはずもなく、山崎は直ぐに雛乃の嘘に気付いた。
山崎は雛乃をジッと見据えたまま微動だにせず、こう告げる。
「ほんなら、その掌開いてみぃ。怪我、治っとるんやろ」
「うっ……」
痛い所を的確に指され、雛乃は返す言葉が瞬時に浮かばず返答に困ってしまった。
山崎の事だ。何を言っても通用しない気がする。それに、既に気付かれている可能性もあるだろう。
化膿した掌が見えないようにしながら、雛乃はゆるゆると息を吐いた。
このまま掌を見せない、拒否する状態が続けば自ずとを完治してない事を認めることになる。
別に治療されるのが嫌な訳ではない。ある程度の治療は必要だとは思う。
思うのだが、自分には余り手を掛けてもらいたくないというのが本音だ。
きっと彼らはそれでは納得しないだろう。
何故なら彼らは、女子に傷跡が残るのを極端に嫌う。割れた皿の破片で怪我した時は大袈裟に包帯を巻かれた。
ほんの僅かな切り傷なのにも関わらず、だ。
(そこまで必死に治療しなくても良いと思うんだよねぇ……。傷なんて沢山あり過ぎるから気にしないし、出来て当たり前だもん)
幕末と現代では医療技術の差が激しい。怪我一つで命を落とす事もある。それ故、治療は常に行うのが当たり前なのだ。
だが、医療の発達した現代にいても、怪我を頻繁にしていた雛乃にとっては、治療自体無意味だった。癒しても癒しても、身体の傷は決して完全には治らないのだから。
身体に受けた傷は、事件だけものじゃない――
雛乃は唇を噛み絞めた後改めて山崎を見る。
只、視線を交わすだけで何も話さずにいたが、それは山崎によって綺麗に壊された。
山崎は一気に雛乃との距離を縮め、雛乃の片腕を素早く掴む。驚いた雛乃が懸命に腕を引こうとするものの、腕は微動だにしなかった。
「……ちょっと、何をするんですか」
「俺なぁ、こういうまどろっこしいのは嫌いやし苦手やねん」
腕を掴んでいない指の関節をポキポキと鳴らし、山崎は目元を細める。
そんな山崎を見て、雛乃の背中に嫌な汗が伝うと同時に、山崎がやろうとしている事に気付く。
「実力行使や」
山崎がそう言うや否や、雛乃は方向転換し山崎が居る反対側の障子戸へと向かおうとした。
しかし、掴まれていた腕のせいで障子戸には届かず、伸ばした手は空中で止まった。
それでも尚、バタバタと手足を動かし必死に逃げようとする雛乃を見て山崎は声を上げる。
「逃さへん! 素直に掌見せぇ! 人が親切に治療してやるて言うとるのに、何で逃げるんや!」
「いやいや、無理です、ごめんなさい! この傷は放って置いた方が、いえ、放って置くべきなんです!! 些細な傷ですよ? 化膿なんて一切してませんからっ!!」
その言葉に山崎の眉がぴくりと反応する。雛乃が慌てて口を押さえるも時既に遅し。
山崎の表情は真っ黒に染まっていた。
「ほぅ、化膿やて?」
「あっ」
掌の傷は化膿する程のものではなかった。刀傷だったが、傷も深くなく早急に治療したお陰で今はもう、すっかり良くなっている筈なのだが。
目線を反らし続ける雛乃を見る限り、彼女が何かを為出かして悪化させたのは間違いない。
山崎は一息吐いて、雛乃を畳に散らばる布団の上へと思いっきり放り投げた。
重力に従い、雛乃の身体は数枚重なった布団に難なく落ちる。落ちた瞬間、腰を打ったのか雛乃は眉を寄せ、表情を曇らせた。
雛乃がふと自分の体勢を見ると、うつ伏せ状態になっている。
何かに気付いたように顔を上げると、山崎が腰を屈め厳しい目で自分を見つめていた。
「あちゃー……」
現状を認めたくないと、逃げるように布団へ顔を埋めるが何ら意味はない。
山崎の制裁は確実にやってくるだろう。
山崎は雛乃が落ちた事に気を向けている間に、雛乃の掌を固定するように掴んで掌の怪我を確認していたのだった。
「こら、アカンわ。化膿どころやないやん」
開かれた雛乃の掌には、ミミズ腫れのようになった酷い膿が大きく出てきていた。膿は点々と出てきているものもあり、刀傷だけが原因ではないように見える。
「アンタ、治療を途中で放棄したやろ。んで、治りきっていない掌に何らかの原因で強く爪を立てた。違うか?」
山崎の指摘に雛乃は顔を布団に埋めたまま、反応を示さない。無言は肯定。山崎は怒りを通り越して呆れたように雛乃の頭を叩いた。
「包帯も巻かず何をしとるんや、ど阿呆。怪我、長引かせてどうすんねん」
こんな、痛々しい傷を負っているのにも関わらず、平然としていた雛乃の神経は一体どうなっているのだろう。山崎にとっては、雛乃の謎がまた一つ増えたような気がした。
「……あの、山崎さん。腕、いい加減に離して下さいよ。もう逃げたりしませんから」
布団から顔を上げた雛乃は苦笑を浮かべ、そう山崎に声をかけた。
逃げない、というのは正直に言うと嘘だ。
山崎にバレた以上、逃げて彼に治療されるのを何とかして防がなければならない。
人体急所を知り尽くしている山崎の事だ。わざと痛い治療をするに違いない。怪我に慣れているとはいえ、痛いのは嫌である。
山崎は職業柄、そんな雛乃の態度が直ぐに分かったようで首を縦には決して振らなかった。
「アカン。治療終わるまで離さへんよ。……治療は多少手荒ぅなるけど、文句はあらへんよな?」
初めて見る山崎の笑み。
だが、どす黒いそれに雛乃の表情は完全に固まった。
山崎が懐から取り出したのは小さな竹筒。その中身を湯飲みに注いでいく。
薬草を煎じて作ったというそれは怪しい色合いの液体。
褐色と深緑が混ざった色――雛乃の目には真っ黒にしか映らないそれは、飲めるような代物には決して見えなかった。
「明らかに危ない薬に見えるんですけど! 飲んだら失神しそうな感じですよ!?」
「安心しいや。以前三馬鹿……もとい原田はんらに飲ませとるし、安全性はあるやろ。……多分」
「多分って何ですか! 多分って!! ちょっとは真面目に……もがっ!?」
山崎は笑顔のまま、雛乃の身体を反転させ、頭を固定する。
「自業自得や。恨むんなら自分を恨みぃ」
その言葉と共に山崎は雛乃の口を無理矢理開けて、躊躇う事なく湯飲みの中身を口内へと流し込んだ。
雛乃の絶叫が、屯所中に響いたのは言うまでもない。




