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夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第弐章 蘇る記憶、動き出す運命
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踏み出す一歩【陸】

だから余り会わせたくなかったんだよ、と吉田は深く息を吐く。


桂の言葉は全て本気のものではなく、雛乃を長州へ永久に留めて置く為の布石だった。


雛乃は記憶を取り戻したものの、実に不安定。芹沢を喪った今、新撰組より知己である吉田達の方に心を寄せている。


それを完全なものとする為、壬生への未練を断ち切らせる為に桂は行動を起こしたのだという。


雛乃は驚きと戸惑いを身に宿しながらも、少しずつ落ち着きを取り戻していく。

触れた部分から伝わる栄太郎の温もりに目を閉じると、雛乃は手に持つ文に少し力を入れた。


「……桂兄は、相変わらず意地悪だよ。わざわざ引き返してきて、文まで渡すんだもの」


「あ。それ、桂さんから受け取ったんだ。誰からの?」


二人の視線は自然と雛乃の手元へ向く。色褪せた文には幾つも皺が刻まれていた。


強く握っていた所為だろう。雛乃は慌てて、皺を引き延ばすと大事そうに胸元に収める。


そして


「……とと様」


そう、呟いた。


「うん。桂さん、斬ろうか」


ピリッとした鋭い殺気を感じる。雛乃が顔を上げれば、吉田は怖いくらいに笑顔だった。


「栄太郎。冗談、だよね?」


「至って本気だけど?」


畳に置いた刀に手を触れ微笑む吉田に、思わず雛乃は首を横に振った。


確かに桂の遣り方に困惑はしたが、仲間割れするような内容ではない。


表情を曇らせる雛乃に気付き、吉田は刀から手を離し軽く手を振る。先刻まで滲み出ていた殺気は見事に消えていた。


「何もしないよ。今は雛の傍にいる事が、何より大事だしね」


吉田の手が伸びてきて、雛乃の頬を撫でる。冷たい手は、熱を持った雛乃の肌にひんやりと浸透していく。


だが、それは僅かの事で直ぐに頬に痛みが走った。吉田が頬をつねったのである。


「……いひゃい」


「うん、痛くしてるからね」


吉田は頬から手を離し、雛乃の顔を見つめる。


「熱上がってるね。泣いて考え過ぎた所為かな。目は、痛くない?」


吉田にそう問われ、雛乃は目が痛む事に気付いた。自覚をした途端、それはズキズキと痛み出す。


雛乃が何度か目を押さえると、熱を帯びた瞼が刺激され、更に痛みが走った。瞬きも何処かしづらいように思う。


(……涙が出なくなるまで、泣いたからかな……)


これは手拭いか何かで、冷やした方が良いかもしれない。


ぼんやりと雛乃がそんな事を考えていると、吉田は近くに控えていた忍を呼び寄せ、何かを頼んでいた。


それに気付き顔を上げると、吉田の手が再び頭を優しく撫でる。



「雛は余計な事考えずに、ゆっくり身体を休める事。良いね?」



雛乃は反論しようとしたが、吉田の有無を言わせない口調に、渋々頷きを返す。安堵の息を吐き頷く吉田から視線を逸らし、そのまま吉田の胸元へ強く抱き付いた。


雛乃が持っていた文がパサリと畳に落ちる。


「ッ、雛?」


「……ごめん、栄太郎」


吉田は雛乃の行動に驚きを示すが、それを払い除ける事はしない。雛乃の背中に手を伸ばし、更に抱き寄せた。


「何で謝るの。雛は何も、悪くないでしょ」


「違う、違うの」


雛乃は首を左右に振り、胸に抱いていた思いを口にする。


「私は、歴史を変えたいの」


吉田の表情が強張る。浮かべていた笑みを消し、雛乃を抱き締める力を強めた。


「え、栄太郎――っ」


「駄目だよ。誰かを助けようと、雛は自分を傷付ける。雛がこれ以上犠牲になる事はない。そんなの、許せない」


「でも――」


「血に染まる事になる。刀を奮う事も無いとは言えない。今でもかなりの痛手を受けているのに、耐えられるの?」


吉田は背中を優しく撫でていく。雛乃の背中にある無数の傷痕。それを知ってか知らずか、吉田は其処を何度も何度も擦ってくれる。


蘇る記憶。忘れられない恐怖。降り続く悲しみ――

決して癒える事はない、深い心の傷。


歴史の流れに足を踏み込めば、雛乃は確実に危険を顧みず、突き進むだろう。そしてまた、心を痛めるのだ。


「……そ、それでも、私は、」


「雛が……、自害を仕掛けたと聞いた時、肝が冷えた。また失うのかと、絶望感に襲われたよ……。あの時も言ったように、雛が戦場に出る必要はない。雛は此処に、傍に居てくれるだけて良い。これ以上、雛が傷付く必要はないんだ。充分だよ、もう充分だ……!!」


雛乃の言葉を遮り、悲痛な思いを語る吉田に雛乃は息を呑む。


(……栄太郎も、苦しんでたんだ。私が辛かったように、この四年間ずっと……)


胸が締め付けられる、複雑な思いに雛乃は目を閉じた。紡ごうとしていた言葉も飲み込み、思考に身を任せる。


(……ごめん。ごめんなさい、栄太郎。私は、それでも動かなきゃ。今度こそ守りたいの……)


やはりと言うべきか、雛乃は素直に栄太郎の申し出を受け入れる事は出来なかった。


かけがえのないものを守りたい。それは吉田も雛乃も同じだ。


だが、この先の残酷な運命を知る雛乃は自分より吉田を、仲間の命を優先したいと思う。


随分酷い我儘だと、皆呆れるだろう。それでも、やると決めたのだ。

誰かを喪うのはもう沢山。逆賊として、消えていく命を救い出す。


(……このままじゃ、皆死んでいく。何としても、止めたい。今度は、私が皆を守るんだ……)


ゆらゆらと意識が揺らぐ。眠りに落ちるのだと、察し雛乃は小さく息を吸い込んだ。


「誰も、死んでほしくないの――」


吐き出された言葉が吉田に届いたかどうかは、分からない。口を閉じると雛乃はそのまま眠りの世界へと落ちた。




雛乃が寝息を立て始めると、吉田は徐に顔を上げる。

強くしていた腕の力を緩め、雛乃の頬を撫でた。目元は赤く腫れ、涙の痕がくっきりと残っている。


「……死、か」


雛乃の口振りからすると、これからも長州から死人が出るのだろう。

それも、雛乃の知る身近な人が。


再び吉田の腕に力が込められる。


「そうだとしても、雛は手を汚すべきじゃないんだよ。雛は――」


吉田の言葉は声にならず、風に乗って消えた。








◇◇◇





雛乃と吉田が抱き締め合うその姿を、静かに見つめる人影が廊下にあった。


闇に溶けるように漆黒の着物を身に付けていた青年――双葉は、徐に目を細める。


気配を断ち中の様子を窺っていたが、これ以上の進展はないようだ。替えの手拭いと桶を、音を立てずに部屋の前に置くとその場を後にした。


角を曲がり暫く歩いていると、前方から床の軋む音が聞こえてくる。その足音に聞き覚えがあった双葉は思わず、口元を緩めた。


「随分、荒れているね」


そう声を掛けると、一琉の足が止まった。据わっていた目も通常に戻り、驚きの表情で双葉を見つめている。


「何だ、屋敷に居たのかよ」


「うん。ちょっと、今日はね」


言葉を濁す双葉に、一琉は彼の言わんとする事が直ぐに理解出来た。


「必要以上に、近付くなと行っていたんだがな……」


「雛の精神が不安定だったからね、心配だったんだよ。姿は見られてないから、大丈夫だとは思うけど?」


にこりと柔らかく微笑む双葉に、一琉は深い息を吐くと止めていた足を動かしていく。


「……まぁ、良い。特に用がねぇなら戻ってろ。常盤について話が――」


「いや、あるんだよね。当主からの伝言。“雛鳥を近日中に呼び出すから、準備をしておけ”だって」


言葉を遮られた挙句、とんでもない爆弾を投げられ一琉の足は再び止まった。


一琉が振り返ると其処には、意味深な笑みを浮かべる双葉がいた。怒りや悲しみ、全てが複雑に絡みあったそれに、一琉は軽く舌打ちをする。


「言っておくが、俺はやれるだけの事はしてきたからな?」


「分かってるよ。これは自分に腹を立ててるんだ。藤森には、やはり逆らえない運命なんだってね」


深く息を吐いて、双葉は歩いてきた廊下の先を見つめた。雛乃を守る一人として吉田の存在は良く思わない。だが、これからの苛酷な運命に立ち向かうには、彼が必要不可欠でもある。


雛乃は確実に、彼等を救う為動き出す筈だから。


何処か遠くを見つめ黙り込む双葉に、一琉は微かに眉を寄せる。


「先を知るお前のその表情、見る度に怖いんだよな……」


藤森当主からの呼び出しに何かあるのか、それとも雛乃に、これからの日々に変化が起きるのか。胸の中を燻る不安を打ち消す為に、思わず叫びたくなった。


そんな一琉の心を知ってか知らずか、双葉は再び笑みを溢す。


「まぁ、一琉は雛の心配より自身の心配をするべきだよ。常盤の件、既に伝わってて当主から苦言があるみたいだから」


「何ぃっ!?」


「十人衆も、召集されてるから本当に荒れそうだよねぇ」


他人事のように笑う双葉に対し、一琉は頭を抱え悪夢だ、とポツリと漏らした。






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