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俺の四畳半が最近安らげない件  作者: 柘植 芳年
39/72

魔王

―――目に青葉 山ほととぎす 初鰹


などと呑気に嘯いていたのは何処の誰だろう。

5月の始めは忙しい。OJTを終えた新入社員達が現場に投入され始め、右も左も分からない社会人一年生の面倒を見つつ、大型連休前の追い込みに奔走しなければならない。しかもこのクソ忙しいのに新人は自分の存在意義がどうだとか自分は社会の歯車になるために会社に入ったんじゃないとか青年の主張を臆面もなくぶつけてくる。でも何とか堪え難きを堪えて育成してきたこいつらのうちの何人かは、大型連休を過ぎた辺りでパタパタ辞めていく。…5月病というやつだ。ほんとやりきれない。連休後の修羅場を思うと、せっかくの休みも心が安まらない。

「――この国の、魚の焼きがイマイチ足りないのだけは閉口だの」

今日も3人の小さいおじさんは、俺の四畳半で初鰹のタタキを蝋燭の火であぶりながら日本酒を呷っている。…焼きが足りないのではなくてそういう刺身なのだが、俺は居ないことになっているので何も云わない。

「他の食い物は大抵旨いのに…確かに不思議だ」

縫い針を串に、賽の目に切った鰹をいくつか刺して火に翳して丁寧に炙るのは、端正か。その横で豪勢が、適当に刺した鰹をボーイスカウトの焼きマシュマロのような感じに炙っている。あ、でもこっちのが旨そう。

「そういう食べ物、なのですよ」

隅の方で、鰹完無視で漬物ばかり食っている白頭巾が、ぼそりと呟いた。

「火を中途半端に通すのがか?」

「藁の香りを付けるためと、食感を良くするために。本来この国の民は皆、しばしば魚を生で食すのです」

「ほう、皆がか…」

端正が顔をしかめた。

「この国の醤はとても質がいいものですが、私はどうにも生魚は…」

弟が生魚にあたりましてね…と、カーテンの隙間に覗く新月を眺める。…その弟は、死んでしまったのだろうか。

「おぅ、とても良い醤だ。余はこの醤ならごくごく呑める!」

呑むな呑むな。

「こうして日がな一日旨いものを喰ってのんびり出来るのも…」

お、いいぞ称えろ親切な家主を。

「―――あの動乱の三国時代を戦い抜いた、ご褒美みたいなものでしょうかね」

……ああ、分かってたよ。分かってたけど報われないな、仕事も私生活も。




「ときに卿ら、妙だとは思わぬか」

他の二人を見回すようにして身を乗り出し、端正が声をひそめた。

「む?」

「このように旨いものが大量にあるというのに、『あの男』が姿を見せぬとは」

豪勢の動きが、ぴたりと止まった。

「……あいつか……」

俺の四畳半を、実に微妙な空気が満たした。なんというか…皆、何か云いたい事があるのに言い出せない雰囲気。

「卿は『こちら』に来てから、彼を見たか」

豪勢は静かに首を振る。…実に微妙な顔をして。

「そうか…現れるとしたら卿の元だと思うのだが」

「現れないこと自体が考えにくい。という、わけですね」

白頭巾が考え込むように羽扇に鼻を埋めた。…こいつら、一体だれの話をしているのだ?


「食通と名高かったご子息、曹丕殿がねぇ…」


俺にも分かるようにだろうか、白頭巾がようやく名前を出した。

「―――今の今まで敢えて考えないようにしていたというのに、急に何ですか?」

何だよ嫌いなのかよ。よく分からないが親の前だぞ自重しろ。

「戸棚の、菓子がな」

異様な速さで減っているのだよ。と、端正が囁いた。

「それは…これだけ毎日茶を呑んだり酒を呑んだりしていればな、菓子も減ろう」

豪勢が『何だ』と云わんばかりに目を見開いて肩をすくめた。…心なしか、少しほっとしている気さえする。

「そんなレベルではない。この手帳を見るがいい」

端正は、電話の横のメモ帳を半分に切って几帳面に糸で綴った冊子を開いた。そこにはまた几帳面そうな字で菓子の在庫と思しき数字が羅列されている。…なんか端正のこういうところ、何とかならんのだろうか。

「ほほう、流石です。なんと分かりやすい。この書式、私の在庫表でも参考にさせて頂きましょう」

「構わぬ。猫ちぐらに置いておこう」

白頭巾が端正を素直に褒めただと!?そしてお前も何やら在庫取ってんのか!?厭だな何か!!

「…貴様ら、こんなどうでもいいもの在庫管理してたのか?暇かよ?」

「暇だが?」

「暇ですねぇ」

「ぐぬぬ」

……暇だろうなぁ。

「ここ1週間の我々の消費分、及び…アレを除いて」

……アレって俺の食った分か。ひでぇ、アレかよ俺。

「チョコリエールが1袋、フルタのチョコキューブが3個、ミルクキャラメルが2粒、それに」



東ハト オールレーズンが6枚……。



オールレーズンの名前が出て来た辺りで、3人がぐっと息を呑んだ。

「…レーズンて、葡萄か」

「いかにも」

「完全に、居ますね」

え?え?オールレーズンの減りが早いなーとは思ってたけど何、お前らじゃないの!?まだ誰か常連さんがいるの!?

「曹丕殿の葡萄好きは呉にも聞こえる程だったからな…」

周囲に油断なく視線を走らせながら、端正が呟く。

「…居るなら居るで知らせらば良いではないか。何故だ?」



「―――サイコパスの考えることは、分かりかねますな」



「卿!?お、俺が何となくぼかして口にしなかった言葉を易々と!!」

「ぐぬっ……」

父親の目の前で息子を堂々とサイコパスって云い切ったぞこの頭巾野郎!!

いや、分からんでもないけど!!


いつだったか、三国志時代の人肉食が話題に上がった時に豪勢自身が云っていたじゃないか。飢えに負けて人肉を喰った部下を揶揄う為だけに、死者の墓を暴いて頭蓋骨を馬の鞍に括りつける、そんな男だ。サイコパスかどうかは置いといても、倫理的にどこか狂っている。

他にも寵愛していた甄氏に文句を云われたなどという理由で殺したり、跡目を争った実の弟に、七歩のうちに詩を吟じられなければ殺すと無茶振りして消そうとしたり、関羽に降伏して捕虜になった于禁を陰険な手を使って死に追い込んだりと、どうにも逸話が香ばしいんだよなぁ…こいつもしや…とは俺も思ってはいた。

「于禁殿とは何度かご一緒したことがございますが…実直で聡明な、名将でしたよ。関羽殿もその人物を惜しんで数万人の捕虜を受け入れたのです。それを…あのような子供じみた辱めを」

そう言い捨てて、白頭巾は羽扇を軽く翳した。表情は見えないが、ぎりり…と小さな歯ぎしりの音が聞こえた。

「む?于禁と云えば魏でも古参の名将ではないか。我々もあの知略には苦しめられたものだが…曹丕殿は、于禁に何を?」

豪勢はそっと口を噤んで目を反らした。このお調子者のおっさんに似合わずため息すらつきそうな風情だ。

「解放されて帰って来た于禁殿を、父親の墓に連れて行ったのです。…ご丁寧に、関羽に降伏せずに斬り殺された龐徳と、命乞いをする于禁殿の絵を父親の墓石に落書きして」

「うっわ…」

端正が一歩引いて肩をすくめた。

「ないわー、もうほんとないわ、あいつ。親の墓に落書きとか絶対ダメだろ、当時は特に」

「ほんそれ。ないですよあの人格異常者」

「ぐぬぬ」

―――少し前の創作では于禁といえば狡賢い敵役のイメージだったが、最近では樊城の戦いにおける于禁の『降伏』により、関羽は『邪魔くさい』数万の捕虜を抱えることになり、それは結果的に関羽軍の動きを鈍らせ、財政を圧迫し、何より数万の手勢の命を救った英断であったと再評価されている。その辺は豪勢が大好きな『蒼天航路』でも採用されている。だからこそ、更に浮き彫りになるのだろう。


曹丕という男の異常性が。


「于禁のついでに貴方もガッツリ貶められてますねぇ…くくく…」

白頭巾が羽扇の陰で笑う。…あーあ、また始まったよ。

「………」

「何か恨まれること、したでしょう?」

「跡目を有耶無耶にしたままに死んだ…だがそれは!」

何かを言いかけた豪勢の胸元に、す…と羽扇が突き付けられた。

「詩の才にも政治の才にも恵まれた長子よりも、ちゃらんぽらんだが詩の才『だけ』には恵まれた弟を溺愛する余り、跡目のことをはっきりさせずに諍いの種を残して死んだことも…その一つでしょうが」

うぉう、いつもに増して容赦がないな。

「求賢令とやらで許褚やら典韋やらの脳筋武将をアホほど集めて弁の立つインテリ武将は鼻についた途端に干して、そんなだから人材はやたら豊富だが末端の指示系統はグダグダ…あの組織、四番バッター多すぎて貴方にしか扱えない状況だったでしょう。しかも跡目のことも曖昧だったせいで側近は真っ二つ。超ハードモードからのスタートですな…云いたくないが、あの状況から立て直した曹丕殿は確かにとても優秀な統治者でした」

「ならば貴様ならあいつに跡目をと云えたのか!?」

羽扇を払いのけて豪勢が叫んだ。…ぐぬぬ、じゃないのか?新しい展開か?

「あいつのああいう部分を小さい頃から見て来た余は…全権を託すとは云えなかったのだ!!」

「お、おう…」

お、押されてる。白頭巾が押されているぞ。珍しい。

「余が身罷る時点であいつを諫めてくれそうな臣下が居れば話は変わったが、あの気性だ…普通飽きたからって正室を殺すか!?愛人に埋葬させるか!?あの美しかった妃が、髪をくしゃくしゃに乱されて、口に糠を詰められて、憐れな姿で棺桶すら与えられずに直埋めされたのだぞ!!他に選択肢がない事など痛い程承知だ、しかし余は!!」

口角泡を飛ばして怒鳴る。豪勢が言葉を切った時、俺の四畳半は水を打ったように静まり返っていた。

「…あいつに後の世を託すのが恐ろしかった。一歩間違えば、この世に地獄を現出させる魔王となるのではないかと…」



この傲岸不遜な男から、こんな言葉を聞くなんて。



俺は密かに驚いていた。在位わずか7年だった彼の後継者のことを、俺はさらっとしか知らない。この曹丕という男がもう少し、長く生きていたら、魏はどうなったのだろうか。

「私が聞き知っている限りですが」

羽扇を引いて胸元に戻すと、白頭巾はすいと裾を引いて脇息にもたれた。

「彼はとても神経質な性分で、人の好き嫌いが激しかったと云いますね。嫌いな人間はゴミのように排除するが、気に入った人間には地位や立場に関わらず胸襟を開いたと。ならば、曹家を僻地に追い込み転封を繰り返して力を削いだのは何故でしょう。曹家の者達を利用しての反乱を防ぐ為だという話もありますが、その行為は結局曹家全体の首を絞め、司馬氏の台頭を許してしまったのです。聡明な彼にそれが予測出来なかったとは考えにくい」

いつもの気に障る忍び笑いが鳴りをひそめた。白頭巾はは再び、カーテンの隙間の月を眺めた。



「―――彼は最初から、曹家を滅ぼすつもりだったのかも知れませんね」



豪勢がふと、顔を上げた。白頭巾は続ける。

「ただ嫌いだったのではないですか、自分も、曹家の何もかもが」

「…そうか。だからあいつは」

それだけ云って、豪勢は言葉を切った。だからあいつは、俺の前に現れないのか。そう云いたかったのだろうか。しばらく3人は、押し黙ったままぼんやりと空を睨んでいた。新月の光は仄かで、電気を消してしまうと彼らは輪郭くらいしか見えない。鰹を炙っていた蝋燭の火だけが、彼らを静かに照らしていた。

「オールレーズンとやらが気に入ったようだな…絶やさないでもらえるだろうか」

…俺に云ったのか?誰も返事をしない。どうすればいいのか分からなかったが、俺はただ頷いた。豪勢はにやりと笑って目を閉じた。

「―――馬鹿息子め。今頃何処にいるのやら」



「DJマキシマムの所にいらっしゃいますよ?」



全員が、がばっと脇息から体を起こして声の方に振り返った。

「は???」

襖の隙間に、間抜けな馬面が覗いていた。

「…兄さん?」

白頭巾が珍しく、間抜けな顔で呟いた。

「マキシマム・フェスが始まったのだ。ちょっと避難させてくれ」

世にも情けない面付きで諸葛瑾が、炬燵によじ登ってきた。この間、俺に頭を下げに来た時よりも数段窶れている。

「何ですかマキシマム・フェスって」

「DJマキシマムがファンキーなライムをマシンガンのように繰り出しながら近所で捕まえてきた蛇やカエルを裂いたり食ったりするクレイジーなフェスだよ。私はもう…ああいうノリは…」


連休初日に何やってんの!?


「うっわ、あいつら順調にヤバくなってるな…」

おいお前が引いてどうする。呉の仲間だろ。何とかしろよ。

「ちょっと待て、借家じゃないのか?蛇とか引き裂いていいのか!?」

そ、そうだよね豪勢。いいとこに気が付いたよ。

「この間大家が『敷金は諦めるから出て行ってくれ』って土下座してきましたよ…」

大家が敷金諦めるの!?

「ていうか何、あのバカ呉の連中と一緒に叫んだり蛇裂いたりしてんの!?」

これは…親としては聞き捨てならねぇだろうな…

「気が合いさえすれば、誰にでも胸襟を開くというのは本当ですな。今頃ご子息はマキシマムと共に楽しく蛇を引き裂いていることでしょう…くっくっく…」

面白シチュエーションの気配を察して白頭巾が俄かに活気づいてきた。

「もうな…こういうとこなんだよ!!分かるだろ、俺が家督を譲るの躊躇った理由が!!あいつも小さい頃から笑顔で猫の首切ったり蛇を縦半分に割っていつまで動いているか観察したり、そんなところがあってだな」

「サイコパスの素質満載じゃないですか」

「…良かったな、シリアルキラーまでいかなくて」

端正はもう、ドン引きを通り越して置物みたいになりつつある。台詞も棒読みだ。

「シリアルキラーだったとしても一国の王だったら許されちゃっただろ!?まぁ、一種の年貢かな?くらいのノリで」

唐突にいつものノリに戻されて困惑していると、白頭巾が諸葛瑾に杯を勧めて座り直し、鰹を焼き始めた。

「そんなにマキシマムがお好きなら、何故こちらもうろついているのでしょうね…」

杯を呷って少し生気が戻ってきた諸葛瑾が、軽く息をついた。

「マキシマム殿とは気が合うが、食い物の好みは合わない。ほれ、曹丕殿は甘党だからなぁ。マキシマム殿は菓子を喰わないから。葡萄酒が飲み放題なのは結構だが、無性に甘いものが喰いたくなるそうだ」

そういやサトウキビでチャンバラする程甘党だとか、何かに書いてあったな。そんなエピソードが残っちゃってるのがもう、どうかと思うがそれはさておき。

「ということは?」



「ここは、餌場だな」



豪勢が、続いて端正が『ズコー』みたいな感じにひっくり返った。

「え、餌場…」

「さっきの俺たちの激論は一体…」

「くくく…ご子息は、こういう男なのですよ…くくく…はははははは!!!」

呆れて転がっている二人と白頭巾の大哄笑を残して夜は更けていく。




「あいつは在位7年で死んだ」

杯に残った酒を呑み干し、豪勢は天井を仰いだ。ここは俺の四畳半で、星も見えないというのに。

「もし…もっと永らえていたら、魏は…修羅の巷にでもなったのだろうか」

すっかり酒に飽きて書を繰っていた端正が、静かに顔を上げた。

「かつてこの国に、彼と似たような王が誕生したことがある。極めて有能で、酷薄で、気性の激しい」

「云うねぇ、親の前で」

「親の葬式で位牌に灰をぶっかけて立ち去った不躾さも似ているな。…彼は政治も経済も恐るべき手腕で整備し、対抗勢力には容赦はしなかった。寺は焼かれ、女も子供も容赦なく弑され、妹婿の頭蓋骨を杯として酒を呑み」

「こっちも呑んでるときにグロいこと云うねぇ」

「やがて天下統一が目前に迫ったその時、彼は、部下に殺された」

「………そうか」

端正は本を閉じ、顔を上げた。

「曹丕殿も病没せずとも、そう長生きはしなかったかもな。…敵味方に畏れられたその王は、こう呼ばれたらしい」



―――第六天魔王、と。



魔王か、と呟き、豪勢はにやりと笑った。


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