表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢想花〜藤森の姫と狼達の奏でる物語〜  作者: 桜柚
第壱章 記憶を巡る旅路
100/192

散る命、進む歴史【伍】

先刻まで泣き叫んでいたとは思えない、凛とした雛乃の声に新見はたじろいだ。屯所に居た頃と同じように眉間に皺を刻むと、深く息を吐く。


「だから、俺はてめえが苦手なんだよ。童の癖して童らしくねぇ」


「む。言っておきますけど私、そもそも童じゃありませんからね? 十六です。年頃の娘です!」


「どう見ても娘にゃ見えねぇよ。手の掛かりそうな、可愛いげも何もない童だろうが」


雛乃の言葉に新見は鼻で笑うと、雛乃を自分から引き離す。不機嫌そうに頬を膨らませる雛乃を横目に、新見は再び酒を口へと運び


「じゃ、何で佐伯さんに私の存在をギリギリまで教えなかったんですか?」


それを見事に吹き溢した。


ゴホゴホと咳き込む様子から動揺している事がよく分かる。喉の奥まで入り込んだようで、新見は暫しの間苦しんでいた。


「あの、新見さん……。だ、大丈夫ですか?」


原因を作った雛乃は、何処か気まずそうに新見に声を掛ける。新見は幾度目かの咳をした後、ギッと雛乃を見据えた。


「ちょっと待て。何で、んな事、てめえが知ってんだよ!?」


「一琉さんから聞きました」


「あんの無精髭野郎……」


新見は口元に付いた酒を拭い取りながら、悪態を吐く。その様子を見る限り、どうやら一琉から聞いた話は嘘ではないらしい。


新見は一琉を通じて長州とも繋がりを思っていた。ならば佐伯を使い、邪魔な存在である雛乃を浪士組から追い払う事も可能だった筈。だが、それをせずにギリギリまで接触するのを避けさせ、佐伯に外の仕事ばかりさせていたという。


「先に言っておくが、てめえの為じゃないぞ。組の為にだ。佐伯(やつ)の異常な性癖を見れば分かんだろ。欲求を満たす為なら、命令も平気で無視しやがる。安易に指示したら、組にまで被害及ぶのが目に見えんだろ」


あくまで、浪士組の為にそのような行為をしなかったと言い張る新見に、雛乃は首を横へと傾けた。


「……でも、新見さんは確実に私がいない刻に佐伯さんを屯所に戻してましたよね? 八木邸に行けば、何かと私を追い出そうともしてましたし……。それに、数ヶ月も屯所に居て、佐伯(かれ)を見たのがほんの数日しか無いっていうのも、何だか可笑しくありません?」


雛乃の指摘に新見は眉間に皺を刻む。雛乃はそれを横目に話を続けた。


佐伯は斎藤と同時期に入った隊士だ。後輩に当たる隊士は多数いる。そんな古株の隊士をそうそう自由にさせておける訳がない。それが許されるとすれば、誰かの命、つまり指示があったと思われる。


「やっぱり、新見さんが意図的に――」


「ばっ、違う! せっ、先生の手を煩わせない為だ! 誰がてめえの身を心配するかよっ」


そう言うと新見は、犬か何かを追い払うような仕草を見せ、雛乃から距離を置こうとする。雛乃の目に新見の顔は先刻より心なしか赤く見えた。


(……全力で否定すればする程、肯定しているようなものなんだけどな……)


新見はそれに全く気付いていない。今も尚、必死に否定し続けている。そんな新見に思わず雛乃は笑みを溢した。


刻々と迫る命の期限に似合わない穏やかな刻――

だが、それは無情にも終わりを告げる。


床板を踏み締める音と微かに感じた人の気配に、雛乃は笑みを消した。廊下に通じる襖を見つめ表情を曇らせると、強く手を握り締める。


「……新見さん……」


「あ? ……何だ、漸く来たのか。この俺を随分と待たせやがって」


ふわぁ、と欠伸をする新見は先刻の焦りを何処にも残していなかった。目の前に待つ死を、ただ真っ直ぐに見つめている。


足音が近付くにつれ感じる気配は、より濃くなってきた。見知った気配に雛乃の鼓動は次第に早くなる。覚悟を決めていても、やはり心は拒否を示す。人の死は二度と見たくない――


そんな雛乃の心情を知る由もなく、スパンッと勢い良く襖を開き、土方と沖田は座敷へと足を踏み入れた。


「新見さん、申し訳ありませんが――って、雛乃ちゃん!?」


「……おい。何で、お前ぇが此処に居やがるんだ」


新見の姿を確認するよりも先に、二人は雛乃の存在に驚き声を上げていた。屯所で女中業務をこなしている筈の雛乃が、何故このような料亭にいるのか。


土方は眉間に皺を刻むと雛乃を睨み付ける。


「どういう事か、説明してもらおうか」


逃がしはしない、と雛乃を射抜く土方の眼差しはいつも以上に鋭い。新見の粛清という、重い任務を背負っているからだろうか。余裕が全く感じられなかった。


「待て。尋問ならば、屯所でやれば良いだろう。お前等が用があるのは俺ではないのか?」


雛乃を庇うように立ち塞がった新見は、挑発的な目を土方に向ける。


土方はそれを受けて眉間に一つ皺を刻んだ。


新見の身体に隠され雛乃の表情は窺う事が出来ない。いつものように声を上げて持論を繰り出すのかと思ったが、雛乃は何も語らず沈黙を守り続けていた。


それを訝しみ、土方が雛乃を引き摺り出そうと身を乗り出せば、新見が手を伸ばし阻止をする。


一体、何だというのだろうか。


雛乃と新見は親しいという間柄ではない。お互いに毛嫌いしていた筈だ。


「……何のつもりで? 貴方には雛乃を庇う義理すらないと思うんですが」


「はっ、戯言言う暇があるなら、さっさと手を下したらどうだ? 土方に沖田、貴様等は俺を殺りに来たんだろうが」


雛乃の事には一切触れず新見はそう口にすると、腰に差していた刀を土方の足元に向けて投げた。


ガシャン、と畳に落ちた刀の重さと新見の言葉に土方は内心舌打ちする。沸々と沸き上がってくる苛立ちを抑え、土方は再び口を開く。


「何故、俺達が殺しに来たと思うんです?」


「あの法度見れば否が応でも分かる。余計な忠告をしてくれた、この童のお陰で確信に変わったが」


交差する土方と新見の瞳。互いに譲れない思いを胸に此処にいる。


雛乃が何を言ったかは分からない。忠告か助言か、はたまた史実の全てを話したのか――。

どちらにしろ、土方の遣るべき事は変わらない。


「……なら、話は早いな。新見錦。法度違反並びに浪士組の為に潔く切腹してもらおうか」


身近に聞こえる土方と新見の声。雛乃は耳に入れながらも、それを何処か他所で起きた他人事のように聞いていた。


新見の背中が重なって見える。あの日の兄の姿に。死にに行く者は何故、ああも笑っていられるのだろうか。


「……死んだって何も残らないのに……」


雛乃は思わずそう呟くが、唇を軽く噛み締めるとそのまま小さく首を横に振った。思ってはいても、口には出してはいけない思い。新見の決意を無駄にする事になる。


「雛乃ちゃん」


新見の影に隠れていた雛乃の手を引き、沖田は雛乃を自分の方へと向かせた。


「総司さん……」


「速やかに退出して下さい。これから新見さんは切腹します。女子には辛い光景でしょうから……」


沖田の言葉に雛乃が徐に新見達の方へ視線を移すと、羽織を脱ぎ始めた新見の姿が目に映る。


切腹、という思い二文字が雛乃に重く伸し掛かる。自分の力ではどうしようもない、辛い現実が目の前に迫っていた。


「おい。何、ジロジロ見てんだ、チビ助」


ドクン、と脈打つ鼓動に誘導されるように新見の表情に目が止まる。強張る雛乃を気遣う事無く、新見はいつもと同じように声を掛けてきた。


こんな場所なのに。

そんな場所ではないのに。

何故かその態度に安堵している自分がいた。


代わりにジワジワと胸の奥から込み上げてくる何かを押し止め、雛乃は口を開く。


「ッ、じ、自意識過剰なんじゃないですか? たまたま視界に新見さんの姿が映っただけですからっ」


「へぇ……。なら、早く出て行け。視界に嫌なモノが移ると()()()()()も下がるだろうが」


追い払うように動かされる手は、何故か優しい。泣きたくなる程に、優しさを帯びていた。

雛乃は気力を振り絞って立ち上がると、襖に手を掛け新見の方へ振り返る。


「言われなくても出て行きますよ。大嫌いな新見さんの最期を看取るなんて、虫酸が走りますから」


「おお、奇遇だな。俺もてめぇが大嫌いだ。――出来る事なら二度と会いたくねぇよ」


「ッ、それはこっちの台詞です!」


――パシンッ。


勢い良く開けられ、そして閉められた襖。足早に去っていく足音。それを暫し呆然と見送っていた沖田は我に返り、雛乃の後を慌てて追い掛ける。


「あ、ちょ、雛乃ちゃん! 待って下さいよっ!!」


慌ただしい音が去り座敷には静けさが戻る。何とも言えない不穏な空気の中、土方は肩の力を抜き小さく息を吐いた。


「……あれがお前なりの、別れの言葉か?」


「うるせぇよ。……言っておくが、俺は組の為に死ぬ訳じゃない。先生の、芹沢派の為に、だ」


新見はそう言うと腹部を晒し、腰に残していた脇差しを手に取った。鞘を抜き取ると、綺麗に研かれた刀身が顕になる。


この刀で貫けば、全てが終わるのだ。


「それと、介錯はいらん。先生に最期まで付き合ってやれん罰だと思って、苦しみながら息絶えてやるさ」


切っ先を腹部に当てると、新見は土方を真っ直ぐに見据えた。


「先生はかなり手強いぞ。逆に噛み殺されないよう、気をつけるんだな。――鬼の副長さんよ」


日頃の行動や言動から鬼の副長、と何度も揶揄されてきた。今迄はふざけるなと怒鳴り散らしていたが、今の自分によく似合う言葉かもしれない。


挑戦的なその瞳はいつもと変わらない。反論したくなる気持ちを押し留め、土方は頷きを返した。


「――ああ、忠告は有難く受け取っておく。だが、俺は負けねぇよ。あの人を越える鬼になってやらぁ」


土方の答えに新見は口端を上げ笑みを溢すと、掴んでいた脇差しの柄にもう片方の手を添える。そして、そのまま勢い良く、腹部に刀を突き刺した。


くぐもった声と共に滴り落ちる血――














沖田は長い廊下の先にある曲がり角で、膝を抱え座り込む雛乃の姿を見つけた。


「雛乃ちゃん……?」


「……きら……です……」


「え?」


「大……っ、嫌い……です……。大嫌いです、新見さんなんか……ッ」


嗚咽混じりに吐き出される心と裏腹な言葉に、思わず沖田は雛乃を抱き締めようと手を伸ばす。だが、直ぐに思い止まり、その手を強く握り締め瞳を閉じた。




カラン、と命の灯火が一つ消える。



――新見錦。


祇園、山緒で詰腹。


その死に顔は、とても安らかだったという。









◇◇◇







秋空は酷く変わりやすい。


先程まで晴れていた空には雲が集まり始め、曇天と化していた。あと一刻もしない内に雨が降り始めるだろう。


至極疲れた様子で人通りの激しい祇園の路を歩く、一琉の姿が其処にあった。


「……ったく、相変わらず人使いが荒いったらねぇぜ。アイツは俺を、小間使いか何かと勘違いしてんじゃねえか……」


両手に抱える袋には全て甘味が入っている。これは一琉が食すものではない。ある人物に頼まれた物だ。


断ろうと思えば断れる間柄なのだが、断れば耳に残る金切り声でキャンキャン喚かれ、最終的には当主としての自覚が足りないだの揶揄される。


それが酷く嫌で、仕方なく重い腰を上げ市中に出て来た。買い物は既に済ませ、祇園には監察ついでに立ち寄っている。


本日何度目か忘れた深い息を吐き、一琉は顔を上げ――酷く眉を寄せた。

近くに降り立った二つの影。姿は見えないが気配は確かに其処にある。


嫌な予感がしつつも一琉は口を開いた。


「何があった」


「山緒にて、予定通り事が運ばれたようです」


「……そうか。新見が逝ったか」


事前に把握していた事とはいえ、先日まで苦楽を共にしていた者の死は堪える。


新見とは意外に長い付き合いだった。酒を飲んでは、よく時勢について語り合っていた。それすら、もう二度と叶わない――


「一琉様」


指示を待つ忍の声に一琉は思考を打ち消した。藤森を統べる者として、一時の感情に流される訳にはいかない。


先を見定め、誰も手出しが出来ない先手を打つ事。それが一琉に課せられた、一つの任務だった。


「京都守護職本陣と浪士組、双方を引き続き見張れ。近い内に一掃するだろうからな」


何を、とは言わなくても忍達には伝わっていた。一琉の命に従うとの一礼を返すと、彼等は瞬時にその場から姿を消す。


再び耳に入る市中の雑音。その音に耳を澄ませながら、一琉は足を進ませていった。


人が一人死んでも、町は変わらない。いつものように変わらず、カラカラ回り機能していく。


「一人の鬼が死に、一人の鬼が生まれる……か。嫌な時代ったらありゃしねぇ」


そうひとりごちて、一琉は小さく息を溢した。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ