8話 未完
「翔隆の合格を祝って乾杯!」
あの後、学校から帰るとすでに机いっぱいに料理が並べられていた。校長か夕香かは知らないが合格したことを直哉さんに伝えたんだろう。料理は前もって夕香が作っておいてくれたみたいだった。それにしても、豪勢な料理だな。直哉さんなんてすでにお酒を飲んでるし……
「それにしても良かった。無事に合格できて」
「明日から学校行けるならちょうど始業式から参加できるね」
「直哉さん、いろいろとありがとうございました」
「ん? あ、ああ、構わんよそのぐらい」
「いえ、直哉さんのおかげで学校に通えるようになったんです。本当に感謝してます」
「改めて言われると照れるな」
照れそうにしながらグビッと酒を飲む直哉さん。
「明日私の友達の紹介するね」
「仲良く出来るように頑張るよ」
夕香が紹介すると言っている友達はおそらく、朝陽と未来のことだろう。朝陽は夕香が恋した男で、未来は朝陽を好きなこの物語のもう1人のヒロインだ。校長の話的にほぼ確定しているのだが、この2人が本当にいればこの世界はあの小説の世界だということに自分の目で確信することが出来る。実際にこの目で見るまでは信じられないもんな。
でも、もしこの世界があの本の世界だとしたら、僕はどうすればいいんだろうか。この世界で何をしたいのかは見つかってないし、しばらくはこの世界に馴染めるように努めようと思った。
「明日は9時に始業式が始まるから、8時にはこの家を出るからね。寝坊しちゃだめだよ?」
「大丈夫だよ。朝しっかり起きれるようになったから」
この世界に来て毎朝5時に起こされてたから、そのおかげで夕香が起きる前に目が覚めるようになっている。
夕食後、夕香が洗い物をしに別の部屋に行っている時、まだ椅子に座っているXが僕に聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。
「夕香ももう高校2年生か……」
しみじみした様子で酒を飲み続ける直哉さん。直哉さんの視線の先には2枚の写真が飾られていた。
1枚は知らない子供だった。親戚の子供だろうか。まるで見覚えがない。直哉さんが見ていたのはもう1枚の方で夕香の母親だ。写真で見てもとても美人だ。夕香は母親似だと分かるほどよく似ている。確か夕香が4,5才の時に病気で亡くなったんだよな。
「明日でちょうど10年か……」
そんなことを呟きながらコップに注がれた酒を飲みきる。その場にいた僕はいたたまれない気持ちになった。夕香の過去を読んだときは僕も辛く感じた。病気とかは突然人の命を奪ってしまうもの。元気だった人が突然死んじゃうのはやはり辛い。僕も似たような経験があったからこそ、この夕香というキャラをますます好きになったんだろう。僕は席を立って線香を立てた。
翌朝、夕香はいつも通り5時に起こしに来た。勘弁してくれ眠いから。
「学校の日もこの時間に起きるの?」
「コノハを散歩に連れて行かないといけないからね」
だからと言って、ベッドにダイブして起こしに来るのは辞めて欲しい。『好きな子が飛び込んでくる。』それだけを聞けば嬉しいかもしれないが、まじで痛いから。直哉さんはすでに家に居なかった。いつもなら夕香に起こされ渋々リビングに来ているはずなのに。
後で夕香から聞いた話では毎年この日にXさんは1人でお母さんのお墓に行っているらしい。
今日4月8日が夕香のお母さんの命日だ。夕香と一緒に行かないってことは娘には見せられない一面があるのだろう。今日はそっとしておくべきだろう。
夕香はお父さんと時間をずらしてお墓に向かったみたいだ。僕も一緒について行こうかとおもったが、さすがにお墓はやめておいた。あそこは赤の他人がずかずか入って良い場所じゃなさそうだし。2人きりで話したいこともあるだろう思ったから。
夕香が帰ってきた後、朝食を食べ、学校の準備をしたりしていたら、登校する時間となった。
「じゃあ、そろそろ行こっか」
さあ、ついに登校する初日だ。この世界の新たな第一歩をしっかり踏む。大したことはない。家から出ただけだから。次々と足を進める。この調子でこの世界で上手くやっていけるといいな。
「翔隆、そっちは学校と真反対の方向だよ」
前途多難だ。
*
最初に安定の方向音痴ぶりを夕香に見せ付けたぐらいで、他は特にトラブルというものは起きなかった。
「ほら急いで、クラス分けが発表される時間になっちゃうから」
この学校は昇降口にクラス分けが貼り出されるらしい。あの小説ではクラスは2年B組で、夕香と朝陽と未来は2年連続同じクラスとなっていた。ただ、そのクラスに僕が含まれているかが心配だ。違うクラスだったら、この世界に来た意味がない。好きな小説の世界に来て別のクラスなんて悲しすぎる。
「よし、着いた。翔隆こっちだよ」
腕をぐいぐい引っ張られる。これは目立つからやらないで欲しいな。さっきから色んな人に見られてるし。
「ちょっと離してほしいな」
「ダメだよ、手を離すとすぐどっか行っちゃうから」
僕を犬とかと勘違いしてない? 方向音痴がひどいだけで、夕香に着いて行くぐらいなら迷わず歩けるよ。そんなことを言う隙もないまま、昇降口に連れて行かれた。
「あれだよ、クラス分けの紙」
大きな紙が貼られていた。僕がチェックするのはもちろん2年B組。そこにはしっかり、夕香、朝陽と未来だけでなく、僕の名前を載っていた。ここは校長が調整してくれたんだろう。この世界に来たのに、主人公たちと違うクラスだったら転生した意味が薄れるからな。
「やったー、私達同じクラスだよ!」
「だね、本当に良かった」
胸に手を置いて安堵の息を漏らすと、
「そんなに私と同じクラスになれて嬉しかったの?」
いきなりからかわれる。
「ち、違うよ、ただ、この地域に来たばかりだから、他に知り合いなんていないし、だから夕香が、いるだけでも心強いかなって思っただけだし」
自分でも何を言ってるのか分からない。だからいきなりこういうことを言うのはやめてほしい。慣れてないから。
「ニヒヒ、それ言い訳になってる?」
「うるさい、いいから早く教室行くよ」
足を急ぐ僕。
「え~ちょっと待ってよー」
無視無視。追っかけながらニヤニヤと追っかけてくる夕香なんていないいない。そのまま、後ろからいじられながら逃げ続け教室へと到着した。
「はぁ、やっと着いた」
めっちゃ疲れた。
「ねぇねぇ、この学校来たの2回目だよね?」
「うん、昨日の試験の時だけだね。それがどうかした?」
「大したことじゃないんだけどね、どうして私達のクラスに真っすぐ行けたのかなって」
あ、普通に真っすぐ来ちゃった。昨日こっちの教室棟来ていないのに何故真っ直ぐ来れたのか不思議に思っている夕香。
「昨日、来たときに校舎の地図見てたから」
「1日で覚えられるものかな?」
「記憶力は良い方だから」
「ふーん、まあ良いけど」
アニメで見たなんて言えるはずないからな。
「ま、いっか、それより教室入ろっか」
誤魔化せたかな。
「あ、2人とももう来てる! 未来~、朝陽~、おはよう」
夕香が突っ込んで行った未来もその様子を見ている朝陽もどちらもあの本の容姿とそっくりだ。
「夕香、離して、もう、すぐくっついてくる」
「だって~、未来はかわいんだもん」
2人の様子を冷静に見ている僕と朝陽。
朝陽は日頃見慣れてるだろうし、僕も何度も見たイラストだったからなんも驚くことはない。
「何故だ! 何故俺が可愛さ学校内1、2位を争う2人と別のクラスなんだ」
廊下で騒いでいるモブ1人。あれは、この物語でよく出てきたモブに似ているな。本来であればあのモブは夕香たちと同じクラスになれたはずなのに、僕が来たことで世界線が変わったんだな。ご愁傷様です。
そんな声を聞こえてないかのように話を進める3人。モブって本当に目立たないだな……。可哀想なので、憐れみの目だけ向けておいた。
「残念だったな。お前の代わりに俺があの2人にお近付きになってやるぜ……」
「くっそー」
いえ、その人もモブなんであの2人と関わることなんてなかったよ。
「ところで、夕香、後ろの男は誰なんだ?」
モブに夢中になっていた僕に話が向けられる。
「今日からこの学校に転入してくる翔隆だよ」
「翔隆です。よろしく」
「俺は狩野朝陽だ。部活はサッカー部に所属している」
もちろん知っている。夕香に好かれているのに断った男なんだから。茶髪で背が高いのが朝陽。
鈍感な主人公ではなく、どっちかというと敏感な方だ。夕香と未来の好意はちゃんと気付いていたぐらいだ。
「私の名前は浮空未来です。部活動は文芸部に所属しているよ」
未来は黒髪のロングヘアで、身長もそれなりにある。一見大人しそうな見た目だが……。まぁ、これは今はいいか、もう少し先で分かることだし。
この3人が物語の主人公たちだ。結局この物語は未完のまま終わってしまったが、どのように終わるはずだったのかはこの世界を過ごしていけば、いずれ分かることだろう。
「翔隆は夕香の親戚か何か?」
そんなことを聞いてくる未来。
「ううん、違うよ。最近会ったばかりだよ?」
「え? そうなの? その割には距離が近いような……」
夕香が「言っても良い?」みたいな視線を送ってきたので頷いた。
「翔隆はね、家族との折り合いが悪くなって家出してきたみたいなの。それで、行き倒れになってたところを私のお父さんが拾ってきたの」
動物とかじゃないんだから拾ってきたていうのはやめて欲しいな。
「大変だったね。それで住むところはどうしてるの? 住む場所ないなら僕の家に泊めようか?」
この世界の住人はなんて優しい人ばかりなんだろう。困っている人がいたらすぐに助けようとしてくれるなんて。
「大丈夫、私の家で住んでるから」
「「「はっ?」」」
ま、これが普通の反応だろうな。
「お父さんが居候しても良いって言ったからね」
「夕香のお父さんらしいや」
「見たところ無害そうだし大丈夫なんじゃない?」
この2人はこのことをなんとも思っていないみたいだ。問題は後ろの方で「はっ?」といった輩たちだ。
「あいつ許すまじ」
「誰だあいつは? 見たことねぇぞ」
「何新入りがあのお二方と仲良くしているんだ」
「一緒に住んでるだと……」
僕の背中にモブの怒りの感情が突き刺さってくる。僕を警戒するより、朝陽の方を警戒した方が良いですよ。あの2人が好きになるのは朝陽なんですから。
「それで、翔隆は夕香の家にずっと住むつもり?」
「ううん、バイトして家が借りられて生活できるなって思ったら出て行くつもりだよ」
「え、そうなの?」
何故か落ち込む夕香。気に入ってくれてるのは分かるんだけど、いくら何でも好きな人と一つ屋根の下っていうのはちょっと……。ていうか、夕香が好きな人は朝陽でしょ。朝陽の前で男を家に泊めたなんて言って良かったのか?
いや、この時はまだ、夕香は朝陽のことを好きになってなかったな。きっかけはまだ全然後だったはずだ。
「夕香なら大丈夫か。どっちかというと男を振り回すタイプだし」
「それはどういう意味?」
不思議そうな顔をして未来に聞く夕香。
「良い意味で言っただけ。雰囲気に流されるようなタイプじゃないから間違いなんて起こらなそうだし」
ここ1週間ぐらいで散々振りまわされたからな。そんな気さえ考え付く暇もなかったし。
「とりあえず、朝陽、未来これからよろしく」
「うん、よろしく。放課後、サッカー部来なよ。紹介するから」
「文芸部の方も来てね」
「うん、分かった」
バイトするから部活に入るつもりはないんだけど、ここは話を合わせておくことが大事だろう。
「よーし、みんな並べ、始業式が始まるぞ」
担任の先生? らしき人が現れ廊下に並ぶように促していた。
「えーと、翔隆は始業式のあと、自己紹介してもらうから、考えておいてくれ」
「分かりました」
この人誰だ?僕が知っているこの世界の夕香たちの担任ではないんだが……。これが、僕が来たことによる世界の変化か?それとも……。