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オレンジインクのタイプライター

「それで、エルはどうやってここに?」


 紅茶を何口か飲み下した頃。落ちていた沈黙を破ったのはミネルヴァの方だった。


「どうやって……、いや、普通に歩いて、だけど」

「キミも見たろう。ここの森は普段出入口が閉ざされてるんだ。何かの切欠で結界が途切れたんじゃないかと思うんだが、思い当たる節は?」


 結界。

 なんだか頭痛がしてくるワードがあった気がするが、エルンストは一旦それを思考の端に寄せて、今朝の事を思い返してみる。

 地下鉄の出口から出て大通りを歩いていたら、見慣れない森のようなものがあって。最初は出入口がなくて、それで――。


「そうだ。赤いどんぐり」


 ジーンズのポケットから、あのとき拾った木の実を引っ張り出す。何の変哲もない、けれどおかしなくらい赤いどんぐり。


「これを拾ったんです。そうしたら、いつの間にか石造りの道が出来ていて……」

「拝見しても?」


 どうぞ、とエルンストは自分よりふた回りほど小さなミネルヴァの手のひらへそのどんぐりを載せた。ミネルヴァは眼鏡のつるをトントンと指先で二度叩くと、どんぐりをつまみ上げ目を細めて小さい何かを読み取るかのように眺め始めた。


「接触による簡易の鑑定。エネルギー操作による回路の励起。一度きりで焼き切れているな……ううん、なるほどよく出来ている」


 どこか悔しげにそう零して、ミネルヴァはどんぐりをテーブルの上に置いた。


「これが何か?」

「この赤どんぐりはね、シュヴァルツヴァルトに縁のある人間が触れることで作動し、この森を開く……言わば鍵の役目を果たすものだね」

「鍵、ですか」

「うん。見た目は何の変哲もないどんぐりだが、実のところこれは木の実ではない。機械さ」


 言われてエルンストは驚いた。まさか機械とは。結界だのなんだのと、現実味のない単語が出てきていたから、これは童話に出てくる魔法の木の実です、とでも言われるのかと思っていた。完全に虚をつかれてしまった。


「機械とはいっても、動力は電気ではないんだがね。この小さい木の実型の筐体の中に細かい回路が敷かれていて、それにキミが触れ作動することで、森を周囲から隔絶していた一番外側の結界の動作を止めたのだろう。お陰で一時的に出入口も現れた、と。一番外側は時間障壁だったはずだから、この空間も外界と同じ時間経過に戻ったと見ていいな」


 ブツブツと続いたミネルヴァの語り口の後半はほぼ独り言と化していた。エルンストには全く意味が分からない。


「ミネルヴァ、」

「ああ、すまない。勝手に考え込むのはわたしの悪い癖だ。何だろう旦那様」

「あなたは、……何者なんです?」


 どう問うのが正解か分からず、ひどく曖昧な問いかけになってしまう。ミネルヴァは少しの間きょとんとしていたが、直ぐにからからと声を上げて笑い出した。エルンストは何とも言えない顔をしたままミネルヴァの様子を眺めるしかない。


「何者、そうだね、そりゃそうだ。じゃあそこから説明するとしよう」


 カチャリと黒縁の眼鏡を外し、笑い過ぎて浮かんだらしい涙を袖口で雑に拭いながらミネルヴァはこう答えた。


「わたしはミネルヴァ・ハミルトン。しがない工学者だ。けれど、この森においては『魔女』――と呼ばれていた」




 工学者、ミネルヴァ・ハミルトン。


 統一暦140年頃に既存のものから大幅に縮小化された新規の電子回路を発明した新進気鋭の女性博士。

 ミネルヴァが開発した回路により、電子機器の小型化といった改良が進む――予定であったが、その当人が研究成果諸共ある日突然行方不明になった。他国のスパイによる誘拐か、あるいは本人自ら持ち逃げしたのか――当時は大きなニュースになったが、結局彼女は見つからず、月日が経って捜索は打ち切られ、新規回路を用いた研究開発は頓挫したままとなっている。


 これが、エルンストの持ち得る『ミネルヴァ・ハミルトン博士』の情報全てである。


「は、……ハミルトン博士? 確か行方不明では……」

「やっぱりそういうことになっているのか。やれやれ、それもそうか。今は統一暦148年と言ったね。わたしの記憶では最後に研究室にいた日は145年の夏だった。きっちり三年失踪しているということだね」


 年数まで揃えるだなんてマメなことだ、とミネルヴァが遠い目をして呟く。


「しかし、旦那様はわたしなんかのことを良くご存知だったね」

「なんか、だって? とんでもない。ハミルトン博士といえば、同年代の理系学科に属する奴らはみんな知っている」


 飛び級を重ねて博士課程を修了した才女。ハミルトン博士といえば、若手研究者の中でも抜きん出た才能のある期待の星だと言われていた。エルンストは同じ齢だったこともあり、知らないはずもなかった。


「それはなんだか面映ゆいな。実際はこれこの通り、なんの面白みもないただの研究馬鹿なんだけど」


 あはは、とミネルヴァは笑って紅茶のカップを傾ける。寝癖の残る胡桃色のボブカットが肩口でふわふわと揺れる様子を見つめながら、エルンストは考え込むように口元に指を寄せた。


「ハミルトン博士がこんなところに、何故……」

「駄目だよ旦那様そんなよそよそしい。『ミネルヴァ』、だ」

「いや、でも」

「同年代なんだろう? あ、もしかして同い年? そしたら敬語もやめてくれ。気楽に話そう」


 ぱ、と明るい笑顔を浮かべてまくし立てるようにそう言われてしまうと、観念する他ない。


「分かったよ。……ミネルヴァ。これでいいだろ?」

「うん、ありがとうエル。何せ数か月ぶりの生きた人間のお相手なんだ。仲良くしたいんだよ」

「……それ冗談? それとも事実?」

「あはは! さてね!」


 飲みきったらしいティーカップをコツンとソーサーへ戻し、ミネルヴァはうーんと伸びをした。漸く眠気が飛んできたのか、自分の寝巻きに目をつけ、今更ながらに「着替えなきゃな」などと呟いている。

 マイペースなひとだな。

 エルンストは半ば呆れて半眼の視線を送るが、ミネルヴァはそれに気付く様子もない。


「身支度をしてくるから、エルはそこでちょっとお茶を飲んで待っててくれるかい?」

「分かった」

「あちこち触ると仕掛けた回路が暴走するから大人しくしていた方が無難だ。とはいえ手持ち無沙汰か。んー、ああそうだ」


 ぽん、と一つ手を打って、ミネルヴァはエルンストの黒髪の奥に潜むブルーグレーの瞳を覗き込むように首を傾げた。

 そして可愛らしくお願いする。


「赤いどんぐりに心当たりがあるのなら、その続きを思い出しておいてくれないか?」





 赤い、あかぁいどんぐりひとつ。見つけた見つけた、黒い森。■■■■■■■みぃつけた。

 夕焼けインクの■■■■■■■。カタカタ、カタタ、お手紙■■■。黒い森への、内緒の手紙。

 黄色■■■を■■■■■。お砂糖ころり、ころころり。甘いあまぁい、秘密のおやつ。

 …………

 ……




「赤いどんぐり。ばあちゃんの歌……」


 心当たりはある。さっきあのどんぐりを拾った時、まさにそのことを思い出したのだから。

 エルンストが幼い頃、黒猫を膝に乗せ、祖母が繰り返し歌っていた歌。その歌い出しが『赤いどんぐり』だったのだ。

 あれは子どもながらに意味の分からない歌だった。赤いどんぐりなんて見たことないと文句をつけたら、もっと大人にならなきゃ見つけられやしないわよと笑われた記憶がある。

 けれど。


「覚えてねえよ、そんな……」


 小さい頃の童謡なんて。あの歌に関しては歌っていたのを耳で聞いていただけ。歌詞カードすら見たことがない。穴あきにしか思い出せない歌の旋律を鼻歌にして紡ぎながら、リズムを辿るようにテーブルを指で叩く。


 トトン、トン、トン。


 夕焼けインクの、何だったかな。エルンストは遠い記憶を辿る。あまり馴染みのないものだったような気がする。そうだ、それはどんなものなのかと問うて、そうしたら祖母が、エルにだけ特別に見せてあげる――と、普段は鍵が掛かっていて入れない黒い扉の部屋の中の、古ぼけたものを見せてくれて。


 トトン、トン、トン。


夕焼け(オレンジ)インクの、タイプライター」

「なるほどタイプライターか!」


 背後から急に上がった合いの手に、エルンストの肩が大仰に跳ねた。いつの間にか戻ってきていたらしいミネルヴァを、エルンストは驚きのままにがばりと振り返る。

 整えられた胡桃色の髪、輝くペリドットの瞳、黒縁の眼鏡は変わらない。寝間着姿のときには惜しみなくさらけ出されていた胸元は黒の詰襟シャツに隠され、すっかり見えなくなっている。ベージュのスキニーパンツとつっかけサンダルとの間からは、白く細い足首が覗いていた。清潔感のあるシンプルな服装がミネルヴァのからりとした性格も相まってよく似合っている。


「ごめんごめん、急に声をかけて驚かせたね」

「いや、……あるのか? タイプライター」

「ある。動いた試しがないから、インクの色までは知らないが」

「壊れてるのか?」

「いいや。起動しなくてね」


 おかしなことを言う、とエルンストは眉根を寄せた。自分の記憶が正しければ旧式のタイプライターに動力は不要。紙を挟んでキーを押せば文字が打ち込まれるというアナログの動作だったはずだ。


「電動式なのか?」

「いいや。()()()だ」

「…………は?」


 エルンストはたっぷりと時間を掛けて問いかけ直した。聞き捨てならない答えを聞いたからだ。

 まどうしき。まどう――、魔導。


「言ったろう。わたしはこの森では『魔女』と呼ばれていたんだ。魔女が扱うのはもちろん魔法、魔術だろう」

「……本気で言ってるんだよな?」

「工学者がこんなこと本気で言いたくはないんだがね。魔力とかいう眉唾みたいなエネルギーが実在してたんだから仕方ない」


 工学博士という肩書きから最も遠く感じられる、魔女・魔法・魔術というワード。オカルトじみたその実在を目の前のこの高名な工学者が是とするというのだ。エルンストはあまりのことにゆるゆると首を振る。


「信じられない。魔法、なんて」

「わたしだってそうだったけど、そのエネルギーとしての性質は確かなものだ。安定的な電力のない世界で何かを成すには、魔力という未知のエネルギーを認めるしかなかった」


 安定的な電力のない世界。

 その言葉は、ミネルヴァがエルンストの生きる現代社会とは異なるところにいたことを暗に示している。

 行方不明となってから三年、ミネルヴァは一体どこにいたのか――エルンストはその答えを既に得ている。()()()にいたのだ。ということは、この森こそがミネルヴァの言う、安定的な電力のない世界、ということになる――のだが。

 途方もない話だな、とエルンストは思う。普通ならば、はいそうですかと認める訳にはいかない内容だ。()()ハミルトン博士が真面目な顔をして言っているからこそ、どうにか受け止めているだけで。

 エルンストは唸りながら、つまり……と推測に至ったとんでもない結論をミネルヴァに掠れた声で提示する。


「ミネルヴァは魔法が使える、と?」

「まさか! わたしのような卑しい生まれの女にそんな高尚な能力はないよ」


 あはは、と相変わらずの軽さで笑い飛ばされる。エルンストはその様子に自分の子供じみた推測がからかわれたのかと思って、顔を真っ赤にしながら不貞腐れた――のだが。


「魔力を扱えるのは、シュヴァルツヴァルトの血脈。つまり、キミの方さ。旦那様」


 ミネルヴァが続けた言葉は、エルンストの推測のはるか斜め上をいっていたのだった。




 エルンストはミネルヴァの言葉にとんでもなく頭が痛くなっていたのだが、そんなことにはお構い無し、朝食の前に済ませてしまおう、と足取り軽くミネルヴァはエルンストの手を引いて歩き出した。階段を昇り、廊下を少し行った先。二階の一室は、祖母の家で見たのとよく似た黒い扉で閉ざされていた。


「ここだよ。さあどうぞ」


 扉を開けてミネルヴァが部屋を指し示す。エルンストはまだ頭痛の残るこめかみに指を添えたまま、のそりとその部屋を覗き込んだ。


 部屋は書斎のようだった。背の高い本棚が入って左側の壁一面を埋めるように並んでいて、収められた大量の本から古ぼけた紙の匂いがする。部屋の中へと歩を進めると、窓を背にする形で配置された机の上に黒い小ぶりの機械が見て取れた。かなり旧式と思しきタイプライターだ。机を回り込んで正面から見てみる。何の変哲もない、タイプライター。既に紙が挟んである。


「キーを押しても構わない?」

「いいとも。押せるものなら」


 肩を竦めてミネルヴァが言う。エルンストはゆっくりと指を伸ばして、中心付近にある『H』のキーを押したが――キーはピクリとも動かなかった。まるで精巧な置物のようだ。


「全く動かないな」

「だろう。けれどね。ほら、その機体の右上のところ。穴が空いているだろう」


 机を挟んだ向こう側からミネルヴァがそう言って指でタイプライターを指し示す。確かにそこには小さな穴――何かをはめ込むための窪みのようなものがあった。


「ここに何かを入れれば自動で動く、ということはかなり前に調査済だったんだ。けれど、何を入れるのかはさっぱり分からなかったんだよ」


 今の今までは。そう言ってミネルヴァは笑う。


「キミがこれをここに入れる。それが答えだ、エル」


 そう言って机の上にミネルヴァが置いたのは、あの赤いどんぐりだった。エルンストは訳が分からずどんぐりとミネルヴァへと順繰りに視線を向けたが、ミネルヴァはただにこにこしたまま頷くだけ。

 がくりと項垂れたエルンストは、はぁー……と深く溜息をついてから、観念したかのようにどんぐりをつまみ上げた。


「分かったよ、とにかく入れればいいんだろ。……ほら、これでい、」


 ぱちん。がちゃん。がちゃがちゃがちゃ。

 カタカタカタカタカタカタカタカタ――――


 あんなに押しても動かなかったキーが、物凄い速度で滑らかに上下していた。およそ人間がタイピングするのは不可能であろう速さで、挟まれた紙に文字列が刻まれていく。改行するたび紙が上へと送られる音など、最新型印刷機(プリンター)の紙送りと同じくらいの勢いだ。

 みるみるうちに真っ白だった紙は文字に埋め尽くされた。それも、夕焼け(オレンジ)色のインクの文字に。


「素晴らしい! 想像通りだ!」


 ミネルヴァはその様子に大喜び。眼鏡を通して何かを見ているらしく、ひとりでに動き続けるタイプライターを舐めるように凝視している。

 エルンストはというとそれについて行くことなど当然出来ず、ひとり置いてけぼりをくらい続けた心を持て余して、備え付けの回転椅子によろけるように座り込む。そしてそのままタイプライターの音が止まるまで、呆然と天井を眺め続けたのだった。

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