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俺の四畳半が最近安らげない件  作者: 柘植 芳年
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小さな猫と僕の墓と

腹の横で、猫がまだ眠っている。

ずいぶん前から、あまり眠ることが出来ない。眠る必要もないけれど、猫が眠るから僕も眠る。柔らかいお腹が、ゆっくりゆっくり上下する。たまに、鼻がぴくりと動く。指の先でひげをくすぐると『ふは』みたいな鼻息といっしょに猫パンチを食らう。

 猫を起こさないようにぐっと腕を伸ばし、棚の本を取る。どれもこれもとっくに読み尽くしているけど、他にすることもないし。



 この四畳半は、本と猫のもので埋め尽くされている。それ以外、必要ない。



 ページを繰る。まあまあのスピードで。どうせ中身は全部覚えているから、ただ確認するだけの作業だ。新しい本を『外』に探しに行こうかなぁと思うこともあるけど、でもやめておく。

どうせ意味もない作業なのに繰り返している。

 ページを繰る音がうるさかったのか、猫は大きく伸びをして、くるりと背中を向けた。そしてもう一度、ころんと寝返りを打つ。この感じだと、そろそろ目をさますかな。


 少し眠れそうになってきた辺りで、猫が騒ぎ出す。お腹がすいたのだろう。

「あー、ちょっと待って」

冷凍していた肉を焼いて、細かく切る。この作業に慣れなくて、未だにちょっと目まいがする。香ばしい匂いがしているのだろう、猫が足元で騒ぎ始めた。尻尾をぴんと立てて、しきりに僕の足に頭をこすりつける。僕は…少し前から、匂いという匂いが分からない。

「はーい、はいはい」

努めて声を出すようにしている。喋らないと、あっというまにしゃべり方を忘れてしまう。動いている人間を久しぶりに見たい。せめてDVDでも…と思うけど、DVDをつけるとホットカーペットを切らないといけない。…そうなるとほれ、あいつの猛抗議だ。ふーふーぎゃーぎゃー言いながら、僕の周りをうろうろする。こいつは生きとし生けるものが自分の快適さのために全力を尽くすべき!と固く思い込んでいるんだ。



さて、ご飯が出来た。



 肉を皿に盛り、骨粉をかけてやる。カルシウムも摂らせないとね。皿を床に置くやいなや、猫がとびかかってくる。そしてがっつく。そして半分くらい食べたあたりで、少し不思議そうな顔で肉の匂いをかぐ。僕はそれがたまらなくて、傍でずっとなでている。ごめんね。本当に、ごめん。

 食べ終わった皿を少し舐めて、猫は今度はミルクを要求する。脱脂粉乳にバターを少しだけ入れたやつを出してやった。ぴちゃぴちゃ音がし始めたあたりで、僕は猫の傍を離れた。




僕たち一人と一匹が、あと数年も生きられないことに気が付いたのは、このシェルターに転がり込んですぐだった。




 戦争があった。テレビでは手を変え品を変え、戦争の原因をぼかされていたから、何が原因なのか、僕にはわからない。ただ、戦争があった。使ってはいけない兵器が使われた。それだけ。

 このシェルターに辿り着けたのは、僕と猫だけ。家族や友達がどうなったのか、僕にはもう分からない。分からないことだらけで嫌になる。最初のうちは、必死になって外部と連絡を取ろうとした。別のシェルターとの通信システムはあった。たまに、生きている人と通信が繋がることがあった。ただ。



大抵のシェルターは、複数の人間を収容していた。



シェルターには当然、備蓄の食料がある。それは大抵、2~3年もつかどうかの量だ。そして突然の最終兵器攻撃で、心の準備が出来ていなかったみんなは、シェルターの定員など気にしている余裕はなく、大抵のシェルターは定員の倍以上を収容していた。



―――収容、してしまった。



最初はお互い生き残ったことを喜び合う通信ばかりだった。その後は…思い出したくない。一つ確かなのは、通信できたシェルターに、現在生き残りは一人もいないということだ。僕も最初は、呑気にカーペットで丸くなっている猫を、非常食とみなしていた。

 でも僕の声に反応するようになり、丸い黒目でじっと見つめて遊んで遊んでと訴えられるようになって、そんなこと絶対無理な弱い僕を知った。この子が苦しむのは無理だ。食べ物がなくなって、温かい場所を失って。



そして僕は知っていた。このシェルターには、肉体を捨てる設備があることを。


 

 このシェルターは、比較的後期に作られたものだ。最終兵器が使われ、数十年、数百年地上に出られなくなった場合を想定している。備蓄が尽きたとき、ここに収容された人は決断しなければならない。肉体を鋼鉄に変えて、平たく言えばロボットに変えて存在し続けるか、安らかに死ぬか。



 僕は決断した。ただ、備蓄が尽きるよりずっと前に。



 急に僕の姿が変わるとびっくりするかも知れないから、皮を剥いで防腐処理を施し、外皮に使った。柔らかさを維持するために、液体の緩衝材を外皮と機体の間に満たし、36℃の温度を保ったまま循環させる設定にした。この設定の為に、いくつかの便利機能を削除したから、機械の体になったところで、やっぱり僕は長生きしないかもしれない。僕の肉体は、小分けにして冷凍保存することにした。まだ子猫だから、大事に育てたら、備蓄以上に長生きするかも知れない。そのためには肉が必要だ、と思った。…骨は粉にした。



―――あ、ミルク終わったみたい。



猫はゴロゴロ喉を鳴らして、今度は撫でてくれとせがむ。きじとらの背中をゆっくり撫でる。猫はまた、うとうとし始めた。よく眠るよなぁ。僕は全然眠れないのに。…眠れ、僕の分まで。



僕には、小さな夢がある。



猫がいつか永遠に眠ったとき。あの鉛のドアを開けて、この四畳半のシェルターを飛び出し、地上に出るんだ。ライブカメラで時折眺めていた、大きな花が咲き乱れる地上に。そしてこの子が好きそうなふわふわの葉っぱの上にその骸を置いてやり、僕はその傍らに横たわり、ゆっくり目を閉じる。きっとそれは天国みたいなかんじだろう。



そして僕は猫に最後の挨拶をして、スイッチを切るんだ。



小さな猫と僕の墓。

 

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