誰も寝てはならぬ
むかしむかし、あるところにとても豊かな王国がありました。
その国の王さまは、聡明で、精悍な、慈悲深いひとでした。
玉のような御子もお生まれになりました。
王さまは、幸せの絶頂であるように、人々には見えました。
しかし、王さまにはある気がかりがありました。
お生まれになった御子のことです。
三歳にして、王子は読み書きができるほどの利発さでした。
王さまは、国が始まって以来の名君と呼ばれていました。
王さまも、そのことを誇りにしていました。
ですが、御子が、自分よりもよい王さまになってしまったら王さまは、国が始まって以来の名君ではなくなってしまいます。
悩んだ末に王さまは、お抱えの占い師に聞きました。
この子は、わたし以上の名君になるのだろうか。
占い師は答えました。
ええ、王さま
御子は、賢さ、美しさ、優しさ、全て兼ねそなえております。
あなた以上の、この国始まって以来の名君になるでしょう。
ただし、ある運命を乗り越えられればの話です。
その運命とはなんだ?
御子は命の危機にさらされております。
この子を最も憎むものによって
三十日後に、王子は死ぬでしょう。
しかし、うまくいけば
王子は救われるでしょう。
この子を最も愛するものによって。
この運命を乗り越えれば、王子は国一番の王になれるのです。
王さまはしばらく黙っていました。そして、
このことは誰にもいわないように
そう占い師に口止めすると、しずかに部屋を出て行きました。
占い師は、黙ってそれを見送りました。
三日がたちました。
王さまはじっとふさぎ込んでいました。
臣下はそれを心配していました。
快活で、めったに黙り込むような方ではないのに。
十日たちました。
王さまはちょっとしたことで怒るようになりました。
臣下はそれを恐れました。
寛容で、めったに怒らない方なのに。
二十日がたちました。
王さまは急に泣き出すようになりました。
臣下はそれに驚きました。
人前で、めったに感情をあらわにされる方ではないのに。
そして、とうとう予言された日から一週間まえ。
王さまは側近の者たちを呼び出し、こういいました。
私の息子が彼の子を最も憎む者によって命をねらわれている。
占い師はこういった。
この子を最も愛するものがこの子の命を救うのだと。
だからお前たち、これから一週間寝ずに王子の警護にあたれ。
王子を最も愛している者ならば、耐えられるだろう。
王子を見事守りきったものには、どんなほうびでも与えよう。
最もこの子を愛しているのは誰か、わたしに見せておくれ。
自分こそ、彼の子を最も愛している者だ。
王子の側近の人々は、口々にそういいました。
そして、その日から、みなで王子の警護にあたりました。
一日め
眠ってしまったのは王子の遊び相手のしもべの子だけでした。みんな、元気です。
王さまは、笑って、しもべの子に毛布をかけてやりました。
そして、その子を城の外へと運び出しました。
二日め
みんな、少し不機嫌になり始めました。
でも、まだまだ元気です。
王さまは、安心してそれを眺めていました。
三日め
左大臣の娘が倒れました。
右大臣も、もうお休みです。
他の人々も、あくびばかりこぼすようになりました。
王さまは、彼らを城の外に運び出すよう命じました。
他の人々も、あくびをこぼしています。
王さまは少し心配そうな顔になりました。
四日め
半分の人々が、立ったまま、眠り始めてしまいました。
王さまは、彼らを城の外に運び出すよう命じました。
王さまは、笑うような怒るような複雑な顔をしていました。
そして、その日はずっと、王子の傍にいました。
五日め
さらに半分の人々が、眠ってしまいました。
残っているのは、半分の半分だけです。
王さまは、声を張り上げてこういいました。
誰も寝てはならぬ。
起きよ
お前たちは、王子を最も愛している者ではなかったのか。
しかし、その声に起きていられたのは半分の半分だけでした。
王さまは、怒って、彼らを外に運びだすよう命じました。
やがて、残った人も倒れ込むように眠りこんでしまいました。
もう彼らを外に運び出すしもべもいません。
王さまは広間に立ちつくしました。
そしてこういいました。
起きよ、誰も寝てはならぬ。誰も寝てはならぬ。
あぁ、我が息子を最も憎み、最も愛しているのは、誰なのだ?
そのとき、柱の裏で物音がしました。
そこにいたのは、王子の乳母でした。
眠っているしもべのなかで、彼女だけは起きていたのでした。
王さまは、涙を流してこういいました。
ああ、おまえだったのか。
六日め
もう、残っているのは、王さまと、王子の乳母だけでした。
王さまは叫びました。
起きよ、みな起きよ、誰も寝てはならぬ!
しかし、誰ひとり目覚めません。
王さまは、唇を震わせながら、乳母にこういいました。
お前だけは眠らないでおくれ、王子を最も愛するものよ。
乳母は黙ってその言葉にうなずきました。
しかし、彼女ももう限界でした。
テーブルを叩き、椅子を蹴り、頭を壁に打ち付けます。
眠気は一向に去りません。
しかし、彼女は眠るわけにはいかないのでした。
なぜなら彼女の仕事は王子の世話をすることだったからです。
なぜなら彼女の仕事は王子を愛することだったからです。
他の者たちは、眠っても、お城の仕事に戻ることができます。
ですが彼女は城を追い出されることでしょう。
仕事を果たさなかったと、追い出されることでしょう。
彼女はナイフを取り出しました。
自分の腕を、きりつけます。
痛かったのに、眠気は一向に去りません。
息を静かに吐いて、えいっ、と小指の骨を折りました。
とても、とても痛かったので、目が覚めました。
しかし、しばらくすると、また眠気がやってきました。
彼女は視線をさ迷わせました。
さきほどつかったナイフが目に入りました。
彼女は、それを手に取ると、静かに立ち上がります。
その目は、もう正気をうしなっていました。
彼女は彼女が苦しむ原因となった者のもとへと向かいました。
そのころ王さまは、王子の部屋でうつらうつらしていました。
彼の人も六日間ずっと起きていたのですからとうぜんです。
王さまは、夢をみていました。
乳母が、物音もなく王子に近づきます。
そして、ナイフを取り出し、じっと王子を見つめる夢。
はっ、と王さまは目覚めました。
乳母は王子に向かってナイフをふりかぶったところでした。
止める時間は、ありませんでした。
王さまは、ナイフの前に、その身を投げだしました。
ナイフは、王さまの背中に深々と刺さりました。
王さまは小さく震えると、王子を抱きしめました。
そして、永い眠りにつきました。
乳母は、それを見ると、悲鳴をあげて、窓へと走りました。
そして、そこから飛び降りました。
城外にいた人々は、なにごとかと城内に駆け込みました。
そこで、人々が見たものは
倒れ伏した王さま、彼の人に抱きしめられた王子さまでした。
時計の針は、十二をまわったところ。
ちょうど、王さまの命令から七日めのことでした。
それから十数年後。
すくすくと、賢く、美しく、優しく育った王子さま。
お抱えの占い師から、ある日、こんな物語を聞かされました。むかし、自分に告げられた予言の話。
王子は黙ってその物語を聞きました。
そして、静かに涙をこぼしました。
彼の王子を最も憎み、最も愛したのは。
起きよ、誰も寝てはならぬ。誰も寝てはならぬ。
あぁ、我が息子を最も憎み、最も愛しているのは、誰なのだ?