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俺の四畳半が最近安らげない件  作者: 柘植 芳年
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今夜素敵なリムジンで

大都会新宿の夜景が通り過ぎていく車窓を横目でちらりと確認し、運転手はバックミラー越しにそっと後部座席を確認した。

それを「後部座席」と呼んでいいものかどうか。四畳半は優にありそうな細長い空間を、Uの字に囲む本革の黒いシート。そして車の振動に耐えるように固定されたタンブラーとウイスキーのボトル。ムーディーなダウンライトの下で、神妙な顔で右側に座る人物…そう、それを人物と呼んでしまってもいいならば「人物」を、ちらちら確認する、この高級外車の持ち主。

そう、これはタクシーではなく、リムジンである。


金融業で一代にして財を成したこの男…金城。悪質な滞納者にも一歩も引かず、生き馬の目を抜くような経済界をかいくぐって生き残ってきた豪胆の持ち主は、今明らかに驚き、戸惑っていた。先程からしきりに気にしている右側の男。

豪奢なリムジンの内装に似つかわしくないみずぼらしいこの男は。



どう見ても、幽霊だった。



「…まず、どうしてこの車を、タクシーと間違えたのかな」

重い沈黙を破り、金城は呟いた。気持ち距離をあけて『ちょこん』と座っている『幽霊』は、居心地悪そうに身じろぎした。

「……そう、ですね……何でなんでしょう」

くたびれた『アオキ』のスーツが、彼の生前の生活を物語っている。要領悪く、あくせく働いてきたその果てに、何らかの事情で突然この世を去ったのだろう。生前の彼なら決して拝む事のなかったであろう、リムジン内部の景色。当然といえば当然なのだが、彼は明らかに困惑していた。

「…声を掛けたのが狭い十字路だったので、車の前半分しか見えず…」

「てか中川!なんでお前も停車するかな!?」

「す、すみません…前職の習慣でつい…」

専属運転手の中川は、元タクシー運転手なのだ。三ツ星タクシーの腕をかってスカウトしたのだが、稀にこういう庶民的な部分が垣間見える。

「それにねぇ、云ったじゃないですか。私、割と『こういうの』寄せる質なんですよ」

「まじだったのかよ…」

通勤途中の雑談で聞いた事はあった。

タクシー運転手には二種類いる。


幽霊を乗せないタイプの運転手

そして、乗せるタイプの運転手である。


乗せない奴は絶対に遭わないし、乗せる奴はたて続けに逢うのだ。

この辺は意外と痴漢やカツアゲなんかと変わらない。


で。

中川は個人タクシー時代から、所謂『タクシーの怪談』のような状況に陥りがちだったという。…特別、気が弱いとか迂闊であるとか、そういうわけではない。乗せない運転手はそもそも『そういったもの』を見ないのである。

「タクシーやめればもう遭わないと思ったんですけどねぇ…」

ため息混じりに中川が呟く。…幽霊はまた肩をすぼめる。

「というか中川。こんな幽霊慣れする程、何度もタクシー系幽霊乗せてきたのか?」

慣れた手さばきでハンドルを切り、中川はバックミラー越しに金城と目を合わせた。…ミラーには、貧相な幽霊は映り込んでいない。が、居ても居なくても見事にどうでもいい。

「狭い車内ですし、幽霊さんの方もあまりやることがないようで…うーん、云っては悪いのですが」

ワンパターン、なんですよねぇ…。中川はまた一つ、ため息をついた。

「確かに…昏い顔で乗り込んできて自宅まで送らせて無賃乗車するくらいだな。俺でもそれしか思いつかん」

「それ!まさにそれなんですよ問題は!」

中川が急に声を張った。

「こっちも運賃が発生してる限り、確認しないで帰る訳にはいかないでしょう?だから家族が亡くなって間もないご自宅に、代金の請求に行かなければいけない。これね、云う分には簡単だけど、かなりハードルの高い行為なんですよ。現に数回は清めの塩を叩きつけられて追い返されてますから」

ふい、と中川の視線が外れ、ミラー越しに一点を凝視し始めた。どうやら幽霊のいる辺りを睨み付けているらしい。

「…とんだ、ご迷惑を…」

かつてこんな申し訳なさそうなタクシー系幽霊があっただろうか。生前、無難で気の弱い男であったろうに、何故タクシー幽霊などという大それたことをしたんだろうか。…金城は、少し身を乗り出した。

「なんでタクシー幽霊やろうとしたの」

「…インパクト、足りねぇよ。と云われて」

ぎりり、と奥歯を噛みしめる音がした。

「通夜で息子にっ…親父死んでまでインパクト、足りねぇよ…って云われてっ…」

「えぇっ…?」

なんで云うかな、そういう事を。通夜の席とかで。金城はひっそりとそんなことを思っていた。こういう平凡で貧相な親を持つと、子供はとことん平凡を嫌うようになるのだろうか。

「もっと他に云う事ないのかと!…親が死んでいるというのに息子はもう少し感想はないのかとね!?それでもう、化けて出てやろうかと思ったんですけど、あいつ全っ然見えないタイプでして、お恥ずかしい」

「いやいやいや、普通だと思うよ?」

「ほら見なさい、あいつだって普通なんですよ!私の子供がそんな非凡な能力持ってるわけないでしょう!それをあいつは何かというと『俺は親父みたいにはならない』って馬鹿の一つ覚えのように!」


「物凄く、ありきたりというか平凡な反抗期ですけどねぇ…」


運転手の中川が、身も蓋もないことを呟く。幽霊がぐぬ、と唇を噛んだ。

「…とにかく、インパクトとやらを出してやろう!と私は決めたのです!あいつに幽霊が視えなくても、視えるタクシー運転手が代金請求に来ればそりゃあもう、いかな馬鹿息子でも!」

赤信号でゆっくりと、車内に振動を与えない絶妙なブレーキで停車した中川が、ぐるりと首を巡らせて振り向いた。

「で、どちらに向かえばよろしいんで?」

「えっ、おいちょっと!!」

金城がよろよろと立ち上がり、運転席の方に身を乗り出した。

(お前、本当に送るの!?)

(放置したら他の同業者に迷惑かけるでしょう…あとは自宅に戻るだけですよね)

薄々、金城も感づいていたことではあるのだが、中川は性格の癖が少し強い。曲者揃いのタクシー業界を腕一本で渡り歩いてきた男だけのことはある。ここで雇い主の機嫌を損ねたところで、大型免許もA級ライセンスも持つ中川は就職先に困らない。

「…あの、よろしいでしょうか…」

幽霊がおずおずと聞いて来た。金城は首をすくめて運転席から離れる。中川が一応、バックミラー越しに後部座席を見た。

「どちらまで?」

堂に入っている。

「…多磨霊園まで」

「結局しっぽ巻いて帰るのかよ!だっせぇな!!」

金城は思わず叫んだ。

「だ、だって運転手さん、塩叩きつけられて追い返されるんでしょ?落ち着いて考えたら家庭のいざこざに関係ない人を巻き込んで、私なにやってんだろう、って」

「そういう優柔不断なとこに息子さんはイラついてたんじゃないの!?」

「まあまあ…で、ご自宅は」

「……稲城です」

「乗って来たの明大前あたりだったな。京王線があれば事足りる人生か。世界狭っ」

「……すみません」

幽霊は打ちひしがれたように革張りのソファにへばりついていた。革の縫合が先程よりも透けて見える。気持ちが弱ると透明度が増すものなのか…と、金城は改めて幽霊を眺めまわした。




「…着きましたよ」

リムジンは音もなく、古い民家の前に停まる。昭和を思わせるクリーム色の外壁には、大きなヒビを鼠色のセメントで埋めたような跡が見えた。少なくとも、前にリムジンが停まっていい建物ではない。

「…おい、嫁さんに建て替えの営業かけてもいいか?」

「そんな金ありませんよ…」

中川は、何の感想も持っていないことが見て取れる緩慢な動きでリムジンを降りた。

「じゃ、料金を取り立てればいいんですね」

寝起きのような不機嫌な声色である。幽霊は申し訳なさそうに頭を下げると、中川に続いて降りた。

「私も行きます」

「俺もついていっていい?」

返事を聞かず、金城もリムジンを降りた。



チャイムを鳴らすと、ヴヴヴヴ…と陰鬱なブザー音が響いた。

「あんたなぁ…どういう経緯でこの音のチャイムを選んだんだ」

「工務店の営業さんに勝手に決められまして…」

「余ってたんだよそれ。そういうとこだぞ」

金城の言葉が終わる前に、幽霊の妻と思われる初老の女がのそり、と顔を出した。夫を比較的早くに亡くした事情を差っ引いても、随分と老け込んだ印象の女である。

「…どちらさま」

「おいババア!不用心に開けてんじゃねぇよ!!」

妻の後ろから、髪を藁のような色に染めた、黒いラインが入った白ジャージの青年が顔を覗かせた。背は高くはない。驚くほどステロタイプな「ちょいグレ高校生」だ。

「タクシー会社の者ですがね、お宅の旦那さん?お金取りに行くって言って帰って来ないんですが」

もう百万回同じこと言ったとでも云わんばかりの流暢な口調。中川は実に面倒くさそうにドアに半身を滑り込ませた。

「うちの主人は…この間…」

「頭髪が薄くて!私より少し低いくらいの身長で!温水洋一にちょっと似てる50歳前後の!」

幽霊の方をちらちら振り返りながら、手慣れた調子で特徴を述べていく。

「主人はその…亡くなって…」

でしょうな!…と云いたいのを、二人はぐっと堪えて僅かに眉毛を上げる。そして中川は、申し訳程度にひきつった声と表情を作って顔を上げた。

「そ、それでは、私が乗せて来たのはー…」

背後からドヤ顔で覗き込む幽霊。深く被った制帽の下から、幽霊を睨みつける中川。金城は正直、内心舌を巻いていた。寡黙で優秀な俺のお抱え運転手は、なんという修羅場をくぐり抜けてきた猛者であったことか。



「おっ……親父……」



妻の背後からずっとガンを飛ばしてきていた息子が、顔を伏せて震え始めた。幽霊は伸びあがって、妻と中川越しに息子の様子を垣間見ようとする。

「ほらっ、ほらっ、息子が震えてますよ!?ちょっと色々聞いてみてくださいよ!」

「喋らないで頂けますか」

中川は冷たい。小さくため息をつき、彼は再び息子に視線を戻した。視線が戻るのを待つように、息子はゆっくりと顔を上げて、虚ろな瞳で虚空を眺めた。…そして息を吸い込んだ。



「……すげぇ普通だな……」



そうなるか、やはり。

その場に居た、全員がゆっくりと頷いた。…本人、以外。

「……死因は脳卒中とか、ですか」

中川の控えめな問いに、母と息子が頷いた。

「本当に、死因まで普通で…。まさか…まさか死んでまでこんな普通な出方をするなんて…」

わっと顔を覆って妻が泣き出す。玄関先の二人にはさっぱり見えないようだが、幽霊は口をもごもごさせながら、ぷるぷる震えていた。

「こ、こいつら…普通普通ってこのっ…こ、こうなったら」

中川を押し退けて幽霊は、興奮気味に自宅に駆け込んだ。

「い、位牌倒してやる!!」

「よせ、それも物凄く普通だ!!」

金城の叫びも虚しく、奥の座敷から「ぱた…」と控えめな音が響いた。





「…だが考えてみればよ」

帰りの車中、金城はウイスキーのグラスを傾けて呟いた。中川は何事もなかったようにハンドルを切る。すっかり車が減った幹線道路は、信号にも引っかかることなく快適に流れていた。

「下手にタクシーの振りしないでリムジンで乗り付けていれば、少しは非凡な幽霊になれたのにな」

「滅多なこと云わないでくださいよ。マネする幽霊が出てきたらどうするんですか」

視界の端に、儚げな空気を纏わせた白いワンピースの女が細枝のような手を上げているのが見えた。中川はアクセルを深く深く。それはもう深く踏み込んで、ワンピースの女を無視して走り去った。


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