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俺の四畳半が最近安らげない件  作者: 柘植 芳年
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その物件にはテナントが入らない

「……ということで、どうでしょうか、この物件は」

担当営業の桜木が、明るい声で感想を聞いて来た。緩いウェーブの髪を今風のツーブロックにセットした営業の青年は、その声色とは裏腹に相手の様子を過剰に伺うように首を巡らせる。少し申し訳ないな、とは思いつつ、俺は首を傾ける。

「うん…ちょっとね、水回りが不安かな」

「そうですかぁ…水回りねぇ…」

う~ん、などとわざとらしい位に真剣な表情で首をぐるぐる巡らせると、青年…桜木はふと足を止めた。

「―――お客様」

「ん?」

「ラーメン屋を開店する物件をお探しでしたよね…?」

「ああ。…何かいい物件、思い出したのか」

いい物件、と聞いた瞬間、彼は顔を曇らせて顎を捻って唸り始めた。

「んー、んんんん、どうなのかなアレは」

「分からない物件なのか?」

「それがですね…すぐ近くに、元ラーメン屋の物件が、あるにはあるのです」

「へぇ…そこに案内してよ!居抜きで使えると嬉しいな」

「はぁ…じゃ、一応…」

どうも歯切れが悪い。

「なぁんかノリが悪いな。…事故物件とか?」

「いや、前のテナントは脱サラ店主が15年借りて、老齢で引退していますよ。ちゃんとテナント料も滞りなく支払われているんです。…不思議なことに」

―――不思議なことに?

「この物件の担当者は退職してしまったので詳しいことは知らないんですけど、ここは確かに数年前まで、ラーメン屋として機能していたらしいんですよ」

「ふぅん…じゃ居抜きでいけるだろ」

「それがですね…」

桜木は足を止めて、着きましたよと云いながら振り向いた。

「……ここなんです」

「……ええ?」

俺はその狭い間口をまじまじと見つめた。そして周囲を見渡した。…有体に云って、あれだ。雑居ビルの裏口。入口はこともあろうに、重い鉄製の開き戸だ。

「……いや、ねぇよこれは」

「ですよね!?ですよね!?お客さんがここを借りないことは分かっています。ですから図々しくて申し訳ないんですが、これはもう個人的な相談です」



前の借主は一体、どういう仕組みでラーメン屋を営業していたのでしょうか?



「―――はぁ!?」

「近くを通りすがったご縁として、お願いしますよ。ラーメン屋で修行してたんでしょ?お知恵をお借りしたいんですよ」

そう云われてしまうと断りにくい。俺はしぶしぶ、一緒に考えることにした。

「知る人ぞ知る系のラーメン屋だった…とか?偶にあるんだよ、こんなとこに人来ないだろって場所に店を構える、めっちゃ旨いラーメン屋というのが。いつの世でも一定数のファンが居るからな、ラーメン業界は。旨いという口コミが広がれば、あいつらマニアは東西南北、何処にでも駆けつけるから」

「……私もそれは考えました。でも」

緑青が浮いた鍵を差し込んでカチリと回すと、桜木は埃っぽい店内に踏み込んだ。

「あり得ないんですよね、この場所で」



俺は目を見張った。そして居抜きが不可能な事に思い至った。



「……四畳半、くらいか?」

「そうですね、そのくらいでしょうか」

広がっていたのは、アパートの居間としてさえ手狭な正方形の空間。狭いのは間口だけではなかった。

「……俺な、さすがに所謂『うなぎの寝床』だと思っていたよ。まさかの急展開だわ」

ざっと辺りを見渡す。申し訳程度のトイレと、どう考えても業務用ではない家庭用コンロ、水はけの悪そうな小さめのキッチン。まるで学生のアパートだ。

「こんな狭いキッチンでまともな営業は無理だぞ。第一、こんなしょぼい火力の家庭用コンロじゃ、麺すらまともに茹でられないよ」

「じゃ、あれじゃないですか?カップラーメン屋!なんかのテレビで観た事ありますよ。全国のご当地カップラーメンが置いてあって、テーブルとお湯だけ提供するっていう」

「…その誰でも出来るカップラーメン屋を、こんな滅多に人が通らない裏通りで?」

「…ですね」

「それにここ、多分営業するスペースじゃないよ」

そこかしこに散らばる空の段ボールを指す。

「倉庫として使っていたと思う。…テーブルの跡もないし」

「立ち食い」

「そこまでほったらかしの立ち食いはねぇよ」

「あ!屋台の倉庫!!」

「元々倉庫として貸し出してない物件を、わざわざ借りて倉庫にする意味は?」


うぅむ…俺と桜木は、天井を仰いで黙り込んでしまった。

「おっかしいなぁ…確かにここはラーメン屋として使っていた筈なんすよ…」

暫くして、桜木がぼやきを開始した。

「悔しいなぁ、俺にも分からないわ」

同じラーメン屋なら、何か見当がつくと高を括っていたのだが、結局さっぱり分からなかった。訳の分からない無力感がどっと押し寄せてくる。分からない以上、ここに居る意味もないのだが、なんとなく去り難く、俺と桜木はただぼんやりと、諦め悪くもこの不毛な四畳半に立ち尽くしていた。



「―――おのれらは、次の『主』か?」



突然の皺枯れ声に、俺たちは弾かれたように振り返った。入口の辺りだ。煤けたドアの隙間から、こちらを伺うように見つめている老人がいる。桜木が大股でドアに駆け寄り、思いっきり押した。

「おい、ちょっと待てって!」

予想した通り、老人は突然迫って来たドアによろめき、転びかけた。ドアの隙間から垣間見える、スローモーションのようにはためいて倒れ込む薄茶色のカーディガン。

「ぅへぇええい」

気が抜けた屁のような声を上げて、老人はゆるゆると尻もちをついた。

「すっすんません!大丈夫ですかっ!?」

桜木が手を貸して起き上がらせる。その動作も妙にせっかちで、老人は強引に腕を引っ張られる形で立ち上がった。年のせいか、体幹はもうよろよろだが、腕や掌は使い込まれた職人のそれを思わせた。俺の視線に気が付いたのか、老人は桜木の手を放し、俺をまじまじと見つめた。

「…あんたぁ、ここを借りるのか」

「いえ、ラーメン屋のテナントを探していまして。…ここもラーメン屋だったと聞いたんですが、何かの間違いみたいですね」

煤けた四畳半を見渡し、首を竦めてみせる。そうだ、きっと何かの記録間違いなのだ。こんな場所でラーメン屋を営めるわけがない。



「―――いや、ここはラーメン屋だった。間違いない」



俺は肩に掛けた鞄を落とし、桜木は手にした書類をばさりと落とした。

「おじいさん…ここが何だったのか、知ってるんですか!?」

咄嗟に桜木が食いついた。おい、また老人を倒すなよ、とハラハラするが、俺も気になるところだ。

「ふむ…あんたは不動産屋か。ここの事を何も知らずに来たのか」

「前任者が引き継ぎなしで辞めてしまいまして…そ、それより、貴方はここの事を知っているんですか?元常連さん?」

老人は事もなげに云った。

「ここを借りていた者だ」

「え―――!!!」

俺と桜木は同時に叫んでいた。…なんという偶然か!

「そうなんですか!だったら話は早い、どう営業していたのか教えて下さいよ!」

「そうはいかんのだ」

「なっ…」

何を勿体つけているのだこのクソ爺。こんな状況でお預け食らって帰れるか。…そんな瞬間的に煮えたぎった俺に呼応するように、桜木が爺の裏に回り込んでドアの鍵を掛けた。

「!?」

「そうはいかない…その台詞、そっくりお返し致しますよ…」

くくく…と低い笑いを漏らして、桜木が呟いた。

「この物件は事務所内でアンタッチャブルな案件として皆が腫れ物にでも触るように扱うのですよ…どの先輩に訊いても何も教えてもらえない!前任者は行方不明!」

口角泡を飛ばして老人を追い詰める桜木を眺めているうちに、沸き立った気持ちが微妙に冷めて来た。…あれ、俺なにやってんだろう。これ完全に俺達、老人を監禁しようとしている悪い奴だよな。俺が止めるべきか…。

「―――行方不明か、福本は」

桜木の奇行をスルーして、老人は小さく息をついた。

「福本さんを知っているんですか!?」

…ん?何か内輪っぽい話になってきたぞ。

「おい、福本て誰だ」

「前任者ですよ!この物件の担当者!いきなり辞表出して、そのまま行方不明なんです」

「……そうか、そうか。福本は」

老人はそう云ったきり、何かを考え込むようにして天井の隅を睨んだ。

「福本さんが居ない今となってはこの物件の使い道を知るのは、あんただけなんですよ…あんたが死んだら!もう知る人間は居ないんです!…こんな機会、絶対に逃しませんよ!!」

とりあえず桜木が順調にヤバい。目とか血走っている。これから開店準備とか忙しくなるのに、変な事件に巻き込まれてお縄になるのだけは勘弁してほしいので、俺はじりじりと出口に近寄り、ドアノブに手をかけた。

「―――おい、そっちの兄さん」

不意に老人に声を掛けられ、俺は弾かれたように飛び上がった。

「ひゃっひゃい!?」

「ここで、ラーメン屋を開くのか?」

「え!?いや…」

開くわけないだろう、こんな勝算の欠片もない立地で馬鹿じゃねぇの。そんな台詞が頭を閃いたが、俺は滝のような冷や汗を流しながら首を横に振るしかなかった。

「そうか…次の『主』になら、真相を教えてやろうかと思っていたんだが…」

「うぇ!?」

「えっ、そうなんですか!?」

ちょっ…冗談じゃねぇよ何でおれがこれからの人生棒に振ってまでこの物件の謎解きに協力しなきゃいけないんだよ!

「河上さん、ちょっと……私の云いたい事、分かりますよね……?」



………爺いぃぃぃぃ!!!余計な条件つけやがって!!!桜木の目の色が変わってんじゃねぇか!!



「いや、ちょっと待って桜木さん!これどう見てもラーメン屋を開ける店舗じゃないと思うんだけど!!分かるよね!?…え、なにその目は、ちょっと本当にやめて下さい…」

桜木は俺をガン見しながらも正確に出口側に回り込む。

「河上さん……」

「駄目だ無理ですこればっかりは絶対に駄目!!賭けてもいいけど半年で破産するわ!!」

「いや、多分問題なかろ」

爺は他人事だと思って、間延びした声で云う。

「何云ってんですか無責任にも程があるし、俺絶対こんなところで!!」

「ここは、売り上げが立つんだよ。…競合が一切居ない状態でな」

…いい加減なことを…!!

「じゃあ訊くが、これだけ大騒ぎしてんのに誰一人覗きにも来ないのは何でだ!?そろそろ昼飯時なのに!!」

「そりゃそうだろう。ここは『裏口』よ」

『裏口』と聞くや否や、俺たちは狭い四畳半の隅から隅まで舐めるように見回した。だがドアはやはり一つしかない。俺たちは再び、血走った眼を老人に戻した。

「適当なこと云ってんじゃねぇぞ爺ぃ、ドアは一つじゃねぇか!!」

俺達の怒鳴り声が終わるのも待たず、爺ぃはよろよろと台所の方に近づくと、流しの下の開き戸を開けた。

「おい何やってんだよ爺さん!」

爺さんの背中に大股で近づき、がっしと肩を掴んだその刹那、俺…と桜木は凍りついた。そして言葉を失った。否、この状況を的確に表す言葉を俺は知らない。だって、そうだろう。



流しの下は、昏く深い洞窟に繋がっていたのだ。



「―――ここを潜る、ということは、『契約』が結ばれるってこった。…お前さん、次の『主』になるんじゃろうな」

これは夢か幻か、はたまた爺ぃの戯言か。何一つ分からない状態なのだが。

洞から吹き抜けてくる風に含まれた瘴気にでもあてられたのか、俺はふらついた頭を大きく、縦に振っていた。

「なら、ついてこい」

しょっと…と小さく呻いて爺が流しの下に潜り込んだ。俺達も何かに操られるように、ふらふらと続いた。





「……えっ?」

空気が甘い。

洞を抜けた俺が最初に感じたのは、そんな漠然とした違和感だった。

屈まなければ通れない程だった小さな横穴は、進めば進むほど大きくなり、仕舞いにはこの中で一番背が高い桜木でさえ直立できる高さになっていた。そして10分も進んだ頃だろうか、薄暗がりに埃を被ったドアが現れたのは。

ドアの向こうに広がっていたのは、10人掛けのカウンターと4人掛けのテーブルが6つ揃ったこぢんまりとした店舗だった。俺達が出て来たドアは使い込まれた厨房に直結している。広くはないがラーメン屋を営むには十分な設備だ。俺は一つ一つの設備を貪るように確認した。…完璧ではないが、十分な使い勝手だ。

「こ…ここは…」

俺は反対側の、つまり入口のドアに駆け寄り勢いよく開けた。…甘く重い、明らかに組成の違う空気が俺を押し包んだ。

「……は?」

見たことのない奇妙な葉脈。

知っている餅と良く似た、穀物をついて丸めたような食べ物を籠にいれて振り売りながら行き交う商人。

奇妙に湾曲した街並み。町全体が…というか建物の構造が妙に適当というかいい加減なのだ。

「……沖縄?」

「いやいやいや、何云ってんすか。こんな沖縄ないですよ!?」

「知らねぇし、沖縄行ったことねぇし。で爺さん、沖縄じゃないならここは何処なんだ?」




「―――異世界、というやつかの」




はぁ!?と云いかけた俺の横を、オークと思われる巨漢が横切り咄嗟に口を噤む。

周囲を行き交う連中をよく観察してみると、肌の色が微妙に青かったり、耳が異様に尖っていたりと、ちょっと『亜人』らしい気配が漂う。言葉…は、何だこれ全然分からん。英語でも中国語でもない。

甘い空気に押し包まれながら、俺は静かに愕然とする。

「―――異世界じゃん」

「―――良かったですね、流行りのジャンルですよ」

「うるせぇ黙れ」

さっき爺ぃが云っていた衝撃発言が、頭の中を駆け巡る。

―――ここを潜る、てことは、『契約』が結ばれるってこった。

ただ真相を知りたくて仕方なかった故に軽はずみに結んでしまった『契約』の代償は、これか。

「エルフやホビット相手に、ラーメン屋を…?」

「結構流行ってたぞ、競合はないし安心しろ」

「いやちょっと待てよ、オークがウロウロしてる界隈で豚骨ラーメン売るとか喧嘩売ってる感じじゃないか!?これ殺されても文句云えなくね!?」

「ははは…ジャンルが近いだけで別物と見做しとるよ。俺らで云えばほれ、猿の脳みそ的な感覚?」

「ゲテモノじゃねぇか!!」

「それに、客は亜人ばかりじゃないんじゃ。…割と居るんだよ」

『こっち側』に逃げて来たものの、あっちの味が忘れられない連中がな。と呟いて、爺ぃが首を竦めた。

「行方不明の福本も、多分こっちにいるんじゃろ。こっちの暮らしが気に入っていたようだしな。…そういう連中にとって、大衆食のラーメンはまさに、うってつけの料理だよ」

そうこうしているうちに、俺たちの周りに人垣が出来始めた。

―――ラーメン屋だ

―――も、戻って来たのか!?

―――またラーメンが食えるのか!?

なんかよく見ると、大半が『あっち側』の連中っぽい。歓迎を通り越して半ば殺気立った視線が突き刺さる。爺ぃが大きく頷くと、人垣からどよめきと歓声が一気に上がった。

「―――というわけだ。連中の世話は頼んだぞ『異世界ラーメン屋』」




つまりは、そういうことだったのだ。

あのテナントは云わば、ここと異世界を繋ぐ門。そして門は番人を求め、こんな具合に契約を強いるのだろう。俺はラーメン屋というよりは、ここの番人なのだな…今日も満席の店内でラーメンを茹でながら、ぼんやりと考える。

結局俺は、よく分からない『契約』とやらに導かれるままにラーメン屋を継いだ。何だかんだ云って、少しくらい立地がおかしくても、開店前からあんな入れ食い状態を見せつけられて退くことなんて考えられない。商売人の悲しい性だ。

それとなく店内を見回してみる。『あちら側』の連中は勿論、開店当初は一番のネックとなると思われたオーク、そしてドワーフや人狼、リザードマン…亜人の中でもどちらかというと『いかつい』連中が、店内にひしめき合う。エルフとか妖精とか、そんな可憐な種族はラーメン屋なんぞに出入りしないのだ。そこら辺は『あちら側』とそんなに変わらない。…カフェにすればよかった。

福本とかいう前の担当者も、程なくラーメン屋に現れた。

「やっぱりねー、コイツばかりは忘れられなくてねー」

などと、ラーメンをすすりながら呑気な事をほざいている。こいつがしっかり引き継ぎをしなかったせいで、俺はこのテナントに絡めとられたわけなんだが。俺が少しばかりの恨みを込めて云うと、奴はテカテカの額を丁寧に拭きながら笑う。

「なんかね、『そういう運命』だったんじゃないですか、私も、あなたも」

「……運命ねぇ」

―――そろそろ桜木も現れる。裏口とはいえ、いくら何でもマスターキーを濫用しすぎじゃないか。ほぼ日参状態の桜木も、そのうちこのテナントに絡めとられるのだろうか。



こうして俺の異世界ラーメン屋としての人生がスタートした。


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