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ハシビロコウ法案

作者: クルトン

                 ハシビロコウ法案

                                久留主 信

                  

 私はいわゆる引き籠りです。止まった時間の中にいます。大学受験に失敗し近所の工場に就職したのですが、上司や先輩等に虐められ、会社を辞めました。根性が足りないと言われればその通りです。それからは自分に自信が持てず、部屋から出なくなり

二十年が経ちます。最初は両親も心配していましたが、今では口を聴く事もありません。

 親はペットを飼うかのように毎日、部屋の入り口に食事を置いていくだけです。初めの頃は部屋の中でゲームをしたり漫画を読んだりしていましたが年数が経つうちに段々それも億劫になりました。食事も箸を使うのが否になりスプーンで食べる様になり今では直接犬の様に食べます。夜中に隠れてコンビニなどにも行っていましたが、それも止めました。

 親との現実の諍いは大分前に無くなり、朝晩運んでくれる食事を餌の様に食べるだけの存在になり果てました。

 何年も経つと思考も薄れてきて自分が誰かさえもわからなくなってきました。

時間だけが過ぎる中、ある日の事、扉の外でガヤガヤ人の気配がしました。

まさかこんな日がやってくるとは私は想像もしませんでした。私はこの瞬間から無理やりジェットコースターに乗せられ、奈落の底に落ちて行ったのです。                   


「お母さん。扉をこじ開けますがよろしいですか」

「はい。よろしくお願いします」

 扉は破られ、大きな三人の黒服の男たちが部屋に流れ込んできました。

「汚い部屋だなあ」

「何十年も引き籠るとこうなるのだな」

 私は驚きで硬直し、ベッドの上で身動きができなくなりました。

一人の男が私の前で書類を広げ、読み上げました。

「国の法令により引き籠りAを確保・隔離致します。抵抗する場合は身体に危害を加える事もありえます。確保後は速やかに麻酔を行い、引き籠り特定施設に移動させます。Aは暴れない様にして下さい」

 私はさすがに怖くなり多少暴れましたが、すぐに屈強な男たちに抑えられ、二の腕に麻酔を打たれました。

 私は意識が遠のく中で「お願いします」という母親の声と「ああ、これでおまえも精神病院行きだな」という心の声とが交錯しました。

 

実際は国立引き籠り対策特定施設に私は送られたのでした。目が覚めると周り一面が真っ白な部屋の中です。机が一つ置いてあり私は椅子に座らされました。正面には白衣を着た医者のような男がいて、パソコンを触っています。

「私はここの医療審議官です。今からいくつか質問をしますのでお答え下さい」

 機械の様な抑揚のない声で彼は続けました。


「あなたはなぜ長い間引き籠っていたのですか」

私は答えられませんでした。

簡単に答えられるなら引き籠りなどになっていない、と思いました。

「では別の質問をします。引き籠りになった原因はどこにあると思いますか。両親ですか。家族ですか。友人・知人ですか。好きな人ですか。職場の上司・先輩ですか」

「強いて言えば皆だと思います。私は世間の人たちが怖いのです。一見、正義の仮面を被っていて集団で弱い者を吊るし上げるのです。世間とは世の間と書きます。たとえ正しい事でも世間にそぐわなければ虐められます。みんなに合わせる術を身に着ければよいのですが、それを繰り返すと自分が無くなります。しかし一度世間に逆らうと周りはそのレッテルから抜け出す事を許しません。世間はとてもしつこいのです。私も普通に働きたいのですが、周りの目に見えない空気というか壁がじわじわ私を押し潰すのです」

「善良な世間があなたを押し潰すのですね」

「はい。そうです。私は何度もこの引きこもりの世界から抜け出そうと考えました。しかし世間の人たちは一旦引き籠りに陥ったものをそう簡単には許しません。それこそ私も始めは何千回と頑張ろうと思ったのですが、世間の脅迫を感じると、体が動かないのです。心だけが暴走し心と体が分離しました。そのうち眠る事も出来なくなりました」

「なぜ、この様に、長期にわたる引き籠りになったのですか」

「心は動いているのですが、体は動きません。つまり外に対する時間は止まってしまっているのです。自殺する勇気もなく、ただ食事するだけの物体になりさがり頭はぼやけていきました 。しかもこの単純作業が段々居心地良くなってきたのです。私は、何も考えなくて良いただそこにある棒になりたいと思いました。怠け者と言われるかもしれませんが、心と体の分離を直すには無になり統一を図るしかないのです」

 審議官はパソコンのキーボードを素早く叩きながら、続けます。

「では次に視点を変えて質問します。あなたは現在、働いておらず親がかりで保険料や税金を払っているとは言えません。つまり国の負債な訳です。この点に関してはどう思われますか」

「その通りだと思います。しかしそのような人は他に大勢いるでしょう」

「わかりました。ここは引き籠りに対する国の特定施設になります。ご存じの様に世界中がコロナ感染に侵され、どの国も経済破綻に陥ろうとしています。残念な事にコロナの変異によりワクチンも追いつかず、十年以上過ぎました。日本もご多分に漏れず、経済破綻が迫っています。引き籠りの数もここ数年で何十倍にもなり障害者や老人を含め国としては生産性の低い者を排除する特措法を制定しました。国家費用の削減のため、あなたは脳だけ取り出され培養液上で寿命まで生き続けます。科学の進歩のおかげで、国家費用としては培養液代だけで済みますし、形式上、殺人(脳死)にもなりません。あなたの脳の記憶は消され初期化され、そこにハシビロコウの習慣を記憶として植え付けます。ハシビロコウはじっと動かない鳥なのでこれによりあなたは引き籠りの時と同じ状態が脳内で保たれます。納得頂ければ、ここにサインをお願いします」

 私は納得できなかったのですが、最後に無益な自分が役に立つのなら仕方がないなと思いサインをしました。


喫煙室での審議官たちの会話。

「Aは結局引き籠りを他人のせいにして自己反省が見られませんでしたね」

「確かに。これでは排除されても仕方がないな」


 その後私は独居房に移されました。部屋の壁はやはり一面白色で安定感がなく宙に浮いている感じがします。多数の独居房があるらしくいろんな叫び声がしました。


「助けてくれ。おれは何も悪いことはしていない。みんなが悪いのだ」


「私は引き籠っていただけよ。何が悪いの。ここから出してちょうだい」


しかしここに入れられた者たちは順番に淡々と手術室に運ばれます。突然、名前を呼ばれ連れていかれるだけなのです。

 とうとう私の番が来ました。「Aを手術室に移動します」無機質な声が流れ白衣の男たちが部屋に入ってきました。私は有無を言わさず鎮静剤を打たれ手術室に運ばれました。集中治療室の様な部屋の中で私は手術台に固定されました。鎮静剤のせいか、身動きはできませんでした。

執刀医の一人が言います。

「それではこれから頭蓋を剥離し脳の摘出を行います。その後電極により脳の記憶を初期化しそこにハシビロコウの記憶を移植します。それから培養液に脳を浸し生命の維持を図ります」

「では麻酔を行います」

私は次に目が覚めた時は脳だけの存在になっているのだな、と思いました。眼がないのに目が覚めるのかな、などと考えているうちに深い眠りに落ちたのでした。


どれだけの時間が過ぎたのかわかりませんが唐突に私はベッドの上で目が覚めました。意識は朦朧としていますが、眼はあり周りを見回すこともできました。手や足もありどうやら動かせます。呼吸もでき心臓の拍動も感じます。五体満足であることがわかり急に安堵感が押し寄せ大量の冷や汗が流れました。

 白衣を着た男が傍らで私に話しかけました。

「私の声が聞こえますか。聞こえたら瞬きしてください」

私は瞬きをしました。

「あなたが脳だけの存在になり数百年が過ぎています。その間、あなたと同じ機能の人工身体が開発され、あなたの脳は移植されました。あなたは人として復活したのです。リハビリにより発声や食事も徐々に可能になり手足も動かせるようになるでしょう」

 私は生まれ変わったのではなく、二度生まれたといえます。生まれたばかりの赤ん坊がはじめて息をし、水を飲み食事をする。その感覚を私は再体験しました。息ができる気持ちよさ、水を飲むことで感じる生命の息吹、食事ができる幸福感、たったこれらの事だけで生きるすばらしさを私は体感できました。

しばらくして声が出せるようになり人とのコミュニケーションが取れる様になりました。人との簡単な会話がこれほど心を打つという事を私はこの時初めて知りました。

 すべての出来事が私にとっては喜びでした。植物の美しさ、光のまばゆさ、星のきらめき、土のにおい、夜の静寂さ、海や山の荘厳さ等自然のエネルギーを肌で感じます。また絵や彫刻、建造物などの人工美も私の心を透明にする感じがします。

しかし中でも人と人とのコミュニケーションほど素晴らしいものはありません。私は再生により人と人との会話によるエネルギー交換の大切さを思い知ったのです。人が怖いという感覚はもう無くなりました。極端な話、悪意でさえ何も無いよりはずっとましなのです。今、生きているという事だけで幸せです。私はなぜ引き籠り、自分を殺していたのでしょうか。馬鹿としか言いようがありません。

 以上が再生後の私の偽らざる気持ちです。

 

この話はここで終わりではありません。

例の審議官や医者たちが別室でAに関して話をしています。

「この治療は心理的なプラシーボ効果を狙ったものと言えます。手術台で麻酔をかけられてからはすべて嘘の世界です。もちろん脳を取り出すこともしておりません」

「しかしこれによりAは心の洗浄を受けたと言えますね」

「その通り。これでAもこれから引き籠る事はないだろう。マクロ的には日本の経済的負担もわずかずつではあるが減少していく事だろう」       

                         了       


ハシビロコウ:かなり大きな怪鳥。餌を取る時以外立ったままじっと動かない。


プラシーボ効果:偽薬により本物の薬の様な効果がある。ただし処方には注意を要する。





 宜しくお願いします              久留主 信 拝



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