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稀代の魔術師ジュール・シュヴァルツヴァルト(前)

 ビリジアンに急かされて家に転がり込んだエルンストは、肉体的にも精神的にも疲弊しきってしまって、なけなしの見栄でミネルヴァをリビングのソファまでエスコートすると、そのまま自分も隣にぼふりと座り込んだ。太ももが当たるくらい距離が近いが、最早そんなことを気にしている余裕もない。


「つか……れた……」


 ぐったりと背もたれに仰け反るように頭を預け、瞼を閉じる。心配そうに慌てるミネルヴァとは対照的に、ビリジアンがこともなげにだろうなァ、と首を傾げた。


『なんせ、契約更新のために、エルの魔力を搾り取ったからな!』

「な、何てことしてるんだビリー!」

『仕方ないだろ? コイツ、魔力の使い方も知らないんだ。オレサマが無理矢理こじ開けた上で引っ張り出して繋げるしか方法がなかったんだ』


 言っていることはさっぱり分からないが、何か体に負担が掛かるようなことをされていたのには違いなさそうだ。道理で身体が動かないと思った。ここ最近の運動不足だけが原因ではなかったらしい。


『魔法菫の砂糖漬けがあるなら、喰わせたら少しはマシになるぞ』

「取ってくる!」


 ミネルヴァがいつになく素早い動きでダイニングの方へ駆けていく。声を掛ける元気もなくエルンストがそれを横目で見送っていると、足の上にビリジアンがどすりと陣取ってきた。意外に重量感のある烏である。


「ビリー重……」

『なァ、エル』

「……何だよ」

『ミニーとはもう(つがい)になったのか?』


 疲れた頭には中々に効く問いかけであった。エルンストは重い頭を背もたれから上げると、胡乱げにビリジアンを睨みつける。


「何でそうなる」

『何だ違うのか? バッチリそういう雰囲気だったから、ジュールの予言通りだってカンシンしたのに』

「……予言?」


 首を傾げるエルンストの様子に、ビリジアンが数秒沈黙し、そして騒ぎ出した。


『オマエ、オマエマサカ!! またか!? 本当に何にも知らないヤツか!?』

「うっるさ……」


 ガンガンとダミ声が脳髄に響いてくる。取り繕うこともできず、乱雑に吐き捨てながらエルンストが額に掌を乗せ呻いていると、丁度早足でミネルヴァがリビングに戻ってきた。ビリジアンは今度はミネルヴァに言い立てる。


『オイ、ミニー!! 何でコイツはこんなに何にも知らないんだ!!』

「ビリーは黙ってて! 先にエルにこれ食べてもらうんだから!」


 ミネルヴァは容赦なくビリジアンの詰問を押し退け、エルンストの隣に膝を乗り上げると、顔の辺りに掲げるようにして砂糖漬けの入った硝子の器を見せた。


「エル、食べられる?」

「ん……」


 エルンストは薄目を開いてそれを食べようと僅かに指先を動かしたが、それも面倒になってしまって小さく首を振る。そして困ったように眉を下げたミネルヴァを見つめたまま、低く囁くようにねだった。


「ミネルヴァ。食べさせて?」


 え、と呆気に取られるミネルヴァをよそに、エルンストは雛鳥のようにぱかりと口を開けて彼女の給餌を待つ。暫くおろおろと迷っていたミネルヴァであったが、エルンストが気怠げに、ん、と舌先で唇を舐めて催促してきたので、堪らず細い指で黄色の花をつまみ上げた。そのまま、どうにでもなれと言いたげにエルンストの唇に花ごと指を押し付ける。


 エルンストはゆっくりとそれを食んだ。以前食べたときよりずっと美味しく感じる。指に残った砂糖のひと粒すら惜しく思えて、ミネルヴァの手首を緩く捕まえてから花の名残を舐めあげると、もったいつけるように緩慢な動作で咀嚼し嚥下した。


 瞬きを二回するほんの僅かな間に大分気分が良くなってきて、エルンストはむくりと身体を起こした。んん、とひとつ伸びをしてから、ありがとう、とミネルヴァに微笑む。

 けれど、何の反応もない。エルンストは首を傾げる。


「……ミネルヴァ?」


 ミネルヴァは両手でぴっちりと顔を覆い隠していた。覗いた耳だけが真っ赤に茹だっているのが見える。ちょいちょい、とその白い手の甲をつついてみるが、顔を見せてくれそうにはなかった。


『……エル、オマエ、ソレ、マジか……』


 膝の上に乗り上げたまま一連の流れを見ていたビリジアンが、引き気味の声でおずおずと呟いてくる。


『ミニーにはシゲキが強すぎると思うぞ』

「何が……?」

『ウワ……』


 更に引いた様子のビリジアンに乗っかるようにミネルヴァの声が上がる。


「言ってやって。言ってやってよビリー。わたし、こんなの、もぉ……!」


 どうやら批難されているようだ。全く自覚のないエルンストは、お礼を言っただけなのにな、と小さくむくれる。実際はそれ以前の行動が問題なのだが。


『予想以上にスゴいダンナサマみたいでよかったな、ミニー』

「良くない良くない聞いてない……っ!」


 叫ぶように言いながら自分の膝に顔を伏せてしまったミネルヴァは、ビリジアンの話通り雨が降りはじめて少し経つまで、そのペリドットの瞳をエルンストに見せてくれることはなかったのだった。




 しとしと、久々に聞く雨の音。初夏の雨なので寒さはないが、じっとりとした湿度の重さを感じる。風も以前より吹いているようで、時折ごう、と強い風の音が窓硝子を叩く雨音に混じっている。


 置物のように動かなくなってしまったミネルヴァに代わりエルンストが珈琲の用意をし、カップが並んだところでふたり向かい合いテーブルに着く。ミネルヴァも流石にその頃には気持ちが落ち着いたようで、いつもの顔色でエルンストと視線を合わせてくれた。


『さて。まずミニー、どうしてエルはこんなに何にも知らないのか……説明してもらうぞ?』


 ダイニングテーブルの端っこに陣取ったビリジアンが切り出した。ミネルヴァがう、と言葉に詰まる。


『何も話してないのか? 何も?』

「う、うぅ……」

『エルも何も訊かなかったのか?』

「ここで暮らすのに必要なことは訊いたよ。必要のないことは訊いてないけどね」

『オマエたちー!!』


 ビリジアンがバタバタと羽を広げて暴れるが、エルンストはというと肩を竦め、しれっとした様子で言葉を返す。


「ミネルヴァにとって話しづらいことなら別にいいかなって」

『それでジュールの話もしてないってのか?』

「……ご、ごめん、ビリー。どう話したら信じて貰えるのかって、迷っているうちに……。エルの優しさに甘えて、今になってしまったんだよ」


 眉を下げるミネルヴァに、ビリジアンが溜息をついて羽をしまう。思うところがあったのだろう。それ以上言い募ることはせず、オレサマが掻い摘んで説明するぞ、と前置くと、ミネルヴァがそれにこくりと頷いた。


『ジュール・シュヴァルツヴァルトは、約百年前、シュヴァルツヴァルトという小国の君主であったニンゲンだ。エル、オマエの……三代か四代前の先祖に当たるな』


 エルンストはなるほど、と口元に指を寄せて考える。シュヴァルツヴァルトのことは、祖父母の代より上の先祖――丁度統一戦争の辺りを境にして、何故だか殆ど記録が残っておらず、エルンストもよく知らないのだ。その名前に心当たりがないのも、そのせいであろう。


『ジュールは稀代の魔術師だった。膨大な体内魔力を持ち、国を豊かにしたが、統一戦争に巻き込まれ、魔法や魔術という科学的に不明瞭なチカラを恐れた統一国家側に滅ぼされる運命のもとにあった』

「……滅ぼされては、いないよな? だって、――シュヴァルツヴァルト家が、俺がいる」

『その通り! やっぱりエルは賢いな? シュヴァルツヴァルトは生き残った。ジュールがありとあらゆる手を使って運命を捻じ曲げたから』


 ビリジアンが滔々と語る。それはまるで童話のような話であったが、ミネルヴァの顔色が曇っていく様子を見るにつけ、それが真実であろうことがエルンストには窺えた。


『ジュールは、未来予知ができたんだ。幾つもの未来の中から、シュヴァルツヴァルトが生き残る方法を探して――、その果てに、オマエたちを見つけた。そして思いついたんだ。シュヴァルツヴァルトが()()()生き残る方法を』





 君主ジュール・シュヴァルツヴァルトは水鏡を前にだらしなくうつ伏せて、あー……とひとり呻いた。とんでもないものを見てしまった。確定された未来だけを覗く、予知と呼ぶには余りに怠慢な、年に二度きり行っている未来予知の術式。映し出されたのは、昨今近隣の大国が始めたという統一戦争――その火の粉が我が小国にも飛んでくるというものだ。十年ほど後に起こる、魔術師の根絶。シュヴァルツヴァルトは国としても血族としても滅亡の危機にあった。


「ないか、何か……、何か……!」


 目を凝らし、幾つも幾つも普段は見ることを避けてきた不確定な未来を辿り、そうして行き着いた結論は、国を、魔術を、シュヴァルツヴァルトの名を捨てて、多くの魔術師たちの犠牲を払うことで、子孫のほんのひと握りがひっそりと命だけは長らえる、という酷なものであった。

 小国とはいえ国民を抱える身。守るべきものは多い。民の大半である魔力のないものたちは無駄な抵抗をしなければ無下には扱われないだろうが、魔力のあるもの――いわゆる魔術師は、未来を覗く限りそれも難しい。

 最早夢物語になりつつある魔法や魔術という概念、それを細々と守り続けてきた血族とこの森。国土の殆どを森に覆われ、木材以外の資源に乏しいシュヴァルツヴァルトの根幹は魔力で回っている。国の仕組み、民の営みの端々にまで魔術が染み付いてしまった現状から、『魔力なんてあるわけないじゃないですかヤダー!』とばかりに全てを誤魔化すのは無理がある。電気とかいうエネルギーもないのに、何で動いてるんだこれ、と訊かれたらアウトなものしかこの国にはない。


「考えろ……これを何とかしなければ、稀代の魔術師の名折れも甚だしい」


 体内魔力量だけは潤沢にあり、どんな術でも大概は指先一本でこなしてきた。どうせこのままでは魔術師は皆滅びるのだ、自分にしか扱えないような禁術を使うことだってやむなしだろう。

 かといって統一国家相手に構えるのは良くない。科学が栄えていく中で、魔術は淘汰されて消えゆく運命。これははるか昔に既に確定され予知されている未来であり、今更どうしたって逆らえない。統一国家と――科学と敵対すれば、結局未来は閉ざされてしまう。


 どうにか上手いこと誤魔化して取り入って、いい感じに穏便に友好的にシュヴァルツヴァルトを受け入れてもらって――。


「無理! 科学のことなーんも分からん私には誤魔化すとか無理!!」


 君主ジュールは情けなく叫びながら机をドンドンと叩いた。水鏡に張られた貴重な森の朝露がそれに合わせてちゃぷちゃぷと跳ねる。

 すると、その衝撃で魔術が発動したのか、水鏡の向こうに一組の男女の姿が映った。

 ひとりはジュールと同じ黒髪の男、未来予知は縁続きに視ることが多いことから、恐らくシュヴァルツヴァルトの血縁のものだろう。そしてもう一人、胡桃色の髪色をした女。何やら男が落としたものを、女が拾って手渡したらしい。ふたりと共に映り込む小難しい資料の束、口の動きでは読み取れない専門用語、機械に囲まれた狭苦しい部屋。

 間違いない。この女――!


「シュヴァルツヴァルトの裔の嫁だな!?」


 水鏡で繰り広げられるふたりの熱いラブロマンス。ジュールは暫く夢中で見入った。そう、君主はこういった恋愛ものに目がなかった。ひたすらに俗物であったのだ。


「いい。推せる。最高だ。我が子孫よ幸せであれ。幸せで……ん? いや、これは……」


 女は研究者であるらしかった。研究成果(ジュールには何がなにやらさっぱり分からないが)が素晴らしく、統一国家に認められ、女の研究は国営の事業となり、そして――。


「そう、だよなあ」


 シュヴァルツヴァルトの男は秘匿してはいるが魔術師の裔である。国と深く関わることは死を意味する。それに女の将来を巻き込むことも出来なかったのだろう。

 ふたりは離れ、永遠に――。


「ああーっ!! 何て! なんて惨い!! 駄目だこんなの認められるか!!」


 やはりシュヴァルツヴァルトを穏便に友好的に受け入れてもらい、統一国家から目をつけられないように生き残らせなければ。結局堂々巡りになってしまい、ジュールは流石に気落ちして重い息をつく。どうしたら。どうしたら。


 ふと、ジュールは思い出す。ふたりの始まり。落とした何かを手渡していた。あれは青い、そう丁度こんな感じの石のついた、首飾りのような――。


「……これじゃん」


 自分の首にぶら下がった、シュヴァルツヴァルトの秘宝。魔力を充填させておくことが出来、必要な時に術式を発動できる代物だ。魔力切れなんて起こすこともないジュールにとってはまさに宝の持ち腐れで、ただの装飾品に成り下がっていたのだが。


「これを使えば。……時駆けの禁術で、あの娘をこちらに……シュヴァルツヴァルトで保護して……」


 ブツブツと呟きながら、ジュールは部屋の中を彷徨いた。脳内で推察をまじえながらも、綿密な計画を組み立てていく。

 この計画は極秘となる。後々のことを考えれば、紙などの形に残して記録するわけにはいかない。かといって、寸分でも違えれば未来がめちゃくちゃに狂ってしまう。いくらジュールの記憶力が他人より優れているとはいっても、今回ばかりは限度がありそうだ。

 ジュールは使い魔のビリジアンを喚び、今回の計画の記録と時間管理を頼むことにした。緑烏のビリジアンは、難解な術式の記録端末を担う使い魔だ。どんなに厄介な事柄でも、一言一句間違えずに記憶して、必要な時に展開してくれる。

 しかし、喚ばれて早々機嫌が悪い様子のビリジアンは、はん、と契約主であるジュールを鼻で笑った。


『ジュール、オマエ、オレサマの能力なんてなくてもやれるとか言ってなかったか?』


 なるほど、過去の自分の行いがブーメラン式に返ってきているらしい。脳内で過去の自分に文句を投げつけながら、ジュールは笑顔を貼り付けて出来る限りの低姿勢で応じた。


「今まではね。けど、今回ばかりはお前の能力が必要だ。頼むよビリー、シュヴァルツヴァルトの将来はお前の双肩――ならぬ双翼にかかってるんだ!」

『……対価は?』


 ここでしくじるわけにはいかない。ジュールは神妙に頷く。


「緑烏のビリジアンが世界で一番賢くて素敵だと後世まで語り継ごう」


 至極真剣に、本気でそう言い切る。

 ジュールは知っている。見栄っ張りのビリジアンには、こういうのが一番効くのだ。予想通り、ビリジアンは驚愕の表情で食い付いてくる。


『ま……マサカ!? ジュール、本気なんだろうな!?』

「本気だとも。約束しよう。シュヴァルツヴァルトの名に賭けて」


 こんな内容ではあるが、これはれっきとした契約である。自分は最大限、子に孫に語り聞かせると誓約するが、後世のものが同じように語り継いでくれるかは、ジュールの知ったことではない。したがって、ビリジアンの望むような結果が得られるかどうかはジュールも予知してみないと分からないのだが――まあ多分大丈夫だろう。


『ヨシ、やってやる! それで、一体何をオレサマに覚えさせようっていうんだ?』

「うん、あのねビリー……」


 ジュールはにやりと笑ってビリジアンの嘴の先を指でつついた。


「お前には稀代の魔術師ジュール・シュヴァルツヴァルトの人生を賭けた大博打、その共犯者になってもらう――!」

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