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俺の四畳半が最近安らげない件  作者: 柘植 芳年
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三国一の傾城

繁忙期を過ぎ、敢えて有休をとった午後。明日から土日。あと2日、ゴロゴロできる。そんな俺の穏やか過ぎる午後に反比例するかのように、『彼ら』はじっと床の辺りを凝視したまま、緊張した面持ちで押し黙っている。


3人の小さいおじさんは、今日も猫ちぐらの前で車座になって座っていた。


「…どうするんだ、アレ」

端正が小声で呟いた。いつもならここで白頭巾がなにか人を食ったような言動に出てひと悶着起こすのに、今日は妙に神妙な面持ちで首をかしげるばかりだ。

「しかし…なんとまぁ…」

反対に、豪勢は蕩けんばかりの目つきで、部屋の隅に現れた人物を眺めた。



「―――美しい、女よ」



長い黒髪をふんわりと結いあげ、銀に輝く簪をさした小さな麗人が、少し前から部屋の隅に佇んでいた。切れ長の二重はどきりとするほど美しく、細やかな肌のきめも輝くばかりだ。さぞかし、名のある傾城に違いない。あまりの美しさに、棚にあったブルボン菓子を全種類奮発して並べて置いたが、未だに手をつけていない。

「あの董卓と呂布を惑わせただけのことはあるのう。眼福、眼福」



貂蝉かよ!!



こ、これが三国一の美女…!俺程度の小者に、流し目一つでブルボン全部貢がせるくらいお手のものなわけだ。

「おめでたいな卿は」

端正が舌打ち交じりに吐き捨てた。っち、すかしやがって。これだから美周郎は。

「これがどんな厄介な状況か分からぬほど、卿とて若くはあるまい?」

「っち、煩い奴じゃの。その厄介な状況はまだ起きてもいまい。そんな小者だから貴様はこの世の贅を極めることもなく、ぱっとしないまま死ぬのだ」

「卿には言われたくない」

「で、どうだ。貂蝉を前にしてみて。貴様のところの小喬と、どちらが美しい?」

「なっ…よくそのような下司な質問が出来るな!!恥を知れ!!」

「うはははは…男なら誰でも興味があるだろうが!喬姉妹と、貂蝉。どちらが美しいか…の?」

野次馬根性丸出しの表情で、白頭巾のほうを振り向く。どうせまた、人を虚仮にした答えを用意しているのだろう…と思っていたが、奴は押し黙ったまま、ぴくりともしない。

「……なぁ、さっきからまったく反応しないな、貴様」

「………はぁ」

気の抜けたような返答。相変わらず、眉一つ動かさず、石のように固まっている。他の二人は、意味ありげに顔を見合わせた。

「卿、もしかして…だな」

「あぁ…嫁、あれだからな、前から疑わしいとは思っていたが」




―――貴様、ホモだろう?




「言いがかりです、汚らわしい!!!」

羽扇を震わせて白頭巾が立ち上がった。こんなに激高する白頭巾は初めて見る。貂蝉もふと顔を上げて、白頭巾の方をみた。目を上げると、睫毛がめっちゃ長い。目が合った瞬間、白頭巾が再び固まった。…もしかして。この性悪頭巾、まさか。

「―――美人、苦手なんだな?」

にやにや笑いを含んで、端正が囁いた。なるほど、女に関しては流石の余裕だ、美周郎。

「ふはははは、読めた、読めたぞ!貴様、ホモやブス専ではないな…?美人を前にすると緊張して腑抜けになるのだろう!!だから家内には不美人ばかりを取り揃えておるのだ!!」

やられっぱなしの白頭巾の思わぬ弱点に舞い上がるのは分かるが、本当……いつそこの襖がからりと開いて白頭巾の嫁に真っ二つにされても文句言えないぞ。

「なにぃ~?貴様、意外とかわいい所があるではないか!よし、今日はその辺りを詳しく聞かせてもらおうか!!」

豪勢までが、にたにた笑いながら白頭巾の肩をバシバシ叩き始める。なんかもう…下世話な連中だな…

「帰ります」

白頭巾が席を立とうとするのを、二人が取り押さえる。

「おのれ、逃げられると思うなよ!?」

「いいぞ、そのまま押さえておけ!」

豪勢がげらげら笑いながら白頭巾を羽交い絞めにする。白頭巾が首をぶんぶん振った弾みで、頭巾がぽろりと落ちた。妙にぴっちり結い上げられた頭が出てきた。

「いい加減にしなさい…ぐふっやめっ…」

「おい、貂蝉ここに連れてこい!くっくっく、このスカした男が真っ赤っかになった顔を拝んでやろうぞ!」

「承知した!もし、そこのご婦人!」

「ぐっよしなさい、ほんとよしなさい!」



―――がり勉優等生をいじりまくるガキ大将か。



「か、かくなる上は…!!」

白頭巾が、服の袂をごそごそやりだした。…嫌な予感がする。あの美女が部屋に現れた時から、俺は。

袂から出てきた掌には、小さな笛が握られていた。それを口にくわえ、頬を膨らませて吹きならす。



―――?なにも聞こえないが?



「…卿、まさかそれは!!」

端正が何かに気が付いたようだ。ばっと手を放し、落ち着かなげに辺りを警戒しはじめる。

「んあ、どうした」

「貴様…それ、馬笛だな!?」

白頭巾がにやりと笑った。…遠くから聞こえ始める、荒々しい馬蹄の音。…こ、こいつ、まさか!!



「この野郎、赤兎馬呼びやがった―――!!!!」



白頭巾のむき出しの頭をゴッと音がするほど殴り、端正が叫んだ。豪勢が目を引ん剝く。

「貴様…何を考えているんだ!今一番呼んじゃいけない奴呼びやがって…う、うゎあああ!!!」

襖が弓のようにしなり、激しい衝撃と共に吹き飛んだ。…なんかもう、月イチレベルで破損するなこの襖…。そして土煙が立ち上る押入れの暗がりに、紅い馬とそれに跨る巨躯の怪人。

「―――貂蝉!!!!」

眦が裂けんばかりに目を見開き、荒い鼻息をつく呂布が、再び現れた。呂布は巨大な槍をずわりと一閃させると、静かに部屋の奥に座る貂蝉を見つめた。

「―――貂蝉」

貂蝉は、びくりと肩を震わせて瘧のように震え始めた。

「貂蝉、貂蝉!?何を怯えている!?」

いや、お前に怯えてるんだろうどう考えても。

「貴っ様らかあぁぁああ!!」

えっどうして?

「呂布殿、その男たちが、貂蝉を!!」

白頭巾が他の二人を羽扇で指し示しながら怒鳴った。呂布は無言で赤兎馬ごと、彼らに向き直る。

「貴様らが…貂蝉を…」



―――すっげぇ、言ったもん勝ちだなぁ。



「なっ、貴様何を!!」

「卿、自分が何やったかわかっているのか、これ洒落にならんぞ!!」

云い終わるや否や、二人は弾かれたように走り始めた。呂布が物凄い勢いで拍車をかけはじめたからだ。二手に分かれて走る豪勢と端正。呂布はひとまず、端正に目をつけたようだ。迫る馬蹄の響き、恐怖にひきつる端正の美貌。次々と繰り出される高速の突きを紙一重でかわしながら、端正は怒鳴るように叫んだ。

「ご、誤解だ!」

「なにが誤解だぁああああ!!」

「とっ…董卓、董卓だ!!」

槍が、ぴたりと止まる。

「私たちは、董卓からあの方をお助けしたのだ!!」

「うぉのれぇ董卓うううう!!!!!」



―――まじで言ったもん勝ちだなぁ。



竜巻のような旋回で手綱を返すと、呂布は怒髪天を衝く勢いで咆哮した。

「何処だぁ!!何処にいる!!!」

ほんとに何処だよ。こんなのに付き合わされる赤兎馬もな…もうな…。白頭巾はあっという間に平時の落ち着きを取り戻し、羽扇を軽く口元にあてた。…こいつ、いつか死なない程度に痛い目をみればいいのに。

「貴様…本当にいい加減にしろよ…人死にが出るところだったわい」

豪勢が肩で荒い息をしながら戻ってきた。…いつも思うのだが、こいつは生か死かを分ける二択になるとめっぽう強い。簡単に言うと、極端に運がいい。これも天稟というやつなのだろうか?

「まったくだ。…我々も悪ふざけが過ぎたが」

端正も戻ってきた。…こいつは運には恵まれていないが、意外と根性とか機転とかで生き延びる。他の二人と一緒にいるから割を食うことが多いが、本当はすごく優秀な将なのだろう。

「卿も一国の丞相だろうが。美女くらい克服できなかったのか」

「…私は、このように理不尽な状況が大嫌いなのですよ」

白頭巾が、怯える貂蝉と馬蹄を響かせ走り回る呂布を羽扇で示した。

「一人の傾城を巡り、一国の主たる器の持ち主たちが惑い、判断を誤り、人生をかけて積み上げたものを一瞬で失い、破滅へと堕ちていく。…その美しさは永遠ではないし、見世物にでもする以外は経済的な価値もない。頭ではわかっているのに、胸をかき乱されるこの理不尽」

「僥倖ではないか!国を傾けるほどの美女と巡り会えるなど!そんな状況を楽しめぬから、貴様の私生活はパッとせんのだ」

「これは正に、卿の言う通りだ。その危ういところをうまいこと手綱をとるのが醍醐味であってなぁ…」

「…私は月の満ち欠けは嫌いではありません」

羽扇を口元に戻し、白頭巾は語り始めた。

「月は常に変わらず、満ち、欠ける。それを全ての民が知っている。だが、気まぐれに氾濫しては全てを呑み込む川の流れ…こればかりは好きになれないのです」

そして羽扇をぱん、と膝に打ち付ける。

「だから伴侶に美しさなど求めません。求めるのは、動乱のさなかにも変わらず在ること…そして」

「…豪傑の資質か」

失礼だな相変わらず。白頭巾は完全にスルーして続ける。

「『もらってやった』という優越的立場です」



うっわ、最低だなこの下司野郎。



そういえば呂布は董卓を探して襖の奥に去っていった。なにしに来たんだあいつは。


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