表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/15

魔法製アイスクリーム

 エルンストは衝動的にミネルヴァにくちづけた。余りの柔らかな感触と濃厚な彼女の匂いにくらくらする。軽く触れ合うだけの児戯のようなキスなのに、好きな相手とするのって、凄いな。エルンストが軽率にもそんなことを考えていたときだった。

 ミネルヴァの体重が急にエルンストの方へかかってくる。驚いたエルンストが顔を離して見ると、ぐったりと意識を手放しているではないか。大いに焦ったエルンストは、ミネルヴァを抱え上げて部屋から飛び出した。ドタドタと階段を駆け下り、何事かと飛び出してきたビリジアンと鉢合わせて――。


『バカ。ホントーにバカ。ミニーが耐えられるワケないだろ』


 と、白けた顔で小言を食らうという現在に至る。


「いやまさかキスしただけでダウンするとは……」


 そこまで恋愛耐性がなかったとは。という意味で言ったのだが、ビリジアンの反応は違っていた。


『アタリマエだ! オマエの魔力を直接食らったらそうもなる』

「……え? 魔力?」


 エルンストがぱちぱちと瞬きをすると、ビリジアンはこれ見よがしに深く溜息を吐いて寄越した。


『オレサマと契約したときに、オマエの体内にある魔力管をこじ開けたからな! 今のオマエはとりあえず魔術師の端くれってワケだ』

「え、ええ……?」


 エルンストにはまるで実感がない。大体、魔力管とは何なのか。訊けば魔力の通り道、とだけ示されて、いまいち腑に落ちないまま話を進められる。


『魔術師は呪文を紡ぐ声、指示を出す指先、契るための体液に特別強く魔力を放出する。声や指は意図しなけりゃ外には出ていかないが、循環する体液内の魔力を制御することはできない。つまり、オマエのヨダレがくっつけば、魔力を直接食らったことになるだろ』

「涎って言うな」


 じっとりと睨みつけて言い返すが、ビリジアンはそ知らぬ顔だ。


「それで、ミネルヴァは? 寝かせていて大丈夫なのか?」

『大丈夫だ。ちょっと強めの酒気に当てられた、くらいの状態だから、半刻もすれば起きる』

「なら……良かった」


 ほ、と胸を撫で下ろす。すると、やれやれ、と肩を竦めるかのようにビリジアンが羽根を広げた。


『やっぱり番だったんじゃないか。それなら先に対策を教えたのに! 隠すな!』

「いや、今も多分別にそういう関係じゃないけど……」


 ビリジアンの言うところの番が夫婦や恋人を指すのなら、違うだろうとエルンストは思う。確かにエルンストは告白したし、ミネルヴァの口からもそんな意味合いの言葉を聞いた気がするが、お互いに明確に真意を確かめ合った訳ではないのだ。

 エルンストが素直に答えると、しん、と一瞬沈黙が場を制した。急に静かになって固まってしまったビリジアンに、エルンストが首を傾げてどうした、と問う。すると、お、お、お、と壊れたオモチャのように同じ母音を垂れ流しながらふるふると震え始め、ついに噴火するかのごとく大声で叫び立てた。


『オ、オマエーッ!! 番でもないのに!? チューしたのか!?』

「え、うん」

『エ、ウン。じゃないッ!! このスケベ! セッソウナシ! スケコマシー!!』

「すけこまし……」


 あまりの言われようにエルンストは乾いた笑みを浮かべた。まあ、確かに。同意も得ないでキスをするのは一般的に良くないことなのかもしれない。良くないと思うような倫理観の相手とそういうことをとんとしていなかったせいで、エルンストがズレにズレてしまっていることは否めなかった。


「たまんなくて、つい」

『エル、オマエ……ジュールより厄介なんじゃないか?』

「何か凄い心外だなそれ」


 比較対象としてその名を出されるのは相変わらず腹立たしい。眉を顰めると、ビリジアンが面白そうにからからと笑った。


『何だ? ジュールにヤキモチか? 変なヤツだな、エルは』

「うるさいな。変ってなんだよ」

『エエ? だってミニーはオスとメスで番を作りたいタイプのニンゲンだろ? オカドチガイってヤツだ!』

「……ん?」


 ビリジアンの言っている意味が分からず、エルンストは困惑する。けれどその説明を求める前に、ビリジアンの話は先へと進んでしまった。


『大体、ジュールはミニーと会った時、既に番も子もいたんだぞ。年齢も倍くらい違うしな!』

「そう、なのか」


 ミネルヴァが呼び捨てていたから、てっきり()()()()()なのかと思っていた。伴侶も子供もいるような人だったとは、思いも寄らなかった。


「え、ということは、いい歳してあんな文章を……?」


 エルンストは革張りの本に書かれた秘密メモとやらを思い出し、微妙な気持ちになった。これ以上ジュールのことを詮索するのは精神衛生上良くない気がしたエルンストは、かぶりを振ると話題を切り替える。


「その……俺が魔術師になる、っていうのは、結界を解くのに必要なことだったのか?」

『そうだ。エルが魔力を扱えないと、この先の結界は解除できない。オレサマの秘密の呪文だってタカラノモチグサレになっちまう』


 そういえばあの手紙にもそんなような内容が書いてあった記憶がある。『魔力保持結界を解く前に、裔自身に森の魔力全てを保持させる必要がある』、だったか。


「それにしても、俺が魔術師……ねえ……」

『信じられないか?』

「そりゃあまあ……」


 今回は菫の砂糖漬けを食べた時のような目に見える劇的な変化を感じられないのもあり、エルンストは苦笑する。魔法が使えるようになりましたよ! と突然言うだけ言われたところで、こういう反応になるのは致し方ないことだろう。


『なら使ってみるか?』

「……ん、え?」


 突然のビリジアンの提案に、エルンストはきょとりと瞠目した。




 集中力が必要な魔法だと言われ、用意するよう求められたのは、牛乳、砂糖、卵黄、生クリーム、そして各種調理器具。


「これは……」

『そう、攪拌指示の操作魔法と温度操作の氷魔法を同時にだな!』

「アイスクリーム作れってことか……」


 ビリジアンは甘いものに目がないと、そう言えばどこかで聞いたような記憶がある。魔法を使わなくても勿論時間と材料があれば作れるのだが、ビリジアンがやらせたいのはそういうことではないのだろう。


『ココに今から言う量ずつ材料を入れて!』

「はいはい」


 ビリジアンの記憶領域にはアイスクリームのレシピも余さず保存されているらしい。エルンストは指示通りてきぱきと分量を測り取り、金属製のボウルに入れていった。本当ならこれを手でよく混ぜて、次の材料を入れてまた混ぜて、冷やしてさらに混ぜて、という手順になるはずだが、ビリジアンが示したのは泡立て器ではなかった。


『ココで魔法だ。ボウルの上で指をくるくる回す! 初心者には呪文が必要か? 混ざれ、よく混ざれ! とかでイイか』

「適当だなあ……」


 半信半疑のまま、言われた通り指をボウルの上に向けた。あわよくば攪拌できるようにと、中の材料――卵黄と砂糖が混ざり合う様子をイメージし、ゆっくりと指を動かしていく。


「混ざれ……、よく混ざれ……」


 何も起きないようにも思えた数秒後、ふるふると卵黄が震えて、ゆっくりと回転し始めた。自分がやっていることらしいのに、エルンストは驚いて思わず指を止めてしまう。しかし、指を止めても中の材料の動きは止まらない。まるでエルンストが頭の中で描いた状態になるまで動き続けるかのように、一定の速度で攪拌され続ける。


『エル、中々スジがイイな! で、そのまま操作魔法を保持で、牛乳を少しずつ入れる!』

「え、これ保持ってどうやるの?」

『混ざり続けるようイメージしとけ! イメージだけじゃ不安ならたまに混ざれって唱えとけ!』

「いやマジで適当過ぎ……」


 エルンストは何とか集中して攪拌のイメージを続けながら、牛乳を少しずつ注いだ。材料は今のところ留まることなく回転し続けている。少しでもこの状況を不審に思ったら多分終わりだ。回転は止まらないと信じて作業を続けるしかない。


『上手いぞ! 次は温度操作だな。回転を保持したまま、ボウルの中身だけを冷やす! これは中々難しいぞ!』


 計量した生クリームを加え終え、エルンストがちらりと視線をビリジアンに向ける。


「……呪文……、また冷えろ、とかか?」

『そうだな、エルならそれでイケそうか? 料理できるだけあるから、イメージで補えてるな!』

「あークソ、……冷え、ろ……」


 自棄になりながら呟く。回転しながら冷えて固まっていくイメージ。中々複雑になってきた。思わずボウルの縁に指を添わせると、バキン! という大きな音とともにボウルが小さく跳ねる。見れば、銀色のボウルの先程触れた場所に白く霜が付いていた。


『効きすぎだ! それじゃボウルごと急速に凍っちまうぞ』

「う……そんなこと、言われたって……」

『集中だぞエル! 思ったより体内魔力量が多くて魔法が強く出てるな』


 エルンストは何とか乳白色の液体がゆっくりと冷えて固まっていくようにイメージを修正する。ボウルはそれ以上跳ねずに、冷やされた液体は攪拌とともにゆるやかに凝固していった。


「うわ、固まるの速……」

『魔法の効果だ! お陰で早く食べられる』

「なる……ほど……?」


 冷やし始めてほんの数分、程よい硬さに纏まったところで、エルンストは集中を解いた。一度だけガタンとボウルが揺れて、回転が止まる。どうやら、それなりに上手くいったらしい。

 途端にぐわんと疲労感が襲ってくる。気付かぬうちに額からは幾筋も汗が伝っていた。森から帰ったときほどではないが、覚えのある疲労感だ。はあ、と息をついて、シャツで乱雑に流れる汗を拭う。


『どうだ? 実感したか?』


 そういえば、そのためにやり始めたんだっけ。ボウルの中で確かに完成したアイスクリームを眺め、エルンストは曖昧に笑った。


「んー……、とりあえず疲れた……」

『オマエ……』


 呆れるビリジアンをよそに、エルンストは硝子の器と大きなスプーンを食器棚から取り出す。とにかくまずは、休憩したい。


「ビリー。食べるだろ?」

『アタリマエ! だ!』


 ミネルヴァもそろそろ目を覚ますだろうか。また置いていかれただなんて思わせたくはない。できれば目覚めた瞬間に声を掛けたいところだ。冷えたボウルを片手に持ちながら、エルンストは疲労感を押しやってダイニングへと急いだ。





 ミネルヴァが目を覚ましたのはそれから間もなくだった。硝子の器にスプーンがカツンと当たる音がアラームになったらしい。もそりとソファから起き上がる気配がする。

 エルンストはアイスクリームをよそう手を止めて、ソファの方へと歩み寄った。体を起こしたミネルヴァがぼんやりとした視線を彷徨わせ、ほどなくエルンストの姿に目を留める。


「……エル」


 寝ぼけているのだろう。いつもより幼げに笑った顔がとても――途轍もなく、可愛らしい。しかし、それを堪能している場合ではない。ソファの前に跪いて、下から覗き込むように顔色を窺った。


「大丈夫? ……調子悪いところは?」

「え……」


 問われたミネルヴァは何のことだか分からなかったらしく、数秒沈黙してゆっくりと瞬きしていたが、ハッとしたかと思うと、勢いをつけてソファの背もたれの方へと飛び退いた。背中が痛かったのでは、というくらいの結構な音がしたのだが、ミネルヴァはそれどころではない様子である。かああ、と音が聞こえてきそうなほどに急激に顔を赤らめて、ふるふると震えている。


「う、あ、あ、あの、あの……!」

「俺が我慢できずにキスしたら途端に気を失って」

「わーっ!! そんなストレートに言わな、言わないでくれ!!」


 両手で顔を覆って縮こまってしまう。魔力云々もだけれど、やはり同意を得ない突然のくちづけは刺激が強すぎたらしい。エルンストは苦笑する。


「……ごめん」

「て、……手加減してって、言ってるのに」

「してるつもりだけど、足りなかった」

「してるの!? これで!?」


 驚愕の声と共にがばりと顔が上がる。良かった、顔色が悪いとかそういうことはなさそうだ。エルンストはふ、と声を漏らして笑いながら、心中でそっと安堵する。

 すると、表情にその色が出ていたのか、エルンストを見つめていたミネルヴァが、う、と声を詰まらせて居心地が悪そうな顔をした。


「心配、させた? よね、……わたしこそ、ごめん」

「いや。俺の魔力のせいらしいから、ミネルヴァは悪くないよ。……どう、立てる? アイスクリーム作ったから一緒に食べよう」

「アイスクリーム?」


 唐突に出てきたおやつの名称に、ミネルヴァが首を傾げる。ダイニングテーブルを指し示すと、待ち切れずにつまみ食いをしているビリジアンが目に入った。


「ビリー、抜け駆け」

『オマエたちがイチャイチャしてるの待ってられるか!』

「ッビリー!!」

 ふん、と鼻で笑ったビリジアンに、ミネルヴァが真っ赤になって食ってかかっている。それをまあまあとエルンストが宥めると、各々席に着いて溶けないうちにアイスクリームにありつくことにした。


「これ、エルが? 手作り?」

「そう。魔法の実践授業でビリーに作らされた」

「え!? 魔法で作ったのかい!?」


 硝子の器に盛られた乳白色の氷菓子とエルンストを交互に見やるミネルヴァは驚きっぱなしだ。


「何か俺、魔術師になってるらしい」

「えっ……あ、まさか、ビリーが無理矢理何かしたとか言ってた、そのせい?」

『オレサマにかかればチョチョイのチョイだからな!』

「ビリー……」


 ぱくぱくと器用に嘴でアイスクリームを食べ続ける緑烏に呆れながら、エルンストは続ける。


「あとふたつ残っている結界を解くには、魔術師が必要らしいんだ」

「ふたつ。みっつめの結界、解けていたんだね」

『なんだミネルヴァ、気付いてなかったのか? 雨が降ったろ? アレは物理障壁がなくなったからだ。結界の外と環境が同じに変わってる』


 これにはエルンストもなるほど、と納得した。それまで一定だった天気も、結界によって保たれたものだったらしい。物理、と聞くと何か攻撃でも防ぐようなイメージだったが、雨粒もそれに含まれていたということか。


「森から帰ってきたとき、緑色の結界みたいなものが、割れていたように見えたんだ」

「そうか……あとふたつ。歌も、あと二色、だったよね?」

「青と、紫。俺は全く覚えてないけどね」


 エルンストがはは、と笑ってからちらりと視線を投げると、アイスクリームを全て平らげたらしいビリジアンが、仕方ないなとでも言いたげに首を振った。


『マ、そんなときのため、オレサマが契約してやったんだ。教えてやるから安心しろ!』

「ありがとうビリー、助かる」


 エルンストがおかわりのアイスクリームを盛ってやると、ビリジアンは尚更気分を良くしたようだった。得意げに胸を膨らませて話し始める。


『青は、シュヴァルツヴァルトの秘宝、ミニーが拾ったあの首飾り。そして紫は、ミニーの体に刻まれたジュールの魔術紋。どっちもミニー、オマエがずっと持っているモノだ』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ