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俺の四畳半が最近安らげない件  作者: 柘植 芳年
48/72

同棲時代の封印

冷たくなった晩秋の風が吹きすさぶ11月。

外の寒さを思うと体が震えた。



3年も過ごしたこの部屋を離れ、俺は…俺たちは、別々の個人となる。



背を向けて荷物をまとめる、沙也加の顔は見えない。…きっと、何の感情も浮かんでいないか、失望や軽蔑…いや諦観か。そんな表情を浮かべているのだろう。…俺は、どんな顔をしているのだろう。


私が出ていくよ。あんたはここに居たら。


沙也加はそう云ったが、とてもじゃないがそんな気持ちにはなれない。一緒に過ごした3年が作り上げたものが重すぎて。だから俺たちはこの狭い4畳半にぎっしり詰まった全ての荷物を二つに分けて、ここを離れるのだ。

「サイドボード、どうする」

「あげるよ。あんたのDVDしか入ってないでしょ」

「ブルーレイだというのに」

「………どっちでもいい」

つまらなそうに呟く。…どちらかというとずぼらな彼女と神経質な俺は、こういう小さな衝突を繰り返した。…3年も。小さな価値観の違いはいつしか、大きな溝となって俺たちの間に横たわっていた。だから…俺は沙也加を憎んでいない。きっと沙也加も。ただもう、互いに『無理』になっていったのだ。



「冷蔵庫は」

「それは頂戴」

「テレビは俺が貰っていいか」

「それは…あとで決めよ」

淡々と荷造りをしながら、簡単な相談をする。暫く荷造りに集中していると「ねぇ」と沙也加から声がかかる。…ごとり、と重い音がした。…随分大物が残ってたようだが、何だ一体。

「これ、あんたの?」

「これって…」




―――なにこれ!?




青だか茶色だか分からん分厚い陶器の壺。それにフジツボがびっしりくっついている。所々に釉薬がついてたっぽい跡があるが、フジツボと水の浸食で禿げまくっている。そして多分…アスファルトか何かでしっかり封をされた木の蓋に『封』と書かれた紙に似た材質の何かで出来た札が貼られている。



なんて不吉なんだ。フジツボの一つ一つから瘴気が漏れできてそうだ。



「…いや知らねぇよ。自分で買って忘れたんじゃないの」

「私がこんな気持ち悪いもの買うわけないでしょ!?」

狭い四畳半に突如、沈黙が走る。

「…じゃあ、俺たちがここに入る前から…?」

「それは絶対ない。見て」

沙也加は元々壺が置いてあった押入れの奥を指さした。敷き詰められた新聞紙に、丸い凹みがある。

「この敷いてある新聞…3年前のやつだよ」

そう、俺たちが敷いた新聞だ。ということは、この壺がここに置かれたのは、俺たちが新聞を敷いた後というわけか。

「俺たちのどちらかが忘れているのでは…」

じとり、と沙也加に流し目をくれる。なくす、忘れるはお前の担当だな?

「…絶対違う。私、中古嫌い」

「中古ってお前…」

これなんだよ。骨董と中古を一緒くたにするこの感性がもう…。まあいい、俺たちはもう他人なのだ。

「なんか分からんが要らないものなんだな。俺も要らない。捨て」

捨てるぞ、と云いかけて壺を持ち上げようと手を掛けた。

「………んぐっ」

―――何ぞこれ、動かん!!

「…どしたの?」

沙也加が不思議そうに覗き込んで来た。

「おっ前…これ、さっきヒョイって運んでなかったか…?」

「えっ、軽いでしょ?」

そう云ってもう一度、ヒョイと持ち上げて見せる。

「いやいやいや、そんな馬鹿な!…お前ちょっと置いてみろ」

首を傾げながら壺を置こうとする沙也加からひったくる…と肩が抜けそうなプレッシャーと共にズブンと変な音を立てて壺が落ちた。

「んなっ!」

「なにそれ!?なんでそういう冗談やるの!?馬鹿にしてんの!?」

沙也加が目を尖らせて叫ぶ。

「ばっ…そんな風に見えたか!?これワザとやってんだったら俺パントマイムで食っていけるわ!!」

―――いや、喧嘩している場合じゃないぞコレ。

「……よし、お互い落ち着こう。真面目に聞いてくれ」

「今度は何!?」



「…この壺、相当怪しいぞ」



怒りが冷めやらないのか、肩を激しく上下させつつ、沙也加がぐっと押し黙った。

「…てか、まじなの?まじで、これしきの荷物、持ち上がらないの?」

「まじか、と問いたいのは俺の方だ。炬燵の板すら持ち上げるのに難儀するお前がこんなものを…」

え、でも私普通にここから…と壺の置いてあった辺りを覗き込んだ沙也加が、鋭い悲鳴を上げてあとじさった。

「ど、どうした!?」

「脚っ!!脚が、脚がいっぱいっ…!!」

沙也加をどかして覗き込んだ刹那、俺も悲鳴が口をついて出た。

「何だこれっ!!あ、脚っ…!!」

壺が置かれていた辺りの新聞紙に『く』の字型の黒いものが相当数散らばっていた。

「これ!絶対これ、あれしか考えられないよ!!ゴキブリの脚!!37匹分はあるよ!!」

「すげぇなお前、レインマンかよ」

「うるさいっ!そんなことより、なんでゴキブリの脚だけ残ってるの!?」

「いやいや、お前これがゴキブリって前提で話し過ぎだ」

ちがうちがう、これはあの気持ち悪いゴキブリとかじゃなく、ほら、あれだ…。

「じゃ何!?」

「かっ………かなぶん………」

「押入れの暗がりにこんな数のカナブンが潜んでるとかナニゴトだよ!!」

現実を見ろー、ほらコレは何だーと叫びながら沙也加は俺の頭をがしっと掴んで脚が散らばる新聞紙に近付けた。

「ゴキブリですっ!ゴキブリの脚ですっ!だからもうヤメテ!!」

そう叫ぶまで放してくれなかった。

「ひゃっ!ゴキブリっ!」

再び沙也加が短く叫んだ。何だ今更。

「改めて驚くのか。仕切り直しか」

「ちがう別件!生きてるやつ!」

壺の横を這い進む黒いあんちくしょう。あーあ、と呟きながらスプレーを構えた瞬間



壺の封が少し開き、細長くて黒い何かが鞭のようにしなり、ゴキブリを掴んで壺の中に吸い込んで消えた。



「なっ……!!」

俺はビビリ過ぎて声すら出なかった。「な」とか云えた沙也加すげぇ奴だ。

「………あれ?『封』は?」

ようやくその一言だけ絞り出した。

「えっと…『本体』は、出てこれないぞっ…と」

「…それ以外は、割とフリーダム?」

「……ぽいね」

俺は瞑目して上を向いた。そう…認めたくない事実を、ゆっくり咀嚼、嚥下するために。



「―――沙也加よ。コレ、捨てたら呪われる系の何かだ」



俺の声にかぶるように、壺の下の方から『ぽい』みたいな感じで6本の脚が転び出た。…これか、無数の脚の正体は。

「…脚の食感、嫌い、みたいな?」

「好き嫌い…判明したな。昆虫の脚が嫌い、と」

「…それが何の慰めになる。『かわいいトコあるじゃ~ん』とか思うならあんたが引き取れ」

沙也加の顔面は既に蒼白だ。

「…いや考えてみろ。俺たちだって海老を調理する時」

「脚を取るから何!?あの壺の中でエビチリ的なもの作ってるとでも云いたいの!?」

「つまり中のひとは割と人間の感覚からそう離れていない感性を持っているということだ。…どうだ、沙也加」

突然一人暮らしでは何かと不安だろう…と云いかけた瞬間かつてない勢いでぶん殴られた。

「なに押し付けようとしてんだよっ!!」

殴られた弾みで玄関の辺りまで転がる。ドアの隙間からとんでもない冷気が入り込んできて、俺は思わず小さく声を上げた。

「さっむ」

―――ん?寒い?

「…なぁ、沙也加」

「なに!?」

「今日、暖房つけてたか?」

「つけてないよ!!うち、エアコンほとんど使わないじゃん!!」

「それなんだよ」

思えば変な物件だった。こんな安アパートで暖房も冷房も、ほぼ稼働させたことがない。異様に快適なのだ。これは少し変じゃないか。そう云うと沙也加は「南向きだからじゃないの」などと流そうとしたが。

「夏も涼しいな」

「それは…うん、なんでなのか……げ」

沙也加の口から、カエルの呟きみたいな声が漏れた。

「どうした、仲間のカエルが遊びにきたのか」

「殺すぞ。…ちょっと、なんかこの壺、微妙に生暖かいんだけど」

「えっ」

「やだなにこれ体温!?」

少し触れては手を引っ込める沙也加は放っておくとして、今俺の脳内に、とてもいやな仮説が浮かんだ。

「おい、ドライヤー借りるぞ」

返事を聞く前に俺は沙也加のドレッサーからドライヤーを引きずり出し、コンセントを繋いだ。そして熱風を壺の肌にあて続ける。ちょっとやめてよ!と叫ぶ沙也加を無視してあて続けていると、壺の肌が少しずつ……



ひんやりと冷気を放ち始めた。



「なんで!?」

「―――こいつ、部屋の温度を地味に調整してたんじゃ……」

「そんなことまですんの!?」

「あぁ…行動原理はさっぱり分からないが、奴は『判断』をしている。人を選んで重さを変え、気温によって室温を変え、食事までしている。…くっそう、一体何が封じられているんだ。…沙也加」

「危ない橋は私が渡れってか!!」

再び沙也加に殴り飛ばされた。





「…そんなことがあり、壺をどっちが引き取るかの話し合いがつかないうちに、いつしか俺たちは仲直りすることになり、結婚に至ったわけですが」

結婚式場の高砂で俺はマイクを握っていた。

純白のウエディングドレスに包まれた沙也加が、傍らに居た。突然の意味不明の告白に、参列客がざわつきはじめる。

「考えてみれば、こいつがあれば害虫は出ないしエアコン要らないし、もうこのままでいいんじゃないかということになり、この壺に何が入ってんのかは3年間保留に…しかし今日で俺たちの同棲時代は終わります。その区切りをつけるために」

式場のスタッフが、台車に乗せた『壺』を運んで来た。会場のあちこちから短く悲鳴があがり、数人は身構え始めた。俺は大きく息を吸い込み、高らかに宣言した。



「この後、ビンゴ大会の一等景品として『謎の壺』放出いたします!!」



要らねぇよ!!という満場一致の声で景品は却下されたし、何も知らなかった沙也加には殴られるしで最悪の挙式となった。

しかも持って帰った壺はいっちょまえに機嫌を損ねたのか、向こう3日間、このクソ寒いのに冷気を放ち続けた。


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