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俺の四畳半が最近安らげない件  作者: 柘植 芳年
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四畳半の殺人

「犯人は、この中にいる」

水沢が、呟いた。



四枚の畳が敷かれたその中央に、半畳ほどの囲炉裏が切られた山小屋の一室に、俺たちは閉じ込められていた。夜具は揃っていないが、畳が敷かれているだけでも僥倖だったな、と5人の仲間たちと喜び合っていたのだ。だが。



4枚の畳のうち、一枚は今、仲間の骸に占められていた。



大学の山岳部の同期で集まった際、あの時行けなかった冬山登山に、挑戦してみようという話になった。

学生の頃は天候によって山行を延期するなど可能だったが、社会人になった今、そこまで時間が自由にならない。吹雪く恐れがあるとは聞いていたが、半ば強引に決行したのだ。


で、案の定吹雪に見舞われ、それでも本格的にホワイトアウトする前に辿り着いた山小屋に逃げ込めたわけだ。

火を起こせる秋野に囲炉裏の火おこしを頼み、久々の山行、しかも慣れぬ冬山に疲れていた俺たち5人は、順次眠りについた。



起きたら、氷室が冷たくなっていた。



「死因は」

土浦が、重々しく呟いた。

「お俺分からねぇよ医者じゃないし」

外傷はない。それくらいのことしか分からない。だって俺医者じゃないもん。

「誰か、口開けてみろよ」

嵐山がぽつりと提案する。全員がぽかんと口を開ける。

「ちげぇよ、死体の口を開けろと云っているんだ!!」

なるほど、窒息か!流石一番いい会社に就職しただけある。嵐山は昔から頭が切れた。だが。

「誰が」

土浦が短く呟く。こいつは相変わらず、必要最低限の事しか話さない。

「俺いやだ」

「俺だって」

「嫌だよなぁ…」

「医者はいないか!」

皆、拒否。結果、極寒の雪山にて熱いじゃんけんバトルが繰り広げられることになった。…結果、俺が負けた。

「緑川は相変わらず運悪いよな~」

水沢が肩をすくめた。うるさいよ、悪かったな。

「……うっわ、冷た」

しぶしぶ、顎を掴む。氷室の口がかすかに開いた。もう死後硬直というのが始まっているのか、中々大きくは開かない。

「使え」

土浦が、囲炉裏に刺さっていた火掻き棒を突き出してきた。

「土浦まじかよ」

「氷室気の毒じゃね?」

俺も少し躊躇われたが…すまん、氷室!と合掌して口をこじ開けた。

「……何もないな」

き…緊張した…俺は火掻き棒を取り落とした。死者の唾液をまといつかせた火掻き棒は、からころん、と鈍い音を立てて囲炉裏の灰にまみれた。…何かを喉に詰めての窒息、でもないとすると。

「こいつ持病あったか?」

皆を見回してみたが、反応は芳しくない。

「知らん。知るべくもない。でも持病あったら山行計画立てないんじゃね」

「言い出しっぺだもんなぁ」

「高山病、とか」

「ここは、そんなの起こす程の高山じゃない」

だからこそ、吹雪の危険をおして決行してしまった部分もある。ま、低い山だし何とかなるだろう、と。

「これはもう…事件だな」

水沢がまだ言う。そういや奴はミステリ研究会も掛け持ちで入っていた。山岳小説とミステリの融合とかなんとか言って、お粗末な推理小説を書いてたな。…それはそれは哀れになるほどフルボッコだったが。

「犯人は、この中にいる!!ひらめいたぞ、ひらめいてきたぞ…」

奴は立ち上がり、顎に手を当てて辺りをウロウロし始めた。

「狭いんだからじっとしてろよ」

秋野が苛立ち全開で水沢を睨み付けた。昔からこの二人は相性が良くなかった。

「――秋野。君は4年前、氷室に貸した漫画が返ってこないと怒っていたね」

「は?」

「それを根に持って、今回の犯行に……」

秋野が深いため息と共に口を開きかけたその時。

「あ、俺もイニシャルD返してねぇや」

「刃牙、借りてたな」

嵐山と土浦が言い出した。秋野が大きくため息をついた。

「お前もだよな、緑川!」

そうですね、すみません。

「…漫画を返さないのは氷室だけじゃない。で?これから閉ざされた山小屋で連続殺人が始まるのか?」

「うぐ…」

「それとお前もドラゴンボール返せ。全部初版なんだよ。お前の被害が一番甚大だ」

全員じゃねぇか。

「え…と、あれだ、やっぱり…土浦!お前、あいつに彼女取られたことあったな!」

「……は?」

完全に虚をつかれた顔で、土浦が水沢を凝視した。

「顔ばっかりで全然喋らないお前に愛想を尽かせた彼女が、あいつに走ったんだよな!」

「――緑川だ」

「―――!!!」

ぐっと気まずい空気が四畳半を満たす。…ち、なんでそんな昔の話、しかも誤爆話を掘り返すのだ。

「で、でもあいつまた別の男に走ったし!ほら、よくあるじゃん若い頃は!」

「別に、気にしていない」

「お前、もう一体何がしたいんだよ!昔の嫌な記憶ほじくりかえして人間関係滅多くそにしたいのか!?」

イライラが頂点に達した秋野が怒鳴った。

「全くだ、お前もう黙れ!!」

俺も便乗して叫んだ。俺まで痛くもない腹を探られるのは勘弁してほしい。それに他殺にせよ事故・病気にせよ、仲間が一人死んでいるのだ。一番いい時代を共に過ごした、仲間だ。ゆっくり、悼ませてほしかった。

「――なるほどな、犯人は絞られた」



まだ続くの!?空気読めないの!?馬鹿なの!?



「俺の追及を怒鳴って止めようとしているお前ら!!」

「あああああもううるせえよ!人が死んでるのにいつまでごっこ遊び続ける気だ!!!子供か!!!」

「あっあっ、そうやって誤魔化そうとしてるー、容疑者は一人に絞られたー…」

水沢がガクガク震えながら必死に虚勢を張る。なんだこの状況。

「出たよ、思い付き展開。お前のそういう行き当たりばったりでテキトーな性格が小説にも現れてんだよ!!伏線はぶっちぶち、プロットはぐっだぐだ。読んでて疲れるんだよ!!」

「何だと!!疲れるのはお前が文盲だからだろう!?」


…俺雪中に壕でも掘ってビバークしようかな…。



「――待て。おかしいな」



あっ、土浦が二語文以上話している。これは、余程の『おかしな箇所』に気が付いてしまったのだろう。言葉こそ少ないが、頭の悪い奴じゃないのだ。

「何だ、土浦。言ってみろ」

「点呼するぞ。水沢」

「えっ…は、はい」

「1。次、秋野」

「………はい」

「2。次、緑川」

「…おう」

「3。次、嵐山」

「あ、はい?」

「4。そして、俺が5」

―――こいつは、何を言っているのだ。

「俺たちは、何人で山に入った?」

「えっ確か5人で」

「5人、だな」

土浦は、そっと視線を下げた。



「―――そして、こいつで、6」



―――氷室で、6。



「う、うわああぁぁああ!!」

そうだ、そうだそうだ俺は、俺たちはどうして気が付かなかったんだ!?一人増えていることに!?

「あれ?あれ?おかしいなそもそも最初から…いや、最初…宿は確かに5人で取ってる。俺が幹事だから間違いない!!」

秋野が叫ぶ。

「新幹線で駅弁を買ったのは俺だ…5人分だよ!!ほらレシートがある!!」

水沢はもう、さっきから震えが止まらないし涙目だ。

「登山計画書…俺が書いた。5人分」

「まじか!?誰の名前を書いた!?」

「わ、分からない…全員書いた…そう覚えてる。でも5人だ!7人まで書けるフォーマットだった。空欄が二人分空いてるのを確認している!」

俺の言葉が終わるや否や、囲炉裏の灯る4畳半は静まり返った。骸を置いた一畳、そして囲炉裏の分の半畳。残された3畳で、5人の男がひしめき合う。うち1人は…。その息苦しさは半端ない。泊りの山行で寿司詰め状態は慣れていると思っていた。

 …いや、この息苦しさは未知の奴だ。お互いがお互いを無言で探りあっている。傍らに転がる骸でさえも、俺たちを探っているような気さえする。



―――骸が。



―――そう、骸が。



俺はがばと顔を上げて、皆の顔を見渡した。

「……雪が、収まったようだな」

秋野が呟いた。

「夜も明けた。視界は、まあまあってとこか…皆、足は大丈夫か」

嵐山が、ザックを引き寄せた。

「俺は平気だ。皆もだろ」

水沢が囲炉裏の縁にかけていた靴下を回収し始めた。

「…駄目でもいくわ。足引きずってでもな」

俺は、立ち上がった。




 

 結局、誰が未知の6人目だったのか。それはもう知る由もない。

 登山計画書もあえて確認しなかった。登ったのは5人。降りたのも5人。なんの不都合もない。嫌な言い方をすれば、死人に口なしというやつだ。

 

 卒アルも、サークルの写真もくまなく探したし、当時の仲間に何気なく電話をして、探りを入れたりもした。しかし何処にも氷室の存在はない。あえて確認はしていないが、この分では登山計画書も同じことだろう。一緒に山を降りた4人のことも、記憶に齟齬がないか、必死に考えた。恐らく俺以外の皆も、同じ作業をしていることだろう。だが、どの記憶も同じくらいに鮮明で、同じくらいにリアルだった。…では氷室が6人めだったのか。いや、違う。自信を持って言える。何故なら。



氷室が、死んでいるからだ。



 結論から言えば、やはりあの山小屋で殺人は行われたのだろう。生き残った俺たちの中の、誰か一人によって。そして恐らくそいつが未知の6人めなのだ。



 だが俺たちは追及することではなく、受け入れる事を選んだ。



 ヒマラヤ辺りの海抜8000mを超えた辺りを俗に「デスゾーン」などという。そこで命を落とした遺体は、回収されることなく腐敗して土に還ることすら出来ず、半永久的に放置され続ける。回収、したくても出来ないのだ。そして、それらの最高峰にアタックする登山家達は、散在するそれらの遺体を『道標』として重宝しているらしい。

 ヒマラヤなんかに登ろうとする奴らはどっかおかしいんだろうな、と俺は漠然と思っていた。



 ……それは真ではなかった。山に登ろうって連中は、みなどこか狂っているのだ。



6人めが何のために俺たちに紛れ込んだのか、氷室に取って変わったのか。結局、分からず仕舞いだ。だが知る必要はない。そもそも、知るべきではない。強いて言えば、それが俺たちが挑んだ山の『意志』だったのだ。例え手足をもがれても、命を取られても、俺たちは山の意志にだけは逆らえない。



そして、俺たちはこの殺人の共犯者だ。



人は、2度死ぬ。1度めは肉体の死。そして2度めは人々の記憶からの死。『彼』を易々と受け入れたことで、氷室が生きてきた軌跡そのものが、ごっそりと削られた。その父母でさえ、氷室を覚えていまい。これは俺たちがせーので氷室を忘却の川に放り込んだも同然だ。完膚なきまでの、存在そのものの死だ。



俺たちの中にのみ、僅かに在る残滓も、いずれ消える。




四畳半の殺人は、完全犯罪として葬り去られる。


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