居場所【伍】
記憶がない所為か形見と言われても、いまいちピンと来ない。ただ、家族がこの世にはもういないことを実感させられるだけだった。
「土方さんの分からず屋! 分かりました。それなら、私が雛乃ちゃんに謝ります!!」
「ああ、そうしやがれ!! そっちの方が俺としては助かる」
追い払うように、土方は沖田に向けて片手を振る。それに沖田は、眉を寄せて土方さんの馬鹿、とだけ呟いた。
一つ息を吐いて、沖田の傍へと走り寄る。膝を付き視線を少し下げて、雛乃の手を両手でガシッと握り締めた。
「雛乃ちゃん、すみません。こんなことになってしまって。お詫びと言ってはなんですが、暫く此処に住みません?」
「「「「はっ!?」」」」
沖田の思わぬ言葉に雛乃は勿論、土方と永倉、藤堂までも声を上げる。
雛乃は訳が分からないと言った風に首を傾げた。
「ええと。……あの、何で、そういう話になるんです?」
戸惑う雛乃に、沖田は飄々とした笑顔をただ浮かべるだけだ。
「えー? だって、元は雛乃ちゃんの尋問でしたよね。雛乃ちゃんが言った事が正しいとは断言できませんが、結論を出すには、まだ早いかなぁと思いまして。つまり、結論を出すのは、また後日と言うことです。結論が出るまで、暫く屯所に――」
「待て待て待て待て!!」
すらすらと述べていた沖田の言葉を遮るように、土方は勢い良く立ち上がり、沖田を鋭く睨み付けた。
「何でそうなる!? 尋問はまだ済んでねぇし、こいつは間者の疑いがあるんだぞ! それに、お前が結論付けにこの部屋へ連れて来たんだろうが!」
「んんー、気が変わったんですよ。今日だけで、結論を出すのは早過ぎると思うんです。ねぇ、彼女がもし白だった場合、どうするんです? ……もう少し彼に調べてもらってからの方が良いんじゃないですか」
確かに、一理ある。あるのだが、何処か納得出来ない土方がそこにいた。
雛乃から手を離し、自分を見据えている沖田の瞳には揺らぎがない。ふざけている節は見受けられないのだが、何故だろうか。
沖田の笑顔が非常に腹立だしく見えた。
チッと軽く舌打ちし、頭をかいて土方は腕を組んだ。
「……っ、後日にするとしても、だ! 何故、屯所に住まわせる必要がある? 此処は基本、女人禁制。牢に置くのが妥当だろうが!!」
「うわっ! 土方さん、酷いー。 こんな幼気な女子を薄暗い牢に置こうとするなんてー」
口元を片手で隠し、棒読みで土方を非難する沖田に、土方の何かが再び切れそうになる。
「総司、てめぇ……ッ」
「俺も、総司に賛成だぞっ! 女子を手荒に扱うのには反対だ!!」
パシーン、と勢い良く襖が開き、総髪の男性が姿を見せる。
前触れも無く、現れた男性に皆は驚くばかり。暫くして沖田は朗らかに笑い、土方は大きな溜め息を吐いた。
藤堂と永倉も笑みを溢している。
ただ一人、雛乃は別の意味で驚きを隠せずにいた。大きく目を見開き、その男性を呆然と見つめている。
その表情は、かつて見た写真より柔らかく、親近感を覚えた。何より祖父の雰囲気によく似ており、頬が緩みそうになってくる。
彼が、後の新撰組局長となり、組の頭となる――
「近藤、勇……?」
思わず雛乃が呟いた一言に、場の空気が凍る。
藤堂と永倉は笑みを消し、隣にいた沖田が瞬時に脇差しを抜いて、刃を雛乃の首筋へと当てていた。
「総司!」
慌てて止めようとする男性――近藤を制し、土方は冷たく雛乃を見下ろす。
「てめぇ、何故、近藤さんを知っている? 初対面のはずだろうが。……やはり間者だったか」
先程の疑いの視線ではない。獲物を射止める鋭い眼差しだ。殺気混じりの土方に、雛乃は思わず目線を横に反らす。
それに気付いた沖田が、雛乃の首筋に当てがっている刃を緩く動かし、雛乃の顔を覗き込む。
その表情は酷く冷たかった。
「雛乃ちゃん。土方さんの言う通り、早く答えてくれない? さもないと――」
このまま、首を斬るよ?
その言葉に雛乃の全身の毛が逆立った。
(……駄目だ。もう、隠し切れない。全てを話すしか、道はないよね……)
このまま、黙秘をしていれば間違いなく自分は斬られるだろう。それだけ場の空気は緊迫していた。
雛乃はゴクリと唾を飲み込み、真っ直ぐ土方を見据える。その瞳にもう迷いはなかった。
「……写真……ほとがらを、見たことがあったので、近藤さんだと分かったんです。印象はだいぶ違っていましたけど、姿は同じでした」
土方はハッと鼻で笑い、雛乃を睨みつける。
「生憎、近藤さんはほとがらを撮ったことはねぇよ。出任せばかり言うのはよして、正直に話せ。何処の間者だ? 誰に雇われた?」
自分の意見に耳を貸そうとしない土方に眉を寄せ、苛立つ雛乃だが反論する事なく、そのまま話を続ける。
「撮った事がないのは当然です。これからの、事だから」
後世に伝わっているあの写真は、慶応四年(1868年)に撮影されたものだ。近藤を始め、土方が知らないのも無理はない。
未来を知る者だけが知る事実なのだから。
雛乃は一息吐き、首筋に当てられている刃に片手を伸ばす。そして、それをそのままギュッと握り締めた。
「なっ……!?」
ポタリと鮮血が滴り落ちる。
雛乃の行動に沖田は瞠目した。軽く瞬きをして、雛乃を見つめる。
「何をしてるのさ……。そんなに死にたいの?」
驚いたのは沖田だけではない。周りの皆も目を見開き雛乃を凝視していた。
その視線を平然と受け流し、雛乃は刀を握り続けている。
「そんなんじゃ、ないです。ただ、刀が邪魔でしたから退かしたくて……」
血の滲んだそれを握ったまま、沖田の方へと押し返す。そして雛乃は淡く微笑んだ。
それを見た近藤はたまらず、雛乃へと駆け寄っていく。
「ッ、近藤さん!」
土方が止めるのも聞かず、雛乃の前へ膝を付き腰を屈めた。そして、雛乃の血に染まった片手を両手で包み込み、近藤自らの手で刀から手を離させた。
「何故、こんな事を……。傷が残ったりしたらどうするんだ」
「何故、と言われても。自分でも良く分からないんですよ。ただ、私の話を聞いて欲しくて……」
気が付いたら手が勝手に動いていた。それだけの事。戸惑ったように首を傾ける雛乃に、近藤は目尻を下げた。
「はは、そうか。強い心を持っているのだな、君は」
声を出して笑う近藤に雛乃は益々戸惑う。それに近藤は詫びを入れ、場を取り直すように咳払いをした。
「しかし何故、君は俺を知っていたんだい? 俺の顔は、そこまで知られていない筈なんだが」
土方や沖田とは違い、優しく問い掛けてくる近藤に雛乃の心は落ち着いていく。近藤のさりげない優しさが、今は有難かった。
雛乃は自分を睨みつける土方と不安気に見つめている沖田を一瞥して、静かに口を開いた。
「……それは、時代が違うからです」
「時代……?」
「はい」
頷いて、雛乃は近藤の顔をジッと見つめる。そして静かに頭を下げた。
「正直に申し上げます。私の名は、藤森雛乃。歳は十六。……信じられないかもしれませんが、此所より約百五十年後の日本から、参りました」
――誰も、何も話さない。
だが、紡がれた言の葉は、部屋に浸透したはずだ。
信じる、信じないは彼らの自由だ。ただ、確かなことは自分の命は彼らに握られているということ。
逃げられはしない。
そう再認識し、雛乃はゆっくり瞳を閉じた。