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黄色菫の砂糖漬け(前)

 エルンストの幼少期の記憶を正確に掘り起こすのは困難を極めた。正直、小さい頃のエルンスト自体、勉学に臨むように真面目にその歌と向き合っていた訳ではない。生家にいた祖母が何かとその歌を口ずさんでいたというだけなのだ。うろ覚えにも程がある。

 色は色相の順に、赤、橙、黄、緑、青、紫の六色であろうと推察できたが、その色の『なに』であるかはさっぱりだ。『赤いどんぐり』の例の通り、通常ありえない配色となることもあるとなれば尚更だった。


 早々に降参となったエルンストとミネルヴァは、一旦それを棚上げすることとした。だって、思い出せないものは仕方がない。

 可及的速やかに、などと言ってみたものの、これは長期戦も覚悟しなくてはなるまいということになり、ミネルヴァが森の隠れ家と称されていたこの家の中を案内してくれることになった。当面、ふたりでここに暮らすことになるのだ。エルンストは礼とともに女性の一人住まいに世話になることを詫びたが、ミネルヴァはあっけらかんと笑うばかりだった。




 まずは一階から。玄関から入ってすぐのところに、最初に通された開けたリビングダイニング。その奥にキッチン。二階に上がる階段の辺りに手洗いと浴室がある。


「キッチンは全自動だから、わたしはろくに入ったことがないんだよ」

「全自動?」

「そう。魔導式、だ。電話三番で自動で決まったメニューを作ってくれる。わたしが家事全般からっきしだったから、この家には全自動家事システムが搭載されているんだよね」


 料理、洗濯、掃除。すべて予め決まった内容とはなるが、魔導式のシステムがこなしてくれるらしい。


「凄いな……最先端技術だ」

「いいや、技術的にはわたしの回路を応用しているだけで、大したものではないさ。凄いのは回路を介して発動する魔術の方だ。本当に便利なものだよ」


 音声認識や接触による指示で回路に魔力を流すと、決まった魔術が発動するようになっていて、それが家の至るところに配置されているのだ。あちこち触ると回路が暴走するかも、と最初にミネルヴァが言っていたのは、このためだったらしい。


「でも、決まったメニューしか食べられないのか」

「うん、まあね。朝昼晩で三種類ずつ、計九種類を順番に食べてる」

「飽きない?」

「もともとあまり食べることに興味がないから」


 ミネルヴァが軽い口調で笑い飛ばす。ふうん、と呟いてキッチンを覗いていたエルンストは、一頻り設備を確認すると、ミネルヴァを振り返る。


「俺が作る日も設けていい? キッチンの使い方を確認してからになるけど」

「え!? エルは料理ができるのかい!?」

「まあ、人並み程度に。たまには違うものだって食べたいだろ?」


 すると、興味がないなんて言っていたはずのミネルヴァの瞳がみるみるうちに輝き出す。何だかんだいってやはり飽きてはいたのだろう。

 ――可愛い反応だな。つい、頬がニヤつく。

 何笑ってるんだ、とでも言われて不貞腐れられかねないので、エルンストは浮かんできた笑いを噛み殺し、目を細めるに留めた。のだが。


「……ミネルヴァ」

「何だろう!」

「その顔、可愛い。よく見せて」

「……っ、……エルッ!!!」


 つい本音とともに指先がミネルヴァの耳周りの髪に伸びてしまって、結局真っ赤になった彼女の叱責を受ける羽目になるのだった。




 手洗いと浴室の使い方を教えてもらい、次は二階へ。先程タイプライターを探しに行った黒い扉が書斎である。その他にあと三室あるようだ。


「一番手前がわたしの寝室。その隣が空き部屋だから、エルが使ってくれ」

「助かるよ」

「掃除は全自動でされてるけど、ベッドとクローゼットくらいしかないから、適当に整えてくれ」


 なんと、電話四番で、倉庫に入っている物品が運ばれてくるシステムがあるらしい。物品は分厚いカタログに一覧があるとのこと。かなり大きなものから消耗品まで何でも揃っているらしいが、一体どこにそんなものが収められているのだろう。エルンストが問うと、ミネルヴァが苦笑した。


「容量無制限の魔法の倉庫、らしい。原理は全く分からないが、劣化もしないから食品も腐らないんだって」


 ミネルヴァに原理の分からないものが、エルンストに分かるはずもない。便利であることは間違いないのだ。そういうものとして受け止めておく。


「で、一番奥の部屋が『研究室』だ。わたしが趣味と実益を兼ねて回路の研究を続けている。ここにいてはそれくらいしか暇つぶしもなくてね。一通りの機材は魔導式ではあるが取り揃えてある。何か用事があれば使ってくれて構わないよ」


 エルンストは苦笑しながらも頷いた。ミネルヴァはそう言うが、普通の生活を送るだけならば恐らくは用事など発生しないだろう。そのうちミネルヴァが篭っているところを覗いて見たくはあるが。


「そういえば、エルは同い年なんだっけ」

「うん。二十六になったばかりだね」

「ということは社会人?」

「一応ね」

「何屋さん?」


 何屋さん、とはまた可愛い聞き方をする。エルンストは笑いながら答えた。


「んー、花屋さん?」

「へえ。それはちょっと意外だ」

「正確には、花や植物から抽出した成分で香料や着色料を作ったりしてる」

「……研究者じゃないか」

「違うよ、俺は実務をしていないから。植物研究はシュヴァルツヴァルトの家業なんだ」


 シュヴァルツヴァルトは予てより植物、とりわけ薬草を研究してきた。国としてあったころから天然資源の薬学には他国より精通していたという。統一国家に組み込まれ国が喪われたときに、一族が血筋を絶やさず生き残れたのも、君主のみが知るという秘薬があったから――などと実しやかに言われてはいるが、本当のところは分からない。

 そのシュヴァルツヴァルトの嫡男として生まれたエルンストは、当然のように化学を専攻した。それなりに優秀な学生であったので、一応研究職が出来ない訳ではないが、今はその部門の責任者と呼ばれるような役職に就かされているため、デスク仕事が殆どだ。


「そうか、シュヴァルツヴァルトは植物研究を()()()にしたのか」

「……隠れ蓑?」

「いや、こっちの話だ。つまり旦那様は……大会社のとある研究開発部門のエリート?」

「何か無駄に偉そうでやだなそれ。やっぱり花屋さんでいいよ」

「何を言うんだ。凄いじゃないか」


 別に凄くはない、とエルンストは思う。

 家業に就くということは、敷かれたレールを走ってきたに過ぎないということだ。エルンストに才能があるから今そのポストが与えられている、と考えるのは、些か自意識過剰というものだろう。


「ここには化学実験用の器具は余りないかもしれないな。わたしは化学はさっぱりなんだ。生物は更にさっぱりだけど」

「いいよ。今のところ研究しようとは思ってないし」

「そう?」

「うん。折角こんなところに閉じ込められたんだ。休暇と思って少しのんびりするよ」


 肩を竦めてそう言うと、ミネルヴァはそれもいいな、と頷いて笑う。そしてそれ以上何も聞いてこない。


 エルンストの家名にも役職にも経歴にも、興味が然程ない人間。上辺ばかりを見て自分を蔑んだりへつらったりするひとたちと彼女は違う。シュヴァルツヴァルト家の嫡男であり、将来の跡継ぎと目される男ではなく、エルンストという名前のただの男と関わろうとしてくれている。

 旦那様などと言いながらも一定の距離から踏み込んでこないミネルヴァの絶妙な距離感は、エルンストにとってはとても有難く、何より心地良く感じるものだった。





 こうしてミネルヴァとエルンスト、ふたりの生活は幕を開けた。幕は開いたが、特に何が起きるでもなく日々は過ぎた。

 朝の弱いミネルヴァをエルンストが不意打ちで起こしに行ってその起こし方に文句をつけられたり(ミネルヴァ曰く、色気を振り撒きすぎとのこと)、キッチンの使い方を確認するためにふたりであちこち弄っていたら突然火柱が上がってエルンストの前髪がちょっとだけ焦げたり、洗濯物が二人分混ざったまま畳まれていて気まずい思いをしたり、小さな出来事はあったけれど、概ね平和な日々であったろう。




 数日が経ち、お互いの存在がより自然なものになり、生活にも慣れてきた頃。

 のんびりするとはいったものの、流石に休みすぎて体が鈍ってきたエルンストは、その日庭に出てみることにした。基本的に家の中のことは全てシステム化されているからやることはないけれど、庭仕事まで魔術でされているとは聞いたことがなかったからだ。そもそも結界の中であるらしいこの森で、草木が育つという概念が正しく存在するのかも分からないが、見れば何となく様子も探れるだろう。


 家の外は木々に囲まれ薄暗いが、雨の降る気配はない。そういえばずっと天気や気温も変わらない気がするので、これも結界の影響なのかもしれないとエルンストは思った。


薬草(ハーブ)だらけだな」


 庭にある植物は、どれも薬効が存在するものばかり。観賞用の美しい花はひとつも見当たらなかった。何とも実用的な庭である。まるで薬草園だ。

 荒れている様子はないが、ミネルヴァが庭を管理しているところを見たことはないので、放ったらかしでもこの状態のまま、ということなのだろう。不思議なことに、時間が経過していないのかもしれない。


「魔術……かな……」


 染まってきている自覚があるが、そう考えるしかあるまい。雑草抜きすら必要なさそうな庭を見て回る。

 レモングラス、ローズマリー、セージ、ルッコラ、カモミール、ラベンダー。

 見覚えのある植物が続き、ふとその先に薬草としては見慣れない葉と、その先端に慎ましい花が咲いているのに目が止まる。


「何だ……この花、菫……? いや、でも色が……」


 菫の花は一般的には紫のはず。エルンストは以前開発した着色料の関係で、『菫色』を確認したことがある。けれどこの花はそれには似ても似つかない鮮やかな黄色をしていた。


「黄色の、菫……」


 ――きいろすみれを、つみとって。

 耳の奥に古い記憶が蘇り、エルンストは瞠目する。


「そう、だ。黄色の、菫」


 思い出した。三つ目の黄色のものは、菫。

 黄色菫の砂糖漬けだ。




 エルンストは急いでミネルヴァに事情を話すと、許可を得てから庭に植えられていた菫を幾らか摘んだ。


 ――黄色菫を摘み取って。お砂糖ころり、ころころり。甘いあまぁい、秘密のおやつ。


 歌の通りならこれに砂糖をころころと足す――つまり、菫の砂糖漬けを作る、ということで間違いないだろう。


 エルンストに砂糖漬けの詳しい作り方など分かるはずもなかったが、のんびり過ごしていたこの数日、黒い扉の書斎にあった大量の本を漁っていた時に、古びた菓子作りのレシピ本があるのには気付いていた。『魔女の嗜みお菓子レシピ50選〜毒林檎から惚れ薬シロップまで思うまま!〜』というタイトルは如何なものかと思っていたのだが、これになら花の砂糖漬けという魔法のような見た目の菓子の作り方が載っていても不思議はない。見てみる価値はある、と思う。


 書斎から本を持ってダイニングへ戻ると、目次を開いて目的のものを探す。毒林檎、痺れキノコのクッキー、媚薬入チョコレート……と冗談みたいな文字列を指で辿っていくと、真ん中の辺りで『魔法菫の砂糖漬け』に行き当たった。


「花を洗って、卵白を塗って……砂糖をまぶし、乾燥……。良かった、難しくはなさそうだ」

「うわ、エル、なんて本読んでるんだキミ。正気かい」


 作業を切り上げて二階から降りてきたミネルヴァが、開口一番そう告げてきた。まあ、確かにそう言いたくもなるタイトルではある。


「菫の砂糖漬けを作らないといけなかったんだけど、ここじゃ検索(ネット)もできないし。この本なら載ってるかなと思って」

「何だ、びっくりした。おかしなものでも作る気なのかと思ったよ」


 何か必要かと言われたので、卵とグラニュー糖、それから刷毛を一本お願いする。ミネルヴァが電話四番で伝えると、ピンポン、という電子音の後、リビングの端にある古びた木箱がひとりでにぱかりと蓋を開けた。理屈は分からないが、巨大なもの以外はこの木箱の中に届くように出来ているらしい。


「はい、先に卵とグラニュー糖」

「卵十個に砂糖一袋(1kg)か。中々大盤振る舞いだな」


 エルンストはミネルヴァから荷物を受け取ると、卵を一つと砂糖を匙に数杯分だけ取り分けて、残りをキッチンへ運んで置く。卵はあとでオムレツかパンケーキにでもしてしまおう、とエルンストはひっそりと心に決めた。

 キッチンから戻るときにバットとサラダボウルをふたつずつ拝借してきて、水洗いして水気を拭き取った黄色の菫をバットの上に並べる。それからサラダボウルの上でぱかりと卵を慎重に割り、ひょいひょいと殻を使って白身と黄身を分けた。


「すごい。殻の中に黄身だけ残ってる!」

「そう。こうすると簡単に分けられるんだ。この卵黄も後で料理に使おう」

「ねえエル。わたし、具入りのオムレツが食べたい」

「……ふ、分かった。これが終わったら昼飯作るよ」


 卵白を刷毛で静かに菫に塗りつけ、その上からグラニュー糖をまぶしていく。上からふりかけた後は、砂糖の絨毯の上で、歌の通りころころり、と転がした。もう一枚のバットに丁寧に並べれば、あとは乾燥させるだけだ。


「一日、冷所保存で完成だ」

「じゃあ冷蔵庫()()()に入れて置くよ」


 手が汚れていないミネルヴァがしまう役を買って出てくれたのでお任せし、エルンストはキッチンのシンクに使い終わった器具と共に向かう。

 この家のシンク台はもちろん魔導式である。半分は通常のシンク台で、蛇口があり水が出るようになっているが、もう半分は食洗機のように蓋がついた箱状になっている。そこに汚れた食器や調理器具を入れて蓋を閉め、指でトントンと二度叩けば、あとの洗浄と乾燥は自動でこなしてくれるのだ。入れる素材も問わないという有能ぶりである。

 エルンストは使い終わった皿や器具を仕舞って指で合図を送ると、今度は蛇口を同じように指で叩いて水を出した。手を洗って、また指で蛇口を叩くと水が止まる。最初は中々慣れなかったが、漸くこの家のシステムにも慣れてきた。


「さて。リクエスト通り、オムレツ作るか」


 袖をまくり直し、掛けてあったエプロンを腰に巻く。

 中身はチーズとベーコンとほうれん草にしようか。それともひき肉をたっぷり入れたミートオムレツにしようか。ぱかり、ぱかりと卵を片手で器用に割りながら、ミネルヴァの喜びそうなメニューを考える。

 この僅か数日で随分のんびりとしてしまった自分自身にエルンストは呆れるが、そのお陰かここに来る前に抱いていた無気力感を感じることはなくなった。

 この森の生活がそうさせたのか、――それとも。


 オムレツを前にきっと可愛らしく無邪気に喜んでくれるであろうミネルヴァの表情が脳裏に浮かぶ。小気味よいリズムを刻んで卵を混ぜるエルンストには、まさか自分がこんなにも緩んだ顔をしているだなんて、当然気付くよしもなかったのだった。

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