「ざまぁ」の現在
課長の机の上に光が現れた。うつらうつらと居眠りしそうになっていたαは急に目を見開くと、椅子から立ち上がって直立不動の姿勢をとった。
「全員起立ーっ!」
課長がそう叫ぶと、γが椅子から立ち上がった。慌ててΩもそれに続く。
光は女神の姿を形作った。女神本人ではなく、女神からの通信であることを示すシンボルだ。αには正面の姿が見えるが、γとΩからは後姿しか見えない。
「女神さまにはご機嫌麗しゅう……はい、はい……」
αは女神と会話を交わしているようだが、γとΩには女神の思念は聞こえない。
「先輩には女神さまの思念が聞こえますか?」
「聞こえないよ。課長にしか聞こえないように、指向性が設定されているんだ」
「なぜそうなっているんですか?」
「女神さまの応対をするのは課長の仕事だからだよ」
「そういうものなんですか?」
「いーや、聖女保護課だけだね。課長がそういう考えなんだよ」
Ωはあることに気づいた。
「指向性が設定されているということは、ボクたちの姿や声は女神さまには伝わらないんですか?」
「……うん、そういうことになるね」
「だったらなんで、ボクたちは立っているんですか?」
「課長の考えだよ。女神さまが見てないからって、手を抜いちゃいけないんだそうだ」
「仕事ならそうだと思うんですけど、これも仕事なんですか?」
γは声量を落とした。
「課長は忠誠心だけは高いんだ、忠誠心だけは」
Ωはγが言いたいことを、なんとなく察した。
ふたりがボソボソと会話をしている間に、女神とαの通話は終わりに近づいていた。
「……はい、確かに承りました」
女神の姿をした光のシンボルが消えた。
「君たち、仕事だ!」
αが大声で怒鳴る。
「はい、なんでしょう!」
γが負けじと大声で返事をする。
「聖女と婚約している王子が、侯爵令嬢と逢瀬を重ねて不倫をしている。これを罰せよとの下知である」
「かしこまりました!」
「では早速取りかかれ」
αはそう言うと椅子に座って、本格的に居眠りを始めた。
γも椅子に座ったので、Ωもそれにならう。
「先輩、課長の指示ってアレだけですか?」
「いつもそんなものだよ」
「それでいいんですか?」
「よくはないけど、実務は自分の仕事じゃないというのが課長の考えなんだ」
では実際に仕事をしているのはγだけなのだろうか? そう思ったΩは質問してみた。
「この部署って、課長と先輩とボクしかいないんですか?」
「昔はもっと大勢いたんだけどね。今の課長が来てから減ったんだ」
「なぜ減ったんですか?」
「同僚の天使たちが次々と転属願を出して異動しちゃったんだ」
「それはなぜですか?」
「ボクの口からは言えない。察してくれる?」
γはそう言うと、視線をΩから居眠りしているαに移した。
「……はい。それで、どうやって王子を罰するんですか?」
「それをこれから考えるんだよ」
「先輩が考えるんですか?」
居眠りしているαを見ながらΩが訊く。
「君も考えるんだ」
「えっ? ついさっき配属されたばかりですよ!」
「それがどうした? もうざまぁ課の一員だぞ。それとも課長を叩き起こして代わってもらうか?」
「……いいえ、ボクもやります。ところでその『ざまぁ課』という俗称は、どうやってできたんですか?」
「ある聖女がそう言ったんだよ。自分を◯姦しようとして罰が当たった男に『ざまぁ』って言ったんだ」
「なぜ『ざまぁ』なんでしょう?」
「普通に考えれば『ざまあみろ』の短縮形なんだろうが、正確なところは本人に訊いてみないと分からないな。もう死んでいるから、天国課の許可が取れたら訊くことができる」
「そこまでしなくていいです。それより今回与える罰はどうしましょう?」
「そうだな。現在はサクパ重視で罰を与えるようにしているんだが……」
「サクパってなんですか?」
「サクリファイス・パフォーマンス(Sacrifice Performance)の略だよ。犠牲と効果の大きさを比較するパラメーターだ。いかに少ない犠牲で最大限の効果を出すかが、今は重要なんだ」
「犠牲が大きいと、女神さまの神格が下がるからですか?」
「うん。悪人にはなるべく危害を加えずに、聖女への愚弄を止めさせるようにしないといけない。今回は不倫で、聖女に直接危害を加えたわけじゃないから、身体への攻撃はなしだな」
「じゃあ精神攻撃ですか?」
「公衆の面前で婚約破棄を通告するとか聖女に恥をかかせたわけじゃないから、精神でも直接攻撃はなしだろう」
「じゃあどうするんです?」
「地位や名誉を落とす、社会的制裁が妥当なところだろう。王子みたいな特権階級には、それがよく効く」
Ωは手荷物から万科事典を取り出した。人間社会について書かれた百科事典の一種だが、未来の予定表が載っているのが普通の百科事典とは違う。
「ええと、人間の社会でも不倫は醜聞とされてますから、王子と侯爵令嬢の不倫を広めれば、社会的制裁になるんじゃないでしょうか」
「なかなかいいね。で、どうやって広めるんだい?」
「え? そこは先輩が考えてくださいよ」
「具体的な実行手段を考えるのがいちばん大変なんだよ。あれをすればいい、これをすればいい、と理想論を語るだけなら素人でもできるよ」
配属初日の自分は素人同然ではないかとΩは思ったが、口には出さなかった。
「女神さまにお告げで人間たちに広めてもらうのはどうでしょう?」
γがジト目になる。
「Ωくん、君は女神さまに『王子が侯爵令嬢と◯ッコン◯ッコンしてるぞって人間たちにお告げで広めてください』と頼めるかい?」
「うっ……できません」
「それにお告げだと、今は教会関係者しか聞けないから、教会が握りつぶしちゃったら広がらないよ」
「……そこまで考えてませんでした」
「じゃあ考えてみようね」
「はい」
Ωは考えてみた。
「王子の不倫を暴露する文書をばら撒くというのは、どうでしょう?」
「文書ねえ」
γが上を向いてブツブツ呟く。
「誰に向けてどんな文書をばら撒くんだい?」
「王子の不倫を書いた文書を……」
「だからさっきも言ったけど、どんな文書か具体的に考えてくれる?」
「……不倫の様子をこと細かく書いた文書です」
「それは文章で?」
「ええ、そうですけど」
「人間たちの識字率を調べてごらん」
Ωは手元の万科事典で調べてみた。
「王侯貴族以外は、ほとんど字が読めないんですね」
「君が考える文書だと、平民に配っても意味がないね」
「で、でも貴族たちに知らせるだけでも、王子に対する制裁にはなるでしょう」
「ボクたちの目的は王子に対する制裁じゃない、聖女の保護だ。聖女を侮辱したらとんでもない目に遭うということを、広く知らしめなければならない。そうでなければ抑止力にならないじゃないか」
「……なるほど」
「それに王子がしらを切ったら、事実無根の怪文書扱いされかねない」
Ωはため息をついた。
「文書は駄目ですか」
「まだ駄目とは決まっていない。文書の内容を考えればいいんだよ」
「内容、ですか?」
「うん、文章じゃなくて、写真なんてどうかな」
Ωは再び万科事典で調べてみた。
「写真が発明されるのは、五百年以上先ですよ!」
「それがどうした? ボクたちは女神さまの代理で罰を与えるんだ。それは神の御業なんだ。人間のテクノロジーに縛られる理由なんかない。さっき過去の例を話したのを覚えているかい? 隕石を落としたり、人間を動物に変えるのが、人間にできるかい?」
「できません」
「人間にはできないからこそ、それは神の奇跡だと人間は考えるんだ。やり過ぎはよくないけど、積極的に使っていいんだよ」
「は、はい。勉強になります」
「王子の不倫現場を撮影した写真なら、文字が読めない平民にも伝わるし、王子もしらを切ることができない」
「はい。さすがは先輩です」
そう言いながら、Ωは万科事典のページをめくる。
「今の人間が使っているのは羊皮紙ですから、写真や印刷には使えませんね。二百年ほど歴史を前倒しして、植物繊維の紙を使いましょう」
「Ωくんもだんだん仕事が分かってきたね。じゃあ必要な素材を確保しよう」
「素材ですか?」
「不倫現場の写真だよ。ほら、君も行くんだよ」
γは席から立ち上がった。
二天使は別の部署を訪ねた。
「先輩、ここは?」
「監視課だよ」
「監視課?」
「人間が背神行為をしていないか監視している部署だ」
γは監視課のオフィスにずんずんと入っていき、一番奥にいる天使に声をかけた。
「βさん、お久しぶりです」
「ん? おお、γくんか。久しぶりだな。五百年ぶりか?」
「三百年ぐらいですよ」
「そうか。そちらは?」
「今日新しく聖女保護課に入ったΩくんです」
「はじめまして、Ωです」
「監視課の課長のβだ。よろしくね」
「βさんは昔は聖女保護課の課長だったんだ」
「八百年も前の話だよ。ところで今日の用件は、聖女の婚約者の不倫かな?」
「はい。罰の方針が固まったので、必要な素材をいただけないかとお願いに来ました」
γは先ほど決めた方針をβに話した。
「告発文書作戦か。悪くないと思うよ。サクパは高そうだし。すると必要なのは不倫の証拠写真だね」
「ありますか?」
そう質問したのはγだが、Ωも思わず身を乗り出していた。
「あるよ。女神さまに報告するため、不倫の一部始終は動画に撮影しておいた。そこから使えそうなフレームを抜き出して印刷すればいい」
「では動画ごといただけますか?」
「ああ、今日一日だけγくんにアクセス権を付与しておくから、監視課のサーバーからダウンロードしてくれ。他のファイルには触らないようにね」
「はい。気をつけます」
「ところで、文書をばら撒く方法は決まっているのか?」
「いえ、これから検討するところですが」
「Ωくんには何かアイディアはあるかね?」
それまでβとγのやり取りを黙って見ていたΩは、急に話を振られて驚いた。
「えーっと……ありません」
「そうか。本当にばら撒くのはどうかな、と思ったんだが」
「「本当に?」」
γとΩの質問がハモった。
「文字通り空からばら撒くんだよ。何もない空からいきなり大量の文書が降ってくる、どうだろう? 人間業ではできないし、揉み消すこともできない」
「それ、いいですね。使わせてもらっても?」
「そのつもりで話したんだよ」
「ありがとうございます」
お礼をいうγ。Ωも一緒に頭を下げる。
監視課から聖女保護課へ戻る道すがら、Ωはγに話しかけた。
「βさんて、いい天使ですね」
αとは大違いだと思ったが、そこは口に出さなかった。
「女神さまを諌めた話は覚えている?」
「はい」
「諌めたのは、当時聖女保護課の課長だったβさんだったんだ」
「そうだったんですか」
「ところがそのすぐ後、βさんは更迭されたんだ。代わりに来たのが今のα課長なんだ」
Ωはなんと答えてよいのかわからず、黙ってしまった。