稀代の魔術師ジュール・シュヴァルツヴァルト(後)
説明回です。斜め読みで大丈夫。
ジュールの計画はこうだ。
一、シュヴァルツヴァルトの秘宝にありったけの魔力と、時駆けの禁術の術式をかける。
時駆けの禁術とは、時間を過去へ遡る、または未来へ進めるというもので、周囲にいかなる影響が及ぶか、また影響を小さくしようとしたとき術者へどんな反動がくるか予想がつかない――ということで禁術とされたもの。数秒、数時間、数日程度の短い時間での実行歴はあるようだが、今回行おうとしている百年弱というのは魔力量も負荷も分からない。
二、未来でシュヴァルツヴァルトの裔が秘宝を落とし、それを女が拾った瞬間を狙って術式を発動する。
シュヴァルツヴァルト以外の人間が触れることは殆どない秘宝であるので、この術式の展開に対するルール決めはそう難しくはなさそうだ。
三、展開した術式で女をジュールの元に攫う。
タイムトラベル誘拐である。女がどんな反応をするかは分からないが、できれば友好的に話を進めたい。無理ならば魔術で洗脳――もとい、思考を誘導する必要がある。
四、女の助力を得て、統一国家側から魔術を秘匿する隠れ蓑を模索する。
どうにかして『魔力? そんなものあるわけないじゃないですかー!』という展開に持って行きたい。そのための方策を何とか立てたい。ここが一番運試しだ。女の出方次第になってしまう。
五、シュヴァルツヴァルトの方策が立ったら、女を元の時間軸へ送り出す。
こちらに骨を埋めさせる気はない。絶対に元の時代へ送り届ける。そして。
六、胡桃色の髪の女をシュヴァルツヴァルトの裔の嫁にする……!
『そこだけとにかく気合いの入れようが違うのは何でなんだ』
「そりゃあ私がふたりを推してるからだけど」
ジュールはからからと機嫌よく笑った。ひとつ間違ったら自分の精神か肉体が吹き飛びかねない術式を編んでいるとは思えない様子だ。
「でもやっぱりさ、自分の後に続くものには幸せになって欲しいじゃないか。我が娘もそう、娘の先に縁づいたあの男もそう。そうなると、男と一緒に笑ってた女だってもう私の懐の中だ」
その柔らかい視線の先では、青い石が膨大な魔力と術式ではち切れんばかりに輝いている。今なお刻み続けられる緻密な術式は見事としか言いようがない出来栄えだ。ビリジアンの記録にある禁術の記載とひとつたりともブレがない。
「男が女の前から姿を消した後、女は国営事業を成功させ、一躍時の人となった。けれどね、女は全然幸せそうじゃなかったんだ。ずっと、あの男を探してた。短い生涯ずっとね」
『短い?』
「身を削って研究に没頭して、身体を壊し、女は早くに死んでしまった。国に使い潰された、とも言える」
涼しい顔をして青い石に向き合っているジュールのこめかみから、一筋の汗が流れる。顔色にも態度にも出さないが、相当な負荷がかかっているのだろう。
「シュヴァルツヴァルトが生き残ることが最優先だが。……それはそれとして、裔のお相手だって幸せにしたいじゃないか」
ジュールは稀代の魔術師だ。卓越した能力に、誰よりも賢い頭脳、度重なる予知により達観した精神を併せ持った天才。
けれど一方でとても人間らしい人間だった。自らの手が届く限り近しいものを大切にしたい、その為ならどんなことも厭わない。
ビリジアンは今回の計画を聞いて素直にバカだな、と思ったが、ジュールならやり切ってしまうだろうな、とも思っていた。もっと簡単な方法など幾らでもあるだろうに、わざわざこんなしちめんどうくさいやり方で、特定の女を時空を超えて攫ってくる。
未来を生きる皆が幸せになるように。
「……さて、こんなものだろう。流石に少し疲れたな。ビリー、休憩にしよう」
汗を拭って笑うジュールに、ビリジアンが羽ばたきひとつで応える。茶器の音が響く中、ビリジアンは今しがた終わった術式を寸分他がわず記録した。そしてそれを展開する未来のポイントを秒単位、ミリ単位で設定する。
この計画は必ず成る。
勝算のない計画に加担するほど、ビリジアンだって暇ではないのだ。
◇
そうして綿密な計画、繰り返しの未来予知の果てに、ミネルヴァ・ハミルトンはかの禁術にかけられ、百年弱の年月を飛び越えて、この森へと招待された。
エルンストには全く信じ難い話であったが、目の前のミネルヴァに目をやると神妙に頷くので、事実であるようだ。
「よく、その現実を受け入れられたな……」
エルンストが最初に思ったのはそれだった。ミネルヴァが苦笑する。
「落し物を拾ったと思ったら瞬きの間に知らない場所に立っていたんだ。夢であったらどんなに良かったか……」
流石のミネルヴァも大いに取り乱したという。暫くはこんなのは夢だと言い張り、魔術師を名乗る不審な人物も喋る烏も無視をして、飲まず食わずで籠城したらしい。
けれど、夢ではないのだから、当然ながらお腹も減るし排泄も催す。とうとう自分が夢を見ているわけではなさそうだと認めざるを得なくなり、腰を据えて話を聞くことにした。
「ジュールがね、わたしが混乱しているうちにあれこれと見せたり吹き込んだりするから、余計に何も考えられなくなってしまって。最終的に、わたしの性格も未来予知で見ていたのかよく分かっていて、興味のありそうなもので釣ってきてさ。本当にタチの悪い奴なんだジュールは」
不貞腐れたように、その一方でどこか懐かしみ思い巡らすようにミネルヴァが言う。
エルンストはそんなミネルヴァの表情を見て、ふと気付いてしまった。ミネルヴァが自分を透かして見ていた誰か――それこそが自分の先祖である、ジュールという人物なのではないだろうか。ミネルヴァにとって、特別な、自分に似た誰か。
エルンストの心の端がぎしりと軋む。
そんなエルンストの物思いなど知りもしないミネルヴァは、滔々と話を続ける。
「協力しろって言われても、わたしには回路の知識しかない。それを応用することしか思いつかなかった。わたしの開発した回路を応用しては時代にそぐわないから、それより旧型の電子回路を真似た魔導式回路を作ることで、『シュヴァルツヴァルト国内には魔力という不思議なエネルギーがかねてよりあるけれど、それは全て魔導式の道具を介したもので、魔術という力を直接行使できる人間は存在しない』という風に誤魔化す方向で話が進んだんだ」
そうすれば、最悪統一国家が魔力を恐れたとしても、道具を壊されるか奪われるだけで、国民そのものにまでは被害が及ばない可能性が出てくる、と考えたのだ。また、魔導式回路の仕組みを隠さず明け渡すことで、統一国家に対する従順な降伏を示し、穏便に支配下で生き残る手段ともできるだろう、と。
そんなわけで、今まで魔術師が行ってきた様々な魔法や魔術といったものを、地道に魔導式の物品へと置き換えていく、という作業が始まった。回路の構造は全てミネルヴァが設計し、実際の回路は時間がないためまずジュールが魔術で一度作成、その後シュヴァルツヴァルト中の魔術師たちがその技法を引き継ぐという順序で進められた。
ミネルヴァが全て設定する、というのが大きなポイントで、この国にはもうこの回路を作る技術は存在しない――これらは過去の遺物だと言い張るつもりだ、とジュールは話していたそうだ。過去の遺物どころか、未来の産物なのに。物凄いハッタリだが、禁術にて時間操作も可能であるジュールは、作った回路を魔術で経年劣化させる徹底ぶりで、そのハッタリに信憑性を持たせたらしい。そして、その過去の遺物を作り出した誰か――すなわちミネルヴァのことを、シュヴァルツヴァルトの魔女、と呼称することにした。
なるほど、この森では魔女と呼ばれていた、とミネルヴァが言ったのはこのことを指しているらしい。
小型の日用品などは回路も単純で、数が多くともそう掛からず作業が終わったが、大規模な術式の魔術を置き換えるのはとにかく大変だったという。
「土壌や水源を浄化するとか。国民の生死の管理や記録をするとか。国営で沢山の人力を投じてやるような事業を、魔術、それもジュールみたいな力の強いひと一人に頼りっぱなしっていうとんでもない状態だったから……」
それに見合う筐体や仕組み、記録作り、人材の育成など、ミネルヴァの管轄外となるようなことまで助言を求められ、国外から書物を集めて調査したりと奔走した。しかし、ミネルヴァは天才ではあったが、自分の専門外の分野には全く興味を持たない人種でもあった(因みに、ジュールも同類であるらしい)。そのため、集めた知識も上滑りするようなことばかり起き、その度にビリジアンが代わって記録を取り、適材適所に仕事を振ることになったという。
「ビリーがいなかったら絶対無理だったよ。わたしは回路と工学周り以外さっぱりだし、ジュールは魔術と紅茶のこと以外さっぱりだったからね」
『ホントにな! オレサマがいなかったら、何十年あっても終わらなかったぞ絶対』
「本当に。……でも、終わった。三年間、わたしたちは一緒に走り続けたんだ」
三年。それは、ミネルヴァが姿を消していた年月と一致している。
「ジュールは、あとは自分たちが上手くやると言ってね。この黒い森に国中に満ちていた魔力の殆どをかき集めて結界の中に封じ込め、わたしを元の時代へ送り出した」
結界内の魔力を消費しながら時駆けの術式は発動し続けた。本来の時の流れより百倍近く遅くなったこの土地ごと、ミネルヴァは再び時間を飛び越えてきたのだ。
「……正直、信じたくない、っていうのが本音だ。……けど」
エルンストは言葉を濁した。ミネルヴァが小さく首を傾げる。
「実際にこの森は存在しているし、魔導式回路もある。ビリーもいる。それに……ミネルヴァが話してくれたことを、ちゃんと信じたいから」
こんな稚拙な言葉で伝わるだろうか。エルンストは何だかもどかしい気持ちだった。
ミネルヴァというひとりの相手を好ましく思い、その信頼を裏切りたくないと願う。どことなく青臭く、遠く懐かしい感情。
それが心をちりりと焼いた瞬間、ミネルヴァが想う相手のことが脳裏を過ぎる。その感情に名前は付けず、今は蓋をすることにしたエルンストは、目線をミネルヴァへ向けて、何かを――自分を誤魔化すようにゆるく微笑んだ。
ミネルヴァは目を見開いて硬直していた。じわじわと頬が赤くなっている。
何故そこで照れる……? とエルンストの頭の上には疑問符が浮かんでいたのだが、ビリジアンがその横で呆れたようにしたり顔をする。
『エルも大分タチが悪いな? 流石ジュールの子孫なだけある』
「何それ、ちょっと腹立つな……」
エルンストが思わずぽつりと本音を漏らすと、今度はミネルヴァの頭の上に疑問符が浮かぶのだった。
ミネルヴァが送り出された後。
ジュールはありとあらゆる手を尽くしてシュヴァルツヴァルトと統一国家を友好的に結びつけようとした。かなり無理のある設定であったので、様々なボロが出たのは当然で、それを詐欺師さながらにだまくらかしながら、何とかシュヴァルツヴァルトは国としての形は失ったものの、民と名と森の一部を統一国家の中に残した。
決め手になったのは、ジュールが国に残したなけなしの魔力で作った治療薬であったという。君主にのみ伝わる、過去の遺物の時代より伝わる素材で作られた秘薬――当時戦時下にあった統一国家には、どんな手を使っても生かしたい死にかけの人間がいたことを、ジュールは予知で知っていたのだ。
それと引き換えに、使い切られてしまったことによって、魔力という概念はこの地から喪われた。本来の予知よりずっと早いシュヴァルツヴァルトの魔術の終わり。魔術師たちは命は長らえたものの、その役目を終えたのだ。
結末を見届けることなくこの森に捕らわれたミネルヴァとビリジアン。そしてジュールによりシュヴァルツヴァルトの過去を巧妙に隠され、真相を知る由もなかった子孫のエルンスト。
本来ならこの場にいる誰もこの顛末を知り得ない筈であったが、全てを記録してきたビリジアンだけは、ジュールから聞いた先々の計画を己の中で組み立て、恐らくはそうであったのだろうという確固たる推論を立てていた。
『まァ、ジュールのことだから、多分そんなトコロだろ』
あっけらかんとそこまで語って、ビリジアンは羽根を嘴でちょちょいとつついて整える。エルンストとミネルヴァは何とも言えない表情で顔を見合せた。
「秘薬って……本当だったのか」
「知ってるの、エル」
「らしい、とだけ。詳しいことは何も。レシピも何も残っていないから、俺は事実ではないとばかり思っていたんだけど……」
噂話、都市伝説、伝承。そういったもののひとつだろう、と考えていた。
けれど。
「魔術で作った薬じゃ、レシピもなにもあるはずがない。そして、その『薬』を渡すのに違和感がないように、植物、その中でも薬草の研究を国の得意分野――魔術研究の隠れ蓑にしたわけだね」
『だろうな。実際、森に薬草は生え放題で、研究は他国よりは元々進んでいたと思うぞ』
綱渡りのような嘘と出まかせの果てに、今の未来があるなんて、エルンストは目眩がする思いだ。今となってはその誤魔化しも嘘から出たまことで、統一国家内の植物研究でシュヴァルツヴァルトの右に出るものはいない。地に足のついた家業となっており、それなりの地位を保ったまま恙無く暮らしていけている。
ジュールが描いた幸福な未来――正しくその通り、シュヴァルツヴァルトは生き残ることが出来たといえよう。
――裔であるエルンスト自身が、今までの人生に幸福を感じていたかどうかは別として。
『オレサマが記録していることから分かるのはそんなトコロだ。これで状況は分かったか? エル』
ビリジアンにそう振られて、エルンストは苦笑する。
「分かったつもりだけど、突拍子もなさすぎてついていけてない」
『そうか? じゃあ残りはまた明日にするか』
「え、まだあるの?」
『露骨に面倒くさそうなカオするな! オレサマの秘密の呪文がまだだろうが!』
言われてそういえばと思い出す。緑烏と仲良くなったら、秘密の呪文を教えてくれるのだったか。けれど、諸般の事情で溜まった疲労には勝てそうにない。気付けばすっかり珈琲は冷めていて、大分外も暗くなってきている。雨のせいでいつにも増して薄暗かったので今の今まで気づかなかった。随分時間が経っていたようだ。
「休ませてもらえると助かるな。また、明日以降で」
「そうだね。わたしも少し、疲れた。……できたら、美味しい物食べてから、ゆっくり寝たいんだけど」
ミネルヴァが申し訳なさそうに言うので、簡単なものなら作るよ、と請け負うと、分かりやすく目を輝かせた。それだけで疲れ果てたエルンストの気持ちも少し浮上する。
「じゃあ、夕飯にしよう。……ビリーは……」
『エルが作るのか!? 食いたい! オレサマ、食わなくてもいられるが、何でも食えるぞ!』
「はいはい」
一応声を掛けたビリジアンが勢いよく食いついたので、思わず笑いながら立ち上がる。ごちゃごちゃになった頭をリセットするのに、料理は丁度よい息抜きになってくれそうだ。
エルンストは気持ちを切り替えるべくぐるりと肩をひと回しすると、いつもよりゆっくりとした足取りでキッチンへと向かった。