それぞれの行く路【壱】
――よく晴れた昼下がり。
土方は束ねられた書類を片付けながら、煙管を蒸かしていた。白い煙が宙を舞う中、筆を緩やかに滑らせていく。
ふと、感じた気配に土方は筆を止め、それを硯に置いた。筆の代わりに煙管を手に持ち、フーッと息を吐き出す。
「――――入れ」
「失礼致します」
声がしたと同時に、一人の青年が襖を開き部屋へと入って来る。一礼し、無駄のない動きで土方の背後へと腰掛けた。
青年の気配を感じ取りながら、土方は口を開く。
「何か、分かったか?」
「副長が案ずる様な事は、まだ何も。ですが、気になる点が少々」
青年の言葉に目を細め、土方は振り返った。眉間には微かに皺が寄り、何処か不機嫌そうに見える。
そんな土方を無表情のまま、青年は見つめていた。
「気になる点たぁ、どういう事だ。怪しい動きでもあったってのか」
「……話せば長くなりますが。それでも?」
「構わねぇ。洗い浚い、全て話せ」
土方は煙管を再び口に咥え、目で青年を促す。息を吐き、青年は事の次第を話し始めた。
◇◇◇
「何処で、食べようかなぁ……」
竹の皮で包まれた何かを大事にそうに持ち、廊下を歩く雛乃の姿が其処にあった。
任せられた仕事を一段落させて台所へ向かった所、久から甘味を貰ったのだ。
この時代に来てから、初めての甘い物。嬉しさを隠せない。
角を曲がり中庭に面した所へ出ると、そこに腰を下ろした。
誰も居ないこと確認し包みを開ける。中には、みたらし団子が数本入っていた。
頬を緩め、それに手を伸ばす。ゴクリと唾を飲み込み、団子を口へと運んだ。
「んぅ!」
団子を持っていない方の手を振りながら、キュッと目を閉じる。
歓喜の声を身体で表しつつ、口をもごもごと動かして団子を味わっていた。
「おいひい……」
そう呟いて、雛乃は再び頬を緩める。ふにゃりと歪んだ顔は何処か可愛いらしくもあり、傍に誰かいれば確実に抱き締めていただろう。
何だかこの一週間の苦労が全て洗い流されるような、そんな気がする。
たった一週間。されど一週間。
全てを打ち明けたあの日から雛乃は、目まぐるしい毎日を過ごしていた。
――――あの日、土方達に事情を全て話したものの、そう簡単には信じて貰えなかった。
仕方なく近藤や土方、引いては幹部の皆の生い立ちを、説明する事にして、未来から来た事を何とか証明しようとした。
そうしたら、土方以外の皆は驚き半分、戸惑い半分で何とか、納得というか事実を受け入れてくれた。
突破出来たか、と思いきや、土方一人だけ違う反応を見せ頑なに拒む。その態度に、流石は鬼の副長だと舌を巻きそうになった。
あくまでも土方は、雛乃を不審人物としか見てないようで近藤達に、反論を繰り返す。
雛乃を此処から追い出すべきだの、此処には女子はいらないだの、失礼な言葉ばかりを並べて。
もうすぐ十七歳になるのに、子供扱いされた事にカチンときて、雛乃は思わず禁句でもある言葉を言ってしまった。
『頭が堅いんですね、豊玉さんは』と。
その一言で、部屋内の空気はガラリと変わってしまった。
苛立っていた土方の表情が驚愕に染まったり、沖田がプッと思わず吹き出したり。
訳が分からない近藤達は、ただただ目を瞬かせていたが。
土方は何故その事を知っているのか、と言いたそうだった。
理由は簡単なものである。句を把握しているという事は、雛乃が先の時代から来た事を意味し、尚且つ土方の句集が好きな事を示していた。
土方の句に興味がなければ、絶対に知る筈の知識。沖田にからかわれるのは可哀想だが、今は覚えていて良かったと心から思えた。
そんな事を考えていると、沖田が何か含んだ笑みを浮かべ、土方さんの耳元に囁いていた。
それを聞くなり、土方さんは青ざめる。沖田さんは満面の笑顔で私に向き直り、こう言い放った。
『土方さんから了承もらいましたから、大丈夫です!』
あれはどう見ても、許可したようには見えなかった。沖田の一方的な脅しによって、土方が何も言い返せず時が流れたって感じに違いない。……多分。
その後、正気を取り戻した土方と近藤と話し合い、此処に住まわせて貰う代わりに、女中をやる事になったのである。
久も雛乃が加わる事をかなり喜んでくれたようで、嬉しかった。
(……そういえば、年齢を言ったら近藤さん達、固まってたよね……)
やっぱり、年相応には見える事は無いらしい。
そこだけは、ちょっと悲しかった。
毎日毎日、覚えることだらけで忙しく、大変ではある。だがそれ以上に、居場所を貰えた事が雛乃は嬉しかった。
仕事は、本当に遣り甲斐がある。
男ばかりの所為か、部屋は半端なく汚いし、隊士も約三十人程いるので洗濯物も多い。何より料理の量が多過ぎて、学校の給食を思い出し掛けたくらいだ。
正直、休む暇は殆ど無いだろう。今は休める程に要領は覚えたが、失敗は多い。
(……むむむ。どうして、転けるのかなぁ?)
雛乃は食べ終えた団子の串を口から引っ張り出して、包みの端に置く。そして、新しい団子を口に運びながら、内心溜め息を吐いた。
失敗というのは、何も間違いの事ではなく転倒の事を指している。何故か、雛乃は何も無い場所で転けるのだ。今日も既に三回は転けていた。
雛乃は団子と共に頬を膨らませて、もぐもぐと咀嚼を続ける。その表情は、何処か考え込んでいるようにも見えた。
団子を全て飲み込んで、雛乃はパチンと両手を大きく叩く。
「こうなったら、特訓しなきゃ駄目だよね……!」
悩んだ末に、思いついた案は余りにも単純なものだった。
特訓するとして、一体、何をどうするつもりなのだろうか。それは雛乃本人しか分からないことである。
雛乃は再び何かを考えながら、串に刺さった残り一つの団子を食べようとしたが、それが叶う事はなかった。
「ああぁぁーっ!!」
声を上げたと同時に、串の団子は取り上げられ背後から現れた人物の胃袋へと消えた。呆然とする雛乃にその人物――沖田は口元を緩める。
「んんんー。やっぱり、一個でも美味しいですねぇ、この団子。私も大好きなんですよ」
にこにこと笑顔で腰を屈め、自分を見つめてくる沖田を雛乃は睨み付けた。
「ななな、何をするんですかぁぁぁ! 何で、食べかけの団子を取るんです!? 食べるなら、此方の団子を取れば良かったじゃないですか!!」
ビシッと雛乃が指差した先には、手をつけていない団子がまだ三本残っている。
団子を食べたいのなら、量が多い此方を取るのが普通だろう。
だが、沖田にはその普通が通用しなかった。
「えぇぇ、だって、新品の団子より食べかけの団子を食べた方が、雛乃ちゃんの反応は面白いと思ったんですよ。ふふふ、思った通りに良い反応してくれますねぇ」
沖田は面白そうに食べ終えた団子の串で、雛乃の頬を突く。それに何とも言えない表情を浮かべて、雛乃は沖田を見据えた。
「……うぅ。何で、沖田さんは私をそう苛めるんですか……」
「苛めてませんよ。可愛いがってるじゃないですか」
「何かしら、ちょっかい出したり人が嫌がる行為を繰り返したり、嘘を教えたりする事の何処が、可愛いがる事なんですか!?」
それは一週間前のあの日から、続いていた。
沖田は暇さえあれば、雛乃の隣に現れこうして何かと構ってくる。
雛乃の問いに答える事なく沖田は、雛乃の頭を撫でていく。
「雛乃ちゃんの反応は見てて飽きませんよ、本当に。良い子良い子」
「っ、子供扱いしないで下さいっ!」
雛乃は声を上げて、沖田の手をパチンと叩いた。叩かれた手をヒラヒラと振りながら、沖田は手付かずの団子へ手を伸ばす。
「食べないのなら、此方も頂きますよー」
「あっ! 食べちゃ駄目っ。駄目ですっ!!」
両手で阻止しようとするも、雛乃の手は難なくかわされ団子は再び沖田の口元へと運ばれる。
難なく、沖田の口の中へと消えていった団子を見て雛乃は愕然とした。何故なら、一本だけではなく残っていた三本共、全部である。
悔しそうな表情を浮かべる雛乃に対し、沖田は満面の笑顔だ。
「お、沖田さんの馬鹿ぁぁぁ!! お団子返して下さいよっ!!」
「ふみれふー(無理ですー)」
「団子一本ならともかく、全部とか嫌がらせですか? 苛めですよね。これ絶対、苛めですよね!?」
自分の裾を引っ張りながら、猛抗議する雛乃に沖田は口元を押さえながら団子を飲み込んでいく。
「むぐっ。……苛めだと何で決めつけるんです? 雛乃ちゃんの為、思って食べたかもしれないじゃないですか。若しくは雛乃ちゃんと同じものを食べてみたかったっていう、雛乃ちゃん大好き人間なのかもしれませんし?」
綺麗な笑顔と共に紡がれた沖田の言葉に、雛乃は眉を寄せ沖田を見つめ返す。
「……なんですか、それ。沖田さんは私のこと嫌いなんじゃないんですか」
「嫌い、ではありませんよ。雛乃ちゃんの反応は見てて飽きませんし、楽しくてたまりませんから」
クスクスと笑いながら自分の頭を再び撫でる沖田に、雛乃は深々と息を吐く。
「私はやっぱり沖田さんが苦手です」
「おや、何でですー? 私を嫌がる理由なんて何処にも見当たらないじゃないですか」
「有りまくりですよ!」
そう叫んでお団子楽しみにしてたのに、と雛乃はガックリと肩を落とす。そんな雛乃を見て沖田は目元を細めた。
「そんなにお団子食べたいなら、買いに行けば良いじゃないですか。……ああ、でもまだ外出許可出てないんでしたっけ」
提案して置きながら、沖田は直ぐにそれを破棄した。雛乃に外出は未だに許されていないことを、思い出したからだ。
この一週間、雛乃は屯所内しか出歩けず一歩も外に出ていない。それは土方の命令だった。