「ざまぁ」の歴史
新人天使のΩは、新しく配属された部署に初出勤した。
「おはようございます。今日から聖女保護課で勤務することになりましたΩです」
仕事部屋の奥にいた天使が片手を上げて声をかけた。
「ご苦労さん。私が課長のαだ。ようこそざまぁ課へ」
課長の言葉を聞いてΩは慌てた。
「すみません、間違えました!」
「いや間違ってないよ。ざまぁ課っていうのは俗称だから」
入り口近くの席にいた天使が慌てて声をかけた。
「ようこそ聖女保護課へ。君の席はボクの隣だから」
「は、はい。ありがとうございます……」
「ボクはγ、君の職場指導員だ。よろしく」
「はい、よろしくお願いします。γ先輩」
Ωは席について手荷物を片付けると、隣のγに質問した。
「あの、聖女保護課って具体的には何をするんですか?」
「一応聖女の保護ということになっているが、訊きたいのはそういうことじゃないよね」
「ええ、配属前に色々と訊いてみたんですけど、みんな『がんばってね』としか言ってくれないんです」
それを聞いたγは、苦笑いした。
「一口で言うと、聖女に危害を加えようとした人間を罰する、てとこかな」
「なぜ罰するんですか?」
「人間というのは馬鹿だからね。教義で聖女に危害を加えちゃダメといっても、理解できないやつが多いんだよ。頭で教えてダメなら、体で教えるしかないだろ」
「はあ」
「しかも百年も生きられない短命種だから、ちょっと時間が経って世代が交代すると、また同じ失敗を繰り返すんだ」
「なるほど。それでどんな罰を与えるんですか?」
「ケースバイケースだね。ボクが最初に担当した仕事では、聖女と婚約していた王子が、婚約を破棄するために聖女に冤罪を着せて、処刑しちゃったんだよ」
「人間って、そんなことをするんですか!?」
「ボクたちには理解できないんだけど、王子は他に好きな女ができたんだよ」
天使には性別がない。完全無性である。
「これにはさすがに女神さまも激怒してね。隕石を落として王都ごと王子をクレーターに変えちゃったんだ」
Ωはゴクリと音を立てて唾を飲んだ。
「その隕石を落としたのが、先輩の初仕事だったんですか?」
「そうだよ」
「その後の人間たちはどうなったんですか?」
「王侯貴族の四分の一と民の十分の一、およそ二十万人が一瞬で死んじゃったから、その国は亜人の隣国に侵略されて滅んだよ」
「聖女一人が死んだ結果がソレですか?」
「聖女は女神さまが人間のために祝福を授けた存在だよ。それに危害を加えるというのは、女神さまに弓を引くのと同じだよ。それに隕石を落とした効果はあったんだよ。その後は百年以上は聖女に危害を加える人間はいなくなったからね」
Ωは別の意味で眩暈がした。
「……二十万もの犠牲を払ったのに、永遠にいなくなったわけじゃないんですか?」
「さっきも言ったけど、人間は短命種だから、すぐに教訓を忘れちゃうんだ」
「その度に隕石を落とすんですか?」
「いや、アレはさすがにやり過ぎた。人口が減ったから信者も減って、女神さまの神格が下がっちゃったんだ。だから次からはもっと穏健な方法で罰を与えるようにしたんだ」
「どんな方法ですか?」
「じゃあボクの次の仕事を例にしよう。貴族から賄賂をもらって聖女じゃない貴族の娘を聖女に認定して、本物の聖女を教会から追放した大司教を罰したときだね」
「女神さまに仕える身で、そんな真似をしたんですか!?」
「人間はね、欲が絡むと愚かになるんだよ。性欲だけじゃなく物欲や金銭欲も人間を愚かにするんだよ」
「そのときは先輩は何をやったんですか?」
「人口をむやみに減らしちゃいけないから、腐敗した貴族と教会関係者だけを狙い撃ちにしたんだ」
「超小型の隕石で?」
「隕石じゃないって言ったろう。大体そんな面倒なことはしないよ。大気圏に突入してもギリギリ燃え尽きない大きさの隕石を大量に用意するだけでも大変だし、それらをピンポイントでターゲット一人ひとりに精密誘導するなんて女神さまの演算能力をもってしても至難の業だよ」
Ωの脳裏にクエスチョンマークが浮かんだ。
「大司教だけを罰したんじゃないんですか?」
「当時の特権階級は腐敗が酷かったからね。大司教一人だけを罰しても効果がないと思われたんだ。そこで腐敗した連中を一掃することにしたんだ」
「何人ぐらい罰したんですか?」
「確か二百人ぐらいかな。最初のときの千分の一に抑えることに成功したんだ」
この部署に慣れてしまったγは感覚が麻痺していて、Ωが引いているのに気づかなかった。
「女神さまは見せしめは派手な方が良いから一万人と仰ったんだけど、前回のことを持ち出してお諌めして、なんとかこの人数まで減らしたんだ」
Ωの中で女神に対する崇拝に、僅かな翳りが生まれた。
「具体的にはどんな罰を与えたんですか?」
「悪い奴らをカエルに変えちゃったんだ」
なぜカエル? とΩは思ったが、それより結果が気になった。
「その後はどうなったんですか?」
「自分を追放しようとした大司教や貴族たちがいきなりカエルに変わったから聖女がパニックになって、カエルたちを片っ端から踏み潰してしまったんだ」
聖女は本当にパニックだったのだろうか? とΩは思ったが、やはり続きが気になった。
「それで、最終的にはどうなったんですか?」
「実は悪人たちの肉体はカエルに変えたんだけど、魂の格を人間からカエルに下げるのを忘れていたから、聖女の魂には大量殺人者の業が付いて、聖女の資格を失ってしまったんだ」
「……その聖女、もう死んでますよね」
「うん、八百年以上前の話だからね。天国に召されるはずだったけど、今は地獄にいるよ」
Ωは地獄で苦しんでいる元聖女に同情すべきかどうか迷った。
「女神さまもこの結末には大変心を痛めて、悪人をカエルに変えるのは止めることにしたんだ」
そもそもなぜカエルにしようと思ったのか? とΩは再び思ったが、怖くて訊けなかった。
「その後はどうするようになったんですか? ネズミに変えるようにしたとか?」
「カエルでもネズミでも大した違いがないじゃないか。悪人を動物に変えるのは止めになったんだよ。ボクの次の仕事でも聖女が追放されたんだけど、そのときは特に何もしなかったんだ」
何もしないことが仕事になるのだろうか? Ωはそう思ったが、やっぱり続きの方が気になった。
「なぜ何もしなかったんですか?」
「女神さまは聖女を通じて人間に恩寵を与えているだろう。その聖女を追放しちゃったら、人間は恩寵を受けられなくなるじゃないか」
「……確かに」
「消極的に見えるけど、確実に人間は苦しくなる。じわじわと人間を苦しめて、反省を促そうとしたんだ」
「それは本当に上手くいったんですか?」
Ωもだんだんこの部署のことが分かるようになってきた。
「聖女を追放したのは王様だったんだけど、こいつがかなりのクソでね。国が苦しくなったのは追放した聖女が呪いをかけたせいだ、と言って聖女を処刑しようとしたんだ」
「……先輩、人間て救済する価値があるんですか?」
ここで突然課長のαが口を開いた。
「Ωくん、人間の救済は女神さまの御意志だよ!」
「は、はい。すみません!」
「課長、初日から新人を怒鳴っちゃ駄目ですよ。人間風にいうとパワハラになりますよ」
「怒鳴っていない。注意しただけだ」
「はいはい。えーっと、どこまで話したっけな?」
「王様が聖女を処刑しようとしたところです」
「そうだったね。ボクたちは聖女の処刑を止めるため、王様や兵士たちを豚に変えたんだ」
Ωの眉間に皺が寄った。
「……悪人を動物に変えるのは止めたんじゃなかったんですか?」
「一旦はそう決めたんだけど、あのときはしょうがなかったんだよ。まさか王様があそこまで愚鈍だと思わなかったから、他の奇跡を準備する時間がなかったんだ」
「カエルじゃなくて豚にした理由はなんですか?」
「女神さまの恩寵を失った人間は飢えに苦しんでいたから、それを和らげてやろうという配慮だよ」
「……飢えは和らいだんですか?」
「うーん、人間たちは気味悪がって元人間の豚を口にしなかったんだよ。このときはちゃんと魂の格を豚に下げたから、食べても問題なかったんだけどね」
ずれているのは先輩天使のγか、それとも女神か? Ωはちょっと頭痛がしてきた。
「あの王様が愚鈍すぎたせいで、飢えや疫病で人間の犠牲者が百万人を超えちゃったんだよね」
「……やっぱり女神さまの神格が下がっちゃったんですか?」
「うん。ご名答」
Ωは配属が決まったときの周囲の反応が理解できた。