壬生浪士組【肆】
久と雛乃が去った、無惨に荒れ果てた部屋。
其処に佇むのは土方と沖田の二人。沖田は雛乃の去っていった方向を見つめ、笑みを溢した。
「ふぅ、色々と楽しめましたし良い運動になりました。満足満足!」
「何処がだ!! チッ、こりゃ、お久の言うように、修理費用馬鹿になんねぇぞ……」
折れた木刀を畳へ叩きつけ、土方は苛ついたように頭を乱暴に掻いた。それを横目に沖田は、ゆっくりと柱に寄り掛かる。
「土方さんが怒るからいけないんですよ。普通に、冷静に、対処すればこんな事にならなかったんですー」
裂けた畳の藺草を足で払いながら、笑う沖田に土方は睨みを返す。
だが、それを受け流し沖田は話を続けた。
「それに土方さん。最近かなり苛々し過ぎですし。まぁあの人の尻拭いで大変なのは分かってますよ。彼をどうにかしたいけど、どうにも出来ない現状に腹が立ってるんです、よね?」
微笑む沖田の視線は、しっかりと土方の瞳を捉えている。土方は驚いたように目を見開き、沖田を見つめ返した。
暫く見据えて、反論出来ないと分かると静かに息を吐き、腰を下ろす。
確かに、その通りだったからだ。
市中で狼藉を繰り返す彼に、土方ら近藤派の面々は殆々困り果てていた。
酒が入ると人が変わったように暴力的になり、鉄扇を振り回すのだから質が悪い。
その上、この組の筆頭局長である彼には安易に逆らうことが出来ず、注意を促すことしか出来ないのが現状だ。
彼の言動、行動は全て、壬生浪士組の評判に関わってくる。まだ手柄も何もない浪士組にとって、世間の風当たりは益々強くなるばかりだった。
「……ったく、浪人共だけでなく身内にまで目を光らせなくちゃなんねぇとは、情けねぇな。この先が思いやられる」
そう言って、腕を組み頭を振る土方に沖田は緩やかに首を傾げた。
「あの人達が犯した事は、もう拭えない事実ですからねぇ……。簡単に消す事はできませんよ。ですから、地道に汚名返上していくしかないんじゃないですかね、今は」
何の感情も映さない瞳で、沖田は土方を見つめている。沖田の何かを含んだような物言いに、土方は頭を押さえて息を吐いた。
「総司」
「はい?」
「一応言っとくが、下手に動くんじゃねぇぞ」
「……はいはい、分かってますよ。土方さんみたいに短気じゃありませんから、大丈夫です」
片手を軽く振って、沖田は土方の方へと歩み寄る。その表情は先程と違って満面の笑顔だ。
「そんな事よりも、土方さん。先ずは目の前の問題を解決しましょうよ」
「問題、だと?」
浪士組の問題をそんな事呼ばわりされたのが少し癪に障ったが、土方はそれを必死に押し止めた。
そして、心当たりがないとばかりに眉を寄せる。そんな土方の態度が沖田は不服だったのか、頬を膨らませた。
「あの子の事です! 雛乃ちゃんですよ!」
物覚えが悪いですねぇ、とぼやく沖田に土方は声を荒げる。
「んなこたぁ知らねぇよ! 先刻会ったばかりだろうが!! ……ったく、んで? あの童がどうしたってんだ」
「あれ? 永倉さんから聞いてないんですか?」
聞く前に永倉は、土方が鉄拳にて潰してしまっていた。そういえば、始終何かを言いたそうにしていたが、もしかしてこの事だったのだろうか。
固まった土方の視線に、沖田はやれやれと腰に手を当て首を左右に振る。
「まぁ、仕方ないので私が話してあげますよ。全く、世話が焼けるんですから」
人の持ち物を奪い去り、挙句乱闘まで引き起こした沖田にだけは言われたくない。
土方は心の中で思いきり悪態を吐く。それを口にしなかったのは、自分にも失態がある事を自覚してるからなのだが。
沖田はコホンと軽く咳払いをして語り始める。今日会った出来事、そして雛乃との出会いを――
一通りの話を聞き終えて、土方は腕を組み直した。
「……聞いた限りじゃ、ただ人質にされ怪我した女子しか聞こえねぇんだが」
「話はまだ終わってませんっ!」
そう言って沖田は土方の額を叩く。何すんだと眉を寄せ沖田を睨むが、見事に流された。
「見物人達から聞いたんですけどねぇ? あの子、いきなり現れたらしいんですよ。あの場に。前触れも何もなく、一瞬で」
「何?」
それを聞いて土方は沖田が何を言いたいのか、漸く理解出来た。沖田は彼女が普通の民間人ではないと、そう通告してるのだ。
民間人を装った間者かもしれないと。
「まぁ、あくまで可能性ですからねぇ。あんな小さい子が間者だったら、世も末ですよ?」
「間者に、女も子供も関係ねぇよ。使える奴は使われる。そんな世の中だ。……ったく、仕事を増やすんじゃねぇよ。処理すんのは誰だと思ってんだ」
「だって、面白そうじゃないですか。組を引っ掻き回わされるのは嫌ですけど、暇潰しにはなりそうですしね」
それに、と沖田は話を続ける。
「この屯所に入れた以上、簡単には逃げられませんから。土方さんにとっても色々と有利でしょう?」
沖田の言葉に土方は目を細め、口端を綺麗に吊り上げた。
そう。間者であった場合、この屯所から出すことなく斬ってしまえば良い。そうすれば、此方の情報が流出する恐れはないのだから。
間者でなくとも、常人でないのなら有効利用出来る。この壬生浪士組の為に。
「分かってんじゃねぇか。なら、あの童から目を離すなよ? さりげなく近付いて情報を色々聞き出しとけ。近い内に尋問する」
沖田は了解の意を示し、部屋から出て行こうと廊下の方へ向かう。だが、何かを思い出し土方の方を振り返った。
「なら、近藤さんや他の皆にも、知らせないといけないんじゃありません?」
沖田の問いに土方はああ、と頷き顔を上げた。
「近藤さんには俺から言っておく。明日の晩までには帰ってくるだろうしな。他の幹部には、適当に話しとけばいい」
「わかりました。私が伝えておきますよ。とっておきの良い話をね……」
ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ、口元を押さえる沖田を見て土方は酷く嫌な予感がした。
「おい、総司。てめぇ何て言うつもりだ……?」
「いえ、別に?」
口元から手を離し、沖田は爽やかに笑う。
「ただ、土方さんが童にも手を出したと言い振らそうか、」
「総司ィィィッ!!」
言い終わる前に脱兎の如く逃げ出した沖田を、土方は瞬時に追いかける。
一旦は収まっていた怒鳴り声も、廊下を伝わり再び屯所中に響き渡っていく。
事情を知らない平隊士の面々はただ呆然と、騒動を見つめるしかない。
この日、屯所には夜遅くまで怒鳴り声と悲鳴が響き渡っていたという。